第61話『引き裂かれた友情』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)三月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
そんな中、最も複雑な立場に置かれたのがラビエヌスだった。
彼は俺の現実主義的な方針を理解し、協力してくれている。だが同時にリクトルは彼の剣術における兄弟子であり、人生の手本とする人物でもある。
ある夕方、ラビエヌスが俺のもとを訪れた。その表情には明らかに迷いが浮かんでいる。
「ティトゥス……。リクトル兄貴の話は聞いているか?」
「ああ。君はどう思う?」
ラビエヌスは長い間沈黙していた。やがて、搾り出すような声で答えた。
「兄貴の気持ちは分かる。俺だって、ピケヌム人としての誇りはある」
「しかし?」
「でも、お前の言うことも正しいと思う。無謀な抵抗は多くの血を流すだけだ。……どうすればいいんだ、ティトゥス。俺は兄貴を尊敬している。だが、街を滅ぼすわけにはいかない」
ラビエヌスは拳を握りしめて言葉を絞り出す。その声には、深い苦悩が込められていた。現実主義と理想主義、実利と誇り、友情と義理——様々な感情が彼の中で渦巻いている。
「ラビエヌス。君は間違った選択をしているわけではない。ただ、今は状況が複雑すぎるだけだ」
「複雑、か。お前はいいよな。いつも冷静で、正しい判断ができる」彼は苦い笑いを浮かべた。
「そんなことはないよ。俺だって常に迷っている。特に、リクトル殿のような一本気で真面目な人への対応は、本当に難しい」
首を振りながら答えたが、これは本音だった。史実の知識があっても個人の行動まで予測することは不可能だ。特にリクトルのような理想主義者は、論理よりもある意味、一時の感情で瞬発的に動く。そんな相手に計算だけで対処することはできなかった。
リクトルは十年前、マリウス将軍と共にウェルケッラエの戦いでキンブリ族と戦った。そこで彼が目にしたのは、命を懸けて戦う同盟市兵士たちが、勝利の後では二等市民として扱われる現実だった。
『戦とは剣を振るだけでなく、何を守りたいかを決めてから握るもの』
——それが彼の信念だ。俺の現実主義とは正反対の、純粋すぎる正義感。だからこそ厄介なのだ。
「ティトゥス、お前もそうなんだな」ラビエヌスが真剣な表情で続けた。
「前にも聞いたが、もし兄貴が本当に武装蜂起を起こしたら、俺はどうすればいい?」
「それは君が決めることだ。俺には君に指図する権利はない。君の心と身体は、君自身のものなのだから」
率直な返答を心がけ答えを返したものの、ラビエヌスは食い下がる。
「でも俺は、お前の意見が聞きたい」
しばらくの間、自身の考えを巡らせていた。
この答えがラビエヌスの人生を、そして将来の運命を決めるかもしれない。
史実のラビエヌスは、遠い将来、内乱に陥ったローマでカエサルを裏切っているのだ。
ただ、今目の前にいるラビエヌスと知り合い、彼のことを知った今では、このラビエヌスがカエサルから離れる理由に全く検討がつかないのだ。
筋が通っており、情に厚く、決して裏切らない男。
それが俺の中で漠然とした不安に繋がっている。
「俺は、」ゆっくりと口を開いた。
「リクトル殿を止めたい。だが、彼を敵に回すつもりはない。彼は間違った方法を選んでいると俺は思うが、動機は純粋であり、そこに関しては決して間違ってはいないと思う」
「止める方法があるのか?」
「ある。彼に別の選択肢を提示する。武装蜂起ではなく、政治的解決の道を」
「どうやって?」
「……今、それを考えている」
「……そうか」
「すまん」
「いや、大丈夫だ。俺ももっと考えるよ。ありがとな、ティトゥス」
ラビエヌスが帰宅した後、リクトルへどう対応すべきか思案を巡らせたが妙案が浮かばない。ローマ軍が反撃するまで待つしかないのかもしれない。それでラビエヌスが納得するとは思えないが……。実に頭の痛い問題だった。
