第63話『史実を知る者の苦悩』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)六月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
サルウィウス家の書斎は薄暗く、午後の陽光が格子窓から斜めに差し込んでいる。壁に掛けられた古い地図と机上に広げられたピケヌム地方の詳細図が、この重要な会談の舞台を僅かに彩っていた。
議論は平行線を辿る。
リクトルの信念は深く、論理だけでは動かせなかった。
だがこちらにも諦める気持ちは微塵もない。俺は最後の説得に踏み切ることにした。
「リクトル殿。昨年のセルウィリウス事件で、私は確かに判断を誤ったかもしれません。しかしあの時も今も、アスクルムを守りたいという気持ちは同じです」
ここでリクトルの表情が初めて僅かに和らいだ。
「君のその思いが本物であることは、私自身もよく知っている。あの時は助かったよ。ラビエヌスからも聞いているしね」
「ありがとうございます。……仮に武装蜂起を行うとして、その後はどうなるとお考えですか?」
「ローマを追い払い、自由を勝ち取る」
リクトルは胸を張り誇らしげに答える。
……そんな簡単だったら、誰も苦労しないんだよ!
思わず本音が漏れそうになり、慌てて口を噤む。少し冷静になろう。落ち着け、ティトゥス。
「その後です」手元の地図に視線を向けさせる。
「アスクルムが仮に独立したとして、その後はどうなるでしょうか。ローマが市民権を認めれば、おそらく一部のごく僅かな都市を除いて皆がローマになびくでしょう。貴方の定義で言えば、周囲はすべてローマの属州とも言える土地になるのです。そのときアスクルムはどうなりますか? 貿易はどうしますか? 防衛はどうしますか?」
リクトルの表情に衝撃の色が浮かび、返答に詰まる様子が手に取るようにわかった。
「長期的な計画なしに戦争を始めれば、たとえ勝利したとしても、最終的には破綻します」
「……」
「アスクルムは単独では生きられません。周囲の都市だけではなく、半島外の都市ともつながっています」
「……」
「相手はローマだけではないのです。周囲全てを敵に回すのならば、周囲全てを併合するくらい闘いに明け暮れなければなりません。アスクルムが唯一の国家となるまで、貴方に戦い続ける覚悟はありますか?」
「では、お前はどうしろと言うのだ!?」
リクトルは声に苛立ちを混じえながら、立ち上がり絶叫した。俺を凝視する視線が熱い。
その瞬間、彼の目の奥に古い傷の影が見えた。
ウェルケッラエの戦場で、同盟市兵として戦った仲間たちが二等市民として扱われた屈辱。
父が『ローマとの友好』を信じて失った家の財産。リクトルにとって、妥協とは単なる敗北ではなく、すべてを失った過去の再現だ。
……それでも。俺は。
「時間を稼いでください。ローマの情勢を見極め、最も有利な条件で交渉するのです」
「……交渉、か」
しばらく立ちつくし、黙っていたリクトルはふと力を抜き椅子にドスンと座る。顔は片頬だけひきつり上げ、冷笑している。
「やはり君は、相変わらずローマを信じているのだな」
石畳の道を歩きながら商会へと戻る途中、俺は今しがたの会談を振り返っていた。夕刻が近づきアスクルムの街並みに長い影が落ちている。職人たちが仕事を終えて家路につく足音が響き、市場からは商人たちの片付ける音が聞こえてくる。
結局、話し合いは平行線のまま終わることとなったが、一つの希望が見えていた。
リクトルは俺の話を最後まで聞いてくれたのだ。
それは、彼の中にもわずかな迷いがあることを示している。そしてセルウィリウス事件について触れたとき、彼の表情が変わったのも見逃さなかった。
しかし、その先の解決策が見当たらなかった。
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六月下旬、ラビエヌスが再び俺のもとを訪れていた。
商会の応接間に通したラビエヌスは、いつもの快活さを見せず、表情に影を落としていた。窓の外では蝉の鳴き声が響き、初夏の暑さが部屋にこもっている。冷たい水を用意させながら、俺は彼の疲れた表情を横目で見やっていた。
「兄貴との話はどうだった?」
「……すまん、正直うまくいかなかった。彼の信念は想像以上に強い。そして、昨年のセルウィリウス事件が大きな障害になっている」
俺が正直に話すとラビエヌスは落胆した表情を見せた。
「そうか…」
「だが、まだ諦めるつもりはない。別の方法を考える」
「別の方法?」
ラビエヌスに自分の本心を誤解されないよう、慎重に言葉を選びながら、真意を伝えていく。
「リクトル殿を直接説得して方向転換させることは、正直言ってかなり難しいと思う。だが彼を支えている環境や条件を変えることは、もしかしたらできるかもしれない」
「どういう意味だ?」
「武装蜂起計画に必要な要素を、一つずつ取り除いていく」
「つまり、兄貴が冷静になれる環境を作るということか?」
「上手い言い方をするな。そうだ、リクトル殿を孤立させるのではない。彼が正しい判断をできる状況を作るんだ」
だが本当にこれで良いのだろうか。
史実を知る者として、俺はアスクルムの破滅を防ごうとしている。
しかし、この一年で築いたラビエヌスとの友情、リクトルへの敬意
——それらは計算で生まれたものではない。
もし俺の知識が間違っていたら? もしリクトルの理想こそが正しい道だったら?
