第70話『十二名の拘束』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)九月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
翌日の夜明け前、アスクルムの街は静寂に包まれていた。石畳の道に朝露が降り家々の窓からはまだ明かりが漏れていない。この静けさの中、黒章隊の隊員たちが無言で街を移動していた。
俺自身もこの作戦へ同行している。ラビエヌスに全ての責任を押し付けるわけにはいかないからな。そもそもこの計画を立案したのは俺であり、最終的な責任は少なくとも俺が負うべきだ、と思っている。
最初の標的は、パピリウス派の中でも特に過激だった鍛冶屋のマルクス・ファベルだった。彼の工房は市の南東部にあり、武器製造に関わっていた疑いがある。
工房の前に到着すると、ラビエヌスが手信号で隊員たちに指示を出す。彼の動きには迷いがなく、プロの軍人のような正確性があった。この数ヶ月間の訓練が、確実に彼を成長させている。
「マルクス・ファベル! アスクルム市黒章隊だ! 重要な話がある!」
ラビエヌスが工房の扉を叩きながら名前を呼ぶ。しばらくして、扉の向こうから警戒した声が聞こえてきた。
「こんな時間に何の用だ?」
「扉を開けてくれ。市議会の決議に基づく正式な手続きだ」
扉がゆっくりと開き、四十代のスキンヘッドで筋骨隆々の逞しい男が顔を覗かせる。マルクス・ファベルは、噂通り威圧感のある体格をしていた。だが、その目には明らかな困惑が浮かんでいる。
「なんだ、騒がしい……。おや、ティトゥス・クリスプスじゃないか、ふん、お前もいたのか」
ファベルが俺を認めて、表情を歪めた。嫌な顔つきだな。
「マルクス・ファベル、君はアスクルム市議会の決議により、一時的な保護拘束の対象となった」
俺が前に出て、正式な文書を取り出す。
「拘束? 何の罪で?」
「治安維持のための予防的措置だ。貴方がパピリウス・ルクルスと共謀し、武装蜂起を計画していた疑いがある」
「馬鹿を言うな! 俺は何もしていない! パピリウス殿を支持したことが罪だというのか?」
「支持すること自体は罪ではない。だが君の製造した武器が反ローマ活動に使用されていた事実がある」
「それは商売だ! 注文があれば作る、それが鍛冶屋の仕事だろう」
ファベルの表情が怒りに染まっている。頭のてっぺんまで真っ赤だな。だが彼の反論は当然だった。確かに彼は商人としての正当な活動を行っていたに過ぎない。しかし戦時下においてはそのような「正当性」も通用しなくなる。
「ファベル殿、状況を理解してくれ」
語調を少し柔らかくする。
「ストラボ軍がアスクルムを包囲しようとしている。その時、市内で武装蜂起が起これば市民全体が危険にさらされる」
「……だからといって、何の証拠もなしに俺を拘束するのか?」
「証拠ならある」
俺は背嚢から資料を取り出した。それはファベルがパピリウス派の集会に参加していた記録や、武器の製造日程と反ローマ活動のタイミングを照合したものだった。
ファベルがその資料に目を通すにつれ、顔色が青ざめていく。
「これは……いつの間にこんな詳細な調査を……」
「我々も好きでやっているわけではない。だがアスクルムの安全を守るためには、必要な措置だ。君も市民の一人として、街を守ることの重要性は理解できるだろう」
「街を守る、ね……」
俺の言葉にファベルが反応し、顔に侮蔑の色を乗せ嘲笑した。
「お前たちのやっていることは街を守ることなのか? 市民同士を分裂させ、密告を奨励し、恐怖で人の心を縛ることが?」
その言葉に、ラビエヌスが微かに反応する。彼もまた、おそらく同じような疑問を抱いているのだろう。
「ファベル、君の言うことも理解できる。だが理想的な状況でなければ行動を起こせないとすれば、結果的に何も守れなくなる」
「それは詭弁だ。お前は自分の権力を維持するために、我々を排除しようとしているだけだ。パピリウス殿やリクトル殿のような真の愛国者を追放し、ローマに媚びへつらう体制を作り上げようとしている」
その言葉に一瞬ひるんでしまった。ファベルの指摘はある意味では的確だった。確かに俺は自分なりの判断に基づいて行動している。ただそれが本当に市民のためになるのか、あるいは単なる権力欲の発露なのか……。
だが、迷っている時間はない。
「君の意見は記録しておく。しかし、拘束は予定通り実行する」
ラビエヌスに目配せすると、彼が隊員たちに合図を送る。ファベルは抵抗しようとしたが、数の差は歴然としていた。
「これは間違いだ! ティトゥス・クリスプス、お前は将来このことを後悔するぞ!」
