第6話『戦果』
★今回のストーリーは第一部の結末につながる内容となります。
作者はこの順番での構成を是と考えておりますが、もし『先の展開を知りたくない』『最後までドキドキしたい』とお考えになられる方がおりましたら、この回は飛ばして先にお進みください。
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム周辺、ストラボ
ティトゥス・クリスプスは縁取られた巻紙を差し出す。
1. アスクルムは、城門を即解放し武装解除を行う。
2. アスクルムは、速やかに市内の武器を引き渡す。
3. アスクルムは、成人男子のうち、争乱の首謀者十二名を裁判へ差し出す。
4. アスクルムは、安全保障費として三万デナリウスをローマ軍へ支払う。
5. ローマ軍は、七日以内に市周辺の平地に移動し駐屯地とする。市内外における略奪行為を禁ずる。
「見返りに彼の命と、市民の安全とその財産保全を求めます」
「アスクルム市民がローマに帰順した際は、閣下が”穏やかに解決した将”として元老院に讃えられることでしょう。また執政官選挙へのよい手土産になると思われます」
――計算高い。
私は無言で書状を読み返す。
数字は現実的、首謀者十二名は見せしめとして十分。犠牲を抑えた方が、同盟市民の敵意もかわしやすい。使節団がもたらした条件よりさらに私の利が増える内容となっている。
「この額を捻出できるのか」
「できます。既に私の父、マルクス・クリスプスがローマで騎士の融資をまとめております」
やはりマルクス・クリスプス――財務官と取引する老獪な穀物商が動いていたか。あの慎重で吝嗇な男が息子へ白紙委任するはずがない。
つまり、この少年は我々の出征前から父親を動かし、資金と元老院の窓口を確保していたことになる。
私は思わず笑った。
「お前、何者だ?」
「ただの学生です。けれど、無駄な死者を見るのは趣味ではありません」
その言い方が妙に大人びており、戦場を商売の目で見る私でさえ一瞬口をつぐんでしまった。
私は捕虜の少年――ラビエヌス――に目を向ける。
「若造、私を殺すつもりだった理由は?」
「殺すつもりはなかった。だがアスクルムを攻めたあんたが許せない。あんたはピケヌムの誇りを裏切った!」
怒りに震える声。
私は彼の背後に、自らが見飽きた”若き日の自分”を感じた。
地位を欲し、剣と名誉だけが世界を変えると信じていた頃。
「しかしローマ軍の、しかも将官の天幕を目指して侵入するということは、処罰されても文句は言えぬということ。その覚悟はできているのか?」
「……ぁあ」
私は頷き、ふとこの寸劇を見つめいていた息子の存在に気づいた。彼は成人したばかりの年齢だが、この軍では私の近習であり、将校としての経験を積み始めている。つまり処刑の経験はあるということだ。
彼は無表情のままだ口元で小さく「殺す?」と私にだけ聞こえる声で囁いた。
「いいや」と、私は笑う。
「殺さぬ。だが罰は受けてもらう」
私はラビエヌスへ鞭打ち10回と軍団の炊事係を1か月間務めることを申し渡した。
彼の侵入を防いだ複数の将兵は「軽すぎる」と騒めいたものの、一顧だにしない。
――この若者は私を殺そうという意志と度胸を示した。利用価値はある。今後新たな芽を出せば、いずれ私の血肉にもなるだろう。
私は最後に、クリスプスにこの質問を投げかけた。
「貴様 ──和平案を仕立てたのは、お前か?」
△▼△▼△▼△
二日後、私は開かれた城門の前で、長老どもに白旗を掲げさせた。
城壁の上に現れたアスクルム長老たちは、少年に説得され既に腹を決めていたようだ。武器が集められ、門が軋む音とともに開く。
私は軍団を二列縦隊で市内へ入れた。兵に対し市民に危害を加えず、そして金品へ手を出さぬよう厳命する。長老とは、まずは三日分の食料と水を市から受け取ることを取り決めた。これでひとまず兵を街の外へ撤退させることにした。長老はそのことに満足し、市民は自身の安全が守られたことに一息つくだろう。
「ストラボ将軍は寛大であったと、後世の歴史家は書き残すだろう」と息子が小声で呟いた。
「歴史は勝者が書く。私は自分で書くさ」と私は求められてもいない返答をする。
だが内心では、ティトゥス・クリスプスにしてやられたと苦笑していた。
