第79話『運命の夜明け』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
包囲六日目の朝。
クラウス少年が第二の手紙を携えてローマ軍営へ向かってから、半日ほどが経過していた。俺は商会の屋上で東の空を見つめながら彼の無事な帰還を祈り続けていた。朝霧が立ち込める中、アスクルムの街並みは静寂に包まれているが、その静けさの裏には緊張が漂っている。
城壁の向こうからは、相変わらずローマ軍の太鼓の音が規則正しく響いていた。包囲は続いている。だが第二の手紙がストラボの心を動かしていれば、この膠着状態に変化が生まれるはずだ。
「ティトゥス様」
ソフィアが屋上に上がってきた。その表情に何かしらの知らせがあることを読み取れた。
「クラウス少年が戻ってまいりました」
心臓が高鳴るのを感じた。逸る気持ちを抑えきれず、急いで階下に降りて商会の応接間へ向かう。そこには前回よりもはるかに落ち着いた表情のクラウスが座っていた。彼の顔には疲労の色が濃いが、同時に任務を果たした達成感も見て取れる。
「クラウス、お疲れ様だった。手紙は無事に届けられたか?」
「はい、ティトゥス様。実はペルペンナ様から伝言を預かってまいりました」
クラウスが自信を持って答える。前回の経験が彼をより勇敢にしていたようだ。
「ペルペンナはなんと言っていた?」
期待が高まり、鼓動が速まるのが自覚できた。伝言があるということは、何らかのリアクションがストラボから周囲に出ている証拠だった。
クラウスが懐から小さな紙片を取り出す。彼が書き留めたメモだった。
『ストラボ将軍は何らかの返信をアスクルム市議会に出した可能性がある』
『それは将軍の天幕周辺に慌ただしい動きがあったからだ』
「ただし一般兵は待機しているから、出兵ではないようだ」
これは予想以上の好反応だった。ストラボが交渉に応じる意思を示しただけでなく、攻撃を行わない可能性も出てきた。
「クラウス、本当によくやってくれた。君のおかげで、アスクルムに希望の光が見えてきた」
俺はクラウスの肩に手を置いた。この小さな少年の勇気が、数万の市民の運命を変える可能性を切り開いたのだ。
「それから、もう一つ重要なことがあります」
クラウスが真剣な表情で続ける。
「軍営で小耳に挟んだ話なので信憑性はありません。しかし気になったので覚えておきました。実は、ローマ軍の中でも意見が分かれているようです。一部の将校は早期攻撃を主張していますが、ストラボ将軍は慎重に進める方針のようです」
これは貴重な情報だった。軍内部の状況を知ることで交渉戦略をより精密に調整できる。
「ありがとう、クラウス。君は本当に優秀な使者だ。約束通り、褒美をたくさん用意しているからな」
クラウスが初めて子供らしい笑顔を見せた。彼もまた、この重責から解放された安堵感を感じているのだろう。
「ティトゥス様に、叶えていただきたいお願いがあります。この交渉が無事成功したら……また、お時間をくださいね」
△▼△▼△▼△▼△
クラウスを労った後、俺は緊急に長老たちに集まってもらった。まずストラボからの返答が届いているかを確認する必要がある。そしてその返答次第では、正式な使節団の準備を急ぐ必要があったからだ。
午後には、アルケウス長老をはじめとする使節団メンバーが商会に集まった。彼らの表情には、ついに交渉の機会が訪れたことへの期待と不安が入り混じっている。
「アルケウス殿、ローマ軍から返答はありましたでしょうか?」
「……クリスプス殿。ストラボ将軍から正式な回答が届きましたぞ」
アルケウスがストラボから届いた手紙の内容を皆に説明し始めた。概要は以下の通りだったようだ。
『使節団を受け入れる用意がある』
『ただし、降伏を認めるかどうかは提案の内容次第である』
『ローマ軍は武器を持たない者を害することはない』
『明後日の朝、正式な使節団を城門から出発させよ』
アルケウスが話をしているときは皆押し黙っていたが、彼の言葉が途切れた途端、使節団メンバーたちの間にざわめきが起こった。
「明後日の朝とは、随分と急な話ですね」ピナリウス・フラクスが眉をひそめた。
