第四章:夜闇の下で
王自らの突撃に出たフォーサイト軍は、夕闇が過ぎた今に至ってもトルヴシティ本陣へと到達できずにいた。
平原での機動こそ最高のフォーサイトを、周到な兵の配備と罠を廻らせた森林・渓谷部に引きずり込む――と言うトルヴシティの戦略は完成しつつあった。森林には敏捷なるドールディアーの乗り手たちが、渓谷では跳躍に秀でるドールゴートの乗り手たちが足場の悪さに苦戦するドールホースの乗り手たちを翻弄する。そして、空より飛来するドールバードの騎手たちがフォーサイトの劣勢を助長する。
すでに、フォーサイト軍は各地で分断され、その敗北は目前に見えた。
シュン…………ドォゥゥ~ン!!
ショーネルたちに襲いかからんとしたドールピジョンの機影は、その翼が爆炎に包まれた後、錐揉み落下を始める。
「これで爆雷箭は打ち止め……ですよ。」
ドールピジョンを射落としたリュッセルは、落下する機影を見詰めながら側にいるショーネルにぼやく。そのぼやきに彼の方を見たショーネルは、背中の矢筒に残る物を目にして問う。
「その……背にあるのは?」
ショーネルの問いに、リュッセルは何処かおどけた様子で答えを返す。
「普通の矢ですよ。ドール相手に効きゃしません。」
ショーネルたちの一団は、森の中で執拗に狙われていた。彼等の中央にトラム王の姿があり、王の銀に輝く騎馬とショーネルの白き騎馬が容易に人々の目を引き付けた為である。
今は操狼部隊の操るドールウルフたちの索敵能力と連携してそれらを撃退しているが、不利な戦いに変わりない。しかし、彼等は敵本陣の突入を断念した訳でもなかった。
森に入りかなりの時間が経過した頃、敵の執拗な攻撃も下火になってきた。一同の心に、敵の罠を何とか突破できたのか……と言う思いが過ぎる。
その時、リュッセルが不意に、何もない木立ちに向けて矢を射かけた。
……ティンッ!
――という金属音とともに、そこから巨大な影が襲いかかる。
影は手近にいたドールウルフの喉首を喰わえると、そのまま投げ飛ばす。ドールウルフの悲鳴に似た咆哮の後、金属のひしゃげる音が闇に響く……
その音が何かを認識した頃には、影は森の中へと消え去っていた。
森の闇に消えた影を目で追うように首を巡らしたリュッセルが、誰ともなく問いをかける。
「……何が起こったんです?」
その問いに、ショーネルは答える。
「……恐らくドールタイガーだとは思うが……良くあれに気付いたな。」
「な~に、仕事柄、視線には敏感なんです――と言うのは冗談。正直、運が良かっただけですね……」
感嘆の色が含まれたショーネルの言葉に、少しおちゃらけた答えを返したリュッセルだったが、後半の言葉にはやはり緊張の色が隠しきれていない様子である。そんな彼の言葉を聞いた後、親衛騎士たるショーネルは、トラム王と周囲の者たちに言葉をかける。
「ドールウルフが全く感知できなかったとは……陛下、お気を付けを――」
「目に見えぬ脅威に震えている訳にもいかぬ。急ぐぞ!」
注意を喚起する配下の騎士の言葉に、頷くものを感じつつも、王はそう言って部隊の進軍を命じた。
その後も、彼等に対する影の襲撃は執拗に続いた。
相手が一機とは言え、ドールタイガーの戦闘力はドールウルフに数倍する。不意を討たれ、ショーネルたちの戦力は確実に削ぎ落とされていった。
それは、執拗なる襲撃者の何度目の襲撃であったか……既に、森より忍び寄る者の驚異に、人も、そしてドールたちさえも疲弊の色を隠せずにいた。
その時を――そう、まさにその時を、森に忍びし者は狙っていたのだ。
ギャゥン!
