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『オリーブと梟』第一部 アスクルムの戦い  作者: 岡田 平真 / オカダ ヒラマサ
〜 同盟市戦争 勃発
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第55話『雪と血の予感』

ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十二月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス




 初雪が城壁を薄化粧で包んだ十二月の朝、俺は商会の二階書斎で羊皮紙に向き合っていた。暖炉の薪がパチパチと音を立てているが、それでも室内は底冷えがして、吐く息が白くかすかに見える。窓の外では雪がしんしんと降り続き、普段は賑やかな街路も静寂に包まれていた。

 石造りの建物の屋根には真っ白な雪が積もり、まるで街全体が深い眠りについているようだ。インクが凍りかけた筆先で数字を記していると、外から鐘の音が響く。市場開設を告げるものだが、いつもより沈んで聞こえた。まるで霧に包まれたような、くぐもった響きだった。雪に音を吸い取られているせいもあるだろうが、どこか不吉な予感を感じさせる響きだった。


 「ティトゥス様、よろしいですか?」

 ソフィアの控えめなノックが三回、規則正しく扉を叩く。この時代の部屋に扉は珍しく、この執務室には俺が頼んでつけてもらった。どうも落ち着かないんだよね。皆、不思議がるんだけど。

 

 「デモステネスが呼んでいますよ。緊急の報告があるとのことで」

 ソフィアは顔だけ出して用件を伝えると、中に入ってきた。

 

 彼女に礼を言うと、書きかけの帳簿を急いで巻き取った。羊皮紙が乾いた音を立てて丸まっていく。何か重要な知らせに違いない。彼女と共に階下へ向かう足音が、石の階段に硬く響いた。事務室へ向かうと、デモステネスは机の上に地図を広げ、その上に幾つかの文書を置いて待っていた。表情がいつもより硬い。


 「若様、各支店からの報告をまとめました」

 彼の声にやや緊張が宿っているように感じる。嫌な予感がするな。

 

 「状況は我々の予想を超えて悪化しています」


 やはりな……。重い腰を椅子に下ろすと、覚悟を決めて彼の報告に耳を傾けた。


 「まずフィルムムからです。グナエウス・ポンペイウス・ストラボが、シチリア総督時代の汚職追及を『治安視察』で煙に巻きながら、実質的にピケヌム全域の制圧準備を進めています」


 デモステネスが最初の文書を取り上げると、パリパリと羊皮紙の擦れる音が緊張感を煽った。


 「ドルースス死去を受け、彼はフィルムムで『護民の父』感謝祭を挙行しました。祭祀費用の大半を自らがシチリアで得た資金を用いて賄い、贅沢三昧の饗宴で地元豪族を懐柔したようです。その夜、息子のグナエウス・ポンペイウスに『次はお前の番だ』と語り、私兵軍団を事実上譲渡したと報告されています」


 衝撃で思わず身を乗り出してしまう。

 

 「ポンペイウス・マグヌス……いや、息子に実質的な軍団指揮権を?」

 

 「マグヌス……? さすがにこの時点で指揮権を息子に移管することはないかと。しかし後継者を明確にし、一族でピケヌムを平定する意志を前面に出したもの、と周囲には理解されております。なお北部反乱派は冬季訓練を開始し、武具鍛造の炉跡がラッファー橋近辺で見つかっております。両者の武力衝突は近いものかと」

 

 無意識のうちに、顎に手を当てて深い思案に沈んでいた。

 

 「冬季訓練……ということは、春には本格的な衝突が始まるということか」

 

 「その通りです。雪解けと共に血が流れることになるでしょう」

 

 デモステネスの声に重い諦めが混じっていた。

 

 衝撃を受ける俺を置き去りに、デモステネスは淡々と二枚目の文書をめくった。紙の音が妙に大きく聞こえる。机の端に置かれた蝋燭が、いつの間にか三分の一ほど短くなっていた。炎がゆらゆらと揺れ、報告の重さを物語っているようだ。

 

 「更に深刻なのは、ドルースス暗殺の余波でローマ元老院が完全に分裂状態に陥っていることでしょう。イタリア同盟市への市民権付与問題を巡り、連日激しい議論が続いているものの、もはや建設的な話し合いは不可能な状況です。ローマが混乱していることを端的に表す事例となっています」

 

 頭の中で記憶の断片が蘇った。前90年――同盟市戦争の本格開戦年。ルキウス・カエサルとプブリウス・ルプスが執政官となる年だ。

 

 「ローマ元老院の対応は?」

 

 「既に選出されているルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスの前90年執政官就任を前に、元老院は非常権限でイタリア全土に調査兼制圧のためのプラエトル派遣を決定しました。コルネリス・スッラも東方属州から帰還途上で、ローマ支店は、『元老院は戦争の気運はもはや抑え難く、戦争は不可避の状況である』と報告しています」

 

 「スッラの帰還か。彼が戻れば、状況はさらに複雑になるな……」

 

 深く息を吸って心を落ち着かせ、ゆっくりと吐き出し、呟いた。

 

 「若様もスッラ将軍をご存知ですか?」

 

 「名前だけはな。東方で名を上げた男だろう?」

 

 「はい。非常に有能ですが、同時に非常に危険な人物とも言われています」



 スッラ……知っているどころじゃないぞ。超有名なスーパースターだ。独裁者スッラ。やはり俺の知る史実の通りに、歴史の歯車が動き始めている。セルウィリウス訪問の一件で何とか当座をしのいだが、あれは一時しのぎに過ぎない。状況は確実に悪化している。

 

 「ブリンディシウムとタラントゥムからの報告はどうなっている?」

 