無血開城は私にとっても得策だった。兵損も無く、賠償金も得られる。
ローマで”過度な略奪を控えた”と触れ回ることができ、これは私の悪い評判を打ち消すだけの効果をもたらすだろう。執政官選挙の武器となるはずだ。
また敵地と断定し、アスクルムを荒廃させるより重要拠点として活用した方がより長期的に利益が大きい。何より私の支持基盤として、このアスクルムを手にできたのだ。
開城三日後。私は幕舎で一杯の酒を飲みながら、息子と二人の少年を別々に呼び寄せた。息子には同席を命じ、黙って聞いていろと伝える。
「ティトゥス・ラビエヌス、懲罰明けから軍規を学べ。怒りでは勝てぬと知れ」
「……覚えます」
彼は俯き、しかし目には屈しない火が灯る。
此奴はよい指揮官になるだろう。戦士の心を持つ者に兵は従う。ただし、血気に逸る心を抑える術を身に着けるまで生き残れれば、の話だが。
続いてやって来た二人目のティトゥス。問題は此奴だ。
「ティトゥス・クリスプス、貴様は戦場より帳簿が似合う。だが才覚は侮らん。私の副官の一人として、兵站の長を手伝え」
「申し訳ありませんが、お断りします」
少年は穏やかに頭を下げる。
私は方眉を吊り上げ、敢えて聞く。
「私の申し出を断るとは。この先どうなるかわかっているのか?」
「もちろん。閣下のご不興を買うことの不利益は十二分に考慮したうえでの回答です」
フン、可愛くないヤツめ。ラビエヌスとは異なり、私が強引に連れて行くことができないことなど百も承知と見える。
わたしは鷹揚に頷き、クリスプスの選択を認めてやる。――この子の未来がどう伸びるか、楽しみだ。
そして息子ポンペイウス。表面の微笑みはいつも通り純真無垢だが、瞳の奥で二人の少年を察るかのように揺れていた。
私はひそかに思う。
この三人の交錯が、やがてローマの運命を翻弄するかもしれぬ。だがそれは遠い先の話。
今は、勝利を手中に収めた夜の月がただ白かった。
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三人が去った後、私は更にもう一口だけ酒杯を重ねながら考えを巡らせた。
――私は何者か。
この問いは、クリスプスの正体を問うた際に、奇妙にも自分へと跳ね返ってきた。
私の出自はピケヌム。田舎者の息子として生まれ、剣を握り、功を重ね、今や軍司令官の地位まで登り詰めた。だがそれは、私の本質を表しているのか?
元老院の者どもは私を「野蛮で粗暴な田舎者」と陰口を叩く。
確かに私は、彼らのように巧妙な弁論は操れない。華麗な詩も吟じられない。だが戦場では、彼らの誰よりも兵を統率し、勝利を重ねてきた。
――それでも、私は劣等感を覚える。
マリウス将軍は私を「有能な部下」として重用する。だが彼の眼差しには、どこか見下すような響きが宿っていた。
「君は実戦向きだ」――この言葉の裏に、「学問や政治は不向きだ」という含みがあることを、私は敏感に察していた。自身も田舎者で苦労したろうに。
スッラもまた然り。彼は私を「使える駒」としてしか見ていない。この男の場合はいっそ清々しいくらいの態度だ。ある意味、表裏がないからな。
しかし彼らの認識は一致している。所詮私は、必要な時に呼び出せる「剣」でしかないのだ。
だからこそ、クリスプスの存在は私を苛立たせる。
あの少年は、学問と実務を両立させている。理論と実践を使い分け、交渉においても私を上手に誘導した。
――私が欲しかったのは、まさにあの能力ではないか。
そして息子のポンペイウス。
彼は私の血を引いているが、私とは根本的に異なる。
彼には、私が持たない「天然の威厳」がある。生まれながらにして人を惹きつける何かを備えている。両眼の色味が異なる点からして、天に愛されているではないか。
私は力づくで地位を掴んだ。
だが彼は、おそらく力を使わずとも人がついてくるだろう。
――妬ましい。
そう、私は息子に嫉妬している。
彼が持つ天性の指導力と、私が血と汗で手に入れたものとの差を、私は痛いほど理解している。
ラビエヌスはまた別の視点を私に与える。
彼の怒りは純粋だった。故郷を愛し、誇りを持ち、正義感に駆られて行動した。
――私にも、かつてそんな時代があったか?