ファベルの叫び声が、夜明け前の静寂を破る。その声には、怒りと同時に深い悲しみが込められていた。
拘束作業が完了すると、ラビエヌスが俺の隣に立った。
「一人目だな」
「そうだ。まだ十一人残っている」
ラビエヌスの表情には明らかな疲労が浮かんでいる。まだ作戦は始まったばかりなのに、既に彼の心は重い負担を感じているようだった。
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街を移動する間、朝霧が石畳の隙間から立ち上り、まるで死者の霊のように隊列の足元を漂った。黒章隊の若者たちは無言で歩いている。彼らの顔には、昨夜まで見せていた青年らしい明るさはもうない。重い責任が、一夜にして彼らを大人にしていた。
次はパン屋のガイウス・アントニウスだった。市場の中央に位置する彼の店は、早朝から香ばしいパンの匂いを漂わせていることで有名だった。だが今朝は、その匂いも何処か重苦しく感じられる。
「アントニウス殿、開けてくれ」
ラビエヌスが扉を叩く。中から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「何事です……? ああ、ラビエヌスではないですか」
扉が開き、小柄で人の良さそうな中年男が顔を出す。ガイウス・アントニウスは、街でも評判の善良な商人だった。彼の作るパンは美味しく、値段も良心的で、貧しい家庭にも分け与えることがあった。
「アントニウス殿、申し上げにくいことですが……」
ラビエヌスの声が震えている。この男を拘束することに、彼は明らかに苦痛を感じていた。
「私は、貴方を一時拘束しなければなりません」
「拘束? 私が何をしたというのです?」
アントニウスの困惑はごく真っ当なものだった。彼は本当に、自分がなぜ拘束されるのか分からないのだ。
「パピリウス・ルクルス一派への支援活動の疑いです」
俺が説明すると、アントニウスの顔が青ざめた。
「支援……確かに、パンを無償で配ったことはあります。しかし、それは慈善活動であって、政治的な意図は……」
「その配布が、反ローマ集会の参加者に対して行われていたという証言があります」
ファベルの時と同じように証拠書類をアントニウスに示す。そこにはアントニウスがパピリウス派の集会に食料を提供していた詳細な記録があった。
「私は……私はただ、お腹を空かせた人たちにパンを分けただけです。政治なんてよく分からない。ただ……」
アントニウスの声が途切れる。彼の目に涙が浮かんでいた。
「ただ、パピリウス様は立派な方だと思っていました。街のことを真剣に考えておられる。そんな方を支持する人たちが困っているなら、助けるのが当然だと……」
その純粋な善意が、かえって胸を突いた。アントニウスに政治的な野心など微塵もない。彼はただ、困っている人を助けたかっただけなのだ。
「アントニウス殿、申し訳ありません。あなたの善意は理解しています。しかし、現在の状況では……」
「分かりました。私にはよく分からないことばかりですが、あなた方も苦しい立場にあることは察しています。従いましょう」
深く頭を下げたラビエヌスに、アントニウスが静かに答える。その潔さが逆に残酷だった。抵抗されれば、まだ自分たちを正当化できる。だがこのような善良な市民が黙って従う姿を見ると、俺たちのやっていることの重さが身に染みる。
「妻と子供たちには、どう説明すれば……」
アントニウスの呟きに、ラビエヌスが答える。
「ご家族には市の重要な業務に協力していただいていると伝えます。身の安全は保証します」
「ありがとうございます」
アントニウスは工房の火を消しエプロンを外すと、静かに隊列に加わった。その後ろ姿はまるで、十字架を背負う救い主のようだった。
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三番目の標的は織物商のルキウス・ベルリウスだった。彼の店は街の北部にあり、上質な布地を扱うことで知られていた。だが同時にパピリウス派の資金集めに協力していたという情報もある。
店の前に到着すると、既にベルリウスが扉の前に立っていた。彼は俺たちの到来を予期していたようだった。
「やはり来たか、ティトゥス・クリスプス」
ベルリウスは五十代半ばの痩身の男で鋭い目つきをしていた。商人として成功しただけあって、政治的嗅覚も鋭い。
「ベルリウス殿、状況は理解していただいているようですね」
「当然だ。お前たちがしていることは、昨夜から噂になっていた。私を拘束してパピリウス様の支持基盤を崩そうというのだろう? 賢い戦術だ。血を流さずに敵を無力化する」
ベルリウスの声には怒りよりも諦めが混じっていた。その分析の正確さに俺は言葉を失う。彼は俺たちの意図を完全に看破している。
