第90話『決着と門出』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
次の日、市場へ物資の調達に向かった。クリスプス商会の用事だ。まさか、そこでストラボ将軍の副官たちと鉢合わせるなんて、思いもしなかった。
クラッスス、スルピキウス、セイヤヌスの三人とそれぞれ別々に鉢合わせたのだが、それぞれの個性を把握するにはよい機会にはなったが、正直気疲れをしてしまった。
なぜかセイヤヌスとは倉庫街の水路前で出会ったのだけれど。
「これは、アスクルムの策士殿」
クラッススは、つまらなさそうに俺を見下ろした。その黒髪は完璧に撫で付けられ、整った顔には常に冷笑が貼り付いている。昨日の演説を『見事』と評する言葉にも、やはり皮肉めいた響きが混じっていた。
おそらく内心では、若い策士への嫉妬と軽蔑が入り混じっているのだろう。黒髪を後ろに撫で付けた整った容貌だが、その表情には常に冷笑が貼り付いている。
「昨日の演説は見事でした。あれほど市民の心を掴む話術をお持ちとは」
「これはクラッスス様。お褒めの言葉を賜り恐縮です。私はただ、事実を述べただけですが」
丁寧に答えると、クラッススはそれ以上何も言わずに去っていった。興味ないなら声をかけなきゃいいのに……。
この男は、わざわざ声をかけては、相手の反応を見て品定めする癖があるようだな。自分より若い策士への嫉妬と軽蔑を、巧妙に隠そうとしているのが透けて見えた。
次に出会ったのはスルピキウスである。彼は自警団の本部に顔を出していたようだ。この男は三人の中で最も政治的な嗅覚が鋭い。ストラボの副官としてだけでなく、将来の元老院議員候補としての顔も持っている。
彼の父親は現役の元老院議員であり、家柄の良さと教養の深さが立ち居振る舞いに現れていた。四十代半ばの堂々とした体格で、白い縞の入ったトーガを身にまとっている姿は貴族らしい威厳を漂わせている。昨日の演説の分析も的確で、政治の本質を理解している人物だと感じられた。
「これはアスクルムの影の英雄殿」
「……その呼び名は止めていただけると有難いのですが、スルピキウス様」
「いやいや、ご謙遜を。事実だけでは人は動かないですから、それを動かした貴方がこの情景をもたらした立役者ですよ。あなたは感情と論理を巧みに組み合わせた。政治家としての素質をお持ちですな」
スルピキウスは、人々の賑わう街の光景を見渡し、満足そうに頷く。
「ローマでお待ちしておりますよ、英雄殿」
その言葉は、単なる社交辞令とは思えなかった。彼の眼差しは、純粋な関心だけでなく、将来の政治的パートナーを見定めているようにも見えた。
倉庫街に荷物を運びに行った際、セイヤヌスが部下数名を連れて何やら水路の周囲を調査していた。ここは以前にパピリウス派の人質交換で使われていた地区なので、あまり探って欲しくない場所だ。何かかぎつけたのか? 鼻が利く男だな、セイヤヌス……。
三人の中で最も危険な人物がこのセイヤヌスだ。三十代前半の華奢な、だが精悍な体つきで、常に周囲を観察している鋭い眼光が印象的だった。軍服の下には短剣を隠し持っているのが分かる。
彼はストラボの『目と耳』として機能しており、情報収集と分析を専門としている。水路の石組みを詳しく調べている様子から、単なる軍事的な調査ではなく、過去の政治的な動きを追跡しているのかもしれない。この男の前では、どんな些細な動きも見逃されない。
こちらからの視線に気付いたのか、そのセイヤヌスは一人どこか意味深な笑みを浮かべて近づいてくる。部下にはその場で待機するよう命じたようだった。
「ティトゥス殿、今後のご予定はいかがですか? ストラボ将軍からの誘いをお断りになったと伺いましたが」
「表舞台には向かない性格でして。影で支える役に徹したいと思っております」
「なるほど。しかし、いずれまたお会いすることになるかもしれませんね。ローマの政界は意外に狭いものですから」
無難な言葉にセイヤヌスは頷く。ただ、セイヤヌスの言葉に微かな警戒心を抱いた。彼の真意は読めないが、何か企んでいるような気配がある。結局彼がここで何をしていたのか問いただすことも出来ずに会話が終わってしまった。煙に巻かれたのか? 理解できない。
