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第四十四話・「和輝」

「私一人でも……十分」


 右足を引きずりながら、和輝への開口一番、強がって見せる雫。


「そう言ってもらえると、俺としても心強いよ」


 和輝が手を伸ばすと、雫は右足をかばいながら、手をとって立ち上がる。

 鉄球を浴びた化け物は、顔面が陥没していて、もはや虫の息だ。


「私を潰すかもしれないって、考えなかったの?」

「正臣を助けることで、頭がいっぱいだったから」

「それなら納得してあげるわ」


 ボストンバッグは遠くで逆さまにされていた。

 どうやら、和輝が慌てて武器を探したと思われる。俺は雫のピンチに意識が釘付けになっていて、それに気がつくことが出来なかったようだ。

 和輝は雫の腕を取ったまま、巨大な蜘蛛の腹部から抜け出そうとする。だが、蜘蛛はそれを阻止する。

 顔面が陥没した化け物を飛び越え、小型の蜘蛛が二匹、和輝に飛びかかった。雫は立ち上がって早々に舌打ちし、和輝を突き飛ばす。和輝は蜘蛛に気がついていなかったようで、突き飛ばされることで、かろうじて危機を脱する。

 雫と和輝の真ん中を、蜘蛛が通過していく。


「アンタも、結構頑張ってきたのね」


 マスコットバットを杖代わりに、右足を支えて和輝の顔をまじまじと見つめる。和輝の左目は塞がれていた。額から頬にかけて、鋭利な刃物で切り裂かれたかのようだ。


「約束したからさ。それの代償ってところかな……」

「アンタのそういうところ、アイツと一緒ね。悪くないわ」


 腹部を幾度となく突かれ、その度に雄たけびを上げる蜘蛛が、大きく飛び上がった。化け物が実験テーブルを放り投げるのを見たことはあったが、よもやこれほどの質量が空中に飛び上がるとは思っても見なかった。

 消化液を振りまきながら、化け物は俺と雫の中間に着地した。

 蜘蛛は全神経を俺に集中させているようだった。赤く輝く目、その全てが俺を凝視している。

 そのあまりの異様さに、俺は身動きをとることが出来ない。


「正臣!」


 二人の声が重なる。


 まず飛び出したのは和輝。

 ハンマー投げの鉄球を鎖で引きずりながら、巨大な蜘蛛に突進する。そして大きく振りかぶると、一回転。

 丸太のような足を、俺に向かって振り上げる蜘蛛の背後に接近する。



 蜘蛛が、俺に足を振り下ろすのが早いか。

 和輝が、蜘蛛を攻撃するのが早いか。



 その勝負は、和輝の勝利に終わった。

 一回転、ニ回転、三回転。

 左足を軸にして体を回転させ、遠心力を鉄球に付加させる。

 模したのは、典型的なハンマー投げのフォーム。陸上部のそれとは比べ物にならないほど幼稚な回転ではあるが、ハンマーに加えられた力は多大なものだ。

 和輝はハンマーを手放さずに、蜘蛛の後ろ足に鉄球を叩きつける。

 さすがの蜘蛛の足も、鉄球の攻撃力には耐えられなかったようだった。

 亀裂が入って、体液が漏れ出す蜘蛛の足。赤い体液を、岩間から湧く水のように滴らせ、巨大な蜘蛛はバランスを崩した。

 結果的に、それが俺を救うことになった。バランスを崩しながらも、俺を破砕しようと振り上げられた足。それは俺を破砕することなく、俺の横から襲おうとしていた化け物を潰すこととなった。

 化け物の胴体に大きな風穴が開く。

 化け物は巨大な蜘蛛の足から抜け出そうともがくも、自らを貫く圧倒的な質量から逃れることは出来ない。痛みにもだえるように、生徒から生えた八本の足をばたつかせるだけだ。

 巨大な蜘蛛の意識が俺に向いたことで、雫と和輝に傾いていた蜘蛛と化け物の意識が、俺に傾注していくのが分かる。

 もともと、香奈は俺を割り切るために、蜘蛛をけしかけたのだ。

 巨大な蜘蛛は、邪魔なものから排除して、最後に俺を殺してしまおうという魂胆だったのだろうが、予想外の雫の抵抗と、手痛い反撃もあって、計画変更。

 推測するに、前菜からよりも、さっさとメインディッシュ、という変更案だろう。最低限、香奈の命令である俺の処理だけは、確実に実行するという意思の表れだ。

 

