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十二夜  作者: 朝霧露風
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第8話

 その日、公爵様が宿泊されたのは、配下の小領主、ラペイレット家の屋敷でした。


 そこでマリユス少年はアンリと一緒に公爵様用にと用意されたお部屋を整えて、洗濯物を抱えて廊下を歩いていたのですが、足が動くよりも気持ちが宙を彷徨うようで、それと一緒に体まで漂うようで、どうにも落ち着きをなくしていました。


 さっき、わたしが馬から落ちた時の公爵様は……。


 まるであの時、一瞬だけ、公爵様の表情が、フレデリク様、とお呼びしたくなるような、いつものどこか取り繕ったような表情が取り除かれてあの方ご自身がかいま見えたような、そんな気がしたのです。


 さっきからアンリ少年はマリユスのそぞろな様子に不満そうでしたが、突然何を見つけたのか廊下の先に駆けて行きました。


「おい、見てみろよ」


 マリユスがふわふわとアンリの隣に立つと、そこから小さな中庭が見えました。花が咲いています。


 そこに公爵様がいらっしゃいました。

 きれいなドレスを着た女性と一緒に。


「あれ、たぶんここのお嬢様だぜ。ラペイレット家も公爵様の後ろ盾がほしいんだ」

「後ろ盾?」

「おいおい、政略って言葉くらい知ってるだろ?」

「ああ……」


 マリユスはぱちぱちと瞬き、そして顔を曇らせました。


 アンリは肩をすくめ、

「皇帝陛下が奥様候補を選んでるって噂もあるけど、田舎の領主も狙ってるんだ。公爵様はもてるんだぜ」

 言って、アンリはもてるのは自分自身であるかのように顔をにやけさせました。


「公爵様が、結婚されるってこと?」

「いずれはな」


 マリユスとアンリが見ていると、ラペイレット家の令嬢がぱっと頬を赤らめてうつむき、公爵様は好ましげにほほえんだようでした。


「いいなあ、公爵様。旅で泊まるところじゃどこでもきれいなお嬢様が相手をしてくれるんだろうな」


 マリユスはじっと公爵様とラペイレット家のお嬢様を見つめたままでした。


「このまままっすぐ行っちゃ、お邪魔だな」

 アンリはニヤニヤ言い、

「回り道して差し上げようぜ」


 アンリが引き返したので、マリユスも、まだしばらく中庭にぼんやりとしたまなざしを向けたまま、そこを離れたのでした。




 公爵様の視察の旅はそのようにいくつかの領主の屋敷を巡るもので、アンリの言ったとおりその度に、公爵様のそばに着飾った主人の娘や姪があらわれるのです。


 さらに数日後に立ち寄ったモルティエ家の屋敷では、マリユスは令嬢付きの侍女にすみに引っ張られ「フレデリク様の好みを教えて」と迫られました。


 後で知ったのですが、どうやらアンリは毎回侍女に同じような事をたずねられていて、毎回それなりに侍女たちと楽しい時間を過ごしたようでした。


 侍女に目配せされてそちらを見ると、遠くからお嬢様が期待を込めたまなざしをマリユスに送り、彼のすばらしい秘密を自分にだけこっそりと語るよううながしています。


 マリユスにはとうていその視線を快く受け入れることは出来ませんでした。


 思わず、何かあのお嬢様をひどく傷つけるような言葉をぶつけてしまいたくなりました。それとも公爵様の嘘の秘密を言って、それを信じたお嬢様が後で公爵様から笑われてしまうような、そんなひどい言葉を。


 マリユスはうらやましかったのです。おそらくあのお嬢様も一族の期待を背負っているのでしょうが、それでも、ああやって誰はばかることなく正直に自分の気持ちをあらわすことが出来るのですから。

 それは小姓のマリユスには許されない事でした。


「さあ、公爵様のお好みや秘密なんて、わたしは知りません」

 マリユスは素っ気なく答えました。足下に視線を落として。ちょっと冷たい声で。ひどい言葉だけは飲み込んで。


 もちろん侍女はたやすくは引き下がりませんでした。さらに身を寄せ、自分のお嬢様のためになんとしても公爵様の秘密を聞き出そうと迫るのです。


「そんなことはないでしょう? あなたはあの方の小姓。いつも身の回りでお世話をしているじゃない。その時に、ご両親でさえ知り得ない秘密が目にとまったりしないわけはないわ」


「わたしはまだ小姓になって日が浅いのです。だから身の回りのお世話はアンリがやっていて、わたしは……」


 むきになって言い放ち、マリユスは自分の言葉にはっと口をつぐみました。今までぜんぜん公爵様のお世話をしたことがない。


 突然その事実がマリユスの中でひらめいたのです。


 どう思い返してみても、マリユスはまったくと言ってよいほど、公爵様の身の回りのお世話をしたことがありませんでした。

 いつも気がつくと公爵様ご本人からは遠ざけられていて、それはアンリがすべて受け持っていたのです。


 たとえば着替えのお手伝いも、お食事のお世話も。


 そういった、小姓が一番公爵様のおそばでするべき事のすべてを。



 信頼されていなかった?


 公爵様が無防備になる着替えや、すぐそばでナイフを扱うお食事のお世話は、それだけの信頼がなければ任せられない仕事なのです。


 いつも仕事が遅いとアンリに目で言われ、それに追われるような気持ちでいたせいか、マリユスは自分が隔てられていたと、今の今までまったく気がついていなかったのです。


 今悟った事実が鋭くマリユスの心に突き刺さりました。


「わたしは……日が浅くて、まだ……。まだ、公爵様から信用されていないのです」


 マリユスはやっとそう言いました。


 塞ぎ込んだ表情になった公爵様の小姓の様子を察したのか、侍女はあわてて、


「ええ、そうね。主人とうまく関係を結ぶのは、時々難しいことだわ。大丈夫よ。あなたはかわいいし。ちゃんとお仕事もやっているのでしょう? 主人の気持ちなんてなかなかすぐに手に入るものじゃないのだから。誰だって最初はそうよ。わたしもこちらに勤めるようになってもう五年。だけど最初は仕事を教えてくれるような親切な人もいなくて、他の召使たちに意地悪されたし、ご主人様は──」


 声をひそめ、


「──時々召使にも心があるってご存じないようなひどいことを平然と命じたり、お嬢様もたびたび訳のわからないわがままを平気でおっしゃるし」


 侍女はマリユスに寄せた顔を戻して、

「わたしもね、今でも辞めてしまいたいくらいつらい時があるのよ。誰だってそう」


 そのように、あれこれマリユスを慰め励まし、最後は急ぎながら「お嬢様をお待たせしているから」と、去っていきました。


 残されたマリユスは、しばらくそこにぼんやりと立ちつくしていました。

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