彼の最後の言葉『ローマの政界は意外に狭い』には、暗示的な意味が込められていた。それは警告なのか、それとも誘いなのか。セイヤヌスという男は言葉の裏に常に別の意味を隠している。表面上は礼儀正しい会話だったが、実際には互いの腹の内を探り合う心理戦だった。この男とはローマで再び対峙することになるかもしれない。
立ち去ろうとしたとき、セイヤヌスがふと振り返った。俺をじっと見つめゆっくりと口に人差し指を当てて、語りかけてくる。
「ティトゥス殿。将軍は才能ある者を大変お気に入りになる方でして。特に、政治的洞察力に優れた若者には格別の関心をお示しになります」
その言葉の裏に込められた意味を察し、背筋に冷たいものが走る。これは単なる雑談ではない。セイヤヌスは遠回しに何かを警告しているのだ。だが、その真意を直接問いただすのは危険すぎる。
「ご忠告、ありがたく承ります」
そう答えるとら彼はニッコリと笑って踵を返し、部下の元へと戻って行った。
当たり障りのない返答をしながら、この男の底知れぬ危険性を改めて実感していた。表面的には親切な助言だが、その奥に潜む計算の深さが恐ろしい。セイヤヌスという男は、常に複数の意図を言葉に織り込んでくる。
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開城から三日後の午前に、降伏条件の下で主な反乱指導者がローマ軍に引き渡された。
12名のパピリウス派のほか、密かにマークしていた急進派のリーダー数人もその中に含まれていた。縛り上げられてローマ兵に連行されていく彼らの姿を見送りながら、市民たちは複雑な表情を浮かべていた。裏切り者が裁かれると胸を撫で下ろす者もいれば、同胞の末路に涙する者もいた。
あの鍛冶屋のマルクス・ファベルは最後まで抵抗の意思を見せていた。連行される際、潜んでいる建物の方向を見上げ、何かを叫ぼうとしたが、兵士に口を塞がれてしまった。彼の目には、憎悪と絶望が混在していた。
複雑な気持ちでその光景を陰から見つめていた。
確かに彼らは危険な存在だった。このまま放置すれば、必ず新たな反乱の火種となっただろう。しかし、同時に彼らもアスクルムの人間であり、故郷を愛する気持ちは本物だった。
選択の正当性を自分に言い聞かせても、胸の奥底にある重苦しさは消えなかった。マルクス・ファベルが口を塞がれた瞬間、彼の瞳に浮かんだ絶望を忘れることはできない。
あの眼差しには、裏切られた者だけが持つ深い悲しみがあった。彼らを売り渡したのは、紛れもなく俺自分だった。街全体の安全のためとはいえ、一人一人の顔を知っている相手を死地に送ったという事実は重くのしかかった。
街全体の安全のため、と言い聞かせても、胸の奥底の重苦しさは消えない。彼らを売り渡したのは、紛れもなく俺自身だ。
「俺は、偽善者だ」
口の中で呟く。手に血をつけたくなかっただけだ。そのくせ、誰かの手を借りて、街を救った気になっていた。
「『無血開城』か、笑わせるよな……」
この言葉の重さは、自分にしか分からない。
しかしいずれにせよ、市全体が虐殺されるような最悪の事態は回避されたのだ。これは必要なコストだと割りきろう、大局的には成功したのだから。
ラビエヌスは既にローマ軍にいるが、この件は知っているのだろうか。また『ティトゥスは綺麗事を言うが』と言われてしまうな……。
あの連行を見届けてから半日以上、トルエンテス河の畔に独りで座り続ける。
山に日が沈む。
この時期のアスクルムは暮れるのが早い。振り返ると街に灯りが点き始めたところだった。
俺は夕闇が作り出した暗がりに、そのまま溶け込んでいった。
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降伏から十日が過ぎたとき、街を離れることを決意した。十七名家、今は十六名家か。このメンバーからは随分と警戒されている。ストラボとの関係性を疑われているようだ。クリスプス商会にも影響が出始める前に離れるべきだと父に伝えると、ローマに身を寄せろとの返事が届いた。フィルムムだとアスクルムに近すぎるからかな。
