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第四十八話・「正臣」

 大きく振りかぶった石は、不意打ちでもない限り、簡単に当たるようなものではない。


 額に流れる血を散らしながら、香奈は生徒会長の懐に勢いをつけて抱きつく。

 その拍子に、香奈の携帯電話がポケットから飛び出して、俺の目の前に転がった。

 腹にタックルを受けた生徒会長は、苦悶の声を上げる。

 ……が、香奈の体重をのせた攻撃など、たかが知れている。

 生徒会長は後ろに流れていきそうになる体重を、足を後ろにずらすことで耐えしのぐと、嗜虐的な笑みを浮かべる。


「それで終わりか?」


 頭上に掲げたままの石を、懐にしっかりと抱きついた香奈に振り下ろす。

 背中が真っ二つにされるのでは、と思わせる鈍い音。

 石の尖った部分が、制服にめり込んでいく。

 香奈は、膝こそ折るものの、決して生徒会長を放そうとはしない。

 両手を生徒会長の腰に回して、手と手を握り合わせるようにロックしている。

 ちょうど膝をついたままで、生徒会長に抱きつている格好だ。


「女に抱きつかれるのは嫌いではないが……。私をこんな目に遭わせた女なら話は別だ!」


 振り下ろした石を再び香奈の背中に叩きつける。

 先刻よりも確実に勢いは増していた。風を切る音に遅れて、鈍い音が俺の耳に届く。


「みんな、お腹空いてるよね」


 香奈のつぶやくような声が、生徒会長の動きを止めた。


「この人を食べていいよ」


 トラックの外で待機していた蜘蛛の群れが、水を得た魚のようにざわめく。

 赤い光が、俺の目を焼き尽くし、赤いうねりは、洪水のようにトラックの内側を埋め尽くしていく。


「ば、馬鹿なことを言うな!」


 石を投げ捨てた生徒会長が、香奈を殴って引き離そうとする。香奈は、雨のように打ち付けられる拳に堪えながらも、抱きしめる力を強くした。


「来るな! やめさせろ!」


 生徒会長を中心点に、蜘蛛の群れが収束していく。

 何百、何千という蜘蛛の大群が、盛大に土煙を巻き上がらせる様子は圧巻だった。


「は、離せ! 私は!」


 天から垂れた蜘蛛の糸を我が物にしようと、目を血走らせる亡者の群れ。物語世界そのままの構図が、ここにはあった。


「この糞女が! 汚い手を離せ!」


 鉄拳に込められる罵詈雑言。

 香奈は、生徒会長に殴られ続けながらも、小さな口を開く。


「正臣と出会ったのは、偶然だったんだよ」


 髪の毛を引き抜かれる香奈は、痛みに苦悶することもなく述懐する。根元に血のついた髪の毛が、生徒会長の手に握られていた。


「この町が候補地として上がった時に、私は本当にふさわしいかどうかを判定するために、この学校に派遣されたの……」


 俺は香奈の過去を何一つ知らない。

 聞かなかったということもあるが、香奈は自分から語ろうともしなかった。


「……そこに正臣がいた」


 俺のことを執拗に聞いてくるばかりで、他のことには興味も示さなかった。

 授業が終わって休み時間になると、香奈は誰よりも先に寄って来る。下校時もそう。計算してみれば、俺は和輝よりも香奈といる時間の方が多かったのではないだろうか。

 そんな香奈だから、俺はわずらわしいと思ってばかりいた。


「正臣と和輝が話しているの見るとね、心が温かくなれた」

「そんな話はいい! 化け物を何とかしないか! この雌豚が!」


 まるで雑草。

 次々に引き抜かれる香奈の髪の毛が、無残に投げ捨てられる。


「いつの間にか引き寄せられていたんだよ……」


 髪の毛を引き抜くのを止めた生徒会長は、今度は香奈の柔肌に爪を立てる。

 頬に食い込んだ爪は、簡単に香奈の頬に爪痕を残した。

 一生の傷になるであろう顔の傷からは、まるで涙のように血が大量に流れ出す。


「それから、正臣を好きになって……離れたくないって思って……ずっと正臣のそばにいようとした」


 まぶた食い込んだ生徒会長の指が、眼球を潰しながら眼窩に深く入り込んでいく。一歩先んじた蜘蛛が、生徒会長の背中に取り付いたときには、人差し指の第二関節が、香奈の眼球を穿り出していた。

