第三章: ……動く
両軍の均衡が崩れたのは、その日の太陽が天頂に達する間際であった――
動いたのは、トルヴシティ軍の陸戦騎士率いる十数部隊規模の魔法人形と傭兵隊の一部であった。彼等は布陣していた南東の森林地帯から、丘陵地帯に陣取るフォーサイト軍の前衛部隊に対し攻撃を開始した。
フォーサイト軍はそれに対抗する。丘陵の上からの、その機動力にものを言わせる突撃でトルヴシティ軍は次々と分断され、怯んだ彼等はそのまま元の陣地である森の方へと徐々に引き下がっていく。
浮き足立つ敵の前線部隊の姿を目にして、フォーサイトの前衛と両翼の一部は、この怯む敵に乗じて、丘陵から雪崩の如く攻め下る。
これで敵部隊が潰走するかに見えた切那、フォーサイト側の足が止まった。森の手前の薮に、ドールホースが足をとられたのだ。
そこへ、敵左翼部隊の主力が、足の止まったフォーサイト前衛を南より半包囲せんと進出する。
フォーサイト軍は、その速さをもって精強なるが故に、薮でその速さを失われた時、意外な程の脆さで押されていく。トルヴシティ左翼はフォーサイト前衛を、自陣たる森の中へと引きずり込んでいく……森は彼等トルヴシティ軍の真価が発揮され、敵であるフォーサイト軍の力を著しく削ぐと知るが故に――
敵の左翼に押され、敵が万全の布陣を敷く森の中へと引きずり込まれていく自軍の前衛の姿を、本陣に立つ者たちは忸怩たる思いで見詰めていた。若き副官の一人は、全軍の指揮を執る親衛騎士団長に向けて、悲鳴じみた叫びを上げる。
「閣下! このままでは前衛隊が壊滅してしまいます! 至急援軍を――!!」
「…………」
側に立つ若い副官の声を、ドレイル=ヴァルターは確かに聞いてはいた。しかし、眼下の光景の余りの苦々しさに、答えてやる気が失せていた。
(……あの部隊はただの「挑発」だと何故分からん……確か、前衛は鉄騎騎団の者たちだったな……親征でもある故に親衛騎士団の儂が総指揮を執ることが気に入らぬとは言え、こうも醜態をさらしおって――)
敵の要らぬ挑発に乗るなと命じていたに関わらず、それを無視して突撃し、案の定、敵に嵌められてしまった前衛隊長のあさはかさに、言いたいことは山ほどあれど、まず、ここは戦況の不利を覆しておかねばならない。
「……閣下!」
物言わぬ上官に痺れを切らした副官の、援軍の要請を叫ぼうとするのを制し、老騎士は命ずる。
「右翼隊に通達。敵左翼の後背を突き、前衛隊の援護を行いつつ、機を計り敵左翼を前衛とともに挟撃せんと試みよ。……また、本陣空戦部隊に通達。各機離陸し、友軍の上方を確保、森より飛来した敵空戦騎士団への牽制を行え。」
「ハッ! かしこまりました。……伝令!」
副官は、すぐさま伝令に今の命令の通達を命じる。その様子を横目に見ながら、老騎士は心中で一つのつぶやきを漏らす。
(後は、陛下が自重なさることを祈るのみだな……)
老騎士は、本陣後方にいる二人の若者を一時思い、再び戦場の推移を見極めんと眼下の状況を見詰め直した。
「……前衛隊の者たちはどうなったか!?」
苛立ちと焦りの中、フォーサイト軍総大将であるトラム=フォン=フォーサイトは、傍らに控える騎士に問いかける。王の言葉に、若き親衛騎士は主君に向けて答えを返した。
「陛下、我が団長は歴戦の優将……閣下の老練な用兵を信じて、心安らかにしていただきたく存じます。」
トラム王は、彼の騎士を一瞥した後、つぶやく。
「……そうだな……卿の伯父君を信じるべきだな――」
ここ、王の周囲は、ドールビーストの中でも索敵範囲の広いドールウルフの群れを率いる操狼部隊によって周囲を警戒し、上空からの敵空戦騎士に対処する為にフォーサイトでは比較的貴重な対空火器や空戦部隊が配備されている。
フォーサイト側は、この若き王にもしものことがあれば、戦の勝敗のみならず国の存亡に関わってくるのだ。そしてその事実は、トルヴシティ側も承知している筈であるが故に、その防衛網は厚い。
されど、そのことはトラム王にとって歯がゆい感覚を抱かせていた。自身が全軍の総大将とされながら、自軍の趨勢をただ黙って見守るしかできないのだから……
そのような思いを抱く王の元へ前衛隊の失態が知らされたことは、王の歯がゆさを「苛立ち」へと変えていくのに充分であった。
