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第四十九話・「一人」

 ……電車がホームに滑り込んでくる音で、俺は目が覚めた。



 ベンチから慌てて立ち上がると、人込みに流されながら、俺は電車にその身を滑り込ませる。

 耳をふさぐヘッドホンからは、流行のナンバーが大音量で流れ出していた。

 手すりに身を預けながら、窓を流れていく景色をなんとはなしに眺める。

 線路の向こうには、咲き始めたばかりの桜の木々が、桃色に染まっているのが見えた。俺はぎりぎりまでその桜に視線をくれていたが、やがて見えなくなると興味はすぐに失せていった。

 空いた席に腰掛けると、隣になったサラリーマンが俺のほうを見て咳払いをする。

 どうやら、ヘッドホンの音量がお気に召さないらしい。

 俺はポケットに入れたポータブルプレーヤーをいじって、音量を下方修正した。


 次から次に、人は電車に乗り込んでくる。


 誰もが我関せずで、四方八方に視線を散らしている中。俺は再び夢の中に落ちそうになる意識を覚醒させようと、手のひらで頬を叩いた。

 頬に走った痛みが、ゆっくりと広がっていく。

 隣に座った女子高生が、俺の奇怪な行動に怪訝そうに眉を寄せて、隣の女子と内緒話を始めた。

 気にしないように努めていたけれども、突然女子高生は大声で笑い出したので、俺はそれに耐えられなくなり、再び立ち上がると隣の車両に移る。

 目指す駅はもうすぐだ。


「俺は……生きているんだよな……」


 つぶやいた言葉は、きしむ電車の音にかき消されていく。

 誰に聞かれるでもなく、誰に理解されるでもなく、俺は問いかけていた。




 電車を降りると、俺は駅前の噴水で立ち止まる。

 腕時計に視線を落とすと、定刻五分前。

 日本の電車は世界有数の正確さを誇ると言われているが、まさにそれが証明されたわけだ。

 遅刻は過去に一度しかしたことがないから、これで無遅刻日数は一年を数えることとなった。

 記憶が正しければ、一年前まで、俺は遅刻を一度もしたことがなかった。

 生きてきた年数が、そのまま連続無遅刻日数だったのだ。

 空に向かって水が吹き上がる涼しげな光景。

 水面に反射する太陽光線に目を細めながら、俺は大きく息を吐いた。



「……遅いよ」



 待ち人は三十分遅れで現れた。


「電車が遅れたのよ。私のせいじゃないわ」


 両手を広げて、参ったわよ、と言いたげなポーズをとる。


「電車に乗り遅れた、の間違いじゃないの?」

「ま、そうとも言うわね」


 噴水の水が輝きを増し、雫の流れるような黒髪を照らす。

 まるで主演女優に照射するスポットライトのように。


「それで、怪我の経過はどう?」

「俺のほうはもう大丈夫。頭の包帯もとっくの昔に取れたし、腹の傷も完全にふさがったよ」

「良かったわね」


 雫が俺の背中を思いっきりはたいてくる。俺は手加減の知らない雫に顔をしかめるが、雫はまったく気にしていないようだった。


「雫は? 足、もう大丈夫なのか?」

「まあまあね。小走りくらいしか出来なくなったけど、それほど不自由はしてない。問題なのは、むしろ右手の方。卵すら握りつぶせないんだから、参っちゃうわよ」


 左手を腰に当てて、右手を俺に突き出すと、俺の眼前で、結んで開いてをしてみせた。


「同情なら間に合ってるわ。それより、今日は久々に会ったんだから、少し付き合ってよ」


 俺は指を鼻先に突きつけてくる雫に、苦笑いをこぼす。

 雫の強引さは相変わらずのようだった。


「もう毎日毎日リハビリの繰り返しで、本当に嫌になる」

「でも、雫はすごいよ。普通なら、今の状態になること自体、奇跡なんだろ?」

「睦月雫よ、私は。他の人間とは違うわよ」


 不敵な笑みを見せて、親指を立てる。


「あ、あそこに入るわよ」


 雫は瀟洒な喫茶店を指差す。

 路地裏でひっそりと営業しているようで、客はあまりいないようだった。

 中に入ると、カウベルの音が店内に鳴り響いた。店員に案内させる気もないのか、窓際の席にさっさと座った雫は、長い足を組んで腕を組むと、態度の悪い客に成り下がった。


「……いいですか?」


 俺は困った顔で立ちすくむ店員に愛想笑いを浮かべると、雫の席でいいかどうか訪ねた。

 店員は、構いませんよ、と俺に負けないくらいの愛想笑いを浮かべて、水を取りに引き返していく。


「雫、もう大人なんだから」


 空調が効いていて、ジャズが心地よく耳に入り込んでくる。


「細かいこと気にするんじゃないわよ。お客様は神様。少しぐらい構わないわ」


 俺が座ったのを確認した店員が、グラスに注いだ水を差し出す。

 雫はそれを一気にのどに流し込むと、引き返そうとする店員にグラスを差し出す。


 俺は、雫の接客だけはするまいと心の底から誓った。


「半年振りかしら」

「そうだね、それぐらいになるかな」


 汗のかいたグラスを持ち上げると、バランスを崩した氷が、清涼な音を響かせた。


「あの事件のあと、しばらく同じ病院に入院していたのよね。でも、怪我の程度からして、アンタが一足早くに退院して…それっきり連絡もなし」

「悪かったよ……。少し考えたかったんだ。あんな恐ろしい事件の渦中にいた俺たちが、次の瞬間、いつもの日常に逆戻り。時間が欲しかったんだ、一人になる……」


