第五話・「化け物め」
「お前、ラ、どこに行く、ンダ」
生徒指導の体育教師は、機械のように首を曲げながら告げた。
「せ、先生……集会に遅れたのは訳があって……」
先生の様子はともかくとして、俺は集会に遅れた言い訳をしようと、一歩進み出た。
「ドコニ……行く、ンダ」
「あ、あの、先生、聞いてください」
「正臣! そいつから離れろ!」
「お前、そういう口の利き方を――」
俺は大声を出した和輝を黙らせようと振り返る。だが、それは先生の手が俺の肩をつかんだことでさえぎられた。強引に面と面を向かい合う状態にさせられる。
「ア、ア……」
この生徒指導の体育教師は、生徒に制裁を加えることで有名だ。今では少なくなった体罰教師だが、暴力を嫌う生徒も多い一方で、慕う生徒も多い。時には体罰も必要だ、ということを分からせられる先生の典型だと思う。
そう考えるから、俺はとっさに殴られるのだろうな、と思い、歯を食いしばり、目をつぶった。
数秒後、目の前にいる先生から、何かが爆ぜるような音が聞こえはじめる。握り拳がいつまでも飛んでこないことを訝しんで、俺は薄目をあけて先生を確認する。
目を疑う光景が、そこにはあった。
先生の口の中から異形の生物が這い出している。一見すると手のひら大の蜘蛛。灰色に薄汚れた体躯。甲殻類のようでもあり、節のある足を見ると、節足動物でもあるようだ。口からは触手のようなものを数多と出して、獲物を物色するように蠢いている。
得体の知れないそれは、先生の口を無理矢理こじ開けた。声にならない声を出して、先生の顎が外れる。容易に握りこぶしが二つ入るぐらいに押し広げられた先生の顎は、もはや見ていられない。口の端の皮膚は無残にも裂け、出血がよだれのように地面に滴り落ちる。怪談で言うところの、口裂け女を連想させる。
「ば、化け物め」
生徒会長の感想は、今の俺の感想を代弁した。
蜘蛛の化け物は、その醜い体を完全に現すと、先生の顔に張り付いたまま、目標を定めようと三つある瞳を俺に向ける。目玉が飛び出しそうなほど隆起し、俺を見定めるその様子は、ぎょろり、という擬音語がお似合いだった。
俺の両足が石のように固まって動かない。
蜘蛛の足がばねのように曲がるのが見える。
俺は自分の中の警鐘が鳴るのを感じた。しかし、反応できない。
「正臣君! 逃げて!」
水野さんの叫びが聞こえる。
物静かな水野さんからは想像も出来ない大音量。
蜘蛛の化け物は、そんな水野さんの声など意にも介さず、俺に飛び掛った。