表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『オリーブと梟』第一部 アスクルムの戦い  作者: 岡田 平真 / オカダ ヒラマサ
〜 アスクルムの戦い
82/96

第80話『アスクルムの戦い <破綻> 』

ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム、ティトゥス




 十月の風は涼やかに街の中を吹き抜けていた。

 東の空に昇った陽は既に中天に届きはじめ、アスクルムの白い石壁に反射する光が街全体を包む光景は息を呑むほどだ。だがその美しさとは裏腹に、俺は街の空気が緊張で張り詰めているのを肌で感じ取っていた。


 足音が石畳の上で重く響く。いつもなら商店街に響いているはずの賑やかな呼び込みの声は影を潜め、代わりに店主たちが無言で店の扉に鉄の補強を打ち付ける音だけが耳に届いた。子供たちの姿も見当たらない——母親たちが家の奥深くに隠しているのだろう。


 城門近くの広場には使節団に選ばれた面々が既に集まっていた。長老三名と市民代表二名——すべて俺が顔を見知った者たちだ。

 彼らは手に白旗を握り緊張した面持ちで、互いの装備を確認し合っている。俺はゆっくりと彼らに歩み寄った。


 お互いに視認できる距離まで近づいたところで、代表のアルケウスが俺の用意した降伏文を懐にしまっている姿を目にする。

 その文書の一行一句に俺は可能な限りの計算を込め、極限まで無駄を排除したつもりだ。

 ストラボの野心、ローマ元老院での立場、そして何より彼の『利』を最大化するための条件を細かく盛り込んでいる。

 アスクルムの降伏、即ちストラボにとっての政治的勝利を演出する仕掛けとなる文書。それはそれなりの分量となっていたが、痩身長軀であるアルケウスの胸元には少しも影響をもたらさなかった。


 そのアルケウスが促され横を向き、俺に視線を合わせてきた。七十を過ぎた老人のやや白濁した瞳。だが、そこに迷いはなかった。ただ深い苦悩とそれ以上に深い覚悟とが沈んでいた。


 「ティトゥス……すべて、君の言葉通りに」


 アルケウスの声は枯れていたが芯は通っていた。この老人は、本当に街の未来を背負う覚悟を決めている。


 「はい。お願いします。堂々と、頭を垂れずに」


 俺の言葉にアルケウスは静かに頷いた。他の使節団員たちも各々に深く息を吸い、そして吐き出しながら覚悟を固めている。


 そして使節団は城門の前へ進んだ。


 目の前で、巨大な扉がゆっくりと軋みをあげて開いていく。その重く古い音は街そのものがため息をついているかのように聞こえた。扉の軋みが、アスクルムの歴史そのものが軋んでいるように俺の耳に響く。

 城門の向こうに目を向けると、トルエントス川の向こうにピケヌムの美しい丘陵地帯がいつもと変わらぬ姿で広がっていた。川は銀色に輝き、川辺のポプラが風に揺れてさざめく。対岸の丘には、収穫を控えたオリーブ畑と栗林が連なり、小さな農家の屋根が陽にきらめく。

 だが今日は、いつもと違う風景も目に止まる——サラリア街道のその向こうに、ローマ軍の陣営が黒い影のように広がっているのが目に映った。



 ローマ軍の陣営は城壁から放たれる矢が届かない、しかし視界で捉えられる範囲に設営されていた。投石機が設置されていないことをよく知っていたな、と思う一方で、それがストラボの計算でもあることを俺は理解していた。

 

 『威圧はするが、絶望はさせない』

 『交渉の余地は残しておく』

 

 ——昨夜ラビエヌスに語った通りの、あの男らしい絶妙な位置取りだった。

 


 陣は未だ沈黙のなかにあった。それでも、見えない網のような緊張がこの朝の空気に張り詰めていた。遠くで、ローマ軍の角笛が一度だけ鳴り響く。使節団の接近を確認した合図だろう。

 門が閉ざされたあと、胸の奥で何かが重く沈むのを感じた。アルケウスたちの後ろ姿が城門の向こうに消えていく光景を見つめながら、俺の中で静かな恐怖が頭をもたげる。


 降伏文を作成していた深夜のことが脳裏に蘇る。

 

 『この条文なら、ストラボは元老院で自慢できるだろう』

 『彼の出世欲を利用すれば、必ず乗ってくる』

 

 ——机上に並べられた羊皮紙に、そんな計算を重ねながら一語一語を慎重に刻み込んでいく作業は、まるで街の運命を天秤にかけているようだった。あの時、ペンを握る手が微かに震えていたことを俺は覚えている。


 一つの判断ミス、一つの誤算が、一万数千の人命を左右する。父マルクスがかつて語っていた指導者の孤独という言葉の重みを、今になって痛感していた。

 計算と論理で全てを組み立てても、最後に残るのは果たして本当にこれで良いのかという根源的な疑問だ。


 だが今はそんな迷いに身を委ねている余裕はない。俺はアスクルムの人々の、そしてラビエヌスの信頼に応えなければならない。そのためには感情を殺し、計算を貫き通すしかなかった。


 使節団がローマ軍本陣深くに到達するまでには、少なくとも半刻(約30分)はかかるだろう。前のセルウィリウスの二大隊とは規模が異なるのだ。

 その間に街の内部の最終確認を済ませておかなければならない。俺はすぐに市内を見回るため、早歩きを始めた。



 △▼△▼△▼△▼△


 街の巡回を開始してから既に一刻(約一時間)が経過していた。街を歩いて回ると、表面的には平静が保たれているように見えた。だが注意深く観察すれば、その平静がどれほど脆いものかがよく分かる。