 眼球の視神経を引きちぎり、生徒会長はそれを握りつぶす。


「止めろ! 離せ! 私は!」


 蜘蛛の急襲で生徒会長の眼鏡が外れる。

 俺の目の前まで転がってきた眼鏡のレンズは、すでに抜け落ちていて、フレームはくの字に歪曲していた。


「迷惑だって思われていたことも知っていたよ。でも、私は自分の思いを伝える方法を、他に知らなかったから……」


 抱きついた人間が、目の前で惨殺されていく。

 二の腕に噛み付いた蜘蛛が、生徒会長の腕を美味しそうにほおばる。

 そんな光景を目にしても、香奈は動じない。


「腕を、返せ……。それがないと、私は……」


 香奈を引き剥がすことをあきらめたのか、それともすでに意識を超越してしまったのか。奇天烈なことを口走る生徒会長。


「物心つく前から組織に引き取られて、一方的な教育だけを受けて育ってきたから、自分勝手にしか出来なかったんだね」


 体中に食いついた蜘蛛が、生徒会長の皮膚をはがし、骨をかじり、耳を食いちぎる。

 流れ出る血を浴びる蜘蛛は、気持ちよさそうにすら見えた。


「は、はハ……ハはハハ……美味しいのか?」


 生徒会長の体を噛み砕く蜘蛛の咀嚼音が、狂想曲を奏でる。


「そうか、夢だ。これは夢だ……夢に、決まッテ……!」


 生徒会長はその言葉以降、ぐったりと香奈に覆いかぶさったまま動かない。事切れたように、体から力が抜けていった。


「今でもよく分からない。私にあるのは、正臣を好きだって気持ちだけ。それ以外には何もないよ」


 バケツの水をかぶったように、血に濡れそぼった香奈。

 生徒会長を蜘蛛に任せて、立ち上がる。


「みんな、今までありがとう」


 両手を左右に大きく広げて、香奈は天を仰ぐ。




「――私を食べていいよ」




 清々しそうに香奈は言った。

 おこぼれに預かれない蜘蛛が、一瞬ためらうように瞳を明滅させるが、それもひと時のことで、すぐに香奈の足元から這い上がっていく。


「あ……でも、ひとつだけ理解できたかもしれない」


 女性としてもそれほど背の高いほうでない香奈の体は、あっという間に蜘蛛に覆われる。


「正臣は偽善者」


 微笑。


「だって、誰にでも優しい」


 蜘蛛に埋もれた香奈の顔だけが、何とか確認できた。


「みんな、そんな正臣が大好きなんだね。そばで見てきたから分かるよ。正臣がいてくれたから、みんなが幸せになれたんだって。初めて誰かを好きになることが出来たんだって」

「か……な」


 俺はすでに意識を失いかけていた。

 まるで映画でも見せられているように、ただ静かに風景が流れていく。

 それが現実か夢かなんてことすら満足に判別できないほど、俺は憔悴しきっていた。


「……だから、ごめんね」


 耳に入ってくる言葉ですら、どこか夢うつつのような気がしていた。

 俺の手が、蜘蛛に埋もれた香奈に伸びる。

 手を伸ばしている実感がない。俺の視界に映る手は、自分のではない気がした。

 それぐらい、俺は意識が現実からかけ離れていた。



 無意識のうちに俺は手を伸ばしていた。



 自らの命を削るように。

 ただ、香奈に触れたかった。

 ただ、香奈を胸に抱きたかった。



 ただ純粋に……誰よりも愛したかった。



「正臣にとって、私はふさわしくないよ」


 その言葉をかき消すように、遠くから風を切り裂く轟音が聞こえてきた。

 その轟音は止むことを知らず、俺のほうに向かってくる。


「生きて、正臣」


 伸ばした手がつかんだのは、香奈の携帯電話。

 俺が本当につかみたかったはずの香奈の姿は、すでに大量の蜘蛛の中に消失していた。


「……か……な……」


 ライトを点灯させながら接近してくる二つの巨体。

 プロペラを前後に設置した胴長の輸送ヘリと、中型のヘリ。全長三十メートルを超える前者は、存在するもの全てを吹き飛ばすような暴風域を作り出しながら、俺の近くを滞空する。ヘルメットをしたパイロットが二人、コックピットに見て取れた。

 中型のヘリからは何本ものロープが垂れ、武装した兵士がラぺリング降下を行う。

 どうやら、輸送ヘリ着陸の安全を確保しているようだった。

 胴長のヘリが、プロペラの回転数を減少させる。

 完全な着陸態勢に入ると、背後にある巨大なハッチがゆっくりと開いた。中からは中型のヘリ同様、次々に武装した兵士が飛び出す。

 どういうわけか、飛び出してくる兵士に、蜘蛛は危害を加えようとはしない。

 まるで磁石で言うところの同極同士が反発しあうように、一定の距離を開けたまま近付こうとしない。



 ……一人の隊長らしき兵士が、俺に近付いてくるのが見えた。



 男は膝をついて俺になにやら話しかけているようだったが、俺にはそれに答える気力も、体力も残されてはいなかった。

 俺は海中に沈んでいくようにゆっくりと気を失う。



 ――香奈の携帯電話を握り締めたままで……。


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