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月の調べ

ゲーム主人公の前事情

作者: アホロ

【失敗した転生者】の続編です。今回はゲーム主人公の話。

 実を言うとあたしには前世の記憶があるの。本当よ? 前世の名前、性格、家族構成、死亡原因、なんなら通っていた学校の名前だって言えるわ。だからこの世界が“乙女ゲーム”の世界だということも知っているの。それも前世のあたしがハマりにハマっていた『月の調べ』だっていうことも。

 なせそこまで知っているのか気になるかしら? なら特別に教えてあげる。教えるには忌まわしい前世のことも言わなくちゃいけないのだけど、あなたにだけ特別よ。だから後であたしのお願いもちょっと聞いてよね。



 前世のあたしは、さえないどこにでもいるような女の子だったわ。どこにでもいる、っていうとちょっと違うかもしれないわね。あたしは一人っ子で、それも待ちに待った子供ということもあって、両親からものすごく甘やかされて育てられたの。前世はそれが普通だと思っていたけれど、今思うと過剰な愛情だったとわかるわ。

 そして甘やかされた結果、心も体も大きく育ったわ。わがままも許されたし、お願いすれば大抵の物を与えられたのだから当然よね。だけど不思議と内気で引っ込み思案な性格だったから、そんなに他の子と遊ぶこともなく平凡な生活を送っていたわ。普通あそこまで甘やかされてたら、他の子に対しても横柄な態度をとったり自慢しまくったりして、嫌われたりいじめられたりしたのでしょうけど、なぜか内気だったのよね。兄弟がいなかったからかしら。まぁ、今となってはどうでもいいことよね。


 でもね、そんな平凡で平和な生活も急に変わるの。あのことは今でも鮮明に思い出せるわ。


 あれはあたしが小学校6年生の寒い冬だったわ。社会科見学も兼ねての遠足があったの。そんな遠くはないけど、子供が歩いて行くには少々遠いと感じる工場の見学だったわ。寒いし、歩くのは面倒だし、一緒に歩く友達とぶつぶつと文句を言っていたときだったの。

 「きゃあ!」という甲高い声が後ろから聞こえてきたから、何事かと思って後ろを振り返ったの。そこにはクラスの女子のリーダー的な存在の子を囲むように小さな円が出来ていたわ。一緒にいた友達が興味本位で近付いたから、あたしも何も考えずについて行ったの。思えばあの時「行きましょう」と一言言っておけば、何か変わったのかもしれないわね。今更そんなこと思ってもどうしようもないのだけれど。


 近付くと、女の子のリーダー--朱音ちゃん--が最悪だとか、なんなのだとか言いながら靴の裏を見ては一生懸命地面に擦り付けていたわ。周りにいた男の子が「くっせぇ!」「汚ねー!」とからかっていたから、朱音ちゃんが犬の糞を踏んでしまったんだと理解したわ。からかう男の子に向かって悔しそうに顔を赤らめる朱音ちゃんを、周りの女の子は励ましたり、「うるさい男子!」と蹴散らしたりしていたけれど、男の子は余計に盛り上がっていたように思うわ。

 そして男の子のリーダー--陽汰くん--が犬の糞を踏んだ朱音ちゃんに対して下品な歌を歌ったの。歌の内容は小学生の男の子が考えるような低レベルなものよ。その歌に釣られるように他の男の子も一緒に歌ったり、手を叩いたりして更に盛り上がったの。朱音ちゃんは血管が切れちゃうんじゃないかってくらい、羞恥で顔をもっと赤く染めていたわ。朱音ちゃんの友達が「最低、男子!」と責めていたけど、調子に乗った男の子には全然効果が無かったわ。次第に周囲からくすくすと笑い声が聞こえてきて、その笑い声が大きくなるにつれて朱音ちゃんの顔も下を向いていったわ。かわいそう、大変だね、と言いながらも、あたしと友達もその雰囲気に一緒に笑ってしまったの。

 そしたら今まで下を向いていた朱音ちゃんが急に顔を上げて周囲を見回したかと思ったら、あたしと目が合ったの。なぜ目が合ったのかはわからない。最初からあたしを探していたのか、それともたまたまなのか。

