第72話『アスクルム包囲前夜』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)九月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
「ティトゥス・クリスプス!」
振り返ると、マルクス・ファベルの表情に微妙な変化が見られた。
「俺たちの運命がどうなろうとアスクルムだけは守ってくれ」
想定外のその言葉に思わず胸が熱くなる。
ファベルの声にはこれまで聞いたことのない切実さが込められていた。彼もまた自分たちの理想が破綻したことを理解している。だがそれでも、故郷への愛だけは失っていない。その純粋な想いに心を深く打たれた。
「わかった。約束しよう」
「その言葉は……信用できるのか?」
ファベルの瞳には最後の希望を託そうとする光が宿っていた。同時に裏切られることへの恐怖も垣間見える。
その複雑な感情を受け止めながら、自分の言葉に責任を持つ覚悟を固める。
「……信じてもらうしかない」
ファベルが小さく頷く。その瞬間、敵対関係にあった我々の間に微かな理解が生まれたと感じた。政治的な対立を超えた人間同士の絆とでも呼ぶべきものが、確かにそこにあった。
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地上に戻るとアスクルムの街はすでに騒然としていた。ストラボ軍到着の知らせは瞬く間に広まり、市民たちが不安そうに街路に出てきている。
「ローマ軍が来る」
「どうなるんだ、俺たちは」
「戦争になるのか」
そんな声があちこちから聞こえてくる。市場では商人たちが慌てて商品を片付け、子供たちは母親の後ろに隠れている。平和な日常が一瞬で緊張に満ちた戦時体制へと変化していた。
急ぎ商会に戻ると、デモステネスが詳細な報告書を用意していた。机の上には地図が広げられ、敵軍の配置が赤い印で克明に記されている。ソフィアも先に戻っていて、ホシウスらが城壁からの偵察で得た最新情報を整理していた。
「まずストラボ軍の構成ですが、第一軍団と第二軍団の主力、それに補助兵約五千が含まれています」
デモステネスの声は普段の落ち着きを保っているが、わずかに震えが混じっている。彼もまたこの絶望的な状況を理解しているのだ。俺は地図を見つめながら敵軍の規模の大きさを改めて実感した。
「攻城兵器は?」
「投石機十二基、破城槌四基、それに移動式攻城塔三基が確認されています。特に投石機の配置が問題です。アスクルムの城壁の弱点を正確に把握しているようで、最も効果的な位置に設営されています」
完全に攻城戦の準備だな。ストラボは本気でアスクルムを陥落させるつもりらしい。
脳裏に破壊される城壁と炎上する家屋の映像が一瞬で浮かぶ。このまま抵抗すればアスクルムは確実に灰燼に帰すだろう。
「ローマ側の兵站状況は?」俺が尋ねるとデモステネスが苦い表情を浮かべた。
「アンコーナから海を使った補給体制を構築していたようで、十分すぎるほど整っています。長期包囲にも対応可能な物資量でしょう。つまり、時間はストラボ将軍に味方しているかと……」
その報告を聞いて俺の心に残っていた最後の希望が崩れ落ちた。どうやら短期決戦だろうが長期戦だろうとアスクルムに勝算はないようだ。やはり残された道は、本当に降伏しかないのだ。
「父からの連絡は?」
「今朝、ローマから伝令が到着しましたよ、ティトゥス様」
ソフィアが書簡を手渡す。父マルクスからの緊急連絡だった。ソフィアが一度、ローマに赴いてくれたおかげで、アスクルムが包囲されても外の情報を入手できる体制を作ることができている。ありがたい。
小さく折り畳まれた紙片はどうやってここまで届いたのだろうか。蝋の封印は辛うじて残っていたが、血や泥汚れのようなものも薄っすら見て取れた。
『息子よ。
ローマの情勢は更に悪化している。ルキウス・カエサルが市民権法案の準備を進めているが、元老院の反対は強い。ストラボもその動向を注視している模様だ。アスクルム交渉はこの点も考慮に入れる必要があるだろう。気を引き締めよ。
マルクス』
父の文字を追いながら、俺の思考は複雑に絡み合っていく。市民権法案——それは同盟市戦争を根本的に解決する可能性を秘めた重要な動きだ。
