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『オリーブと梟』第一部 アスクルムの戦い  作者: 岡田 平真 / オカダ ヒラマサ
〜 アスクルムの戦い
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第89話『三つの約束』

ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス




 「ほう?」

 


 ストラボの眉が僅かに動いた。意外な返答だったのだろう。


 

 「私は、情勢を読み人の動きを予測し、最善の道筋を見つけ出すことに長けております。表に立てば、たちまち剣で斬られて終わるだけです」



 「臆したか?」



 「いいえ。剣を振るう者の背後で、剣が振られずに済む道を考えることが、私の役目です」



 言い終えると、片膝をついて礼を取る姿勢でストラボの言葉を待った。このまま斬り捨てられる覚悟をしたまま。


 

 「……」



 しばし沈黙が続いた。

 ストラボは俺を見つめ、何かを考えている様子だった。

 その視線は重く、まるで魂の奥底まで見透かそうとするかのようだった。ストラボという男の存在感は圧倒的で、座っているだけでも天幕の空気を支配している。

 こちらの心臓の鼓動が聞こえてしまいそうで、必死に平静を装う。一歩間違えれば、この場で命を失うかもしれない。だが、それこそがこの賭けの本質だった。


 また指が机をリズミカルに叩く音が聞こえる。

 コツコツと、一定の間隔で刻まれるその音色に焦りや苛立ちは感じられない。

 

 しばらくして、ふっと息を抜く彼の吐息が空気を僅かに震わせた。場の緊張が溶け雰囲気が和らぐ。

 ストラボはゆっくりと身を起こした。その動作一つとっても、まるで獣が獲物を品定めするような不気味な優雅さがある。彼の金色の瞳には知性の光が宿っているが、同時に冷酷な計算高さも読み取れた。この男は確実に、自分の利になる者と害になる者を瞬時に判別する能力を持っている。

 果たして、自分はどちらに分類されるのか——答えを聞くのが恐ろしくもあり、同時に知りたくもあった。


 

 「……面白い若造だ。自らの限界を知っている分、あのラビエヌスよりは、使えそうだな」


 

 将軍はやがて、微かに笑った。



 「良い。ならば、必要な時にはこちらから連絡する。その時は断るなよ」


 

 この返答で全てが決まる。もしストラボが自分を不要と判断すれば、ここで終わりだ。だが、彼を味方につけることができれば、将来の混乱の中で生き残る可能性が格段に高まる。

 賭けは大きい。しかし、賭けなければ何も始まらない。胸の奥で燻る焦燥感を押し殺し、可能な限り従順な表情を作った。

 


 「承知いたしました、閣下」



 内心では、ストラボがこの先数年で直面する政治的嵐を思い浮かべていた。マリウスの復活、スッラとの対立、そして彼自身の運命——すべてが見えているかのように脳裏に浮かぶ。だが、それを口にするわけにはいかない。今はまだ、

 単なる「勘の鋭い若者」でいなければならない。



 ストラボの天幕を出ると、秋の陽射しが頬を撫でていく。アスクルムの街並みは静まり返り、ローマ軍の制圧下にあることを物語っていた。石畳の道には兵士たちの足音だけが響き、市民たちは戸を固く閉ざして息を潜めている。


 軍営の炊事場から立ち上る煙が、青空にゆらゆらと溶けていく。その煙の向こうで、ラビエヌスが働いているのだろう。友との再会を前に、胸の奥で複雑な感情が渦巻いていた。

 

 

 △▼△▼△▼△▼△


 そのラビエヌスは、処罰が行われた後は炊事当番として既に軍団に順応していた。

 鉄鍋をかき混ぜ、薪を割り、塩の分量に文句を言われながらも、ラビエヌスは黙々と働いていた。疲れ切った顔で鍋をかき混ぜていたが、俺を見ると手を止め、照れくさそうに笑った。



 「なあ……俺、ここに残るわ」

 