 目が合った朱音ちゃんは、憎しみを込めた目を向けながら大きな声で言ったわ。


「見てんじゃねぇよ! このデブ!」


 一瞬にしてその場は静まり返り、あたしは当然ながら混乱したわ。だってあたしの他にも笑っている子はたくさんいたし、そんなことを言われるほど嫌われてもいなかったはずだから。

 理解出来ない憎しみと急に集まった大勢の視線に、混乱だけじゃなく恐怖もあったわ。どもどうしたらいいのかわからなくて、オロオロと友達と目を合わせることしか出来なかった。そんなあたしに満足したのか、朱音ちゃんはフンと鼻を鳴らすと強引に円の中から抜け出して行ったわ。

 悪いけど、その後のことはあんまり覚えてないの。何か絡まれるんじゃないかとビクビクしていたのは覚えているけどね。でも、その杞憂も無駄に終わったわ。その事件--あたしにしては事件なの--以来は、今までと同様特に関わりもなく無事に小学校を卒業することが出来たのだから。あれはただの八つ当たり、そう思って忘れていったわ。


 中学校に入ってもあたしは特に変わることなく過ごしていたわ。変わったことをあえて挙げるとするなら、少女マンガと乙女ゲームに夢中になったことかしら。部活は少女マンガが好きだったから絵を描こうかと美術部に入部したけど、自分に絵の才能がないことがわかったから早々と辞めてしまったわ。家に帰ってもゲームをするかマンガを読むことしか他にすることもなかったから、自然と勉強だけはしていたわね。だから成績だけはそこそこ良かったわ。

 そして1年が過ぎて2年生になってクラス替えがあったの。クラスに朱音ちゃんがいたことでちょっと嫌な気分になったけど、あの事件から本当に何もなかったし、これからも何もないだろうと思って深く考えないようにしたわ。一応念には念を入れて、極力自分からは関わらないようにしたけどね。ただ同じクラスだから掃除当番とか給食当番とかが被ったり、同じ班になって発表するということがあったりしたけど、その時も最初の頃は嫌な顔をされたくらいで次第にそれさえもなくなったわ。まさしく興味なし、って感じね。


 そんな平凡な日々もやっぱり急に変わってしまうの。朱音ちゃんにとってあたしは、きっと最初から気にくわない存在だったんでしょうね。興味ない存在ではなく、目障りな存在だったのよ。あの頃は全く理解出来なかったけど、今ならわかるわ。なんとなく、なんでしょうね。なんとなく気にくわない、そんな感じよ。



 きっかけは季節が冬から春に変わる、もうすぐ3年生になるという頃。そろそろ本格的に高校の進学先を決めなくちゃいけない時期だったわ。2年生最後のテストがあって、一人一人にテストの成績順位表が配られていたの。担任の先生が親切な人で、今回の成績を基に事前に訊いていた志望高校の合格判定をその順位表に載せていたの。当時は目安になって助かったけど、今思うとすっごい面倒くさい作業だったわよね。先生って大変だわ。

 配られた順位表を貰って、各自喜んだり悲しんだりと教室内は騒がしかったわ。あたしは騒ぐことはしなかったけど、合格判定だったから嬉しくて友達に報告しようと教室内を移動していたの。自分では自覚はなかったのだけど、その嬉しさが顔に出ていたんでしょうね。朱音ちゃんの席の前を通った時、「ちっ」という舌打ちが聞こえてきたの。

 聞こえないふりも出来たんだけど、つい足を止めて振り返ってしまったのよね。そこには見るからにイライラしてる朱音ちゃんとその友達がいたわ。その時の朱音ちゃんは、憎しみだけじゃなく、汚らわしいものを見ているような表情をしていたわ。その表情にあの事件のことを思い出してしまって、情けないけど体が硬直してしまったの。動きたいけど動けない、目を逸らしたいけど逸らせない、まるで蛇に睨まれた蛙そのものだったわ。

 暫く睨みつけられた後、朱音ちゃんは何事もなかったかのようにあたしから視線を外して周りの友達としゃべりだしたわ。あたしは全身から力が抜けたようになっちゃって、その場にへたり込みそうになったけど、なんとか踏ん張って友達のところへ向かったわ。着いた途端「顔色悪いけど大丈夫?」と言われたくらいだから、よっぽど青い顔でもしてたんでしょうね。あれは怖かったわ。


