第53話『最後の一手』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月初旬、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
翌朝、アスクルム市議会場は異例の光景を呈していた。
十七名家の当主たちが、史上初めて完全に統一された隊列で入場してきたのだ。通常なら派閥ごとに分かれて着席する彼らが、今日は整然と一列に並んでいる。まさか、本当にやり遂げたのか。俺は胸の高鳴りを抑えきれずにいた。昨夜の混乱を思えば、これは奇跡に近い。
セルウィリウスの表情に、一瞬の困惑が浮かんだ。昨夜の騒動で分裂していたはずのアスクルムが、なぜこれほど結束しているのか。
俺は会場の最後列に座り、この歴史的瞬間を見守っていた。昨夜の緊急会議で合意された『完璧な団結の演出』が、今まさに実行されようとしている。
「本日は最終査閲の日である」セルウィリウスが立ち上がった。
「……まず昨夜の騒動について、改めて説明を求める」
アルケウスが毅然として答えた。
「閣下、昨夜の件は一部市民による軽微な口論に過ぎませんでした。既に当事者同士で和解が成立しており、何ら問題はございません」
「軽微な口論だと? 武装した暴徒による襲撃が軽微だと?」
セルウィリウスが冷笑したその時、意外な人物が立ち上がった。カエシウス・セウェルス——昨夜まで反ローマ派の急先鋒だった男だ。
「法務官殿。私は元ローマ軍の百人隊長として、昨夜の状況を正確に把握しております。あれは暴徒による襲撃などではありません」
カエシウスの声が力強く響く。するとすぐさまセルウィリウスの目が鋭くなった。
「……では、何であったというのか?」
「若者同士の口論です。酒に酔った一部の者が大声を出しただけで、武器による実害は一切ございませんでした」
カエシウスが臆面もなく断言したのを聞き、思わず内心で感嘆の息を漏らす。なるほど、これは見事な戦術だ。老獪なカエシウスがまさか一夜でここまで心変わりするとは思わなかった。だがこの変節こそが政治の醍醐味かな。カエシウスは巧妙に事実を歪めている。
確かに『実害』はなかったが、それは俺が仲裁したからだ。しかし、その仲裁の事実を隠すことで、『重大事件ではなかった』という印象を与えようとしている。
「証人はいるのか?」
セルウィリウスが詰問すると、次々と十七名家の当主たちが立ち上がった。
「私も現場におりましたが、カエシウス殿の仰る通りです」マギウス・ルフスが証言した。
「私の息子も立ち会っておりましたが、単なる口論でした」ウァレリウス・マルクスが続いた。
「夜警として現場を見回りましたが、特に問題はありませんでした」アントニウス・ヒュブリダまでもが証言に加わった。
これは事前に打ち合わせた通りの展開だ。
十七名家が口裏を合わせ、昨夜の騒動を『軽微な出来事』として処理しようとしている。
セルウィリウスの顔が次第に赤くなっていく。彼は明らかに予想外の反応に困惑している。彼も所詮は人の子か。予想外の展開に動揺を隠せずにいる。しかし、ここで油断は禁物だ。追い詰められた獣ほど危険なものはない。
「では、人質交換の件はどう説明するのか?」
セルウィリウスが別の角度から攻めてきた時、今度はアルケウスが冷静に答えた。
「閣下、改めて市議会の議事録を精査いたしましたが、人質交換に関する正式な決議は一切ございません」
「正式な決議がなくとも、実際に行われているではないか?」
「それは個人的な交流です」
今度はリクトル・サルウィウスが立ち上がった。
「マルシ族の少年は、私個人の招待客として滞在しているに過ぎません。政治的意図は一切ございません」
リクトルまでもが、前夜に合意した『統一見解』を述べている。これほど徹底した口裏合わせは、おそらくアスクルム史上前例がないだろう。
セルウィリウスは明らかに苛立ちを隠せなくなってきた。
「……諸君は私を愚弄しているのか?」
「決してそのようなことはございません。我々は真実のみを申し上げております」
アルケウスが深く頭を下げた。
その時、腹を括った。心臓の鼓動が早くなる。