 「知ってる」


 その言葉を予想していた。ラビエヌスの性格を考えれば、当然の選択だった。

 それだけではない。将来、この選択がラビエヌス自身にとって、そしてローマ全体にとってどのような意味を持つのか——その重要性も俺は理解していた。

 軍人としての経験が、いずれ彼を大きな歴史の流れの中で重要な役割を果たす人物へと成長させるだろう。


 「剣だけではなく軍について、運用についてもっと学びたい。あと、情報についても。もうちょっとマシになったら、小隊長くらいにはなれそうってさ」

 

 「十分だ。あとは死なないことだけを考えろ」


 ラビエヌスは苦笑いを浮かべた。

 

 「お前こそ、死ぬなよな。頭のいい奴が倒れたら困るんだよ。俺じゃ世界を動かせねぇから」


 その言葉を聞きながら、遠い未来の光景が脳裏をかすめた——ガリア戦争の戦場で、カエサルの右腕として活躍するラビエヌスの姿。

 だが、その先に待ち受けるものは……今は考えまい。まずは彼が生き延び、成長することが何より大切だ。



 ラビエヌスは言いたいことを全て吐き出してスッキリしたのか、久方振りに見る快心の笑顔で、ゆっくりと手を差し出してきた。


 その厚い掌をじっと眺め、ぐっと握り返す。

 強く、温かく、確かな手だった。



 「ラビエヌス。軍では上下関係が厳しい。今までのような気安い関係は続けられないかもしれない」


 彼の目を見つめ真剣に言うと、彼はゆっくりと顎を引いた。

 

 「わかってる。でも、心の中では友のままだ、それは変わらない」


 状況は変わっても、この友情だけは失いたくなかった。

 胸の奥で何かが温かくなる。

 言葉にできない安堵感が広がっていく。どんなに情勢が変わろうとも、どれほど複雑な計算を巡らせようとも、この瞬間だけは純粋に友を想う気持ちでいられる。それが何よりも尊いのだと、改めて実感した。


 

 △▼△▼△▼△▼△


 握手を交わした手のぬくもりが、まだ掌に残っている。炊事場の薪が弾ける音、鍋から立ち上る湯気、兵士たちの雑談——すべてが平和で、日常的で、温かかった。

 だが、その温もりが急に冷えていく。まるで雲が陽を遮ったかのように、空気が一変した。振り返ると、炊事場の入り口に長い影が差している。影の主は無音で近づいてくる。足音さえ立てずに。

 

 ふと、そのとき背後から冷たい気配が漂ってきた。振り向くと、若きポンペイウスが黒い影のように黙って静かに立っていた。



 「……すべて、計算済みのようだな」

 「……父上は、君を買っているようだ」


 彼はそう呟き、近づいてきた。


 「父上は損得でしか動かない。……だが、君は”慈悲”を変数にした。奇妙な式だ」


 この無機質な仮面を被った貴公子は、つとめて柔らかな声で言った。


 「とても、興味深い」

 

 

 「……光栄です」

 

 そう答えるのが精いっぱいだったが、ポンペイウスは返事など聞いていないかのように、次々と言葉を紡ぎ続ける。


 「君は父の計算式に”慈悲”という変数を加えた」

 「その結果、父上の利はむしろ増えた」

 「“慈悲”は数字なのだな」

 「“慈悲”は力でもあるのだな」



 その言葉に、ラビエヌスが怪訝な顔をした。

 

 「……なんだよ、それ」

 

 「父上は常に利と損の差分で動く」

 

 「ちっ、聞いちゃいねぇ」


 

 若きポンペイウス。

 この冷たい無表情。それが冗談なのか脅迫なのか、表情からは読み取れない。しかし理解はできていた。

 


 彼は、父ストラボとは違う種類の獣だ。

 ——無味乾燥な怜悧な刃で出来た野獣。


 この観察するような目を見つめながら答えた。



 「慈悲は、力ではありません。……だが、無力でもない。慈悲は短期的には損失をもたらすかもしれない。しかし長期的には、より大きな利益を生む可能性があります。人々の信頼、忠誠、そして結束。──これらは、金銭では買えない価値です」