 あの後友達から、朱音ちゃんの志望高校の合格判定がとても悪かったって聞いたから、それが原因だったのでしょうね。よく聞けば、なんとあたしと同じ高校だっていうんだから、ものすごく驚いたわ。それと同時に、志望高校変えようかと一瞬思ったもの。あと、陽汰くんも同じ高校らしいから、それもあってあたしに当たったのかもしれないわね。朱音ちゃんが陽汰くんのことが好きなのはみんなが知ってたから。気付いてないのは本人くらいね。アタックがあからさま過ぎるのよ。向こうが迷惑がってるって気付かないんだから、ある意味幸せな人よね。


 今回も前回と同じで何もないと思っていたの。まぁ志望高校が同じだから、たまに目の敵にされるくらいだと安心していたのよね。でも、今回は違った。


 睨まれた日から数日過ぎた頃、移動教室があって友達と歩いていたの。たまたま前に朱音ちゃん達がいて、向こうが立ち止ったからあたし達は抜かして行ったの。その直後よ。

「なんか臭くない?」

朱音ちゃんの声が聞こえたわ。なんだろう? とは思ったけれど、特に気にもしないでそのまま進んで行ったの。後ろで嫌な笑い声が聞こえた気がしたけれど、それも特に気にも留めなかったわ。友達と目だけで「意味わかんないね」って会話したくらいね。

 そのまたすぐ、今度は教室で。また朱音ちゃんの前を通り過ぎた直後に、「臭いんですけどー」とやたら大きな声であたしを見ながら言ったわ。それも人を馬鹿にするような嫌な顔で。そしてその朱音ちゃんの声をきっかけに、

「マジで臭い」

「ほんとだー。豚小屋みたいな臭いがするー」

「なんでここに豚がいるんですかぁ?」

と、次々と朱音ちゃんの友達も一緒になって言い出したの。仕舞いには、きゃはは! と至極楽しそうに彼女達は笑ったわ。あたしはただ呆然と見ていることしか出来なくて、「見てんじゃねぇよ! 豚!」と言われるまでその場に突っ立ったままだったわ。

 あたしは怖くて。意味がわからなくて。何も出来なくて。ただ不安に押し潰されないように両手を握り締めることしか出来なかったの。今回だけだから、そう祈ることだけ。

 だけどその祈りも無駄だったわ。あたしは知らなかったの。その時クラスのみんなが興味津々に見ていたことに。受験を前にすでにイライラしている人の餌食になることに。



 それからはあっという間に【いじめ】の対象になったわ。最初は朱音ちゃん達だけだったけれど、次第に男子や他の女子も面白がるように混ざっていったの。悪口や陰口、物を隠されたり悪戯されたりするのは日常茶飯事だったわ。一応女だからか、あからさまな暴力はなかったけれど、足をかけられて転んだり、階段の残り数段というところで背中を押されたりしたこともあったわね。他にも給食当番になったら、臭くて食べれないと頭にかけられたこともあったわ。

 日に日にエスカレートするいじめに、当たり前だけどあたしは耐えられなかった。クラスにいた友達も、あたしといたら巻き添えになると思ったのか早々と離れていったわ。いじめられることも辛かったけど、正直それが一番精神的に堪えたわね。


 みんなそういうことには頭が回るのか、上手に先生にバレないようにいじめてきたわ。だから先生にも、両親にも、誰にも相談することが出来なかったわ。両親はあたしがクラスの人気者だと勝手に信じて疑わなかったし、あたし自身も溺愛する二人にいじめられてるって言いたくもなかったし。悲しむのは目に見えてわかっていたからね。

 だけどやっぱり親よね。あたしが何も言わなくたって、大体わかっているんだから偉大だわ。まぁ、学校から早く帰ってくる日もあればすごく遅くなる日もあったり、また遅い日には決まって髪の毛や服が乱れていたから流石に変だと気付くわよね。やたらとお小遣いはせびるし、食欲もなくなっていたし。


 そんなある夕飯の時に、「何か言いたいことあるんじゃないの?」と悲しげな表情のお母さんに訊かれたら、もう我慢なんて出来なかったわ。しゃべり始めたら不思議なことに涙は次から次へと溢れてくるし、鼻水も止まらなかったわ。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、嗚咽交じりに話す言葉は聞き辛かっただろうけど、お父さんもお母さんも一生懸命聞いてくれたわ。そして一度もあたしを責めたり説教したりしなかったの。がんばったね、辛かったね、と言いながら涙を浮かべるお母さんに、更にあたしは号泣したの。