まぁ、特に異論はなかった。ここでの役割はもう終わったと判断できるし。あと目立ち過ぎたからね。
“目立たずに生き抜く”
まったくカッコつけた方針を打ち出したものの、今回はまったく守ることができなかった。こんな誓いを立てていると聞いたら、デモステネスは憮然とした顔をして黙り込み、ソフィアは鼻を鳴らして楽しそうにするだろう。やれやれだ。
ラビエヌスも何とかストラボ軍に馴染みつつあるらしい。最初は「アスクルムの問題児」として揶揄されていたが、数日経つ頃には「律儀な小隊長」「飯の味は悪くない」と、徐々に好意を持たれ始めていた。軍とは不思議な場所だ。役に立つ者は、過去がどうであれ最終的には受け容れられる。
あいつの成長は目覚ましいものがある。デモステネスからの報告によると、隊列訓練では既に一般兵を上回る習熟度を見せ、夜営では率先して炊事当番を買って出ているという。元来の人懐っこさと面倒見の良さが、軍団内での評価を押し上げているのだろう。ストラボの目にも留まったらしく、最近では小隊長としての職務を与えられ始めた。これは明らかに、将来の指揮官候補として期待されている証拠だ。
元々はあいつも騎士階級の有力者のお坊ちゃんである。ストラボ軍への入り口はあんな形であったが、一般兵士ではなく指導者予備軍としての経験を積み始めたようだ。
いつものように市内を見回るため朝に出発してからしばらくして、ふと城門を見上げた。城門の上には、新しいローマの旗が翻っていた。そしてその下では、かつて混乱を恐れてうずくまっていた人々が、再び笑いを交わしていた。
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最後の夜、商会の書斎でデモステネスとソフィアと共に今後の計画を話し合った。俺がアスクルムを離れるため、アスクルム支店をどうするのか、その他些事を任せるために方針を定めておく必要があったからね。
「若様、本当にお一人でローマに向かわれるのですか?」
デモステネスに加えてソフィアが心配そうに尋ねてきた。
「今回の件はティトゥ様のお心を大変に傷つけているので、とても心配です。あまり御自身を責め過ぎないでくださいね」
「若様の判断は間違っていなかった、と私は思います」
「……」
デモステネスの発言にソフィアは曖昧な微笑みを浮かべている。最近の彼女はこのような表情をすることが多くなったな。どうしたんだろうか。
「デモステネスとソフィアには、しばらくここに残ってもらいたい。アスクルムの復興を見守り、必要があれば報告してくれ」
「承知しました、若様。ただし、ローマまでお見送りさせていただきます」
デモステネスが深く頭を下げた。有無を言わさず、とはこのことだな。まぁ道中は確かに危険なのでそこは同行をお願いしておこう。
この商会再編は単なる人事異動ではない。アスクルムでの経験を通じて、より大きな舞台での活動が必要だと痛感していた。地方都市での政治工作には限界がある。
ローマという巨大な権力の中枢でこそ、真の変革を起こすことができるはずだ。デモステネスにはしばらく東方貿易に注力させることで、従来のクリスプス商会にはない異なる情報網を構築する狙いもある。
ストラボ将軍との面談、無血開城が決定し、街の包囲が解除されてからすぐに、父へ暗号書簡をしたためていた。
――血は流れず
――将軍は “麦の首飾り”に満足
――資金回収率見込み147%以上
しばらくして父からの返信と共に、母アウレリアからも手紙が届いた。そこにはかわいい妹・小アエリアの鏡文字落書きが添えられていた。
この無邪気な線に、胸を刺される思いがした。
この子たちの笑顔のため、俺は血を流す剣ではなく、言葉を紡ぐペンを選んだのだ。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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