第69話『少年時代の終焉』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)九月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
九月の訪れとともに、アスクルム市内の空気はまるで衣替えをするかのように気配が塗り替えられた。朝夕に吹く風は、夏の残り香を遠くへ押しやり秋の気配をそっと街に滲ませる。人々の表情には言葉にできぬ予感が宿り、季節と呼応するような緊張の影が差していた。
八月中旬に発生したリクトルとパピリウスの相次ぐ逃亡劇から三週間が経過したが、その余波は予想以上に深刻だった。目まぐるしく状況が変化していて情報整理も追い付いていない。
先週ようやっとソフィアがローマから戻ってくれたので、なんとか処理が終わったところだ。デモステネス一人だと、さすがにオーバーワークだったからな。スーパーマンの彼でも、ここ数日は顔色が悪かった。
商会の書斎で報告書に目を通しているとそのデモステネスが慌ただしく入ってくる。珍しいこともあるもんだな、また緊急事態か……。
「若様、緊急の報告があります」
「……何だ?」
「ストラボ軍の斥候隊が、アスクルムから五ミリア(約50km)の地点で確認されました。本隊の到着は、恐らく数日以内でしょう」
ついに来たか! 心臓の鼓動が高まるのを感じながら、壁に貼り付けてある地図を眺める。ストラボがアスクルムに向けて軍を進めているということは、もはや時間の猶予はないな。
「デモステネス、パピリウス派十二名の件はどうなっている?」
「リストは完成しています。ただ……ラビエヌス殿への説明がまだです」
デモステネスの表情が曇っている。
そうだった、最も困難な仕事が残っているのだった。黒章隊の指揮者として、ラビエヌスにパピリウス派の拘束を命じなければならない。しかしそれはリクトル逃亡で既に傷ついている彼にさらなる重荷を背負わせることになるだろう。正直、気が重い。
「ラビエヌスはどこにいる?」
「いつもの城壁の南側で自警団の訓練を行っています。ただし……様子がいつもと違います」
デモステネスが躊躇するなんて本当に珍しいな。明日は雪が降るのかもしれないな。いや馬鹿なことを考えて現実逃避するのは止めよう、うん。
「どう違う?」
「表面上は普通に振る舞っていますが、明らかに元気がありません。リクトル殿の件がよほど堪えているようです」
窓の外を見つめながら複雑な心境になる。そりゃそうだわ。ラビエヌスにとってリクトルは単なる政治的同盟者ではなく人生の師でもあった。その人物を事実上追放したのは他でもない俺だ。
そして今度は街を守るために必要とはいえ、さらに彼を苦しめることになる。
「……デモステネス、ラビエヌスをここに呼んでくれないか」
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三十分後、ラビエヌスがクリスプス商会の応接室に現れた。その表情は確かにいつもと違っていたように感じる。普段の明るい活気に満ちた雰囲気が影を潜め、何か重いものを背負っているような印象を受ける。俺はデモステネスも下がらせて二人だけで話し合うことを決めていた。
「どうしたティトゥス。急な呼び出しだが、何の用だ?」
彼の声にも疲労が混じっているな。
部屋の入口に立つラビエヌスは、とても大人びて見えた。しかしいくら見た目は大人のように成長し、剣術の腕前は確かでもやはり十一歳の少年だ。その彼がこれほどの重圧を感じているのを見るとさすがに胸が痛む。
「まず座ってくれ。重要な話だ」
ラビエヌスは言われた通りに椅子に腰を下ろしたが、その表情は警戒心を示している。俺の声色から厄介事だと感じたらしい。野生動物のようだな。
「ストラボ軍がアスクルム近郊に到達した。本格的な包囲が始まる前に、我々にはやらなければならないことがある」
「やらなければならないこと?」
「……パピリウス派の残党十二名の拘束、だよ」
ラビエヌスの表情が一瞬で変わった。彼の顔には驚きから困惑そして理解に至る過程が、顔色の変化が赤から青白く、そして蒼白へと順番に浮かんで消えていった。
やがてラビエヌスはショックから立ち直ると、矢継ぎ早に質問を始めた。
「黒章隊に、その命令を出すのか?」
「そうだ。市議会で正式に決議された命令でもある。治安維持のための予防的措置として実施しなければならない」
「しかし彼らはただの一市民だ。確かにパピリウスを支持していたが具体的な犯罪を犯したわけではない」
「ラビエヌス、状況を理解してほしい」
ラビエヌスの声に明らかな動揺が混じっていた。彼の正義感がこの命令に反発していることは明らかだ。ひと呼吸の間を置くため、俺はゆっくりと椅子から立ち上がり、彼の前にアスクルム周辺の地図を広げながら話を続けた。
「恐らくストラボはアスクルムを包囲するだろう。その時、市内に武装蜂起を企む者たちがいればどうなる? 街全体が戦場になるだろう。それは俺たちが今まで守ろうとしてきたものが、全て失われることを意味するのに等しい」
「それは分かる。理屈は分かるが……」
ラビエヌスが言葉を飲み込んだ。彼の内面で理性と感情が激しく争っているのが見て取れる。……辛いだろうな。だが心を鬼にしなければならない。