 その次の日からあたしは学校に行かなくなったわ。親もそんな学校に行く必要なんてないって言ってくれたしね。とりあえず勉強はしていたけれど、だからといって高校にも行く気はしなかったわ。ただ暇だったからね。勉強は嫌いじゃなかったし。

 何度か先生も家に来ていたみたいだけど、あたしは会わなかったし親もあんまり話はしなかったんじゃないかしら? 部屋に篭っていたからよくわからなかったけどね。


 そして学校にもいかず、外出もせず、あたしは自然と自分の部屋に閉じこもるようになったわ。親も何も言わなかったしね。だから好きだった少女マンガや乙女ゲームにもっとのめり込むようになっていったの。次第に勉強もしなくなって、そればっかりしていたわ。

 だって少女マンガや乙女ゲームはあたしに夢を与えてくれるもの。キラキラした恋、かっこいい男の子達。特に乙女ゲームは自分が主人公だから、もう最高よね! あたしを取り合っちゃうんだから! 特に数ある乙女ゲームの中でもお気に入りだったのは、『月の調べ』というゲームね。攻略対象が全て月の名前になっているから、対象人数が12人で他よりも多いのよ。でもやっぱり一番は、絵が綺麗で素敵なことね。元々好きなイラストレーターさんが手掛けただけあって、みんなかっこいいの! ストーリーも人数が多いだけあって充実してるし、何回やっても飽きなかったわ。ただ何回やっても隠れキャラを出すことが出来なくて、途中で諦めて大好きなキャラばっかり攻略していたわね。10月と12月が隠れキャラなんだけど、どうやったら現れたのかしら?


 話が逸れてしまったわね。そんな乙女ゲームをやりまくる日々を過ごしていたわけよ。誰も止める人もいないから、毎日が夢の中にいるようだったわ。好きな男の子とドキドキして、気障な台詞を言ってもらえて。

 だけど流石にそんな生活ばかり続けているのはヤバいと思ったんでしょうね。お母さんが急に買い物に行ってきて、と言い出したの。夕飯にオムライスを作っていたんだけど、ケチャップを切らしているのに気付かなかったみたいよ。いつもなら自分で買ってくるのに、その日は時間指定の宅配便があるからどうしても、と頼まれて行ったのよね。本当かどうか怪しいけど、お母さんなりに少しずつでも外に出てほしかったんでしょうね。あたしも行きたくはなかったけど、断る理由もなかったからぶつぶつ文句を言いながらも行くことにしたわ。幸いにも近くにコンビニがあったから、行ってすぐ帰ってこようと思っていたの。


 外は北風が冷たい冬になっていたわ。部屋に閉じこもっていたけど、親とご飯は一緒に食べながらテレビを見ていたから、季節は知ってはいたの。でも実際に感じると急に現実に放り出された感じがしたわ。あたしはなんだか怖くなって、早く帰りたいと早足になったわ。いじめられたこともあって、人と目を合わすことが出来なくなっていたから、ずっと下を向いていたのが悪かったんでしょうね。前方から人が来ていることに気付かなかったの。向こうも携帯電話を操作しながら歩いていたみたいだから、あたしに気付くのが遅かったみたい。誰かいる、と気付いた時にはぶつかっていたわ。

 あたしは引きこもってからどんどん体重が増えていたからちょっと衝撃があったくらいだけど、向こうは尻餅をついていたの。

「ご、ごめんなさいっ」

焦って手を差し出したのだけど、相手の顔を見て一瞬にして血の気が引いたわ。だって、目を真ん丸にしながら見上げるその人こそ、今回あたしがいじめられる原因になった人だったのだもの。


「朱音ちゃん……」


 ついその人物の名前を口に出してしまったわ。差し出した手も、自分の胸の前で握り締めるように元に戻したの。そして今まで放心状態だった朱音ちゃんは、あたしの発した言葉で意識を取り戻したのか、急に鋭く睨みつけてきたわ。その眼差しに【いじめ】の記憶が急激に蘇ってきたわ。あたしはそのことから逃げるように、朱音ちゃんから顔を逸らして目を閉じたの。本当は耳も塞ぎたかったけど、それよりも早く悪意ある言葉を投げつけられたわ。