 若きポンペイウスは、かすかに口元だけで笑みを作る。

 だが、瞳は冷えたままだ。



 「私は ”人間の感情” を”数字”で理解していくつもりだ。きっと、これからも」

 「戦場も政争も、最終的には”損得”で動く」 

 「……ただ、その中に”情”を入れられるかどうかで、未来は変わる。今回は私も学んだよ」



 ポンペイウスがそっと囁き言葉を切ると、ラビエヌスがそう、独り言のように問いかけた。



 「……その式に、意味があるのか?」



 ポンペイウスは初めてそこにラビエヌスが存在したかのように彼を見た。そして薄らと頬にまで笑みを広げる。



 「まだ、答えは出ていない。私には ”新しい式の検証” が必要だ」



 そう言い残し、微笑を湛えたまま踵を返し去っていった。

 まるで冬風が吹き抜けたような静寂と空虚だけが残る余韻を残して。



 ポンペイウスが去った後の炊事場は、先ほどの日常的な温かさを取り戻しつつあった。薪のはぜる音、煮込み料理の香り、遠くで笑い合う兵士たちの声。しかし、あの氷鋼のような瞳の残像は、容易には消えてくれない。

 夕暮れが近づき、西の空がオレンジ色に染まり始めている。一日の終わりを告げる時刻だが、今日という日が持つ重みは、まだ心の奥で沈殿し続けていた。


 

 △▼△▼△▼△▼△

 

 しばらくして、ようやっとラビエヌスと黙って顔を見合うことができた。

 ラビエヌスも何かを感じていたようだが、目を合わせた後すぐに下を向いて考え込んでしまう。

 

 そんな彼を見て、自分も同じような困惑した顔をしているのだろうと苦笑いが漏れる。

 あの無機質な視線を思い出すと、まるで標本を観察されているような居心地の悪さがよみがえってくる。

 

 齢十六歳にして氷と鋼を混ぜたような色を湛えたその瞳は、数字と人命を同じ欄に書き込む冷徹さを宿していた。

 そこに映る姿など、まるで硝子の鉢の底で揺らぐ小魚に過ぎないのだろう。


 

 ふと、頭に浮かんだ言葉がある——『偉大な(マグヌス)』。なぜそんな言葉が思い浮かんだのか、自分でも分からない。


 

 なぜか確信めいたものが胸に宿る。

 ポンペイウスの内側では、感情と計算が混じり合うことなく、きれいに分離していた。まるで少々の水と多量の油のように。

 彼にとって人の情とは、おそらく観察と分析の対象でしかない——それが生来の才能なのか、何かを失った結果なのかは分からないが。

 ただ一つ言えるのは、今日の出来事が彼の記憶の何処かに刻まれたということだ。小さな変化の兆しとして。

 

 この少年がいずれ大きな力を手にするだろうことは、直感的に理解できた。そのとき、今日交わした言葉や見せた姿が、彼の判断にほんの僅かでも影響を与えることがあるのだろうか。

 人は誰でも、自らが得た経験によって少しずつ変わっていく。それは時として、本人も気づかないほど微細な変化だ。

 もし今日の出来事が、将来の彼の選択に何らかの影響を及ぼすのなら——それが良い方向であることを願うばかりだ。今できることは、それだけだった。

 

 この巻かれた種が、将来起こりうる厄災にどのような影響をもたらすのか、今はわからない。

 不幸をより小さくするのか、それとも大きくしてしまうのか。

 できるなら、小さくするためのものだったと思いたい。


 人との出会いが人を変える。

 それは当たり前のことだ。だからこそ、今日示した「情」というものが、いつか彼の心の隅に小さな灯りを点すことがあればいい。


 ラビエヌスと肩を並べながら、夕暮れの空を見上げる。

 明日もまた、新しい出会いと選択が待っている。それで十分だった。



 本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。

 なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。


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(ポンペイウスもストラボも、もちろんラビエヌスもどんどん自立して動いてくれるので、作者としては大いに助かっています)



もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


第一部の登場人物一覧はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/1/


第一部の関連地図はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/2/

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