「急ではあるが、これは好機でもある。ストラボが交渉に前向きだという証拠だ」
アルケウスが冷静にピナリウスへ自身の考えを伝えている。それを横で聞いていたマギウス・ルフスが不安を口にした。
「しかし、準備が十分にできるでしょうか?」
この数日間で交渉に必要な資料は準備しておいた。ストラボの性格分析、ローマ側のメリットの提示、そしてアスクルム側の譲歩案。すべてを俺なりに計算したものだった。もちろんアルケウスには事前に承諾を得ている。
アルケウスに目配せをすると小さく頷いてくれたので、一つ咳払いをして注目を集めた。
「皆さん、準備はほぼ完了しています。降伏条件案、経済的補償の詳細、そして交渉戦略。すべて整えました」
そう説明すると使節団メンバーに安堵の雰囲気が生まれた。そこで気を引き締める意味で、続けて注意を促す。
「この交渉においてとても大切なことをお伝えします。明日はストラボ将軍の個人的な野心と名誉欲に訴えかけることが重要です。単なる軍事的勝利ではなく、政治的・道徳的勝利として位置づける必要があるのです」
「具体的にはどうするのだ?」
セルウィリウス・アヒラがよい相づちを打ってくれたので、言葉を続けることにする。
「無血開城による名誉、ローマでの政治的評価の向上、そして軍団の損耗回避。これらをストラボ自身のメリットとして強調するのです」
手紙に込めた戦略を詳細に説明した。使節団メンバーたちは真剣に聞き入り、時折頷きながらメモを取っている。
「さらに重要なのは市民権法への言及です」
これは極秘情報だが交渉の成功には不可欠な要素だった。声を潜めてさらに発言を続けた。
「近い将来、同盟市に対するローマの政策は大きく変わる可能性があります。それを暗に示唆することで、アスクルムの降伏を『新時代への賢明な選択』として位置づけることができるのです」
「それは確実な情報なのですか?」ユニウス・ブルータスが慎重に尋ねる。
「確実ではありませんが、極めて信頼性の高い情報です。この情報は、交渉における最後の切り札として使ってほしいと思います」
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夕方、使節団の準備が整ったあと、身体に溜まっていた熱を下げる意味で一人で市内を歩いていた。
明後日には正式な交渉が始まる。これまでの準備すべて試される時が来るのだ。石畳の道を歩きながらアスクルムの美しい街並みを改めて見つめていた。職人たちの家々、商人の店舗、子供たちが遊ぶ広場。これらすべてを守るために、俺はこれまで必死に策を練ってきた。
最終確認として、一晩を費やして市内の要所に指示を飛ばした。万が一の混乱に備えて、すべての準備を整える必要があった。
まず武器庫の管理。徹底抗戦派が最後の悪あがきをしないよう、ローマに渡すための管理という名目で武器を移送し一部を隠匿した。表向きは正当な理由があるため反論は起きていない。
次に、警備兵たちの配置。市内の主要な交差点に、ラビエヌス率いる自警団を配備した。市議会前、穀物倉庫前、井戸の周辺——混乱が起きそうなすべての地点に人員を配置する。
それから、市民への指示。これは長老たちを通じて流してもらった。
『明後日、ローマとの交渉が行われる可能性がある』とだけ伝え、断定は避けつつ、不安も煽らないよう慎重に言葉を選んだ。
「騒がないこと」
「決して武器を持ち出さぬこと」
「長老たちの指示に従うこと」
これらの基本原則を繰り返し強調した。
夜が更けると、俺は商会の書斎で、父からの古い手紙を読み返していた。麦の流通経路、倉庫の在庫状況、そして手紙の末尾に記された父の言葉。
『ストラボ、利をとる男。情では動かぬ』
知っているさ、父さん。
しかし俺はその「利」の中に「情」も含めてみせる。ローマの将軍が持つ人間としての誇りと名誉。それもまた、彼にとっての「利」なのだから。
だが、ここで俺は重要な要素を思い出していた。ストラボには息子がいる。若きグナエウス・ポンペイウスだ。
デモステネスの報告によれば息子は現在十七歳で、既に父に劣らぬ統率力を見せているという。父親であるストラボにとって、息子に見せる姿というのは極めて重要な意味を持つはずだ。