「なんでアンタがここにいるのよ。せっかく学校で姿を見ることがなくなってせいせいしてたのに、最悪だわ。それも何ぶつかってきてるわけ? おかげでアンタのくっさい臭いが服に付いちゃったじゃないのよ」

本当に存在自体がウザい、と自分で立ち上がりながら言うと、彼女はまだ言い足りないのかそのままそこを動こうとはしなかったわ。ウザいと思うなら、あたしに関わらなければいいのに。あたしも出来ればさっさとその場を離れたかったけど、朱音ちゃんに怯んで動けなかったのよね。早くどっか行ってほしい、それしか思えなかったわ。


「そういえばアンタのこと久しぶりに見たけど、ずいぶんとまた太ったんじゃないの? もう人間じゃなくて、本当に豚そのものじゃない。生まれてくる種類間違えちゃったんじゃないの? 一度死んで、ちゃんとした豚に生み直してもらったら?」

目を瞑っていても嫌な笑い方をしていると予想できたわ。はやくおわれ、はやくおわれ、と呪文のように心の中で唱えていたけど、その後に続く言葉に一番やってはいけないことをあたしはしてしまったの。

「つか、なんでアンタこんなとこいるの? って、無視かよ。まぁいいけどね。アンタの声聞くだけで不愉快だし、耳もおかしくなっちゃうしね。声といえば、アンタの母親の姿をこの前学校で見たわよ。なんか聞いたことあるなって思ったら、アンタの母親なんだもの。アンタ達って、見た目だけじゃなく声も似てるのね。当たり前か、豚だもんね。先生に向かって恥ずかしげもなく何か怒鳴っていたけど、ブヒブヒ言ってて何言ってるのかわかんなかったわよ。先生も困ってたわ。本当、親子そろって迷惑な豚」


 許せなかった。あたしだけじゃなく、母に向かってのその暴言に。目を瞑っていた為に黒かった視界が、怒りで赤く染まったくらいよ。いまだに一人でペラペラとしゃべりながら笑う朱音ちゃんに向かって、あたしは侮辱するように視線を向けて言ったわ。


「本当に、減らない口ね。だから陽汰くんにも振り向いてもらえないのよ。当然よね。人の痛みも知らないような人だもの」

「……はぁ? 今なんて言った?」


 急に低くなる声色に、くすりと笑ってやったわ。すると途端に顔が赤く染まったから、おかしくて余計に笑ってしまったの。

「何回でも言ってあげる。そんなんだから好きな人に振り向いてもらえないって言ったのよ。人の悪口ばかり言って、自分のことを省みない女なんて誰も好きにならないわ。そんなこともわからないなんて、あなたって本当に馬鹿よね。あぁ、馬鹿は昔からか」

自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきたわ。朱音ちゃんはあたしがまさか言い返すと思っていなかったのか、目を見開いて口をパクパクとさせていたわ。まるで赤い出目金みたいで、滑稽だったわ。

「う、うるさいわよっ! 豚の分際で口答えするんじゃない!」

「また豚? あなたってそれしか言えないの? 本当に学習能力がないのね。だから合格判定ももらえないのよ。もしかしてまだ陽汰くんと同じ高校目指してるの? いい加減無理だと気付かないの?」

あたしの質問に答えられずにぶるぶる震える朱音ちゃんを見て、初めて優越感に浸ったわ。そして、今までいじめられてきたストレスが発散されていくのも感じたの。だから気付かなかった。朱音ちゃんがどれほど怒っていたのかを。我を忘れるくらいに。


「うるさいうるさいうるさい!! 何も知らないくせに知ってること言うな! そもそもアンタがいるから何もうまくいかないのよ! この疫病神!」

「はぁ? あたしのせいに」

「うるさい! しゃべるな! アンタのせいだ、アンタの! 小学校から気にくわなかったのよ。少し勉強が出来るからっていい気になりやがって。アンタのせいで、私の成績が悪いのよ! そうよ! 陽汰のことだってそうよ。アンタが同じ高校受けるなんてしなければ、こんなことにならなかった。陽汰が私に勉強教えてくれるはずだったのに、アンタがいたから陽汰はミチルなんかに……!」