俺は一人、暖炉の前に座り込んで炎を見つめていた。
史実の知識があるはずなのに、なぜこれほど無力感に苛まれるのだろう。
大きな流れは読める。ルプスの戦死、ストラボの台頭、アスクルムの包囲戦——すべて予定通りに進むはずだ。だが個人の心の動きだけは読めない。リクトルがいつ暴発するのか、ラビエヌスがどちらを選ぶのか、それらは俺の知識の外にある。
俺にとって、すべては計算で解決すべき問題のはずだった。
利益と損失、リスクとリターン——祖父も父も、そうやって商会を発展させてきた。ラビエヌスを友人ではなく戦力として見るべきなのかもしれない。彼の自警団を確保し、リクトルを中立化し、アスクルムの混乱を最小限に抑える。それが正しい選択だ。
しかし、ラビエヌスの苦悩に満ちた表情が頭から離れない。あの真剣な眼差し、震える声、必死に答えを求める姿——彼は俺にとって単なる『駒』ではなく、かけがえのない友人なのだ。友人の苦しみを利用して目的を達成するなど、俺にはできない。
矛盾している。
俺は街を守りたい。
だが同時に、ラビエヌスも守りたい。
この二つの欲求が両立しない時、俺はどちらを選ぶべきなのか。商人として合理的に行動すべきか、友人として感情的に支援すべきか。答えが見つからない。
そして何より恐ろしいのは、将来への不安だった。
ラビエヌスはいずれカエサルを裏切る。だが今の彼を見ていると、そんな裏切りなど考えられない。
ということは、これから起きる何かが、彼を変えてしまうのだろうか。
その『何か』に、俺自身が関わっているのだろうか。
もしそうなら、俺の今の選択が、将来の悲劇の種を蒔くことになるのかもしれない。
史実を知っているからこそ感じる絶望感。未来を変えたいと思いながらも、個人の心を読めない無力感。俺は炎を見つめながら、自分の限界を痛感していた。
一方で、俺のもう一つの懸念はパピリウス・ルクルスの存在だった。
彼は昨年のセルウィリウス来訪事件以来、俺とは完全に決裂していた。俺がセルウィリウスに忠誠を誓ったことを「裏切り」と見なし、それ以来、俺を敵視している。
「あいつはローマの忠実な番犬ですらない。ただの意地汚い狼だ!」
市議会でパピリウスが叫ぶ声が聞こえてくることがある。
「クリスプス家の小僧は、俺との約束も反故にした」
確かに俺は、パピリウスとの間で十八名家設立について話し合った。だが、セルウィリウス来訪事件での俺の対応により、十七名家との関係が微妙になってしまった。
反ローマ派からは『ローマ寄り』と疑われ、親ローマ派からは『信用できない』と警戒される。そんな状況で新たな政治的枠組みを作ることは不可能だった。
しかし、パピリウスにはそんな事情は理解してもらえない。彼にとって俺は、約束を破った裏切り者でしかないのだろう。
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五月、執政官ルプスがトレヌス川渡河を決行する準備を始めた。ストラボは、ルプス軍の副将として従軍するようだ。作戦提案はマリウスによるものだったが、複雑な作戦内容に不安を感じる将兵も多かったらしい。
アスクルムでは、ローマ側の動きの活発化に対応して反ローマ派の結束が強まっていた。市議会でもウィダキリウス派の発言力が増し、穏健派は押され気味だった。
デモステネスが報告してくれる内容も良いところがほとんどない状況だ。
「若様、状況は厳しくなる一方です。市内の商人たちも、多くが反ローマ派に傾いています」
「仕方ない、生存本能だろう。皆が不安でいっぱいだからね。今のアスクルムでは、反ローマ派につくことが安全だと判断されている」
「では、私たちはどうすべきでしょうか?」
ソフィアが尋ねてきた。さすがに肝の太い彼女でもこの状況には不安を覚えているのだろう。
「耐える。そして機会を待つ」
