祈り、そして福音
聖教会の本堂は、夜になると驚くほど静かだった。
昼間は人で溢れているはずの場所も、今は蝋燭の火だけが揺れている。
ルナリは、中央の長椅子に腰を下ろした。
信徒というわけじゃない。
祈りの言葉も、作法も、よく分からない。
それでも、ここに来ずにはいられなかった。
英雄としての日々は、続いている。
称賛も、祝福も、何一つ欠けていない。
なのに、
胸の奥に空いた穴は、少しも埋まらなかった。
イヤリングを握りしめる。
冷たい感触が、現実を突きつける。
(神様がいるなら……)
その先を、考えるのをやめた。
願っても、戻らないことくらい分かっている。
それでも。
「……もし」
小さく、声が漏れた。
「もし、もう一度やり直せるなら……」
祈りというには、あまりにも身勝手な言葉だった。
だが、今のルナリにはそれしか残っていなかった。
どれくらい、そうしていただろう。
意識が、ゆっくりと沈んでいく。
気づけば、足元の感覚が消えていた。
――白い
どこまでも続く、終わりの見えない白。
空も、地面も、境界が曖昧な空間。
「君は、もし機会があるならば人生をやり直したいと思うかい?」
背後から、声がした。
振り返ると、そこにいたのは少女だった。
白と黄金で彩られたドレス。年齢の判断がつかない、不思議な佇まい。
「あぁ、できることならな」
ルナリは、即答した。
迷いはなかった。
「ところで、お前は誰なんだ?」
「ボクかい? ボクは女神とでも言っておこうかな」
少女――いや、女神は、軽く肩をすくめて笑った
「君、今日祈ってたでしょ? やり直させてくださいーって」
心臓が、跳ねた。
「そんなに彼女のことが好きなんだね?」
「……うるせぇ」
顔が熱くなるのを誤魔化すように、吐き捨てる。
だが女神は、気にした様子もなく言った。
「いい表情になったね」
その言葉に、はっとする。
自分が、微かに笑っていることに気づいた。
「……やり直せるのか?」
声が、わずかに震える。
「うん、君が望むならね」
一瞬、空気が静まった。
軽い調子の言葉なのに、その意味は重い。
ルナリは、一度深く息を吸った。
「……頼む」
噛みしめるように、そう言った。
「わかったよ、でもね?」
女神は、少しだけ真剣な目をする。
「また彼女と、一から関係を築く必要があるよ?」
当たり前だ。
それでも、はっきりと言われると胸に来る。
「それでも、俺は行く」
迷いはなかった。
女神は、満足そうに微笑んだ。
「それじゃあ、ここでお別れだね。今度はちゃんと救ってくるんだよ?」
「あぁ、行ってくる」
そう答えた瞬間、白い世界がひび割れる。
視界が反転し、意識が引き戻されていく。
最後に見えたのは、親指を立てる女神の姿だった。




