第94話『旅立ちの朝』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十一月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
出発の日の朝、南門の前で俺を見送る人々が集まっていた。クリスプス商会のアウレリウスは普段の厳格な表情を崩し、深々と頭を下げる。
「ティトゥス様のおかげで、我々は商売を続けることができます。必ずやアスクルム支店を立て直し、お父上にご報告できるよう励みます」
彼の言葉には、心からの感謝と決意が込められていた。カピトを失った痛みは深いが、それでも前を向こうとする彼の姿勢に、俺は胸を打たれる。
「アウレリウス、君たちがいれば大丈夫だ。デモステネスとソフィアも残るから、何でも相談してくれ」
黒章隊の面々は、整列して俺を見送った。彼らの表情は皆、誇らしげだった。無血開城という困難な任務を成し遂げた達成感が、その顔に刻まれている。
「ティトゥス殿!」
若い隊員の一人が声を上げた。
「俺たちはラビエヌス前隊長とティトゥス殿から多くのことを学びました。これからはデキムス隊長とプブリウス副長と共にアスクルムを守り抜くことを誓います!」
他の隊員たちも力強く頷く。彼らは最初、ただの街の若者たちだった。それが今では確固たる使命感を持った組織となっている。ラビエヌスの指導力とデキムスの誠実さ、そしてこの数ヶ月間の試練が彼らを成長させたのだ。
プブリウスもこちらを見て頷いている。そう言えば彼とは意思疎通になんら不都合はなかったが、話している声を聞いた記憶がほとんどない。無口な性格なのかそれとも何か他に理由があるのか……まあ、今となってはどうでもいいことだが、少し気になる。
街の一般市民たちの表情は、複雑な感情の入り混じったものだった。感謝の気持ちと同時に、どこか寂しさも感じられる。俺という異質な存在に翻弄されながらも、結果的に平和を手に入れたことへの安堵。そして、これからその平和を自分たちの手で守らなければならないという不安。
「ティトゥス様」
老婆の一人が前に出てきた。彼女は手に小さな包みを持っている。
「これは我が家に代々伝わる守り袋です。どうぞお持ちください」
素朴な刺繍の施された小さな布袋に首紐が縫い付けてある。中には何かの種子が入っているようで、わずかに音がする。
「ありがとうございます。大切にします」
包みを受け取り指先で紐をそっと持ち上げ、首元に祈りの輪を通す。すると老婆は深くお辞儀をした。その瞬間、周囲の市民たちからも自然と拍手が起こる。
皆に礼を述べ、通用門から外へと出た。デモステネスとソフィアの二人だけは、城門の外まで付いてくるようだ。手続きがいろいろあるからね。
門番の兵士に呼び止められることもなかったが、こちらから立ち寄り挨拶などを済ませる。彼らの表情は通常の任務のそれであり大きな変化はなかったが、その眼差しには温かいものがあった。
足を停め門の上を見上げる。
城壁の石組みは何百年もの風雨に耐え続けてきたアスクルムの歴史そのものだ。この街で過ごした二年間、俺は政治の現実と人の心の複雑さを学んだ。理論と実践、理想と現実のギャップを埋めることの難しさと、それでも諦めずに前進し続けることの意味を。
「若様」
デモステネスが声をかけてくる。
「お忘れ物はございませんか」
「心配ない。大切なものは全て心の中にしまってあるからね」
デモステネスに微笑みながら答えた。アスクルムで得た経験、人々との絆、そして自分なりに見つけた政治への向き合い方。それらは荷物にはならないが、これからの人生を支える宝物となるだろう。
城門の影が次第に短くなっていく。陽が昇るにつれて、街の喧騒も活気を帯び始めていた。商人たちが荷車を引いて市場へ向かい、職人たちが工房の扉を開く音が響く。
平和な日常の始まりだった。それは俺たちが必死に守ろうとしたものの象徴でもある。
ソフィアも俺につられたのか微笑みを浮かべている。遠慮がちに声をかけてくる。
「ティトゥス様、商隊の皆さんがお待ちです」
名残惜しさを振り払うように深呼吸をし、前を向いた。
「そうだな。新しい旅の始まりだ」
△▼△▼△▼△
東門を出ると、父が用意した商隊が待っていた。護衛を含めて十二名の小さな隊列だが、装備は一流で、馬も上質なものが揃っている。
隊商の長を務めるのは、ベスティアという二十代後半の男性だった。妻のアマリリアと共に新婚らしく、二人とも仲睦まじい様子が微笑ましい。
「ティトゥス様、お待ちしておりました。お父上からご子息の安全を第一に、しかし快適な旅路をとのご指示をいただいております」
