第七話・「何やってるんだろ……」
「ごめん、聞いてなかった」
「三回は言いませんから。その……正臣君の好きな人って、睦月さんなんですかって、そういう話です」
「……うん。そうだよ」
後ろからついてきているために水野さんの表情は分からない。
階段でおんぶをしたまま振り向くわけにもいかないので、俺は一歩一歩慎重に階段を上るのに終始するのだった。
「どこがいいんですか? どんなところが、好きなんですか?」
「しいて言うなら、一目惚れ、かな」
「……恋する理由として、一番単純で、一番説得力のある言葉……。一目惚れ……か。お互いに何も理解してないのに好きになれるんですから……便利ですよね……」
「み、水野さん?」
欝に入ってしまいそうな水野さんの声音。
「いいんです。続けてください」
一瞬、何を続けるの、と問いかけそうになったが、俺は一目惚れの状況について問われているんだと合点して話を続ける。
「睦月さんを初めて見たのは、入学式のときだった。入学生代表として挨拶している凛々しい姿見たら、純粋にドキドキしてきてさ。会話すらしたことないのに、視界に入っただけで胸が高鳴って仕方が無くて。傍から見たらストーカーでしかないけどね」
俺は自分の虚しさに笑うしかなかった。
クラスが別になったというのも、会話ができない理由の一つとして挙げていたが、たとえ同じクラスになったとしても、まともに話せていたかどうかは分からない。しどろもどろになって悪印象を与えないだけマシかもしれない。
「だから、私、正臣に言われて、睦月さんに直接、『東城正臣のことどう思いますか?』って聞いてみたんだ」
「え……」
香奈の闖入に、水野さんが反応する。
「お前、そんな聞き方したのかよ!」
和輝が俺の大声に振り向くが、察してくれたようで、再び階段を上りだした。
「だって正臣、『それとなく俺のこと知ってるかどうか聞いてみてくれ』って私に言ったじゃない」
「それとなく、って意味分かってないだろ! というか、それ以前の問題だろ! こうなることを分かっていて、そう聞いたとしか思えん」
香奈をこの場に放り出したい衝動に駆られるが、さすがに階段でそれは出来なかった。
「『東城正臣? 知らないわ』」
香奈が、おそらく睦月さんの真似をして言った。
睦月さんとは話をしたことが無いので、口調の正否は分からない。
それがまた、彼女との距離を感じさせられ、やるせなくなる。
「言うなよ……結構堪えてるんだから」
「睦月さんにそう言われたんですか?」
「そうみたいだね、はは……」
我ながら乾いた笑い声だ。
「でも、好きなんだから仕方が無いよ。それだけは相手がどうであれ、関係ないことだし」
かすかな希望、とでも言えばいいのだろうか。睦月さんが俺を好きでなくても、彼女を好きでいなければいけない。
万が一、睦月さんが俺を好きになったときに、俺の恋心がなければ、全てが無駄になってしまうはずだ。
……つくづくそんな自分が情けない。
「睦月さんは……そんなに出来た人ではないと思います。性格が悪いって言うし、高飛車で、高慢で、男関係がひどいとか、みんなに言われてるし……それに、彼女は顔だけだって……」
「水野さんにそんなこと言われたくない。そんな風に言われてることぐらい、俺だって知ってる。でも、だからって、目の前で好きな人の悪口を言われるのは……許せない」
「あ、正臣が怒った」
香奈の横槍をかわすのも億劫だ。
「どうしたの? いつもの水野さんはもっと――」
俺は努めて冷静に言ったつもりだった。
「私の、何が分かるって言うんですか……」
俺は二の句を継げなくなった。
「私だって、醜いところあります。嫌いな人だっています。悪口だって言いたくて仕方が無いんです! ……でも、隠さないと生きていけないじゃないですか! 嫌われないように隠して、偽って、やっと今の自分の位置があるんです! だから、学校での私がいつもの私だなんて、そんなこと……言わないでください!」
三階の廊下に響いた叫びに、俺は振り向かざるをえなかった。
水野さんは大粒の涙をぽろぽろと流しながら、松葉杖で自分を支えていた。
俺は言葉が出なかった。
触れてはいけないものに触れてしまったような気がした。
人が普段は隠している、敏感で傷つきやすい場所に、俺は土足で踏み込んでしまったのだ。
水野さんは、香奈をおんぶしたまま立ち止まる俺を通り過ぎて、和輝を追いかけた。生徒会室へはもうすぐだ。
和輝はあの大声を耳にしても、振り向こうとはしなかった。
俺を待つこともせずに、どんどん先に行ってしまう。
それは和輝なりの意図があってのことなのだろうか。それとも、単に俺に失望したのか。
「正臣、私たちも行こうよ」
香奈が何事も無かったかのような声で、俺の前進を促す。
水野さんの歩く姿が目に飛び込んでくる。
松葉杖を使って歩く作業は、思っている以上に力がいる。俺は水野さんの前にいたから分からなかったけれども、水野さんはずっと人一倍頑張って、努力して付いてきていたのだ。思うように動かない足に苛々しながらも、歩くために必死になっていたのだ。
「俺、何やってるんだろ……」
自嘲だった。