第二章:決戦前夜
両軍の睨み合いは、暫しの日数を費やすに十分な期間、続いた。互いに互いを牽制し合い、本格的な戦端を切れずにいた。その間にも各地から駆け付ける騎士たちにより、フォーサイトは人員の増強を着々と果たし、トルヴシティ軍も陣形の配置を完成させていった。
そんな状況の中、ショーネル=ヴァルターはフォーサイト本陣へ推参した。
「…………ふむ……なるほどな。」
ショーネルの報告書に目を通しながら、老騎士はつぶやく。その呟きに、若き騎士は恐縮した様子で言葉を漏らす。
「申し訳ありません、伯父上。この程度までが精一杯で――」
恐縮する甥に向け、老騎士は取り成す様に言葉をかけた。
「気にすることはない。あの短期間に、これ程の調査報告が書けた……と感心して良い程だと思うぞ。」
「……ありがとうございます。」
そこは、フォーサイト本陣の幕屋の一つ、親衛騎士団長の為の幕屋である。
「……しかし、やはり、その正体は不明――か。」
幕屋の主たる老騎士は、甥のしたためた報告書を机に置く。
「はい……残念ながら、しかし、“影の騎士” と何か関わりのあると思われる人物の存在が判明しましたで、全く手掛りがない訳でもありません。」
「そうか。だが、今は目前の敵の事を考えんとな……」
そう言って、老騎士はこの話題を切り上げた。そこに、甥である若き騎士より問いかけがなされる。
「伯父上、正直なところ、この戦勝てますか?」
その問いに、老騎士は落ち着いた静かな声で言葉を紡ぐ。
「さぁな、こちらは急揃えと言っても、軍の大半が、ここに駆け付けつつある。相手が自国全軍の半数を揃えておると言えど、もう暫く待てばその数はこちらが多くなろう。」
「……では」
老騎士の言葉に喜色を浮かべる甥に、たしなめるように老騎士は言葉を続ける。
「しかしそれら増援も、急の事態に疲弊した状態でここに来る場合が多い。対して、相手は行軍の支度も整え、陣の編成も周到に行っておる。それに、時が経てば不利になるのは、あちらも十分承知しておる筈――」
「…………」
老騎士の言葉に、若き騎士の面差しに緊張の翳が宿る。そんな甥に向かって老騎士は、改まった様子で声をかけた。
「……ショーネル、お前に操狼部隊を付けてやる。陛下のお側に付いてやってくれ。」
「伯父上……」
その言葉に若き騎士は些かの戸惑いを見せた。そんな彼に向かって、老騎士は自嘲の色を帯びた声音で呟いた。
「儂は全軍の取りまとめを行わねばならぬ。先王陛下のようなことにはしたくないのだ……」
「……はっ! 命に代えましても!」
伯父のつぶやきを聞いた若き親衛騎士は、伯父たる老騎士に決然として最敬礼を行った後、その場を退出した。
時は相前後する。ここはホルトの谷、ファルト老の工房――
「ファルト老……まだですか?」
「もう少しじゃ……集中したいんじゃ。話かけんでくれ……」
作業台で懸命に作業する老人と少年があった。そして、それを手伝いつつも焦燥の浮かぶ女性の姿も……焦りを隠せぬ女性の問いに、老は何処か張り詰めた様子で答える……
トルヴシティ侵攻は、この人里離れた館に意外と早く伝わっていた。シェアナがこの一報を携えて帰ってきたた時には、既にポール卿がトルヴシティの不穏な動きを伝えていたのだ。
シェアナは我を忘れて参陣する気配を見せたが、ファルト等の説得により一旦は収まった。そして、シャーフィールの修復が緊急で進められていた。「騎乗用のメタル・ビーイングの能力を持ってすれば、戦場まで二日とかからず着ける。」と言う老の言葉を頼りに、彼女は時の過ぎ行くのを耐えていた。
さて、視点を再び戻そう。
その夜、幕屋に戻ったショーネルの元に一人の傭兵が面会を求めてきた。最初は相手にするつもりのなかったショーネルだが、その名を確認して気が変わった。その男、名をリュッセルと言った。
現れた男は、自分とそう変わらない年齢の遊民の出自らしい男であった。気取った仕草やその華美な風体からは、志願して傭兵になったとは思えなかった。そのことを問うと、彼は苦笑しつつこう答えた。
「……まぁ、弓の腕が人並みより良いから――って、ここにこうしているのですけど……正直に言いますと、私、“影の騎士” に会う為にここに来たんですよ。」
やはり、あの人物であったか、とショーネルは密かにつぶやいた。彼の名は “影の騎士” 調査中に、その武勇伝を語る者の名として幾度となく耳にしていたからだ。
そんな彼の、何処か確信を持って語る言葉に、ショーネルはその自信の理由が気になり問いかけた。
「……では、彼の騎士が来るという確信が、貴方には何かあるのですか?」
「いいえ」
しかしリュッセルは、ショーネルの問いをあっさり否定する。
「私に彼の騎士の所在が分かる訳ないじゃないですか……ただ、私は、彼の騎士と何か因縁浅からぬところがあるらしいので、神々の采配に祈るのみという心境です。……でも、考えてみて下さい。こんな国家存亡の危機に、彼が来ない筈ないじゃないですか……」
そう語る彼の言葉に、そうだと良い、そうであって欲しい……ショーネルはそう思わずにはいられなかった。
そんな会話の後、ショーネルとリュッセルは “影の騎士” のことについて夜を徹して語り合った。
若き騎士は自分の知らない “影の騎士” についての情報を、その直後に現場にいたこの詩人に聞き、自分の調査を補強していった。逆に詩人は騎士に、彼の旧友についての話を聞き、自分の綴る英雄譚の取材に励んでいた。
翌朝、さして寝ていなかったショーネルが欠伸を噛み殺しつつ幕屋を出た時、外では一つの騒ぎが起こっていた。
……騒ぎ、と言っても、多くの者たちがただある一方を呆然として見詰めているだけなのだが――
皆が見詰める先――そこはリラーズ渓谷近辺よりやや南に下った大地、そこに一柱の馬がいた……ただの馬ではない。なまじな砦などゆうに跨いでしまえる程の、まさに山の如き巨大な馬……その全身は、神銀製と思われる緻密な馬鎧に包まれ、その背には、馬鎧の一部にも見える銀色の翼が畳まれている。それは、戦神ミルスリードの騎馬、聖馬フィーリニームの姿であった。
ショーネルは周囲に目をやる。周りにいる者のほぼ半数は平伏し、遠くからは戦勝を聖馬に祈願する祈りの言葉が聞こえてくる。皆と同じく、ショーネルもまた騎士の礼を聖馬に捧げ、祈りの言葉を心の内で唱えた。
(聖馬フィーリニームは、この大陸の重要な戦を見届ける為、その姿を戦場に現す時があると言う……願わくば、この戦が我等の勝利で終らんことを――)
人々の数多の祈りを聞きながら、聖馬はその優しげな瞳で、ただ眼下の戦場を見詰め続けていた。




