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十二夜  作者: 朝霧露風
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第7話

 「視察?」

「らしいぜ」


 公爵様が突然、領地の視察旅行に行くと言い出され、屋敷はにわかな慌ただしさの中にありました。小姓のアンリとマリユスも、公爵様の旅の準備に追われていました。


 なにしろ公爵様は、今すぐにでも出発するという勢いだったのです。


 宮宰(きゅうさい)のカヴァルカンティ氏の助言で出発は旅の体裁を整える準備期間をおいてと引き延ばされましたが、それはたった一日のことでした。召使たちはその一日で公爵様の旅行にふさわしい旅装を整えねばならなかったのです。


「公爵様はよく視察をされるのですか?」

 手を急がせながら、マリユス少年はアンリにたずねてみました。


「いや、こんなことなかった。なんだろう」

「もしかして、どこかで不正があったのかも……」

「はあ?」

「それを抜き打ちで調べに行くおつもりでは……」


 皇帝陛下や教皇猊下にお仕えすることはもちろん、きちんとご自分の領地を治めることも、公爵様のお仕事なのです。


 アンリは笑って、

「ふん、お前さあ、適当なこと言ってないで、さっさとそれを持っていけよ」


 と手を振り、自分も視察の旅の荷物を抱えて階段を降りたところで、アンリは目をまたたきました。


「ああ……? そうか、不正だ! 公爵様は不正調査に行かれるんだ!」


 二人が玄関へ行くと、執事のドゥリヴォー氏が二人を待っていました。


 アンリは執事に耳打ちしました。

「ドゥリヴォーさん、俺、わかってますよ。いったいどこで不正があったんです?」


 ドゥリヴォー氏はそれには構わず、

「あなたたちも自分の荷物を作りなさい。お供するのですから」


「はい」

 とアンリが誇らしげに答え、マリユスを振り返りました。

「お前、残りの荷物は任せたから、ちゃんと運んでおけよ」


「マリユスもです。二人とも、自分の荷物は必要最低限にするように」

 ドゥリヴォー氏が言いました。


「え、俺たち二人とも、一緒に行くんですか?」

 アンリ少年は自分が小姓として旅に同行するのは当然と思っていましたが、よもやマリユスも一緒とは思っていませんでした。


 ドゥリヴォー氏は片眉をぴくりと上げ、命じました。

「突然のことで人手が足りないのです。すぐに準備をしてきなさい」



 公爵様の旅は、ご自分の封土(ほうど)に開いた主要街道の途中にある修道院に宿泊しながら進みました。


 大きな街には必ず修道院があり、聖祝日には近隣からも人が集まり広場では(いち)が立って商人たちが一儲けし、街はそこから税金を徴収し、修道院は来る者たち、特に身分の高い方々の喜捨(きしゃ)を受け取り宿泊させて食事などを提供するのです。


 特に封土(ほうど)の領主である公爵様の宿泊となると、修道院は院長の部屋を提供し、今回は暖かな春の午後の名残がまだ風に残る夕刻、古い神像の厨子(ずし)を開帳し特別礼拝も行ってくれました。


 翌日には鍛冶屋を右手に道を下り、川沿いの粉ひき小屋が見える辺りで橋を渡り、そのまま街道は街を抜けると、今度は葡萄畑や牧草地の広がる土地をゆるゆると横断するのです。葡萄畑が終わると丘陵や森がはじまり、それは今どこを歩いているのかを忘れそうな、のどやかに変わらずに続く風景でした。時々人家や家畜が見えることもありました。



 三日目のことでした。一行は農舎を借りることが出来たので、午後の休憩を取ることになりました。


 馬を降りようとマリユスは手綱をまとめた手で鞍を握って支えにしていたのですが、それが一瞬絡まったのか、足踏みした馬に引っ張られてマリユスはバランスを崩し、高い背から落ちてしまいました。

「わっ」


 すぐに従者の一人が(くつわ)を取って馬を落ち着かせてくれ、マリユスは急いで転がり出ました。

 馬の足下でぼやぼやしていたら、驚いた馬に踏まれて大怪我をしかねません。大事な馬も脚を傷めるでしょう。


「大丈夫ですか?」

 立ち上がって服についた土埃を払っていたら、後ろから声をかけられました。マリユスが振り向くと、それは公爵様でした。


 公爵様の手がマリユスの肘の辺りにそうように伸ばされ、寸前のところで留まり、戻ってゆきました。

「馬には乗り慣れていませんでしたか?」


 いつもは多くを語るまいと努めている公爵様のまなざしが、この時は気遣いを見せています。

 いたわられている。マリユスはそう感じました。


「は、はい。こんな長い馬の旅ははじめてです」

 マリユスは正直に言いました。


「そうですか」

 公爵様は何かを考え、すぐに目で人を探し、

「アンリ、予備の布をマリユスの鞍に敷いてあげなさい」


「は、はい」

 あちらでアンリがきょとんとした顔を急いで反らし、荷物に向かいました。


「あと二時間ほどで目的地に着きます。それまで我慢できますか?」

 公爵様にたずねられ、マリユスはうなずきました。

「はい。大丈夫です」


 公爵様の唇がかすかに開いて、そこから言葉がもれかけたようでしたが、結局公爵様は何も言いませんでした。


 小さくうなずいて去っていった公爵様を半分うろたえたまま見送っていると、あちらでアンリがきつい表情でマリユスを見ていました。


 公爵様に少し特別扱いされたように思ったけれど。どうやらそれはマリユスだけの思いこみではないようです。


 どうしよう……。


 マリユスはうつむきました。たぶんアンリは今の様子をあまり快く思わないでしょうが、マリユスはどうしようもなく心が騒いでしまったのです。


 特別に思われたい。他の誰よりも。


 素直にそう思う気持ちがマリユスを喜びで満たし、体が震えるようでした。


 最初は同じお屋敷にいて公爵様のお姿を目に出来るだけで満ち足りていたのに。もうそれだけではおさまらず、もっと特別な言葉や自分にだけ注がれるまなざしを欲しているのです。


 でも、それは、……。


 小姓の衣装に隠した本当の自分自身を見てもらいたい。マリユスは今、心からそう思いました。


 一つの喜びが、もっと大きな喜びを求め、マリユスの中でせめぎ合い始めていたのです。

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