だが、その機会がいつ来るかは現時点では分からない。さらに、それまでにアスクルムがどのような状況に陥るかが、予測困難だった。
特に、リクトルの動向が最大の不安材料だった。
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そんな五月下旬のある日、季節はずれの暑さで皆がばてていた日の夕方、ラビエヌスが汗一つ浮かべることもなく俺のもとにやってきた。その表情にはこれまで見たことのないような深い苦悩が見てとれた。
「ティトゥス、話がある」
「何だ?」
「兄貴が俺に協力を求めてきた」
「何の協力を?」
「自警団を、兄貴の武装集団に合流させろ、と」ラビエヌスは苦しそうに続けた。
「『お前の力が必要だ。一緒にアスクルムを守ろう』と言われた」
これはある意味予想していた通りの展開だった。リクトルが武装蜂起を計画しているなら、ラビエヌスの自警団は貴重な戦力になる。
「……君はどう答えた?」
「まだ答えていない」ラビエヌスは頭を抱えた。
「兄貴を裏切ることなどできない。だが、お前との約束も破りたくない」
「……ラビエヌス、君はリクトルのことをどう思っている?」
「尊敬している。心から」即答だった。早い。
「兄貴は俺にとって理想の人物だ。強く、正しく、誇り高い」
「では、なぜ迷っている?」
ラビエヌスは長い間沈黙していたが、やがて、か細い声で答えた。
「兄貴のやろうとしていることは、街を戦場にすることだ。多くの人が死ぬ」
「そうだね。リクトル殿は清廉潔白な信頼できる人だが、今回は間違った方法を選んでいる」
「だが、俺が協力しなければ、兄貴は一人で戦うことになる。それは見捨てることと同じじゃないか?」
ラビエヌスの苦悩は深かった。彼は敬愛する兄への忠義と、街への責任の間で引き裂かれている。
……ここに至って決断するしかないな。
「ラビエヌス、俺に任せろ」
「何をするつもりだ?」
「リクトル殿と直接話をする。武装蜂起以外の道があることを説明する」
「本当に止められるのか?」
「……わからない。だが、やってみる価値はあると思う」
これ以上、リクトルのことを放置するわけにはいかなかった。なんとか面談の約束を取らなければ……。
リクトルに面談の申し込みを行ったが返事がない。翌日、再び使者を送る。沈黙。
三日目、今度は直接彼の屋敷を訪れたが、門前払いを食らった。
「サルウィウス様は多忙につき」
——それが門番の答えだった。
一週間が過ぎた。街の空気が日に日に重くなっていく。市場では反ローマ派の若者たちが集団で練り歩き、親ローマ派の商店に嫌がらせを始めていた。デモステネスからの報告によれば、リクトルの支持者たちが密かに武器を集めているという噂もある。
「ティトゥス様、もう時間がありません。このままでは手遅れになります」ソフィアが不安げに言った。
十日目の夜、俺は眠れずにいた。窓の外からは遠くで響く太鼓の音が聞こえてくる。反ローマ派の集会だろう。その単調なリズムが、俺の心臓の鼓動と重なって聞こえた。リクトルは何を考えているのか。なぜ俺を避けるのか。彼の沈黙が、かえって不吉な予感を募らせる。
十二日目の朝、ついに決定的な知らせが届いた。ラビエヌスが青い顔で駆け込んできたのだ。
「ティトゥス、兄貴が明日の夜に決起すると言っている。もう止められない」
時間切れだった。俺の外交努力は完全に失敗に終わった。史実の大きな流れは変えられても、個人の意志は制御できない——その現実を、今まさに思い知らされていた。
何度か催促の使者を出している間に、北部戦線の戦況を大きく変える日がやってきてしまった。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(本当に未来がわかっていたとしても、やはり総てを拾い上げるのは難しいですね。人は神ならざる者なり、ですね)
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