金属的な悲鳴に、ショーネル達はそちらに目をやる。そこには鋼狼を前肢で押さえ込む、黒き剣歯虎の如き影であった。ショーネルはとっさに剣を持つ手に力を込めた。
「アイン、フュンフ、そいつを囲め! ドライ、ゼクスは援護にまわるんだっ!」
正体を表した影に怯むことなく、一人の勇気ある操狼士は、頼りにしている彼の鋼狼に指示を出す。彼は自分の可愛がっていた十匹のドールウルフの半数以上を失っていた。この操狼士の一息後には、他の操狼隊の者たちも態勢を建て直す。
しかし、その態勢も、次の瞬間に崩れた。
「うぐっ……」
鋼の虎を最初に囲んだ操狼士の声だった。彼はうなじに冷たい牙を突き立てられ、絶命していた……背後より、もう一体の影――黒きドールパンサーに襲われたのだ。
「……一機だけではなかったのかっ」
主を失うことで一瞬動きが乱れた四機の鋼狼は、すぐさまドールタイガーの餌食となった。そして、もう一つの襲撃者は、隊の背後に守られたトラム王に血濡れた牙を向け跳びかかった。その早業を前に、誰もそれを止められずにいた。
しかし……
……ギャリッッ!!
それは、王の最後を思う全ての者が聞いた。その音は肉の引き裂かれる音ではなく、鋼の噛み合うが如き音であった。
そこにいたのは影――血色の煙を肩より吹く漆黒の鋼馬に乗った人の姿をした影……影は王の前に立ち、真紅に輝く双瞳で鋼の獣を睨み付け、その牙を左腕に噛ませていた。
「「「……!!」」」「おぉ! “影の騎士”!」
多くの者が絶句する中、その場にいるただ一人の詩人がその者の名を呼ぶ。信じられない……そう、多くの者に、それは余りに悪夢めいた信じ難い情景だった。
周囲の者が息を呑む中、“影の騎士” は左腕を一振りして鋼豹を地に叩き衝け、起き上がる間も与えずに一刀の元に斬り捨てた。そして、もう一機の敵を探す。しかし、そこには既に鋼虎の姿はなかった。それを見て取った “影の騎士” は、すぐさまこの部隊の者たちに言葉をかける。
「ショーネル……それに操狼隊、陛下の周りを固めろ。」
そして、ショーネルたちとは一度も目を合わせることなく、彼の騎士は森に目を向けた。
シェアナは、彼等と目を合わせられない気まずさを感じていた。かつてのシェユラスを知る者の前に出ること……そして、ショーネルの前に出ることに、何がしかの後めたさを感じていた。
しかし、躊躇っている訳にはいかなかった。王がドールビーストの牙にさらされたあの光景を見てしまっては――しかし、オーバードライブを行い、たった一日弱で戦場に到着したシャーフィールを、長くとどめ置く訳にもいかない。
「『可視領域を転換……夜間視界より魔力視界へ』」
シェアナはそうつぶやく。暫くして、彼女の視界は輪郭のぼやけたものへと変わる。そこに強弱無数の光点が輝き出す。
この時、“影の騎士” の瞳が真紅から薄蒼へと変わっていることに気付いた者は少なかった。
(……これはトラム王の騎……あれはショーネルの……この小さいものたちはドールウルフか…………あ……巧妙に隠しているが分かる…………来るっ!)
この部隊に迫る一つの存在に向け、“影の騎士” は駆けた。
再び、それは瞬く間の出来事であった。ショーネルには、蒼き瞳の “影の騎士” が不意に駆け出したことしか分からなかった。
次の瞬間、騎士の駆けた先に現れた鋼虎は、騎士の輝ける白刃によりその胸を貫かれ、倒れ付した。
そして、騎士は森に消えた。
「何が……どうなってるんだ? 一体!?」
リラーズ渓谷の森のとある場所において、トルヴシティ軍の操虎士はそう毒づいていた。彼は操虎士としては珍しく、二機のドールビーストを扱っていた。ドールタイガーやドールパンサーはその隠蔽能力と戦闘力は高いが、連携攻撃をさせ難い。その常識をひっくり返し、驚愕する獲物を屠る――そんな彼の戦法が、今あっさりと崩されたのだ。謎の影によって……
その理不尽な事態に、彼は毒の含んだ言葉を吐き続ける。
「俺のタイガーは特別製なんだ! どんな奴でも見付けられない筈なのに!」
「……確かに、巧妙に隠れていたな。」
彼の言葉に不意に、返された言葉がかかった。
「な!?」
彼は驚愕した。自分は特別な探査装置に守られている筈なのに! ……何故、不意に彼の傍らに近付くことが出来るのか……!?
「……自分だけが特別だと、うぬぼれぬことだな。」
操虎士は、その言葉に含まれる自嘲の色を知ることなく、命を絶たれた。
そして、彼とその部下たちは、この夜 “影の騎士” に斬られた最初の犠牲者となった。そして、その夜トルヴシティ軍は、幽霊騎士の襲撃の恐怖を体験することとなるのだった。