 俺はグラスの水を口内に流し込み、渇いた喉を潤す。


「信じられるわけない。目が覚めて、起き上がってみたら県外の病院にいて、原発事故の被害者扱い。俺たちの町は完全封鎖。安全が確認されるまで立ち入り禁止……」


 病院のベッドで目が覚めた俺は、一人で歩けるまでに回復していた。

 一週間以上眠っていたらしく、体中が倦怠感でいっぱいだった記憶がある。

 病院はいたって普通で、一般の患者も大勢いた。

 映画やドラマで見るような完全隔離などはされずに、ただ事故で足を骨折した患者のような扱いで、特別なことなど何もなかった。

 病院内を歩いて、待合室のテレビを見てみると、そこに映し出されていたのは、大規模な原発事故のニュースだった。

 俺たちの町には確かに原発があったが、そうそう何度も不祥事を起こしているわけではなかった。

 周囲の患者は、俺の生存を奇跡だと喜んでくれる一方で、医者も、看護士も俺の周囲にいる誰もが、俺の町で起きた事件のことを信じてはくれなかった。

 むしろ、話せば話すたびに、哀れんだ目で俺を見てくる。

 きっと彼らは、俺が放射能で頭をおかしくしてしまったと思い込んでいるのだろう。


「それは私も一緒よ。学校で、蜘蛛が暴れて全員が殺されました。蜘蛛に寄生された人間が、化け物になって襲ってきます。ダンプカーよりも大きい蜘蛛と戦いました」


 雫が窓の外を眺める。


「誰もそんなこと、信じてはくれないわ。私だって、立場が逆なら信じない」


 窓の外では、手と手をがっちりと握り合ったカップルが、体を寄せ合いながら歩いていく。


「完璧なのよ。そして、痛くも痒くもないのよ。私とアンタを生かしておいたって」


 雫のいうことは正しい。


 兵士たちが、俺と雫をどうして助けたのかは分からない。殺してしまってもなんら問題はなかったはずだ。むしろ、殺してしまったほうが良いに決まっている。

 それでも、俺たちはこうして今を生きている。監視や、束縛もない。

 今まで享受してきた平和が、俺たちの手のひらに、姿形を変えずに戻ってきた。


「私は、その余裕が許せない」


 雫がテーブルを叩く。グラスの水に波紋が広がった。


「人の生活をめちゃくちゃにしておいて、許されていいはずがないわ」


 新聞でも、ニュースでも、原発の安全性についての論争ばかりで、『スクール・オブ・ザ・デッド』という計画については、その単語すら出てこない。

 町ひとつを完全に閉鎖するくらい大規模な事件なのに、情報は何一つとして漏洩してはいないのだ。それとも、漏洩してはいるが、緘口令を敷かれているのか、あるいは買収されてしまったのか。

 どちらにせよ、日本という国は、何事もなかったかのように惰眠をむさぼっている。

 どんな事件も、悲劇も、他人事のように無関心。

 同情はしても、すぐに忘れてしまう。

 それが日本。

 それが日本人だ。

 俺たちが体験した悲劇が、誰にでも起こりうる悲劇だということ。

 それすらも知らないで、人々は生きている。

『スクール・オブ・ザ・デッド』という計画が、誰の起案で、誰が実行して、日本政府はどうしてそれを容認したのか。

 そんなこと、たかが一学生である俺に分かるはずがない。

 むしろ、分からないからこそ、俺は生きていられるのだろう。


「だから、私は私なりの方法で逆襲してやるつもり」

「逆襲?」


 俺は雫の口から飛び出した、信じられない言葉に耳を疑う。


「そう。といっても、力じゃどうしようもないし。今すぐというわけではないけれど、いつか必ず」


 雫の瞳が、まだ見ぬ戦いに燃え上がる。


「だから、アンタも協力して」


 体が強張るのが分かった。


「……俺は……」

「アンタしかいないのよ」


 一年前の悲劇を思い出すたびに体が震えだす。


 大量の血。大勢の死人。無限に増殖する蜘蛛。

 夢を見れば、俺は今でも学校をさまよっている。

 夜中に飛び起きて、俺は安心する。

 膨大な汗をタオルで拭き取りながら、俺は体が恐怖におびえていることを知る。

 たとえ朝に目が覚めたとしても、一年前の朝であるような気がしてならないときがある。

 俺はその度に頭をかきむしり、吐き気を催し、トイレに直行する。便器の中に、今しがた吐いた大量の胃液が浮いているのを見て、俺はまた吐き気にさいなまれるのだ。

 それの繰り返し。


「アンタが必要なのよ。私には」


 チャイムが鳴るたびに、玄関前には彼女がいるような気がしてならない。

 慌てて玄関口に走っていって、外の確認もせずにドアを開ける。

 だが、外には誰もいない。

 チャイムの幻聴。

 部屋にいるときの俺の耳には、あのときのチャイムの音が休みなく響いてくる。

 

 

 ――あれ、正臣も遅刻? 奇遇だね。



 ドアを開けた俺に微笑みかけてくれる彼女を、必死に捜している俺がいる。

 ドアの後ろ。壁際。アパートの周辺。

 探しても、探しても……彼女の微笑みはみつからない。

 あきれるぐらい、鬱陶しく思うぐらい彼女につきまとわれていたのに。

 今更になって、彼女を捜している俺がいる。求めている俺がいる。

 心と、体が、泣き叫んでいるのが分かる。

 だから。



「…………協力は出来ない。……もう、何もしたくないんだ」



 雫の顔を直視することができなかった。

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