 完全な八つ当たりだと思ったわ。言い返そうにもそんな隙を与えてくれないくらい、次から次へと怒鳴り散らすから何も出来なかったわ。あまりの大きな声に、通行人が立ち止ったり地域の住民の人が家から顔を出したりしたくらいだもの。ものすごかったのよ。それでも彼女は口を動かすことを止めなかったわ。もう周りの状況も見えてなかったのね。


「アンタがいなければ、こんなことにはならなかった! アンタがいたから、私がこんな目に遭うんだ! アンタがいなければ……! アンタなんて死んじゃえばいいんだ! 消えてよ、私の目の前から消えていなくなってよ!」


 涙を浮かべて睨みつける朱音ちゃんの瞳は、今までにない狂気を孕んでいたわ。これは流石にヤバいと思って宥めようと手を伸ばそうとしたけれど、それよりも早く朱音ちゃんはあたしを突き飛ばしたわ。思ってた以上の強い力に後ろに転びそうになってしまったけれど、数歩後退したくらいでなんとか踏み止まったの。それでも彼女の怒りは納まることなく、少し離れた距離を縮めるように近寄ってきては、また強く突き飛ばしたの。

「消えて! 私の前から早くいなくなって!」

さっきよりも強い力で突き飛ばされたあたしは、すぐ後ろにあった縁石に足を引っ掛けて車道に飛び出すように後ろから倒れてしまったの。倒れる瞬間に見た朱音ちゃんは、やりすぎた、というのが見てわかるくらい表情に表れていて、起き上がったら文句を言ってやろうと思ったわ。だけど、それは叶わなかった。

 体を起こそうと道路に手を着いた瞬間、耳を劈くようなクラクションの音と顔を照らす眩しい光。「あっ」と声を発したのと同時に、あたしは車に轢かれたわ。最後に見たのは、あたしを襲うヘッドライトとクラクションに混じるブレーキ音と誰かの悲鳴だったわ。


 車に轢かれた衝撃はあったけれど、後は覚えてないわ。今思うと、朱音ちゃんは立派な人殺しよね。悪意を持ってあたしを突き飛ばしたわけだし、目撃者もいたし。結果あたしは死んでしまったけれど、それであの子を苦しめられるのならそれもいいかもしれないわね。だって、あたしはこうやって転生出来たし。ふふふ、いい気味。せいぜい人から後ろ指指されて苦しめばいいわ。



 以上があたしの前世の話ね。でもまだ続きがあって、死んだ後、気付けば白い空間にあたしは立っていたわ。立っていた、っていうのはおかしいかもしれないわね。その空間にはあたしの体は存在していなくて、意識だけがそこにあったっていう感じだったから。

 最初は混乱したわ。だって、車に轢かれる直前の記憶しかなかったわけだし。だからここは病院なのかって思ったけど、実体もなければ誰もいないし。ますます混乱していた時に、頭に響くように声が聞こえてきたの。

「やぁ、起きたみたいだね」

すると何もなかった白い空間に、急にトランプのジョーカーみたいな恰好をした人が現れたわ。「誰っ!?」と問い質したかったけれど、実体がないせいか声を発することが出来なかったの。そしたら何が面白いのか、ジョーカーはくつくつと笑い出したわ。

「無駄だよ。キミは今しゃべることが出来ないんだ。現に体がないだろう? でも安心して。キミの言いたことはわかるから」

胸の前に手を当てて、ジョーカーはにんまりと笑ったわ。メイクですでに笑っているようには見えたけれど、更に目を細めて口を三日月形にしたのがわかったわ。あと、真っ赤な唇が妙に印象的だった。