ベスティアの挨拶は丁寧で、商人らしい配慮に満ちていた。父の人選に間違いはないようだな。さすが。
「よろしくお願いします。父の指示とはいえ、過度の気遣いは不要です。普通の商隊として行動してください」
俺の言葉にベスティアは安堵したような表情を浮かべる。おそらく、11歳の『貴公子』にどう接すればよいか迷っていたのだろう。気にしなくていいんだよ、ベスティアくん。
アマリリアは俺に向かって明るく微笑みかけた。
「ティトゥス様、道中でご不便をおかけすることもあるかと思いますが、何なりとお申し付けください」
彼女の人懐っこい性格が、旅の雰囲気を和らげてくれそうだ。
荷車に積まれた物資を確認すると食料だけでなく、書物や筆記用具なども用意されている。旅の間も学習を続けられるよう、デモステネスが手配したのだろう。
ベスティアが俺を馬のそばへと案内した。
「ティトゥス様にはこちらの馬をご用意いたしました。アラビア種の血を引く栗毛の牝馬で、気性は穏やかでございます」
美しい馬だった。
艶やかな毛色に知性的な瞳。鞍や手綱も上質な革で丁寧に仕上げられている。俺は馬の頭を優しく撫でながら、彼女の名前を尋ねた。
「フィデリス——忠実という意味でございます」とベスティアが答える。
「良い名前だ。フィデリス、よろしく頼む」
馬は俺の声に反応するように、小さく鼻を鳴らした。これが、これから長い旅路を共にする相棒との最初の挨拶だった。
商隊の護衛たちも俺に挨拶を済ませた。皆、ベテランの傭兵らしく、装備も経験も申し分ない。その中の一人、髭を蓄えた隊長格の男が前に出てきた。
「私はマルクス・ガルスと申します。護衛隊の責任者を務めさせていただきます。道中、何か気になることがございましたら、遠慮なくお申し付けください」
ガルスの眼差しには職業軍人としての矜持と、同時に俺を守り抜くという決意が宿っていた。父がどれほど慎重に人選を行ったかが、改めて実感される。
荷物の最終確認を行いながら、改めて旅路の先に思いを馳せる。ローマで父と合流し、新たな学びの場に身を置く。それは単なる帰郷ではなく、より大きな世界での修行の始まりでもある。アスクルムで得た経験を、より広い視野で活かせる機会を探すのだ。
商隊の準備が整うと、ベスティアが俺のもとにやってきた。
「出発の準備が整いました。ティトゥス様、お別れの時刻かと思われます」
「デモステネス、ソフィア」
二人を傍らに呼ぶ。
彼らはアスクルムに残り、商会の後始末と十六名家との関係修復に当たることになっている。
「アスクルムでの君たちの働きがなければ、無血開城は実現できなかった。心から感謝している」
デモステネスは静かに頷いた。
「若様の成長を見ることができたのは、私にとって何よりの報酬です。ローマでも、きっと大きな成果を上げられるでしょう」
ソフィアは少し心配そうな表情を浮かべる。
「ティトゥス様、ローマでは政治的な駆け引きがより複雑になります。くれぐれもご用心ください。せめて私がローマに戻るまでは大人しくしておいてくださいね」
「せめて大人しくって……。ソフィアは俺のことを何だと思っているのかね。分かっているよ、君たちもアスクルムでの任務、気をつけて」
二人と握手を交わす。
師であり、戦友であり、家族でもある二人との別れは、思った以上に感慨深かった。
デモステネスが小さな巻物を差し出してくる。
「若様へ。私なりに整理した、アスクルムでの政治工作の記録です。いずれローマで政治に携わる際の参考にしていただければ」
「ありがとう、大切にする」
ソフィアからは小さな薬袋を受け取った。
「旅の疲れや体調不良に効く薬草を選んで詰めました。アマリリア様にも使い方をお伝えしてありますから、ご安心ください」
二人の心遣いに、改めて胸が熱くなる。彼らがいてくれたからこそ、俺はアスクルムで成長することができたのだ。
別れの時間が来た。商隊の面々は既に出発の隊列を組んでいる。俺はフィデリスにまたがり、手綱を握った。馬の背から見る景色は、徒歩で見るものとは少し違って見える。
最後の別れの挨拶を交わし、商隊は動き出した。アスクルムの白い城壁が徐々に小さくなっていく。振り返ると、南門の上で見送りの人々が手を振っているのが見えた。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(これにてエピローグも終了です。長い物語にお付き合いいただき感謝申し上げます。第二部または外伝にてまたお目にかかれたら嬉しく思います。)
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