「だが、お前は一つ見誤っている。私たちを排除したところで街の人々の心は変わらない。パピリウス様への支持は、恐怖によって消せるものではない」
「それは結果が証明するでしょう」
「若い男よ、お前は権謀術数に長けているかもしれないが、人の心というものを理解していない。ローマの支配下で生きることに屈辱を感じている市民の気持ちを、お前は本当に理解しているのか?」
その問いに俺は即答できなかった。確かに俺は政治的効果ばかりを計算し、人々の感情を軽視していたかもしれない。
「私にも家族がいる。妻と三人の子供たち。彼らのことが心配だ。しかしそれ以上に心配なのは、お前のような男がこの街を支配することだ」
「どういう意味ですか?」
「お前は冷たすぎる。計算ばかりで血が通っていない。そんな男に支配された街で、果たして市民は幸せになれるのか?」
ベルリウスの言葉は核心を突いていた。俺は確かに、効率性を重視するあまり、人間味を失っているかもしれない。
「私の考えが正しいかどうかは、時間が証明するでしょう」
「そうだな。しかし、お前がその答えを知る頃には、もう手遅れかもしれない」
ベルリウスは最後にそう言うと、静かに拘束に応じた。彼の警告は俺の心に深く刻まれた。
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夕刻になり、ついに十二番目、最後の標的に向かった。商人のガイウス・ドミティウスだった。彼は穏健派として知られていたが、パピリウス派への資金援助を続けていた重要人物だった。
彼の屋敷は街の中心部にあり立派な造りをしている。門の前に立つと既にドミティウス本人が出迎えていた。
「お疲れさまです、ティトゥス・クリスプス様」
ドミティウスは六十代の温厚そうな老人で、商人として長年成功を続けてきた人物だった。
「ドミティウス殿、今日一日の出来事はご存知でしょうか?」
「ええ、街中の噂になっています。十一名の方々が拘束されたと」
ドミティウスの態度は落ち着いていた。
「私が十二番目、ということですね」
「その通りです。抵抗されるつもりはありますか?」
「いえいえ、そんな体力も気力もありません。ただ、最後に一つだけお聞きしたい。あなたは本当に、これが街のためになると信じているのですか?」
ドミティウスの問いに、俺は慎重に答える。
「最善の選択だとは思いませんが、現状では最も被害の少ない方法だと判断しています」
「正直なお答えですね。私も商人として長年生きてきました。時には苦渋の選択を迫られることもあります。あなたの立場も理解できないわけではありません」
「ありがとうございます」
「ただ、覚えておいてください。今日拘束された人々には、それぞれ家族がいます。彼らの痛みもどうか忘れずに」
ドミティウスの言葉は俺の心に重くのしかかった。確かに俺は政治的効果ばかりを考えて、個人の苦痛を軽視していたかもしれない。
「必ず記憶しておきます」
「では、参りましょうか」
ドミティウスは静かに拘束に応じた。その様子には、人生経験豊富な老人の諦観があった。
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全ての拘束が完了すると、夕日が街を赤く染めていた。黒章隊の隊員たちの顔にも疲労が色濃く現れている。精神的な負担が彼らの若い心を重く圧迫している。十二名のうち一名だけマルクス・ノニアヌスだけは武力で抵抗する可能性が高かったため、夜警団に任せていた。やはり剣を持って抵抗したようだが、多勢に無勢だったようだ。怪我人を出すこともなく取り押さえることができたらしい。
「作戦完了だ」
ラビエヌスが報告する。その声には達成感ではなく、深い疲労感が滲んでいた。
「ご苦労だった、皆。今日のことは決して忘れてはならない。我々は街を守るために行動したが、同時に多くの人々を傷つけた。その責任を全員で背負っていこう」
隊員たちに向けて放った俺の言葉に彼らは音もなく頷いた。彼らの目にはもう昨日までの少年らしさはない。一夜にして彼らは大人になった。
夜が街を包み込む中、俺たちは静かに帰路についた。十二名の市民を拘束した一日がついに終わりを告げた。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(職務と割り切るには、皆さすがにまだ幼いですね。一人おっさんが混じっていますけど。ただ、命のやり取りに直結するのは初めてですから、許してやってくださいな)
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