思い返すと、曖昧だ。
私の動機は常に「上昇志向」だった。より高い地位、より大きな権力、より多くの富。
愛国心? 正義感? そんなものは、私の辞書には最初からなかったのかもしれない。
だがそれは、悪いことなのか?
ローマという巨大な機械の中で、私のような人間も必要なのではないか。
理想だけでは戦争に勝てない。現実を見据え、利害を計算し、時には非情な判断を下す者が。
マリウスにもスッラにも、そして元老院の連中にも、私のような「汚れ役」が必要なのだ。
彼らは表向き高潔を装い、裏で私に汚い仕事をさせる。
――それでも構わない。
私は自分の役割を理解し、受け入れている。
私がいるからこそ、ローマは拡大し続けられる。私がいるからこそ、理想主義者たちも安心して夢を語れる。
ティトゥス・クリスプスのような計算高い少年も、ラビエヌスのような理想に燃える若者も、ポンペイウスのような天性の指導者も、すべて私のような存在があってこそ活かされる。
――そう考えると、私の人生も無駄ではない。
私は三つ目の酒杯を空にしながら、窓の外を見やる。
星々が冷たく瞬いている。あの星の下で、今夜もローマ各地で無数の思惑が交錯しているのだろう。
クリスプスは計算に基づいて行動する。彼にとって世界は、最適化すべき数式だ。
ラビエヌスは感情に基づいて行動する。彼にとって世界は、正すべき不正に満ちている。
息子ポンペイウスは直感に基づいて行動する。彼にとって世界は、導くべき舞台だ。
そして私は、欲望に基づいて行動する。
私にとって世界は、攻略すべき城塞だ。
――どの視点が正しいのか、それは神々のみぞ知る。
だが確実に言えることは、この四つの視点すべてが、ローマという大きな物語の中で重要な役割を果たすということだ。
私はゆっくりと立ち上がる。明日もまた、別の戦いが待っている。
同盟市戦争はまだ終わらない。ローマ内部の権力闘争も激化するだろう。
――だが私は恐れない。
なぜなら私は、自分が何者であるかを理解したからだ。
私は完璧な人間ではない。高潔でもなければ、理想に燃えているわけでもない。
だが私は、この混沌とした世界で生き抜く術を知っている。
そして何より、私は一人ではない。
優秀な息子がいる。有能な部下たちがいる。そして今日出会った二人の少年のような、未来を担う若者たちがいる。
彼らは私とは異なる道を歩むだろう。だがそれでいい。
多様性こそが、ローマの強さの源泉なのだから。
私は最後に一つ、重要なことを悟った。
――勝利とは、敵を倒すことではない。自分自身を理解することだ。
今夜、アスクルムの城壁の下で、私は真の勝利を手にした。
それは三万デナリウスでも、政治的名声でもない。
自分という人間の本質を見つめ、受け入れることができた、その事実こそが私の勝利だった。
酒杯を置き、私は寝台に向かう。
明日からまた、現実の戦いが始まる。
だが今の私には、昨日までとは違う確信がある。
――私は私であり、それで十分だ。
そんな思いとともに、深い眠りに就いた。
外では、秋の風が軍旗をはためかせ続けていた。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(この計算高い男は、史実では晩年を汚したままこの世を去ります。息子の業績に比べなんと情けない結末なのでしょうか。彼に足りなかったのは一体なんだったのか。この物語の序盤の主役の一人と言っても過言ではないこの男の生き様は、ここから変化し始めます)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
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ストラボの物語はこの後も続きますが、第一部での登場はここまで。
次に彼が出演するとき、その前に立ちはだかる者はもっと強大な敵なのでしょう。
ストラボは修羅の道を進んでいるのですから。