 ……裏を返せば、雫たちを相手にしている余裕などなくなったということだろう。


 なりふり構っていられないという蜘蛛の焦りが、振り下ろされた巨大な足と、それに貫かれた化け物の醜態から見ることが出来た。

 足で叩き潰すことを断念した巨大な蜘蛛は、崩れた体勢のまま、太い触手で追撃をかける。触手は輪ように展開し、俺は逃げ場を失った。

 輪はさらにドーム状に広がっていき、俺の視界は、ほぼ蜘蛛の触手、という状況に追い込まれてしまう。


「くそっ! 正臣!」


 和輝は俺に駆けつけようと、殴りつけた蜘蛛の足元から走り出すが、すぐに化け物と蜘蛛の群れに進路をふさがれる。怒りにその身を任せるように、足元を駆け抜ける蜘蛛を容赦なく踏み潰し、顔面を横切る小型の蜘蛛に、裁きの鉄球を振るう。

 圧殺された蜘蛛は、高所から落としたトマトのように破裂し、鉄球には赤い血液と、つぶれた皮膚がこびりつく。


 ……和輝の咆哮が聞こえた。


 鉄球は一度振り切ってしまえば、死に体の時間が長大だ。

 人海戦術を駆使する蜘蛛にとって、それは最高の獲物といっていいだろう。防御の姿勢すら取れない和輝に、蜘蛛がハイエナのように群がりだす。

 和輝は胸に取り付かれるのもかまわず、鉄球を振り上げる。

 鎖が天井に向かって一直線に伸び、やがてそれは渾身の力をもって、蜘蛛の頭上に叩き落された。


 重力、質量、筋力。


 三位一体の一撃が、中型の蜘蛛の頭部をとらえ、真っ赤な瞳が三方にはじけ飛ぶ。

 味方がやられても、蜘蛛は恐れをなさない。

 次から次へ、飽きることなく数をもって和輝を制する。

 全身に蜘蛛をまとわりつかせながらも、和輝の瞳で燃え上がる炎は、衰えるところを知らない。いっそう輝きを増して、俺に近づいてくる。和輝自身が炎で燃え上がるような、そんな和輝の足取りだった。

 鉄球を振り上げ、あるいは振り回し、進行方向を妨害する蜘蛛を圧殺していく。

 隙が出来ても、和輝は泰然自若。


「俺は……正臣のところに行くんだよ……!」


 静かにつぶやいた言葉は、腕に飛びついた蜘蛛へ。

 素手で蜘蛛を叩き落す和輝。

 拳は自らの血と、蜘蛛の返り血で紅の花を咲かせた。


「邪魔をするな……!」


 胸に張り付く蜘蛛を、自らの心臓を取り出すように、シャツごと引き剥がす。引き剥がした蜘蛛を床に叩き付けると、とどめとばかりに踏み潰した。

 破れたシャツからのぞく上半身はすでに痣だらけで、黒くうっ血している。

 和輝が屋上でどれだけの死闘を繰り広げてきたのか、俺は知らない。だが、どんなに傷ついても、俺のために力を尽くそうとする和輝。


 誰よりも人が良く、俺の親友であり、俺の憧れ。


「和輝……お前は……」


 中型の蜘蛛が、和輝の左右から接近する。

 触手を同時に放ち、和輝の両腕を固定する。

 上半身をさらしたまま、和輝は両手をふさがれた。左右の蜘蛛に見習うように、続々と触手を放ち始める蜘蛛の群れ。

 数で攻める蜘蛛に対して、和輝の手数はあまりにも少なすぎた。

 すぐに身動きの取れない状態に束縛されてしまう。


 胸、腹、脇腹、背中、二の腕、太もも、ふくらはぎ…至る所に蜘蛛の足が突き刺さる。


 マシンガンで撃たれ、血を流す奴隷そのもの。

 和輝は、それでも歯を食いしばって耐え続けている。


「もういいんだ! 和輝、やめてくれ!」


 俺と目が合うと、いつもの笑顔で微笑んで見せるが、直後に襲った苦痛に歯を食いしばる。

 三匹目の中型の蜘蛛が、ゆっくりと和輝に向かい合う。

 和輝を見据えて瞳を赤く輝かせると、長い足を和輝へ。


「和輝!」


 胸に狙いを定める。

 それは、和輝の生命を絶つ介錯人。


「和輝を放してくれ! あいつは俺の親友なんだ! 行かせてくれ!」


 俺は取り巻く蜘蛛の触手に体当たりする。

 ドーム状に俺を取り巻く太い触手は、俺の体当たり程度ではびくともしない。

 俺の滑稽な姿をあざ笑うかのように、気持ち悪く脈動するだけ。


「和輝が傷つくことなんてないんだ!」


 腹部の痛みより。


「あの頃に戻るって! 三人でいた頃に戻ろうって!」


 朦朧とする意識より。


「――和輝!」


 和輝の胸を貫く蜘蛛の足。

 その光景が、夢ではないことを証明していた。


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