表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/50

第二十三話・「スクール・オブ・ザ・デッド」

 思い返すと、職員室を訪れたときには、すでに事件は始まっていたのかもしれない。

 遅刻手続きをするために職員室を訪れた。そこは無人で、プリントが散らばっているだけだった。そもそも職員室が無人なんてことはありえないのだ。

 俺がそのことに気がついていれば、こんな事件に巻き込まれることもなかったのかもしれない。


「こう沢山机があると、どこから探していいものか迷うわね」


 雫が腰に手を当てて職員室を見回す。月のおかげで光源に困らないのが、せめてもの救いだ。


「正臣、アンタ遅刻してきたのよね」


 職員室の入り口に立つ俺を振り向いて、指を突きつけてくる。


「ああ、そうだけど」

「だったら、職員室に入ったとき、不自然なことなかった?」

「不自然なこと?」


 俺は腕組をして朝の光景を思い出す。


「香奈と一緒に職員室に入って……誰もいなくて……プリントが散らばっていて……」


 巻き戻した記憶を、スローで再生していく。細かい見落としがないか、しっかり確認するためだ。


「香奈がプリントを片付けるって言い出して、俺は先に教室に戻った」

「……ふうん、あの女がね」


 雫は教務主任の机に腰掛けている。足を組み、あごに手を当てて思案にふけるさまは、さながらロダンの彫刻、考える人だ。


「他には?」

「他か……特に不思議なことはなかったかな。職員室には誰もいなかったし、ましてや、怪しい人間がいたわけでもないしな……」

「そう」


 教務主任の机から降りると、机の引き出しを開けて、中に詰まった書類を引っ張り出していく。


「あ、これ私の携帯電話! 没収されたの忘れてたわ」

「……まさか、それを探しに来たなんて言わないよな」

「使えないなら、意味がないじゃない」


 興味がなくなった玩具を放り投げる子供だ。雫の携帯電話が放物線を描いて飛んでいく。


「捨てることはないだろ。思い出とか詰まってたりしないのかよ」


 香奈がポケットにしまっていた携帯電話を思い出す。


「思い出なんて、無駄な記憶よ。思い出して悲しむくらいなら、初めから無かったほうがいいわ」


 机の引き出しを勢いよく閉める雫。八つ当たりをしているように見えた。


「なんで、思い出が悲しいものだなんて決め付けるんだ?」

「甘やかされて育ったアンタなんかには、分からないわよ。親の愛をまったく受けられないで育った、私の気持ちなんか」


 背筋をピンと伸ばした雫の背中が、孤高を思わせる。

 群を抜いているが故の、孤高。誰も寄せ付けることなく、交わることなく、ただ己の道を進んでいくだけ。

 足をくじいても、心が折れても、脇で支えてくれる人はいない。

 それは、とても悲しいことなのではないか。


「雫……」


 無意識のうちに言葉が口から出てしまう。


「なによ?」

「あ、い、いや……なんでもない」


 俺は何を言おうとした。何をしようとした。


「呼ぶ必要もないのに呼ばないで。鬱陶しいから」


 胸の奥が締め付けられて、やるせなくなった。

 雫の中に、俺の中にある何かを注ぎたくなった。

 締め付けられた胸の奥で、溢れ出てくる何か。それは俺の体を勝手に動かした。

 痛みはない。でも、苦しい。

 破裂しそうなほどに。

 心臓が二つあるように感じられる。もう一つの心臓から供給される何かは、俺の全身から出たがっている。何かに向かって注ぎたくて、仕方がなくなっている。

 俺は自分の手のひらを見た。


 ……そうだ。


 これは俺が一方的に受け取ってきただけのもの。生まれてからずっと、受け取ってばかりいたもの。

 温かくて、泣きたくなる、液体のようなもの。

 受け皿である俺の中で一杯になって、ついにこぼれようとしている。

 これはなんだ。

 絶え間なく、注がれてきた、何か。

 生まれてから今まで、ずっと俺に注がれてきたもの。


「雫……」

「だから、何よ? さっきから」


 あきれたように振り向く雫。


「アンタ、大丈夫? 真剣な顔して、具合でも悪いわけ?」

「雫」


 俺は雫ににじり寄る。


「……平手打ちしてくれないか」

「かまわないわよ」


 言うが早いか、雫の拳が俺の頬を襲う。予告なしの行動に、歯を食いしばる暇もなかった。倒れなかったのは、雫の手加減のおかげだろう。助走も何もないパンチは、それでもあごの骨が砕けたのではないかと錯覚するほど、強烈だった。