 中央広場では、商人たちが普段通りに商売をしているように見える。よく見ると商品の量が明らかに少ない。貴重品や高価な商品は既に隠されているのだろう。また客の姿もまばらで、立ち話をしている人々の表情は皆、不安に歪んでいる。


 住宅街では窓という窓に厚い板が打ち付けられている。商店街とは異なり、昨夜のうちに準備されたものだ。家々の扉は固く閉ざされ普段なら聞こえるはずの生活音がほとんど聞こえない。まるで街全体が息を殺しているようだった。

 

 あらかじめ打ち合わせていた通り、黒章隊が主要道路の辻に立ち、周囲に顔を見せることで市民の動揺を抑えている。彼らも緊張しているようではあったが、持ち場を離れる者は一人もいなかった。ラビエヌスが日頃から鍛え上げた結束力がこういう時に発揮されるのだ。


 自警団の一人ひとりの顔を見ながら俺の心に複雑な想いが湧き上がる。彼らは俺とラビエヌスを信じて、家族や故郷を守るために剣を握っている。

 ただ、俺が今導こうとしているのは戦わない勇気という、剣士にとって最も受け入れ難い選択だ。


 誇りを捨て、頭を下げ、勝ち目のない戦いを避ける——理屈では正しいと分かっていても、心の奥底では別の声が囁いている。お前は本当に臆病者なのではないか、と。この街に来てから俺は常にこの問いと向き合い続けてきた。力で解決することの限界を知りながら、それでも時として決断を迫られる現実。


 これまでの経験を通じて学んだ正義とは何かという問いに、今もなお明確な答えは見つからない。

 ただ一つ確かなのは、俺の判断一つでこれらの若者たちの人生が決まってしまうということだ。その責任の重さに、時として息が詰まりそうになる。



 市場では食料品を買い込む市民たちの姿があった。太陽は更に高く昇り石畳に落ちる影が短くなってきている。使節団がストラボの元に到着する頃合いだろうか。俺の計画通りに交渉が進めば、彼らは今日中に解放されるはずだ。

 しかし街を歩きながら目にする光景は、俺の選択が間違っていないことを教えてくれた。この街は今、戦わずして生き残る道を選びその重圧に耐えようとしている。今その瀬戸際にいる、そんな確信があった。店を閉める商人たちの表情には絶望ではなく希望の光が宿っている。彼らは俺とラビエヌスを信じて、明日への道筋を見出そうとしているのだ。



 だが、肝心のラビエヌスの姿が見えない。

 内心に芽生えた不安を押し殺しながら、予定通りの巡回を続ける。


 市内を一周してから、足は自然と西の広場へ向かっていた。使節団は既にストラボとの交渉を開始している時刻だ。

 西の広場では、パピリウス派の残党と思われる数名の男たちが小声で何かを相談している。俺の姿を見ると彼らはさっと散らばった。もう彼らに大きな影響力はないがそれでも完全に油断はできない。

 暴発の可能性が一番高かった過激派一味のアジトを横目で見つつ最後の確認を済ませる。そのあとは、城壁に登って交渉の様子を確認しようと思っていた。


 

 そのとき、俺に向かって駆け寄って来る一人の少年の姿を認めた。


 クラウス——あの染物屋の息子。俺が信書を託した若い使者だった。まだ十一歳の彼の顔は、普段の人懐っこい笑顔とは正反対に、青ざめて恐怖に歪んでいた。


 その瞬間、胸の奥で警鐘が鳴り響く。

 俺の計算から外れた何かが起きているのか?

 クラウスの表情を見れば、それが深刻な事態であることは容易に想像がついた。交渉は順調に進んでいるはずだった。しかしこの時間にクラウスが一人で駆けてくるということは——


 一瞬だけ、最悪の想像が脳裏をよぎる。

 ラビエヌスの身に何かあったのか。

 立ち眩みで身体が崩れそうになったが、これまでの経験が俺を支える。商会での様々な危機、街での政治的駆け引き、そして何より、これまでの人生で積み重ねてきた『最悪の事態に備える』習慣。どんな報告を受けても、必ず対処法はある。俺はそう自分に言い聞かせた。


 しかし、ラビエヌスという存在の重さを改めて実感する。彼は単なる協力者ではない。俺にとって不可欠なもう一つの視点を与えてくれる人物だ。彼の情熱と正義感、そして何より人間的な温かさが、俺の冷徹な計算を支えている。もし彼に何かあれば、この街の未来も、俺自身の道も——。



 クラウスがこちらにやって来るまでの数十秒間がやけに長いなと思ったところで、我に返った。


 「ティトゥス様! たいへんです!」


 クラウスは息を切らしながら俺の前で立ち止まった。その額には汗が浮かび、全身が小刻みに震えている。


 「どうした? 落ち着け、クラウス」

 

 その小さな肩に手を置き落ち着かせようと試みる。だがクラウスの口から出た言葉は、俺の予想を遥かに超えていた。


 「ラビエヌス様が……昨夜から姿を見せておりません……」



 本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。

 なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。


--------------------------------------------------


(全てを計算通りに進めることはできません。人は神に非ず。だからこそ腐らず精進し続ける必要があると思います。上手くいかなくて当たり前。淡々といきましょう)



もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


第一部の登場人物一覧はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/1/


第一部の関連地図はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/2/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