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けものまち  作者: Aldog
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嬉しいですから




 パチリと瞼を開けると、すぐ目の前に愛しい人の寝顔があった。

 呼気すら聞こえる程の距離。無防備で無警戒、静謐な朝に相応しい、愛おしい寝顔がそこにある。

 思わず手を伸ばしそうになって、すんでのところで引っ込める。こんなに気持ち良さそうに眠っているのに、起こしてしまうのは忍びない。

 その代わりと言ってはなんだが、じっと見つめるぐらいは許される筈だ。

 起きていても寝ていても変わらない、穏やかさを感じさせる顔である。

 人の性格は顔に出ると言うが、その言葉は正しいのだろう。

 隣に居ても、見ていても、こうも穏やかな気持ちになれるのは偏に彼の人柄故だ。

 いつまでも眺めていたいという欲求をどうにか押さえつけ、隣で眠る最愛の人を起こさぬように布団から出た。

 寝室には夜明け前の薄暗さが満ちている。

 寝間着を脱ぎ、下着を身につけてから普段着へと袖を通す。今までは普段着として紬を着ていたが、最近はもっぱら洋服だ。

 全くもって周りくどい人だ。自分から言い出したら、きっと私が遠慮すると思ったのだろう。

 もっとも、私だってユウキ様の事をどうこう言う資格はない。だって、ユウキ様の思ったとおり、真正面から言われていても私は遠慮しただろうからだ。

 面倒な女だと自分でも思うけれど、それが性分なのだからしょうがない。

 ただ、こうして気を回してくれるという事実が、たまらなく胸の内を熱くさせるのだ。

 ただ愛おしくうれしい感情を、何度でも反芻する。なるほど、これを幸福というのだろうと、最近の私は思っている。

 夕ちゃんと璃子ちゃんが選んでくれた、部屋着にも使える洋服に袖を通し、そっと寝室から洗面台へと移動した。

 軽く身だしなみを整えてから、板張りの廊下を進み自分のテリトリーとなった台所へと踏み入れた。

 古めかしい見た目通りに造りも古い一軒家。台所の使い勝手は推して知るべしだが、電化製品という心強い味方が居る今、そこまで不便という事はない。

 起きてくる前に、手早く朝食の準備を済ませてしまわなければ。

 エプロンを身につけ、さっそく調理を開始する。

 水を張った鍋を火にかけ、半端に使った野菜達から使う。取り敢えず時間の掛かる味噌汁からやっつける算段だ。

 本当は出汁もキチンとしたものを使ったほうがいいのだろうが、今時は鰹も昆布も顆粒のものが売っている。

 手間を掛けるか手軽さを取るかは悩ましいが、何か特別な日でもない限りはこれが便利で手放せない。

 最初は分からないことだらけだった料理も、今ではこうして鼻歌交じりにこなす楽しい作業となっている。

 それこそ初めはユウキ様の方が余程料理が上手だったが、今では完全に逆転している。

 飽きもせずに続けて上達出来たのは、居候という身で何もしない事に居心地の悪さを覚えた事もそうだが、それ以上に、

「作ったものをおいしいと言われる事は、嬉しいですからね」

 それが、想い人からの言葉であるならなおさらだ。

 頭のネジが緩んでいるな、と自分でも思う。以前のように山に住んでいた時には考えもしなかった事だ。

 これが油断なのか余裕なのか、今の所は判別が出来ないが、そう悪いものでもないだろう。

 あらかたの準備を済ませてしまえば、後はお楽しみが待っている。

 昨晩設定しておいた炊飯器が正しく作動していた事を確かめて、もう一度寝室へと向かう。

 今度は先程出て行った時のように、あまり物音を気にしなくてもよい。

 いつもどおりの所作で襖を開けると、眼下には未だ眠った想い人が居る。

 さて、今日はどのような趣向で起こそうか。

 一度ユウキ様の布団に潜り込み、顔を突き合わせた状態で起こした事もあるが、あれは心臓に悪いからと止められている。

 その程度なら日常茶飯事だが、流石に衣服を身に纏わず胸を強調していたのはやりすぎだった。

 やった自分ですら照れてしまったぐらいだ、朴訥というか純情な面のあるユウキ様にとっては刺激が強いのかもしれない。

 それ以上に恥ずかしい事もしている筈なのだが、何故かお互い一向に免疫がつかないのだから、これはきっと今後も続く事だろう。

 たまに茶目っ気を出すと失敗するのは分かっているのだが、それでも湧いてくる悪戯心は抗い難い。

「ここは定番として、頬でも突いてみましょうか」

 思いつきをそのまま口にしただけだったが、なるほど、これは案外悪くない。

 眠るユウキ様の隣にそっと座り込み、人差し指で軽く二、三度突いてみる。

 ふにふにとした柔らかい感触。突けば少し顔を歪めるのも面白い。

 やっているうちに、起こすことよりも頬を突く事のほうを優先し始めそうだ。

 せっかく用意した朝食が冷めてしまうかもしれないが、何故かこんなどうでもよい行動がやめられない。

「これは、やはり」

 幸せボケということなのかもしれないな、と。

 今ここにある幸せを、なんとなく噛み締めて悦に浸っている。なんて贅沢なのだろう。

 こんな穏やかな時間がいつまでも続けばよいと。

 そう思うことは、誰に咎められるものでもない筈だ。



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