「人の話を聞いてないだろ! 俺は平手打ちって言ったぞ! 確かに!」

「こっちのほうがすっきりしたでしょ?」


 右の拳をさすりながら、朗らかに言ってのける。


「調子はだいぶ良くなったみたいね」


 右腕をぐるぐると回す。どうやら、化け物にやられた怪我はだいぶ癒えているようだった。

 俺は、ちょうどいい実験台というわけだ。


「にしても、急に何よ?」

「……ん、おかしくなりそうだったから」

「それは元からでしょ。偽善者なんだから」


 俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。


「それより、探しているもの、教えてなかったわね。私が探しているのは、証拠よ、証拠」


 机に勢いよく手をついてアピールする。机の上のホチキスが、おびえるように飛び上がる。今時ドラマでも見ないような光景。やはり、雫はいちいち大袈裟だ。


「生徒会室で話したときのこと、覚えてる?」

「大体は」

「後藤が言ってたでしょ? 体育館が締め切られる理由を先生に聞いても、答えてくれなかったって」

「後藤? 誰?」

「生徒会長よ」


 生徒会長とばかり頭にあったので、咄嗟に分からなかった。

 俺のクラスの学級長も、確か同様の立場にあったのを思い出した。役職名で呼ばれて、本名を覚えてもらえないという……。


「とにかく、それを今から確かめるわけ」

「そうか、先生が知っていたのなら、それについて何かあるかもしれない……」

「ザッツ、ライト!」


 発音がいまいち日本語的だ。


「正臣は反対側から。私はここから探すから」


 各自作業に取り掛かる。机という机の引き出しをひっくり返して、中の書類やら、プリントやらを速読していく。

 テストの答案、没収したエッチな本、家族の写真、教科書、参考書……先生の顔を脳裏に浮かべながら、机を物色していく。

 今はもう、生きているのか、それすら分からない先生方……。

 俺は過去を懐かしむ心を振り払うように、頭を振る。そして、頬をたたいて景気をつけると、証拠探しに没頭していく。

 ……しばらくして、雫の大きな声が聞こえた。


「何か見つかった?」


 俺は書類に釘付けになっている雫を、背中から覗き込む。座り込んでプリントを読みふける雫の手が、震えていた。怒りなのか、恐れなのかは分からない。


「雫……?」


 十数枚のプリントの束。明らかに他の紙と材質が異なっていた。表紙はすでにめくられているので、何の書類かは分からない。蟻のように微細な文字で書かれ、日時が詳細に指定されている。

 どうやら、何かの予定表のようだ。

 猛スピードでめくられていくプリントの束。俺は雫の速読についていくことが出来ず、内容が読み取れない。

 やがて、読み終えた雫は、肩を落としたように俺にプリントの束をよこす。


「読んでみなさい。分かるわよ、この事件の真相が」


 力を失った雫の目が、俺を見上げてきた。学年主任の机の中から出てきたそのプリント群を、俺は恐る恐る受け取った。雫は、学年主任の机の脚に背中を預けて、力なく座り込んでいる。


「やってくれるわね……!」


 手のひらで目を覆って、大きなため息を吐く雫。

 俺は、雫に落としていた視線を、ゆっくりとプリントの表紙に移していく。機密文書、とも、極秘、とも書かれていないその表紙に、俺は何の違和感も抱かない。

 しかし。


「……なんだこれ」


 中央に配された、機械的な明朝体で書かれた一文。


「スクール・オブ・ザ・デッド?」


 何かの冗談かと思った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