第二章:帰って来た者、訪れた者
ここはホルトの谷――広大な平原に穿たれた巨大な渓谷である。
その谷に、とある隠者が住んでいることを知る “人間” は少ない……しかし、この地にその隠者を訪ねる “者” は多い――
シェアナはこのホルトの谷に戻ってきていた。ファルト老に礼が言いたかったし、魔鎧や愛馬の具合いも診て貰いたかった。……それに何より、ポルの受けた怪我が、予想以上に重症だった為である。
彼女は先の戦いで翼を負傷し、更にその状態のまま全力で飛翔し続けると言う無茶をしている。その為に、彼女の翼は無惨なまでに割けてしまっていた。悪い事に、“風の妖精族” の翼は総じて治りが遅く、このままでは彼女の翼が失われる……と危惧したシェアナは、ファルト老に頼ることにしたのだ。
そんなある日、シェアナは老に呼び出され、その私室へと訪れていた。部屋には先客がおり、彼女は彼の向かい側に座らされた。
先客の人物とは……小柄・痩身の紳士に見えた……性別不詳・年齢不祥な雰囲気を持つ彼の物腰からは、年を経た者にしか持ち得ない類の威厳が溢れている。そして何より、彼の背に広がるのは――
(…………あ、あれは……翅?)
それは、青く、碧く、そして蒼い光沢を持つ蝶を思わせる翅であった。そう、彼はフェアリー族の者なのだ。何故ここにフェアリー族の者がいるのかと訝しむシェアナに向け、ファルト老は声をかける。
「紹介しておこうかの――こちらはポール=ポーラ=ブライトウィンド卿……ポルの伯父に当たる方じゃ……」
「西の妖精公国にて騎士を努めますポール=ポーラと申します。この度、あの子が深手を負ったと伝え聞き、様子を見に駆け付けました」
ファルト老の紹介に、ポールと名乗ったフェアリーは優雅な一礼をする。最初訝しげな様子を見せていいた彼女も、老の紹介と彼の言葉を聞き、恐縮した表情へと変わっていった。
「……この度は私の力が及ばず、申し訳ありませんでした。」
そう言って、平伏せんばかりに頭を下げるシェアナに、ポール卿は声をかけた。
「いやいや……この度のことは、ポルがセラー嬢の言い付けを守らなかったのが、そもそもの原因……貴方がそこまで恐縮することではない。……そもそも、あの子の無茶は親譲りなところが見える……妹もあんな輩にたぶらかされなければ――」
「他人の兄上を捕まえて、その言い草はないだろうゥ……」
ポールの憂いを帯びた呟きに、不意に揶揄するように割って入る声がした。
シェアナたち二人は首を巡らす。すると、部屋の片隅の物陰より、小柄な人物が姿を現した。
彼は硬質な感じの浅黒い肌に鋭利な爪を持ち、醜悪とも思えるその顔は尖った耳と鋭い牙が覗いている。その背には……蝙蝠を思わせる一対の皮翼がある……グレムリン族だ。
「ゲリューズっ!!」
その姿を目にして、真っ先にポールが声を上げた。彼はすぐさま腰の細剣を抜き打ち、妖魔に斬りかかった。
……ガシッ!!
「驚くことはあるまいィ……俺はただ、可愛い姪の見舞いに来ただけさァ……」
妖精の放った鋭い剣撃を、妖魔の方は平然とした様子で手槍を用いて受け止め、手槍で細剣を振り払いながら言葉を返した。
「だいたい、貴様の妹が兄上を惑わしたりしなければ、今頃は素晴らしい “翼の長” となっていた筈なんだぜェ……」
「それを言うなら……貴様の兄が妹をたぶらかしたりしなければ、妹は “伯爵位” を継いで我が公国を担う者となっていた筈だっ……」
そうして、両者は激しい舌戦と剣戟を交わし始めたのだった。
両者が恨めしげな舌戦と剣戟を交わしている間、シェアナは訳も分からずただ呆然とそれに見入ることしかできなかった。その様子にファルト老は笑いを漏らしながらも、事情を説明する為に言葉を紡ぐ。
「ふぉっふぉっふぉっ……紹介がまだじゃったな。あの御仁はゲリューズ=ダーキッシュブラスト殿、ポルの叔父に当たる方じゃよ。」
「……!」
「……気にせんでも良い……あの二人が顔を会わした時は、何時もこんな風じゃからな…………」
老の言葉に驚きながらも、シェアナは何処か二人の様子に納得できるものを感じてしまっていた。
その時、部屋の扉を開けて有翼の少女が顔を覗かせた。
「にゅみゅにょぅぃ……?」
途端、啀み合っていた有翼の戦士たちは、少女の元へ打ち合わせたように駆け寄り、口を揃えて姪に語りかけた。
「「ポル! もう動いて大丈夫かい? 痛い事はないかい?」」
そう言った直後、相手と同じ事を口にしていると察した二人は、憮然として口を噤む。
「「…………」」
少女のことを心から気遣う二人のその唱和は、言った本人たちを憮然とさせたが、周囲の者たちには感銘と滑稽さの二つを与えるものとなっていたのだった。
そうして人が集まり、場が落ち着いたところで、ファルト老は彼等のことをシェアナに語り出した――
ポール卿は、ここより北にある “風の森” の中にある、妖精公国に住む貴族種のフェアリーであり、ゲリュール氏は、グレムリン族のある部族ダーキッシュブラスト一族を束ねる “翼の長” なのだそうだ。
周知の如く、同じ風の妖精に分けられるフェアリーとグレムリンは、その考え方の相違等から非常に敵対的な関係にある。
彼女の両親であるポリー=ポーラとゲシュラードは、お互い一族内で将来を嘱望される存在であった。若き日の両者は、国を守る騎士として、部族の先陣を担う戦士として、互いに剣を交える間柄だった。
しかし、両者の内にあった誠実な心根は、やがてお互いを認め合い、次第に惹かれ合う程になって行ったらしい……そして二人は、駆け落ち同然に風の森から姿を消した……
このことは、両種族に悪い意味で波紋を呼んだ。
彼女や彼の身近で二人の本心を察していたポールやゲリュールたちは、事態が穏便になるように腐心していたが、ゲリュールの制止も虚しく、グレムリンの一党によって二人は裏切り者として “処刑” された……その場のいて、間一髪でポルを救ったポールも、公国に彼女の居場所がない事を思い知らされる事となる――
そこで、ポールは知人だったセラーに頼り、ゲリュールはブラウニーのブルクルの噂を頼りに、隠者ファルトを頼って来たのだった。そうして、彼等は、一族の者には内密に、この地へ稀にやって来るようになったのだと言う。
「……そんな事が――」
老の話を聞き終え、シェアナは、擦り寄って来た少女の髪を梳きながら、そう呟いた。
「……まぁ……あの二人も見掛け程には仲は悪くは……ないんじゃが……」
老は、二人の姪と互いを見やる時の落差に苦笑しつつそう締め括った。
その様子に、シェアナは思わず笑みを漏らしていた。