その時、伝令が空戦部隊の元へ来た。途端、空戦部隊が慌ただしくなる。
「何事か……?」
「確認して参ります。」
そう言うとショーネルは任務を終えた伝令を呼び止め、通達の内容を確認して、王に向けて報告する。
「どうやら、前衛隊救出を行う右翼隊援護の為、空戦部隊の一部派遣を求められたようです。」
「そうか……ならば、一部と言わず、全部隊でかからねばならなくはないか?」
「それは――」
トラム王の言葉に、ショーネルは言い淀む。
確かに、空戦騎士の規模はあちらが圧倒的に有利なのだ。出撃させるなら、全力を投入すべきだ。しかし、この場を守る為には、空戦騎士の戦力は必要となるに違いはないのだ。
その言い淀む騎士の様子を見詰め、王は言葉を続けた。
「……分かっている。しかし、少しでも派遣する者を多くしてやってくれ……空戦隊が圧倒的な寡兵とならぬようにな……」
暫くして、騎乗用のドールファルコン、ドールスワローに跨る空戦騎士たちが、戦闘用ドールファルコン等を従えて離陸していく。彼等は亜音速の早さで高空を飛翔していった。
空戦騎士たちが出撃し、彼等の武運を祈りながら見送っていたショーネルは、不意に自分の周りが暗くなったことに気付いた。すぐさま天上へと目を向ける。
「……何!? ……これが狙いかっ!!」
そこには、翼を広げし猛禽の群れに似た多数の影があった。それがただの鳥などではないのは自明と言えた。一瞬の自失の後、ショーネルは周囲の者が空よりの飛来者の意味を測りかねているのに気付く。
「何をしているっ! 対空砲火準備っ! 上空の敵に備えよっ!!」
ショーネルの一喝が、周りの者たちを打ち据えた。それにより、ある者は魔導砲を起動させ、ある者は爆雷箭を弓につがえる。
それより時を置かずして、敵の投下する爆雷や誘爆晶と地上よりの対空砲火により、両者の間の空間には無数の爆発がひしめき合うこととなる。
本陣後衛の空襲は、左翼突出に注意を逸らせた上で、右翼部隊の一部がドールウルフ等の索敵範囲外の高々空より迂回・強襲するという、トルヴシティ側の策略による。
この空襲により、前衛隊救出に向かう右翼隊の一部に乱れが生じた為、主戦場はフォーサイト側近くの丘陵地帯からトルヴシティ左翼の布陣地付近の森林地帯への移行をみすみす許してしまう。これにより、前衛隊の軍隊としての機能の殆んどが瓦解、救援にと飛来した空戦部隊もその圧倒的数と小回りの効く機動を持つ、敵のドールバード群と空戦騎士により苦しい空中戦を強いられる羽目になった。
次々ともたらされる自軍不利の報に、トラム王はその事態を打開すべく、親衛騎士団長ドレイルの制止を振りきり独断先行を決意した……即ち、本陣の騎士達を率いて敵本陣への突破を試みたのだ。聖馬にも似た神銀のドールホースは、幾多のドールホースとドールウルフを従えて敵本陣のあるリラーズ渓谷へと怒涛の如く攻め入った。
……しかしそれは、勇気ある決断と言うより、無謀なる暴挙と言うべきことであった――
時は遡ること、半日程――
ホルトの谷に一騎の騎影が姿を現す。その騎影は傍らに立つ老人に感謝の言葉をかける。
「ファルト老、感謝します。」
「礼には及ばんよ……無事に帰ってくれれば、それで良い――」
老の言葉に、老の側にいる少女も頻りに頷く。
「…………」
ドールにも似たその騎士は、彼らを暫し見詰めた後、答える言葉なくその場を後にした。
その走りは、地を駆ける黒き稲妻の如く……
そして、その数刻前――
一人の “翼の長” が、風の精霊の届けた託けを聞いていた。
「あいつの言うことを聞いてやる義理はないがァ……」
彼が託けを聞き終えそうつぶいた時、彼の片腕と言える者が近寄ってきた。
「長……これから何処へ?」
「…………リィラーズ渓谷ゥ――」
その “翼の長” は、暫し瞑目した後、そう目的地の名を口にした。
さらに、その一刻程前――
執務室に入った第十九代目魔導技術師団々長ジョーナル=ミッドリールは、机に一つの封書が置かれているのに気付いた。その封書には、第七代目魔導技術師団々長F.ミゲラスの署名が記されていた。
その封書を一読したジョーナルは驚きに目を見開きつつも、一つの呪文を唱えた…… “転移” と呼ばれる帝国魔法の呪文を――