現代日本人としての価値観と、この時代に生きる者としての感情が胸の内で静かに対立している。
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日が完全に暮れ、街に灯りが点り始めた頃。
商会の奥にある俺の私室で、密談のための準備を整える。扉には外から鍵をかけ、窓には厚手の布を掛けて外部からの視線を遮った。燭台の炎が三人の顔を揺らめく光で照らし出す。
その夜、デモステネスとソフィアを呼び寄せ、新たな作戦を伝える。
「リクトルの支持基盤を分析してほしい。誰が彼に協力し、誰が反対しているのか。資金の流れもだ。サルウィルス家だけなのか、十七名家の支援があるのかどうか……」
と、考えていた指示を出す。
だが、表面的な情報収集だけでは不十分だ。もっと深いところで動いている力の流れを掴まなければならない。
「承知しました、ティトゥス様」
ソフィアがニコッと表情を和らげて答えてきた。このタイミングでよくここまで笑えるな……と思っていたら、どうやら彼女の生まれ故郷では、ここ一番の大勝負の際は全力で微笑むものだそうだ。奥が深い。
「ソフィア、特に注目してほしいのは女性たちのネットワークだ。男性の政治会議では表に出ない情報が、夫人たちの集まりでは語られることがある。市場での立ち話、井戸端での噂、宗教儀式での雑談——そうした場所でリクトルがどう語られているかを探ってくれ」
「かしこまりました、ティトゥス様」
今度は一瞬眉をひそめたが、すぐに理解したような表情を見せた。女性同士の会話から政治的情報を探るという任務の重要性を、彼女なりに察したのだろう。
「それは確かに重要ですね。男性たちが建前で語ることも、女性たちは本音で話すことが多いですから」
ソフィアに頷き目配せをした後、今度はデモステネスに向き合う。
「デモステネス、君には更に重要な任務がある。近隣のイタリア諸都市との連絡網を詳しく調べてくれ。リクトルが外部から受けている支援の実態を明らかにしたいんだ。特にマルシ族のウィダキリウスやサムニウム族の過激派——彼らがアスクルムにどの程度まで食い込んでいるかを知る必要がある」
「承知しました、若様。今のリクトル殿の勢いは明らかに市外からの勢力の支援の影響と思われます。まずは外からの情報をどうやって入手しているのか、そこから確認します」
「頼む、デモステネス。そしてもう一つ——」
ここで俺は立ち上がり、地図の前に移動した。
アスクルムとその周辺都市を結ぶ街道に指を這わせながら話を続ける。
「十七名家の中で、誰がリクトルの真の盟友で、誰が表面的に同調しているだけなのかを見極めたい。特にパピリウス・ルクルス——彼の動きには要注意だ。準名家という微妙な立場から既存秩序の破壊を狙っているからな」
デモステネスが鋭い目つきで地図を見つめる。
「パピリウス殿は危険ですね。十八番目という中途半端な位置だからこそ、現状打破への欲求が人一倍強い。そして演説の才能がある——民衆を煽動する能力は十七名家の誰よりも上かもしれません」
「その通りだ。彼がリクトルを利用して自分の野心を実現しようとしているなら、事態はもっと複雑になる」
ソフィアを真似してニコッと微笑むと、デモステネスは優しく微かな笑みを返してくれた。
俺は再び着席し、二人の顔を見回した。
「最終的な目標は、リクトルの理想主義を現実的な方向へ誘導することだ。だが、そのためには彼を取り巻く全ての要素を把握する必要がある。金の流れ、人の繋がり、情報の経路、民衆の心理——すべてが絡み合っている」
「期限は?」ソフィアが問いかける。
「二週間だ。夏が終わる前に、我々は決断を下さなければならない。ストラボの包囲が始まれば、すべての計算が無意味になる」
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重い足音が廊下に響き、やがて遠ざかっていく。残された部屋には燭台の炎だけが静かに揺れ、机上の地図に小さな光の輪を作っていた。
二人が部屋の外に出て行って独りになった俺は、窓の外に視線を向けた。初夏のアスクルムの夜空に星が瞬いていて、月明かりが街を照らしている。
いずれ近い将来、この美しい街には選択の時が来る。血を流さずに生き残る道を選ぶか、理想のために滅びる道を選ぶか。
これは単なる説得の問題ではない。アスクルム全体の政治構造を再構築する大事業だ。
——リクトルを止めなければ、この美しい街は戦場になる。
だが、彼を敵に回すわけにはいかない。
俺の真の戦いは、その選択を左右することにある。リクトルを止めるだけでは十分ではない。パピリウスのような野心家の暗躍を封じ、十七名家の分裂を修復し、市民の心を一つにまとめなければならない。
これが俺にとって二回目の人世の中で、最も困難な挑戦になりそうだった。
単なる史実の知識では太刀打ちできない、人の心に関わる複雑な問題。理想主義者の純粋な動機を、どうやって別の方向に向けるか。
史実を知っているという優位性に頼りすぎていたのかもしれないな。
リクトルが武装蜂起に固執するのは、単なる理想主義ではなく、彼なりの深い信念と痛みに基づいている。それを『非現実的』と切り捨てることは、この世界で出会った人々への裏切りにもなりかねない。
ラビエヌスのことも心配だ。今の彼はリクトルの件で安定さが欠けている。この状況が長く続けば自警団の活動にも影響が出かねない。
そしていずれラビエヌスは、カエサルを捨てポンペイウスの元へ走ることになる。その思いは2020年代まで残されていなかったから理由は定かではない。カエサルも書き残していないからな。
もしかすると、今ここで起きていることが、何かしらの影響を与えるのかもしれない。彼の心に深い傷を残すことに繋がるかもしれない。
握りしめた拳に力を込め、決意を固める
絶対に阻止してみせる。リクトルの暴走も、ラビエヌスの苦悩も、すべて解決してみせる。
そのために、まずは現在の危機を乗り越えなければならない。
やれやれ。やること多すぎだよ。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(頭が固い人の相手って、疲れるときがありますよね‥‥)
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