 「東方からの情報収集を強化させています。特にロードス島やアテネの学者たちから、政治情勢の分析を求めているようです」


 デモステネスが三枚目の羊皮紙を広げる音が、静まり返った室内に響いた。

 

 「具体的にはどの程度の影響が?」

 

 「アレクサンドリアからの香辛料が二割ほど値上がりし、シルクの入荷も遅れがちです。何より船主たちが航海を渋っているのが問題です」

 

 「とはいえ、まだ完全に断絶したわけではないんだな?」

 

 「はい。ロードス島の商人たちは『戦争が始まっても東方貿易は続ける』と言っております。彼らにとっても利益の源泉ですから」

 

 少しだけ安堵した。東方ルートが生きていれば、最悪の事態は避けられるかもしれない。

 

 「そうなると、我々の主力商品にも影響が出るな」

 

 「残念ながら、そうお考えいただいた方がよろしいかと」

 

 あの時のセルウィリウスの冷たい視線を思い出すと、背筋が寒くなる。彼は俺たちを完全には信用していない。むしろ、いつでも粛清できる駒として泳がせているだけなのだろう。

 俺がぎゅっと眉をひそめたタイミングで、ソフィアの軽やかな足音が階段から聞こえてきた。

 

 俺がぎゅっと眉をひそめたタイミングで、ソフィアの軽やかな足音が階段から聞こえてきた。湯気の立つ温かい飲み物を持ってきたようだ。

 

 「ティトゥス様、身体を冷やしてはいけませんよ」

 

 彼女の気遣いに感謝しながら、陶製のカップを両手で包むように取った。温かさが冷え切った指先に染み渡る。中身はヤマモモの葉を煎じた、身体を温める薬草茶だった。少し口に含んで、ほのかな苦味と草の香りに心を落ち着かせる。長時間の緊張で喉が渇いていたことに、今更ながら気づいた。

 

 「いつもありがとう、ソフィア。君がいてくれると心強い」

 

 「とんでもございません。ティトゥス様のお役に立てるのが私の喜びです」

 

 彼女の穏やかな笑顔に、束の間だが心が和んだ。こんな時代でも、変わらずに俺を支えてくれる人がいる。それだけで少し救われる気がする。

 

 そのままデモステネスに報告を続けるよう促した。

 

 「カプアとネアポリスの状況は?」

 

 「南方の軍事的緊張も高まっています。サムニウム方面の反乱軍が活発化し、ローマ軍の動員も本格化しています」


 「サムニウムが動いたか……彼らは手強い相手だ」

 

 「ええ。山岳地帯での戦闘経験も豊富ですし、地の利も彼らにあります」

 

 「ローマ軍の規模はどの程度?」

 

 「現時点で三個軍団が派遣されているとの情報です。ただし、これはまだ序の口かと」

 

 俺が地図上のサムニウム地方を憂慮の眼差しで見詰めていると、デモステネスが南部地方を指差した。

 

 「我々の南方支店は、当面は情報収集に特化し、大きな商取引は控える方針です」


 クリスプス商会は表向きローマに忠誠を誓っているが、実際のところ、どちらに転んでも生き残れる保証はない。ローマが勝てば「同盟市の手先」として、同盟市が勝てば「ローマの走狗」として、どちらからも裏切者扱いされかねない。最悪の場合、商会の全財産没収、一族郎党の処刑もあり得る。


 立ち上がり足音を床板に軋ませながら窓辺に歩み寄ると、俺は外の様子を見下ろした。窓の向こうから、冷たい風が建物の隙間を縫って吹き抜ける音が聞こえてきた。しかし、市場では商人たちが雪にも負けずに商売を続け、子供たちが雪玉を作って遊んでいる。

 まだ日常は続いているのだ。先ほどまでちらつくだけだった雪は、いつの間にか本格的に降り始めており、石畳にうっすらと白い筋を描いている。それでも人々は普通に生活している。もしかしたら、俺が考えているほど事態は深刻じゃないのかもしれない。

 

 「市内の状況も良くないな……」


 苦い現実を呟きながら振り返ると、椅子がギシリと音を立て、デモステネスが重々しく頷いた。

 

 「穀物価格の不安定化が続いています。市民の間には戦争への恐怖が広がり、買い控えと買い溜めが同時に起きています」


 「十七名家の動向は?」

 

 内心では一縷の希望を抱いていた。セルウィリウスへの対応で混乱はしたものの、結果的にローマの疑いは晴れた。名家たちも最終的には俺の判断を理解してくれるのではないだろうか。もしかしたら、結束を取り戻せるかもしれない。

 特に危険なのは、俺が十七名家を勝手に代表して誓いを立てたことだ。他の名家からは完全に孤立し、いざという時の逃げ道を自ら断ってしまった。

 

 この質問を口にした瞬間、室内の空気がさらに重くなったように感じた。外では風が強くなり、窓枠を軋ませている。手元のカップはすでにぬるくなり、蝋燭も半分以上が溶けて短くなっていた。気がつけば、もう一刻(約2時間)は経過していただろう。

 

 「……それが最も深刻な問題です」

 

 デモステネスの表情が暗くなり、最後の文書を手に取る音がやけに重々しく響く。長時間に及んだ報告は、ついに最も重要な問題に辿り着いた。

 

 「あの若様が先走ったローマへの忠誠の誓いの件で、名家の結束は再び瓦解しています」




 本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。

 なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。


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(情報の精度とは、誰から仕入れるのかに尽きると思います。更に組織として情報を活用する場合は、より誰が集めた情報なのかがポイントになろうかと)



もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


第一部の登場人物一覧はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/1/


第一部の関連地図はこちら↓

https://ncode.syosetu.com/n4684kz/2/

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