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右折禁止

作者: 守山みかん

「ここいらは右折禁止区域なんですよ」と、不動産屋は説明する。

マイホームの中古物件を見に、不動産屋の運転する自動車で、現地に向かう最中である。

「何ですか、それは?」と、私は訊ねる。

「交差点で車両の右折を禁止している区域なんですよ。車両というのは、自動車はもちろん、自転車も含まれます。ただし、荷物を運搬するリヤカーや、車椅子は含まれませんがね」

「変なルールですね。右折を禁止して、どうなるんですか?」

「もちろん、交通事故防止のためですよ。ここいらは、かつて全国でも有名になったくらい交通事故の発生件数が多かった地域でしてね。お客さん、交通事故が起きやすい場所は、半分くらいが交差点なんですよ。その内の8割が右折時の事故なんです。どんな対策を取ったって事故が減らないんで、思い切って右折することそのものを禁止してしまったわけです」

私は、窓の外を確認する。

なるほど。

確かに、この辺りの道路の中央にはガードレールが敷かれ、信号交差点には、かつて右折用のレーンとして設けられていた区画を消去した痕が残っている。

「では、右折したい場合は、どうするんです?」と、私は訊ねる。

不動産屋はヒッヒッと笑う。

「左折ができれば、最終的に右折ができますよ。よく考えてごらんなさい。右折したいと思う交差点に来たなら、まずそこを直進して通り過ぎるんです。そして、次の交差点を左折します。左折したら、またすぐの交差点を左折。そして、もう一度左折。すると、右折しようとしていた交差点を直進することになりますよ」

「何だか、無駄な動きをしているような感じがしますね」

「いえいえ」

不動産屋は、真顔になって私に説明する。

「良いですか。右折という行動には、非常に多くの危険要素が含まれているんですよ。例えば、直進してくる車両が減速してくれるだろうという思い込みが原因の正面衝突事故。直進車両にのみ注意を奪われて、横断中の歩行者を見落としてしまって発生した人身事故。こういった右折に伴うリスクを考えれば、少しくらいの遠回りなんか、どうって事ありませんよ。というのが、ここいらが主張している内容ですけどね」

車は赤信号で停車する。交差点の直進方向には、道路の脇に門衛所が設置されており、どこかの工場への入口のようになっている。不動産屋は、構わず門衛所の横を通過し、車を直進させる。

「これから向かう所は、この右折禁止ルールの施行によって出来た街でしてね。実は、偶然の産物なんですが、とてもユニークな所ですよ」

と、不動産屋は、鼻息を荒くしながら言う。

車は分岐の全く無い、両側をガードレールで包まれた道路を抑揚なく直進する。左右を遮断されているので、これでは右左折は不可能で、我々の進路は直進するしかない。道路の両脇は広大な青田が延々と広がっており、先程まで車窓から見えていた民家等の建物は、隅の方に追いやられたように遠ざかっている。

「田んぼの『田』の字のように道路がありましてね、我々は今、『田』の字の右下から横方向に侵入しようとしてるんです。ほら、見て下さい」

我々が走行している反対側の車線が独立し、枝分かれしていくのが車窓に映る。左側には、先程から見えている広大な青田、右側には防音壁が高々と張り巡らされ、その向こう側がどうなっているのか、まったく見ることができない。

「今、『田』の字に入りました。このまま行くと区画の外周を通って『田』の字の左上まで行き、そこで左折して区画の外に出られます」

「『田』の字の中にはどうやって入るのですか?」

「右折禁止区域ですからね。真ん中を通る十字部分へは自動車では侵入できません」

「では、自動車をどこかに停めて、歩いて入らなくてはなりませんね」

「この道路は駐停車禁止ですよ。幅員が狭くて、駐車させると後続車が通り抜けられません」

「どこか、駐車できる所があるのですか?」

「もちろん、ありますよ」

我々は信号が無く、長い直線となっている道路を快適に走行し、やがて、右にほぼ直角に曲がるカーブに到達する。『田』の字の左下まで来たようだ。不動産屋は、慣れたハンドル捌きでカーブをこなす。再び直線の道路を走行し、行き先を示す青看板を通り過ぎた辺りで、左ウインカーを点滅させる。『田』の字の区画に入って、初めて登場する交差点だった。交差点はT字型で、もちろん右折はできない。左折した先は、だだっ広い駐車場となっている。およそ5、600台のスペースのある駐車場は、既に半分以上を様々な乗用車で埋め尽くされ、小さな子供を連れた家族や、若者からお年寄りまで、幅広い年齢層の人達が車から降り、小さなお城のような建物のある方へ歩いている。或いは、そこから出てきて、車の方へ向かっている。

「あのお城のような建物は何ですか?」

と、私が訊ねると、不動産屋はニンマリと笑い、

「行けば判りますよ」と、もったいぶる。

お城に近い側のスペースは大方埋まっており、我々は随分と遠くのスペースに停める事になった。そこから、お城までの距離を、私と不動産屋は並んでブラブラと歩く。駐車場には歩行者用の通路と横断歩道が設けられており、皆は折り目正しく、そこを歩いている。車が通行する区画内をバラバラと歩くような連中は、ここでは見当たらない。