「彼らは人質交換を計画し、実行した経歴がある。本来はあれだけで拘束されても不思議ではない。今回の拘束後に家宅捜索すれば、物的証拠も見つかるかもしれない」
「……」
「君が今まで街を守るためにこれまで心身ともに尽くしてきたことを俺は知っている。自警団を組織し、市民の安全を確保し、ずっとこの街の混乱を防いできた。その君だからこそ、この最後の仕事を任せたい」
「最後の仕事……」
ラビエヌスがその言葉を反芻する。その瞬間、彼の表情に深い悲しみが浮かんだ。
「ティトゥス、正直に聞かせてくれ。リクトル兄貴の逃亡も、お前の計画の一部だったのか?」
その意図していなかった質問に不意をつかれ、俺は一瞬答えに窮する。
ラビエヌスの鋭い洞察力を甘く見ていた。彼は単純な少年ではない。この数ヶ月間で政治的な駆け引きの基本を理解するようになっていた。
「……そう思うか?」
「答えになってない」
「直接的に追い出したわけではない。ただし、彼が自発的に出て行くような状況を作り出したのは事実だ。それはアスクルム、そして何よりリクトル自身を救う道でもあったからだ。」
ラビエヌスの拳が握りしめられる。しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。声がかすれて聞き取れないほど小さい声だった。あの黒章隊を鼓舞するラビエヌスがこんな声を出すなんて……。
「兄貴は最後まで、お前を信じていた。『ティトゥスは街のために最善を尽くしている』と言っていた。それなのに、俺は一体何をしてきたんだろう?」
「ラビエヌス……」
「俺は何をしているんだ? 兄貴を見捨て、今度は市民を拘束する。これが街を守ることなのか?」
彼の声が震え始める。その言葉に心が重くなる。ラビエヌスの苦悩は理解できるし、彼の言うことも間違ってはいない。だが同時に現実的な選択肢が他にないことも事実だった。
「君は何も間違ったことはしていないさ、ラビエヌス。リクトルも、そしてこれから拘束される十二名も、悪人ではない。ただし、彼らの理想と現実との間に、埋められない溝があるだけだ」
「理想と現実……」
「リクトルの理想は美しかった。だがその理想を実現しようとすれば、数千の市民が戦火に巻き込まれることになる。パピリウス派の十二名も同様だ。彼らの信念は理解できるが、その信念に従えば街が破滅する」
ラビエヌスが窓の外を見つめる。その横顔には、少年から青年への移行期特有の複雑な表情が浮かんでいた。その彼に言い聞かせるように語りかけた。
「だから、誰かが汚れ役を引き受けなければならない。理想主義者たちを排除し、現実的な解決策を実行する。それが俺の役割だ」
「そして俺の役割は、その実行部隊ということか」
「ラビエヌス、君にしかその役割を任せられない」
ラビエヌスを見つめて、言葉を続ける。
「君は俺のような現実主義者でありながら、同時にリクトルから受け継いでいる正義感を持っている。だからこそ必要以上に理想に走ることも残酷になることなく、適切な行動をもって任務を遂行できる。これは君にしかできない仕事だ」
長い沈黙が続いた。ラビエヌスの表情に様々な感情が入り交じる。やがて、彼が深いため息をついた。
「分かった。やる」
「ラビエヌス……ありがとう」
「ただし、条件がある」
彼の目に強い意志が宿っているのが見える。迷いは感じられない。どうやらラビエヌスは深い森を抜け出したようだな。
「拘束は最小限に留める。暴力は使わない。そして、彼らの言い分も聞く」
「……もちろんだ」
「それともう一つ。これが終わったら、俺は黒章隊の指揮権を返上する」
ラビエヌスが椅子から立ち上がり背を向ける。その言葉に一瞬虚を突かれ、驚きを隠しきれなかった。
「なぜだ? 理由を聞かせてほしい」
「……俺は街を守るために自警団を作った。市民を拘束するためじゃない。この仕事が終われば、俺の役割も終わりだ」
ラビエヌスは俺に背を向けたまま、少し俯いている。肩をいからせ両手をきつく握りしめていており、その決意が固いのが見てとれた。彼なりの筋を通そうとしているのだろう。
「君の決断を尊重する。だが、街はまだ君を必要としているよ」
「……それはお前が決めることじゃない。それは、俺自身が決めることさ、ティトゥス・クリスプス」
その言葉に彼の成長を確かに感じた。
彼はもはや、俺の指示に盲従する少年ではなく、自分の価値観に基づいて判断する青年になっていた。
「いつ実行する?」
「明日の夜明け前だ。市民の動揺を最小限に抑えるため、できるだけ人目につかない時間帯を選ぶ」
「分かった。それじゃ俺は準備に入る」
ラビエヌスが部屋を出て行く際、その背中に深い悲しみが刻まれているのが見えた。彼の少年時代が、確実に終わろうとしている。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(世の中は綺麗事だけでは済まない時があります。そこから目を背けるのか、それとも見つめた上で行動するのか。その人物の姿勢が、背中が人生を形づくり、そして歴史が紡がれていきます)
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