第四章:聖霊の願い
廃屋で思わず感傷的になった自分を思い出し、その晩シェアナはなかなか寝付けなかった。彼女がまどろみ始めたのは、闇神竜が天頂を過ぎた―夜半を大きく過ぎた―後の頃であった。
(…………)
まどろみの中、彼女は何か、自分に呼び掛ける者の存在を感じていた。
(…………ラス……士――)
しかし、その呼びかけをはっきりと聞き取ることは出来ずにいた。
やがて睡魔は、彼女に本当の眠りをもたらして行った。
「騎士シェユラス…… “影の騎士” よ……」
遠くからとも、近くからとも分からぬいずこかより、彼女を呼ぶ声がする。その声に彼女は誰何の声を上げる。
「誰だ……? ……私を呼ぶのは誰だ……?」
その声で気付く。自分が「シェアナ」ではなく、シェユラスの姿となっていることに……
しかし、良く見れば違う……その姿は刻々と変化を繰り返し、その姿はシェアナとシェユラス、そのどちらでもあり、どちらでもないような不可思議な姿に見えていた。刻々と変化する自身の姿に驚いていると、先程の呼び声が間近と思える場所で聞こえてきた。
「……ここは貴方の夢であり、冥界である所、その存在自身が、意識する姿を取り得る所――」
声の聞こえた方に注意を向ける。そこに立っていたのは背より紫の輝きを放つ、翼を持った一人の女性……あるいは、背より紫の輝きを放つ翼を持つ一頭の白き犬であった。その姿を見て、シェアナは直感的に悟った。彼女が聖霊であると――
「その通り……私は冥界神の神獣クルガールムに仕える聖霊、クレアと言います。」
その言葉に、彼女が慌てる。
「待ってください! 聖霊とは、神官でなければ姿を見る事も、声を聞く事も叶わない筈――」
狼狽の色を見せる彼女に、聖霊は幼子を諭すような優しい口調で語りかけてきた。
「……その通り。普通には貴方の言うことは正しい……しかし、時により、そうではないのです。」
「…………! ……もしや私を冥界へと引き戻す為に……?」
聖霊のその言葉に不吉な解釈をしたシェアナは、身構えるように問いを絞り出していた。その問いに、聖霊はゆっくりとした仕草で首を振る。
「……いいえ、貴方はれっきとした生者……私の管轄しうる者ではありません。私は、貴方に助力を仰ぐ為、ここにいるのです。」
「助力……?」
聖霊の予想外の言葉に、シェアナは呆然と呟く。
「……ええ、お願いです。アルバート、“陰の騎士” を冥界へ送ることに協力を――」
そうして、聖霊は切々とした様子で言葉を紡ぎ始めたのであった。
「そう、そんな事があったの……」
朝食とともに出されたコーヒーを優雅な手付きで飲みつつ、セラーは呟く。
その朝、シェアナはセラーたちを部屋に集め、昨夜起こった驚くべき体験を語った。
「生憎、私が心得ているのは古代王国期の帝国魔法しかないから……その聖霊の話が、本当か見極める事は出来ないわね」
心底残念そうな様子でセラーは言葉を口にする。すると、ポルが首にかけた石板に石墨を走らせた。
-シェアナの右肩辺りに、闇の精霊みたいな影がいるよ-
驚いて振り返るシェアナ。しかし、魔法の素養のない彼女には、ただ虚空があるのみである。
一方、セラーはポルの方に首を廻らし、少女の髪を撫ぜながら語りかける。
「そうなの……ポルは呪法舞踊の心得があるから、幾らか精霊魔法の素養がある筈……精霊を見る要領で聖霊を知覚してもおかしくないわね」
「セラー姉、闇みだい――っで、邪霊がな……?」
セラーたちの会話を何処か理解しかねる様子で、ブルクルが尋ねる。その問いにセラーは答える。
「……そうとは限らないわ。冥界神自身が闇とも関わりの深い神なのだし、闇であるから邪霊とは言い切れない。ただ、シェアナさんが見たのがただの夢ではないのは、間違いないでしょうね。」
「…………」
セラーたちの会話を聞きながら、シェアナは深く黙考していた。彼女は五百年近くも狂い続けている哀れな騎士と、彼に届かぬ声を必死に叫び続ける一人の聖霊のことを思っていた。
黙考しているシェアナに向け、セラーは語りかける。
「……で、シェアナさんとしては、どうしたいのです?」
「今夜、遺跡へ赴いてみます。……ポル、今回は危険だからセラーさんたちと待っていてくれ」
セラーの問いにシェアナは静かに答え、ついでポルに優しい視線とともにそう語りかけた。
しかし、少女は彼女の袖を掴んで首を振る。