「ここから、ずっと歩くのですか?」と、私は訊ねる。

「いえ、あの駅までですよ」

と、不動産屋は答え、お城を指差す。

「あれは駅なんですか」

「そうです。地下鉄ですよ。ここは『西駅』で、これから向かうのは『中央駅』です。東側にも同じように『東駅』があります。鉄道は『西駅』と『東駅』を言ったり来たりしています。『中央駅』まで歩いていけない距離でもないですがね。一乗車100円です。定期なら、月2500円。学割だと1300円。子供は半額。駐車場の利用料は無料です。なかなかお値打ちでしょう」

お城の中には、コンビニエンスストアや、ファストフード店等が並び、多くの人で賑わいを見せている。我々は、人と人の隙間を潜るように、そこを通り抜け、切符の自動券売機と自動改札機が並ぶ、広間へと出る。

不動産屋は、「ここで待っていて下さい」と言って、自動券売機の前に出来ている行列の最後尾に並ぶ。行列の回転は早く、あっという間に不動産屋の番が回ってくる。不動産屋は、磁気カードらしいものを使って、切符を買ってくる。

「はい、どうぞ」

と、私に切符を1枚渡し、自動改札機の方へと手招きする。

改札を潜って、エスカレータを下れば、すぐにプラットホームがあり、シルバーの車体の地下鉄が我々を待っていてくれる。車両は3両編成で、既に多くの人が乗車していて、座席に空きは無い。

「すぐに着きますから」

不動産屋と私は、通路上の吊り革に掴まる。まもなくして、発射を知らせるチャイムが鳴り出し、静かにドアが閉まる。普段の移動を全て自動車で行っている私は、電車に乗るのは随分と久しぶりの事だ。電車は、コトンコトンと包丁で野菜を切るような音で、トンネルの中を走行する。今の鉄道とは、これほどまでに静かに走るものなのかと、私は感心する。

1分ほどで『中央駅』に到着するという女性のアナウンスが流れ、車窓がパッと明るくなる。

「着きましたよ」

と、不動産屋はニッコリと笑う。

ドアが開くと、乗車していた客全員が、一斉に出口に向かって流れ出す。我々も、その流れに任せて、車外に出る。人の流れは一定していて、これでは横道に逸れようにも逸れようがない。私は逆らうことを諦め、流されるがままに、駅の外に押し出される。

『中央駅』のコンコースは、『東駅』の更に倍規模のコンコースで、人の数もまた倍規模の集まりを見せている。人の流れは整然としていて、乗車方、下車方と入り乱れることはなく、コンコースの左右に綺麗に分かれている。

「ここに住んでいる人達は、皆ルールを重んじる人達でしてね。言わば、トラブルに見舞われない、見舞わない心構えができているのですよ。慣れるまでは、最初は大変に思われるかもしれませんが、慣れれば、とても快適で、住み良い所ですよ」

と、不動産屋は興奮気味に説明する。

駅舎の外に出ると、大きな円形の噴水が目に映る。噴水を囲むラウンドアバウトの交差点になっているが、自動車の姿は一切見当たらず、全てが歩行者か、或いは時折、車椅子やシニアカーの姿が見える。

「自転車も、ここは通行禁止です」と、不動産屋が補足する。

「最初は許可していたんですが、結構、事故の発生が多くてね。考えてみれば、ここから一番遠い住居までだって、歩いて10分で行けるんです。わざわざ自転車に乗る必要もないですよね」

ラウンドアバウトを取り囲むように、様々な商店が並んでいる。食料品店や飲食店、コンビニエンスストア、靴屋に金物屋に輸入雑貨屋、玩具屋、薬局、法律相談所、交番、花屋、ペットショップ、乾物屋、駄菓子屋、それに様々な病院。どの店も、人の流れに淀みを与え、それなりに繁盛しているようである。

「この区画から外に出なくても、一通り何でも揃えられるのですよ」

と、不動産屋は説明する。

「学校や保育園、老人介護施設、役所の出張所に法務局もありますよ。ほとんど外に出ない人も多いです。物価だって、それほど高くありません。2~30円の安値を求めて、自動車を乗り回す愚かさを、ここの人は知ってるんですよ。燃料代も、最近はバカになりませんからね」

私は深呼吸をする。

鼻孔を刺激する匂いには、普段はあまりにも当然のように混在し、その存在に対する感覚が完全麻痺していた排気ガスの香りが、ここには全く含まれていないのを感じる事ができる。ここで吸収できる匂いは、純然たる生活臭である。

「お客さん。実は、私もここの住人なんですがね。ここは、すごく良い所なんです。ぜひ、ご検討をお願いします」

と、不動産屋は満面に笑顔を見せる。

私は、その言葉に返答するでもなく、もう一度、深呼吸を試みる。


(了)


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