「混乱しているキミに教えてあげる。まずね、キミは死んだ。今ここにいるのはキミの魂っていうのかな? そんな感じ。で、ここはそうだねー、誰も干渉出来ない、時間の経過もない、なにもない空間かな。そんなところ。あ、誰も干渉出来ないっていうのはちょっと違うかな。ある特定のヒトは出来るからね。ボクもその一人だし。あぁボクは今はね、空間の管理者ってやつをやってるよ。こういう空間って世界に無数にあるんだよね。それを増えすぎないように管理しているのがボク。え? なんのためにこの空間があるのか? それはね、まずこの空間を例えるならば“神様のポケット”っていうとわかりやすいかな。神は自分のお気に入りを保管するためにこの空間を作るんだ。でも作りすぎると、こうやって死んだ誰かの魂が迷い込んでしまうことがある。それがキミだよ。キミは神が作った数あるポケットに迷い込んでしまったにすぎないんだ。本来ならば輪廻の渦に巻き込まれて、また元の世界に生れ落ちるようになるんだけど、キミは迷い込んでしまったみたいだね。まぁ、そうやって迷い込んだ魂を発見するのもボクの役目ではあるんだけど。どう? ちょっとはわかってきた? 別に完全に理解しなくてもいいよ」


 くるくると回りながら移動するジョーカー--管理者--を見ながら、あたしは自分の境遇を多少なりとも理解したわ。要するに、間違ってこの空間に入り込んでしまったってことね。じゃあ、あたしはこの後どうすればいいの?

「そうだね。キミはどうしたい? 輪廻の渦に入りたいっていうのであれば、ボクが連れて行ってあげる」

でも、その輪廻の渦に入ってしまったらまた同じ世界に生まれるのでしょう?

「うん。あ、でも安心して。また“キミ”になるわけじゃないから。もしかしたら男になるかもしれないし、場合によっては人間でもないかもしれない。もちろん今のキミの記憶もないからね。それとも、キミが好んで読んでたマンガやゲームの世界に行ってみる?」

え、そんなこと出来るの?

「出来るよー。言っとくけど、世界ってキミのいた世界の他にも無数に存在するんだよ。この空間のようにね。そして、神もたくさん存在する。たくさんいるからこそ、色んな世界が存在するんだ。それこそ今言ったマンガやゲームみたいなね。あ、一応ボクも神候補なんだよー。さっき、今はって言ったでしょ? この空間の管理者をちゃんとこなせば神になれるんだ。すごいでしょう? だからキミの望む世界くらいボクでも創ることが出来るんだ。この“神様のポケット”を作った神様は、今までも色々とやらかして迷惑してるから、ボクがキミの世界を創っても大目にみてくれると思うんだよねー。さて、どうする? 全てはキミ次第だ」


 にんまり、と管理者は笑ったわ。このジョーカーの恰好をしたふざけた存在が神様候補で、あたしの望む世界を創ってくれるという。信じられないけれど、徐々に高鳴る鼓動に夢を見てしまう。

 --何度も夢を見させてくれたあの世界に、あたしが存在できるの?

そんなあたしの声を聞いたのか、管理者はまたにんまりと笑ったわ。

「出来るよ。言ったでしょう? 全てはキミ次第だって。なんなら、なんだっけ? 『月の調べ』だっけ? そのゲームの主人公にでも転生してみる?」

それを聞いた時、あたしに実体があれば恐らく目を真ん丸にして見開いていたと思うわ。それくらいびっくりしたし、更に胸が高鳴ったわ。『月の調べ』の世界、それも主人公になれるの?

「うん、なれるよ。だってボクがその世界を新しく創るんだもん。創造主に不可能なんてないんだよ。で、どうするの? ボクもあまり暇ではないから早く決めてほしいんだけど。言っとくけど、ボクがこんな優しいのって滅多にないからね。あ、だからってキミが特別だってわけでもないから勘違いしないようにねー」


 ふふふ、と笑ったかと思うと、管理者はその場で一回転したの。そしてまたあたしの前を向いた時には、ジョーカーだった姿は『月の調べ』の主人公、桜 愛音になっていたわ。

「これでしょう? キミがなりたいのって」

そういう声も今までの声とは違った、可憐な少女の声になっていたわ。さらさらの桜色の髪。長い睫毛に縁取られた大きな薄茶色の瞳。なめらかな白い肌に、均整のとれた体。何度もゲームの中で見た主人公があたしの目の前にいたの。--この少女になれる。いや、なりたい。

 そう強く思えば、目の前の少女は柔らかく微笑んだわ。

「決まったみたいだね。じゃあ、時間ももったいないからすぐに転生させてあげるね。そうそう、言っておくけどキミがなるのは“すでに16歳になっている桜 愛音”ではないからね。“生まれたばかりの桜 愛音”だから。ゲームではないので間違えないように。あぁ、あと今のキミの記憶はどうする? 何も覚えてない方がいい? それとも記憶があった方がいい?」

