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けものまち  作者: Aldog
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ただいま

ふと気がついた時には、両手いっぱいの荷物を守るように抱えた状態で道端に座り込んでいた。

買い物袋に詰め込んだのは、今晩の食卓に並ぶであろう食材と、少し奮発して買った焼酎の瓶だ。

買い物に出掛けたという事実は覚えているのに、不思議と買い物中の記憶は綺麗に抜け落ちている。

いや、と二度三度頭を振ると、首筋から後頭部にかけてざわざわと違和感が走る。

覚えのあるこの感覚は、貧血や立ちくらみのそれだ。

血の巡りが戻ってきた頭で記憶を探れば、確かに買い物をしていた最中の記憶が引き出せた。

猩々の親父さんに勧められて酒を買った事も、娘から久しぶりに連絡があった事を喜んでいた煙草屋の店主の事も。

だが、意識の断絶と共にそれらの記憶がやや現実味のないものとして思い出されてしまう。

「ああそうか、まだ治っていないんだった」

つい先日、湊と共に大物を封じたばかり。傷自体は術や薬を使って塞いだが、思っていたよりも失った血は多かったのだろう。

まだ体力が戻りきっていないというのに、荷物を持って歩きまわりすぎたと言うことだ。

我ながら情けない理由で貧血を起こしたものだと思うが、やってしまったものはしょうがない。

ただ、一度世界との繋がりを断たれたような感触が、どうにも不安を感じさせる。

昔から貧血というものを幾度か体験しているが、どうにも苦手意識がつきまとう。

段々と視野が狭まり、手足の感覚と意識を失っていく実感は、自分が失われていく恐怖をさまざまと見せ付けられているようで。

今もなお立ち上がれないでいるのは貧血のせいではなく、あの恐怖が体の奥底を痺れさているからだ。

直接的に生命の危機に晒されている戦いの場よりも、今この瞬間の方が苦手だった。

深呼吸。気を落ち着かせて空を仰ぐ。

立ちくらみを起こしたのが、ウチの神社がある小山の麓で助かった。

地面は土で柔らかく、日除け代わりの木も生えている。生い茂った葉の隙間から、初夏の太陽が見える。

気がつけば梅雨も過ぎ、これからは暑くなる一方だろう。

血の気とともに体温も引いていたのか、陽の暖かさが心地良い。

何か大事が起こる度に思うことだが、本当に自分は争い事に向いていない。

怪我の程度は同じであった湊など、治療の翌日には体が鈍らないようにと動き回っていたというのに、自分はこの体たらく。

幼い頃より体が丈夫だった、と豪語している湊と同列に考えるのが間違いなのかもしれないが、それでも最も身近な比較対象は彼なのだ。

こと妖物との戦いにおいて、湊は天賦の才がある。それは身体の丈夫さもそうだが、技術的な部分や精神的な面でもそうだ。

かつて祖父に言われた事を思い出す。

自分よりも父親の方がよほど才能があった、とは常々言っていた事だ。

だから余計に、父が家業を継がなかった事、そして、早逝した事が無念だったのだろう。

たとえ才能が無くとも、家業を途絶えさせるわけにはいかない。

こうして未熟で平凡な自分にお鉢が回ってきたというわけだ。

その事自体に不満はないし、むしろ誇らしく思っているのだが、現実というのものはそんな思いなど関係無しにそこにある。

可能不可能で言うならば、一応可能の範囲に含まれる。

だが、向き不向きで言うならば、間違いなく不向きな仕事だ。

無理をして不向きなことしているのだから、当然どこかでツケを払わなければならない。

この立ちくらみやまさにそのツケの一端。天候の変わり際に傷跡が疼くのもその一つだ。

変色し、引き攣っているような傷跡は、治ってもなお後を引く。

本当にままならない。ただ生きていくだけで、こんなにも世界は大変だ。

「あまり遅くなると、サヤさん心配するよな」

手足の感覚はとうに戻ってきているし、日差しも心地よさより暑さの方が際立ってきた。

血の気の引いた青い顔のままでは心配もされるだろうが、それももう大丈夫だろう。

ゆっくりと立ち上がり、荷物をしっかりと抱え込む。

余計なことまで思い出してしまい、気分的には最悪だ。

それでも、その感情を表にだしていても周囲に不機嫌をばらまくだけだ。

それに何より、サヤさんの曇り顔など見たくはない。

染まってきたな、と自嘲気味に笑いながら、ゆっくりと体を確認しながら家路を辿る。

車道側からではなく木々が日除けになる参道側へ。石段を上がり境内を抜ければ、見慣れた我が家がそこにある。

「ただいま」

玄関を開け放ち、荷物を置いて靴を脱ぐ。無事ではなかったが、取り敢えず帰り着いて一安心だ。

トタトタと奥から警戒な足音が聞こえてくる。

珍しいと思いながらその場で待っていると、出迎えてくれたのは、珍しく洋服姿のサヤさんだった。

「おかえりなさい」

先日、バイトの女子高生二人組まで使って無理矢理彼女に渡した服を着て、自分を出迎えてくれた。

ただそれだけ。それだけなのに。

「どうかしましたか?」

呆然と立ち尽くしている自分がいた。

「――あぁ、いや、うん。ただいま」

帰る場所がある。そこで、誰かが待っている。

一度失い、二度目の喪失を経て、しかし今目の前に帰る場所と言える人がいる。

あぁ、それは。こんなにも幸福なことだった。

親を喪い、祖父を喪い一人になって、そして今こうして自分を出迎えてくれる人がいる。

ただそれだけで、先程までの不安感も何もかもが霧散する。

それが無性に嬉しくて、そして今までに得てきた寂しさも思い出して。

気がつけばサヤさんを抱きしめていた。

腕の中で小さな悲鳴があがるが、すぐにサヤさんの小さく細い手が背中に回され、抱きしめ返される。

「ただいま」

「おかえりなさい」

どこまでも優しい声音。何が会ったのか訪ねる事もせず、ただただ優しさだけがそこにある。

意味もなく不安になって、意味もなく安堵を得る。

どうやら思っていた以上に、今ここにある幸せにあてられてしまっていたようだ。

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