「にゅぃゃゅぃぃぃ……」
「ただをこねないで……ね。」
そうして、シェアナはポルの説得に、遺跡へ出発する間際までかかることになった。
町の郊外、誰もに忘れ去られたかの如くたたずむ、巨大な建築物の面影を一部残す瓦礫の山――
ここが、彼の “陰の騎士” の護りし遺跡である。
そこに訪れた漆黒の騎影。夕闇の中で不気味な程、その情景は絵になっていた。
彼の騎影こそ、“影の騎士” である。彼は、ゆっくりと慎重に遺跡に向かい進んでいく。
やがて、彼の耳は錆びた鋼の鈍い音を聞き捉える……鎧の擦れる音、剣を引き抜く音、鉄靴の響き……それ等は一つではない。五……十……二十……三十人近くの兵が近付きつつあると読める。数を聞き分けているうちに、遺跡より一人、また一人と姿を表す。
それ等は人ではなかった……いや、もう人ではない者たちだった。皮は乾き剥がれ、肉は腐り落ち、骨しか残らぬかつての騎士の屍が、赤錆びた剣と鎧でこちらに向かってくる。
それら骸骨騎士の鎧は、様々な時代のフォーサイトやセクサイトの物が並んでいて、統一したものではない。……それは即ち、この遺跡に臨み、そして “陰の騎士” の犠牲となった者たちであることを意味していた。
遺跡の周囲に姿を現したそれらの「もの」たちに向かい、“影の騎士” はおもむろに剣を抜き、朗々とした声で名乗りを上げた。
「私はかつてフォーサイト鉄騎騎団部隊長を務めし者で、名をシェユラス=ロフト。……故あって、この地の主たる “陰の騎士” アルバート殿に話があって来た。」
名乗りを上げた “影の騎士” が待つ事暫し……遺跡より古式の完全甲冑を身に纏った巨漢の戦士が姿を顕した。その身はもう五百年も前に朽ちた筈であるのに、その鎧や剣は磨かれたばかりの如き光沢を感じる。……しかし、その瞳は妖光を宿し、鎧の隙間から窺える彼の身体は闇か影の如き不確かなものに見えた。
まるで鏡に映したかとも思える両者は、暫し対峙したまま黙していた。しかし、それも長くは続かなかった。
(ワレヲヨビシハナニモノカ……? コノイセキハワレガシシュスル……)
重く、冥界の底から響くような、無気味な “陰の騎士” の声ならぬ声に、“影の騎士” は説得の言葉を投げかける。
「“陰の騎士”……いやアルバート殿、貴方がもうここを守る必要はないのだ。貴方は冥界へ旅立つべき者なのだから――」
(……あるばーと…………ワガニンムヲボウガイスルモノハ……コトゴトクハイジョスルマデ……)
“アルバート” の名に一瞬反応したかに見えた “陰の騎士”は、次の瞬間……狂気を帯びた強烈な殺意と剣撃を “影の騎士”に向けて放ってきた。
「……チッ!」
迫り来る撃剣を受けるべく、シェユラスは剣を構える。
……ギィンッ!!
鈍い金属音とともに、二振りの剣は動きを止めた。
(……そんなっ!? 魔鎧に打ち負けない膂力なんて……!!)
魔鎧の中にいるシェアナの背に冷たいものが走った。しかし、「ここで敗れる訳にはいかない!」と言う思いがそれを越えさせる。こちらが打ち負けた訳ではないのだ。……即ち、両者の力量は互角、まだ勝機はあると気を取り直した。
この鐔競り合いに先に焦れたのは、“陰の騎士”の方であった。彼は剣を支えていた左手を柄から放し、その手で相手の喉を掴まんと繰り出す。その左手には何かしらの不気味な光を帯びて見える。
シェアナは直感した、この手があの骸骨騎士を産み出す技だと……しかし、今下手な避け方をすれば、右手の剣がこちらを襲うだろう。
この逡巡が命取りとなった。“陰の騎士” の左手が “影の騎士”の喉元を捉える。
(……ナ、ナニ!? ……セイキガミチテコヌ……!?)
しかし、次の瞬間漏れたのは “陰の騎士” の狼狽した声であった。
彼は戸惑う……自身に触れた生ある者は、精気を奪われ衰弱し、終には自身の眷属になる筈ではないか? なぜ、彼の精気を奪い取れない?
だが、戸惑いは “影の騎士” の側にもあった。何故、“陰の騎士” の技を防ぎえたのか……
しかし、うろたえてばかりはいられない。シェアナはすぐさま手をほどきにかかる。狼狽した騎士の腕を難無く振りほどき、間合いを取り直す。その時、ふと掴まれた辺りの闇色の霞が、先程は普段より濃密であったように感じられた。
そうしてお互いに決定打を欠いたまま、異形の騎士たちの闘いは今暫く続くこととなる。