首を傾げるとさらりと髪が揺れたわ。その全てが完璧で愛らしいと思ったわ。その姿に一瞬見惚れていたのだけど、自分を見つめる大きな瞳に気付いてあわてて我に返ったわ。

 記憶は、そうね。あった方がいいわね。その方が行動しやすいだろうし、攻略も簡単に出来そうだわ。

「了解。じゃあ、記憶もそのままに転生させてあげる。あとさっきも言ったけど、決してゲームではないからね? セーブもなければやり直しも出来ないから。なんか今の発言聞くと、ゲームそのものだと思ってる節があるからね。これからはゲームの世界だけど、本物の人生なんだからね?」

諭すように人差し指をあたしに向けながら苦笑されたわ。すると急に悪戯を思いついたかのように笑ったの。

「いいこと思いついた。何もかも知っているのはつまらないよね? だから、ゲームの時とはちょっと違くなるように手を加えとくよ。その方が面白いでしょう? 例えばそうだね、このキャラクターはそう簡単に攻略出来ないようにしておくよ。キミが一番好きなキャラクターだよね?」


 くるりともう一度回ると、今度は儚げな美しい少年に変化したわ。ふんわりとしたベージュ色の髪の毛に、ダイヤモンドを思わせるような美しい薄い銀色の瞳。『月の調べ』の中で一番好きなキャラクターで、何度も何度も恋に落ちた相手。4月の名前を持つ、山田 卯月くんがそこにいたの。

 卯月くんはヘタレキャラとファンの間では言われていたけれど、あたしはそうは思わなかったわ。口数も少なくてあまり前に出てきたりはしないけれど、時々口に出す優しい言葉や表情に、当時のあたしはとても救われたの。その卯月くんが簡単に攻略出来ないんですって!? そんなの記憶がある意味がないじゃないの!

 そんな憤慨するあたしに管理者は楽しそうに笑ったわ。あたしの好きな卯月くんの姿で。うぅ、ムカつくけどかっこいい……!

「大丈夫だよー。ちょーっと、手を加えるだけだから。でも、そうだね。キミはゲームでも隠れキャラを出せなかったみたいだし、ちょっとだけヒントを教えてあげる。卯月を攻略するのも、隠れキャラを出すのにも必要なことだよ」

人差し指を唇に当てながらふんわりと微笑んだかと思うと、管理者は急にジョーカーの姿に戻ったわ。そしてその真っ赤な唇を三日月の形に歪めながら、囁くように言ったの。

「キーパーソンがいる。その人物を見つけ出さない限りは、卯月も隠れキャラも攻略出来ない。ボクが言えるヒントはここまでだ。あとは自分で探すことだね」


 頑張ってね、と手を振られた瞬間、あたしの視界は真っ黒に塗りつぶされたわ。そして、今までにない圧迫感を感じたと思ったら、「おぎゃー!」と赤ちゃんの泣き声が聞こえたの。それが自分の泣き声だと気付くまで、少々時間がかかったわね。管理者の言うとおり、本当にすぐ転生させられたんだから驚いたわ。心の準備さえさせてくれないんだもの。




 こんな感じであたしはこの乙女ゲーム『月の調べ』の世界に転生されたの。主人公の桜 愛音としてね。管理者の言ったキーパーソンを探してはいるのだけど、今のところまだ見つけられない状況よ。だからね、最初に言ったお願いってのが一緒にキーパーソンを探してほしいってことなの。簡単でしょう? ここまで話させたんだから、これくらい手伝ってくれてもいいと思うのだけど。もうすぐ舞台の高校へ転校することになるから、一応焦ってはいるのよね。この人生を素晴らしいものにするためには、卯月くんをまず落とさない限りにはダメなのよ。そしてそのためにはキーパーソンが必要なの。あたしだって今回は幸せになりたいじゃない?


 だからお願いね? あたしも頑張って探すけど、頼りにしてるからわよ?


読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ストーリーの展開が綺麗でした。 [一言] 面白かったです。主人公が轢かれるシーンは脳内で再生されるほどリアルな描写でした。
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