ただし、この法案は成立過程に不透明な部分が多い。そこで俺は早期成立実現のため父マルクスに『商人仲間を通じて元老院へ危機感を伝えてくれ』と頼んでいた。
「ティトゥス様。何か問題でも?」
ソフィアが俺の表情を読み取ろうと覗き込んできたので、書簡を折りたたみながら答えた。
「いや、ただ……父の言う通り、ローマの政治情勢も複雑だということだ。我々の交渉にも影響してくるかもしれない」
「市民権法案の行方によっては、ストラボの対応も変わる可能性があるということですね」
デモステネスが眉をひそめている。その通りだ、もし法案が成立すれば同盟市戦争そのものの意味が変わってくる。なぜならローマ市民権を求めて同盟市は立ち上がったのだからな。市民権が同盟市民に与えられれば、戦争を継続する必要が無くなるのだ。これは大きい。
ストラボもそれを見越して動いているのかもしれない。この複雑な政治的駆け引きの中で、アスクルムの立場を慎重に見極める必要があった。
「デモステネス、市議会の準備は?」
「既に全名家へ連絡済みです。一時間後に市議会議場にて開催予定です」
「分かった。それまでに、ストラボ軍の詳細な配置を把握してくれ」
窓の外を見ると、城壁の上で見張りの兵士たちが慌ただしく動き回っているのが見える。彼らの表情にも、明らかな緊張が浮かんでいた。
アスクルムの運命を決める時が、ついに来た。
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一時間後、市議会議事堂には十六名家の代表者が集まった。
リクトルが座っていたサルウィルス家用の席は空いており、また準名家であったルクルス家のパピリウスの席は取り除かれていた。
俺は議場の端の定位置に立ちながら、重苦しい雰囲気を感じ取っていた。壁に設えられた松明の炎が議員たちの顔をゆらゆらと照らし出している。その表情はどれも硬く、緊張に満ちていた。普段なら活発な討論が交わされる場所に今日は死のような静寂が漂っている。石造りの議事堂内に響くのは、かすかな靴音と衣擦れの音だけだった。
議場の中央に設置された石のテーブルには、ストラボ軍に関する報告書と降伏条件の草案が広げられている。羊皮紙に記された文字が松明の光に揺らめき、まるで運命の宣告書のように見えた。
空となったサルウィルス家とルクルス家の席が、場内に異様な空虚感を漂わせている。その事実が現在の政治状況を象徴しているかのようだ。その二つの空席を見るたびに俺の胸に重いものが沈んだ。つい数日前まで、この場所には声高に理想を語る男たちがいたのだ。
「諸君」アルケウス長老が議事を開始する。
「ローマ軍が、ストラボ将軍の軍団がアスクルム近郊に到達した。我々は重大な決断を迫られている」
議場に重苦しい沈黙が流れる。
全員がこの瞬間の重要性を理解している。俺は各議員の表情を観察しながら彼らの心境を読み取ろうとした。マギウス・ルフスは青ざめた顔で手を組み、カエシウス・セウェルスは眉間に深い皺を刻んでいる。クイントゥス・ピナリウスは震える指先で羊皮紙を撫でており、その動揺は隠しようがなかった。
彼らは皆、家族を、部族を、そして自らの誇りを背負ってこの席に座っている。その重圧が彼らの肩にのしかかり、普段の威厳ある態度を微妙に歪ませていた。彼らの苦悩が手に取るように理解できた。なぜなら、俺自身も同じ重圧に押し潰される思いだからだ。
この雰囲気に飲まれると会議は空転し、堂々巡りになってしまうだろう。サラリーマン時代の重大案件を決議する時はいつもそうだった。多大な投資から手を引く案件などは特にそうで、誰も責任を取りたくない会議は往々にして長時間に及んでしまうからな。
そこでいち早くこの状況を打破するために挙手をしながら立ち上がる。アルケウスに発言の許可を求めた。
「まず、現在の軍事状況について報告します」
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(いよいよその時が近づいてきました)
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