もし無血開城を実現できれば、それは息子に対して「智慧と寛容による勝利」を示すことになる。単なる暴力ではなく政治的手腕による勝利の手本を見せることができる。
これは、ストラボにとって予想以上に大きな動機となるかもしれない。父として、息子に誇れる勝利を収めたいという思いは、きっと彼の心にもあるはずだ。この要素も、交渉において活用できるだろう。
△▼△▼△▼△▼△
深夜、俺は最後の準備を終えてラビエヌスと会うことにした。商会の屋上で彼を待ちながら、俺は明後日の交渉について考えを巡らせていた。
すべての準備は整った。ストラボの心理分析、交渉戦略、緊急時の対応策。考えられる限りの手を打った。後は、使節団の交渉力とストラボの判断に委ねるしかない。
「ティトゥス、呼んだか?」
ラビエヌスが屋上に現れた。月明かりが彼の顔を照らし出すと、普段の快活さとは異なる深刻な表情が見えた。まずは俺から切り出した。
「明後日、正式な交渉が始まる。君にも最後の確認をしておきたいことがある」
「何だ?」
「交渉が成功すればアスクルムは街を開くことになる。ただ、市民の中には混乱する者もいるだろう。その時、君の黒章隊が秩序維持の要となる」
「分かっている。どんな結果になろうとも俺たちは市民を守る。そのことはデキムスとも会話をしている」ラビエヌスは真剣に頷いた。
「もう一つ。もし交渉が失敗した場合……」
「その時は、俺なりの方法で街を守る」
ラビエヌスが俺の言葉を遮った。その声には、静かな決意が込められていた。
「君なりの方法とは?」
「まだ分からない。だが俺には俺の責任の取り方がある。お前を、そしてこの街を守る責任が」
彼の言葉に込められた想いの重さを感じ取った。ラビエヌスもまた自分なりに最悪の事態に備えているのだ。俺は静かに口を開いた。
「ラビエヌス。君が命をかけてここまでやってきたことを、俺は知っている。君がいなければ俺の計画は成功しなかった」
「そんなことはない。お前が全て考えて、俺はただ動いただけだ。信じてるぜ、ティトゥス。お前とお前の策をな」
「違う。君がいたからこそ、俺も人間らしくいられた。君の友情が俺を支えてくれた」
「お前らしい言葉だな。でも、ありがとう」
ラビエヌスは少し驚いたような顔をしたが、やがて微笑んだ。
その後、俺たちは並んで東の空を見つめた。もうすぐ夜明けが来る。そして明後日には、アスクルムの運命を賭けた交渉が始まる。
遠く、東の空に太陽が昇り始めた。朝日がアスクルムの街を金色に染めていく。新しい一日の始まりだった。ラビエヌスが最後にこう言った。
「ティトゥス。俺は、お前を誇りに思う。お前は、リクトル兄貴ができなかったことを成し遂げようとしている」
「まだ終わってない。これからが本当の勝負だ」
「ああ。だが、もう大丈夫だ。お前なら、きっと成功させるさ。たとえ幾ばくかの血が流れようとも、お前は気にする必要はない。手を汚すのは俺の仕事だ」
「……ラビエヌス?」
太陽が完全に昇り、アスクルムの街を明るく照らした。新しい一日の始まりだった。そして、この街の未来を決める決定的な日が、ついに近づいていた。
ラビエヌスの最後の最後の言葉が気になったが、その質問に彼は答えをくれなかった。俺だって手を汚す決意はあるさ。すでにこの手は汚れているしな。
やがて、街の鐘が鳴り響くだろう。使節団出発の合図が鳴るだろう。その時こそ、これまで積み重ねてきたすべての努力が試される瞬間となる。
俺とラビエヌスは、しばらく黙って朝日を見つめていた。
これが彼との最後の静かな時間になるかもしれないな、と何故か感じてしまう。だが、それでもこの静かな時間は俺たちに確かな希望をもたらしてくれた。
アスクルムの運命を賭けた、最後の交渉が始まろうとしている。
この美しい街と愛する人々のために、俺は必ず、最後の最後まで戦い抜く。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(子供に託すっていうのが、時代を感じますよね。アリ、なのかなぁ……)
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