手のひらに汗が滲んでいた。だが、ここで退けば全てが終わる。賽は投げられた—今こそ、最後の一手を打つ時だ。
「法務官殿」
俺が静かに立ち上がると会場の全員が振り返る。セルウィリウスの目に、驚きと警戒が混じっていた。
「若きクリスプス殿、何か?」
「閣下に提案がございます」
会場全体に聞こえるよう姿勢を正し、胸と声を張った。
「アスクルム市民の忠誠を証明する機会をいただけませんでしょうか?」
ざわめきが起こった。セルウィリウスも困惑している。
「忠誠を証明? 具体的には何を?」
深呼吸をした。これが最後の賭けだ。
失敗すれば全てが水泡に帰す。
「アスクルム市民による、ローマへの忠誠宣誓です」
会場が静まり返った。十七名家の当主たちも提案に驚いている。これは昨夜の会議では話し合われていない、俺の独断だった。
「市民と共に中央広場で、ローマ元老院と民会への忠誠を誓わせていただきます。そうすれば、我々の真意をご理解いただけるでしょう」
セルウィリウスは考え込んでいた。ここが正念場だ。
俺の読みが正しければ、セルウィリウスは拒否できないはず。逆に拒否すれば、彼の立場が悪くなる。
この提案を拒否すれば、逆に彼の方が疑り深く見える。しかし、受け入れれば、アスクルムの『忠誠』を公式に認めることになる。
「……興味深い提案だ。では、今日の午後に実施してもらおう」
しばらく悩んでいたセルウィリウスが、最終的にはそう答えた。
内心でガッツポーズを取った。まんまと引っかかったな、セルウィリウス。これで時間を稼げる。そして、市民の団結を内外に示すことができる。
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正午過ぎからアスクルムの中央広場に市民が集まり始めた。これは建市以来整備されてきた『緊急集会システム』を全面発動した結果である。各区画から角笛が響き、商人や職人、農民も皆、老若男女を問わず広場へ向かう。およそ三時間ほどで約三千人のアスクルム市民が集結したのだ。
セルウィリウスは高台から、この状況を把握していたようだ。彼には二大隊の兵力がある。しかしこれだけの市民を相手にすることは、ローマ側にとっても現実的ではない。
戦闘になればもちろん市民側に勝ち目はないのは当然だが、彼らは暴徒ではなく非武装の一般市民である。プロの兵士であるローマ大隊にとって、戦うべき相手ではない。結局、彼らの邪魔は入らなかった。
夕刻になりアルケウス長老が代表して宣誓文を読み上げ、そして市民全員がそれに唱和した。
セルウィリウスは用意された演台の上で、この光景を険しい表情で見つめていた。彼の表情には困惑と苛立ちが混じっている。恐らく、これほど大規模で統制の取れた忠誠宣誓を予想していなかったのだろう。
「我々アスクルム市民は、ローマ元老院と民会に忠誠を誓います!」
声は波のように広場全体に広がり、周囲の建物の壁に反響して戻ってきた。数千の声がひとつになって響いた。俺の胸に込み上げてくるものがあった。これは単なる政治的パフォーマンスではない
—アスクルム市民の本当の結束がここにある。
十七名家の利害を超えて、市民全体がひとつの意志を示している。鳥肌が立った。まさか、これほどまでに心を揺さぶられるとは思わなかったな。
そしてその瞬間、確信した。少なくとも今日は、アスクルムを守ることができた。
式典終了後、セルウィリウスが俺を野営地の天幕に呼び出した。再び野営地への道を歩いていると、前回とは明らかに違う空気が漂うのを感じる。
護衛兵の視線がより厳しく、足音も重い。夕日に照らされた天幕群は変わらないが、今日の忠誠宣誓式を経て、全てが違って見える。
セルウィリウスの天幕に足を踏み入れると、前回よりも殺伐とした雰囲気が漂っていた。机の上には巻物が広げられ—恐らく今日の報告書の下書きだろう。
ランプの明かりが彼の険しい表情を照らし出している。前回の探るような視線とは違い、今度は明確な警戒心を向けられていた。
「見事な演出だったな、クリスプス殿」
セルウィリウスは椅子に腰を下ろしながら、俺を見据えた。その目には明らかな警戒心が宿っている。今日の忠誠宣誓で完全に出し抜かれたことを、彼は理解していた。
「演出ではありません。市民の真心です」
と、心にもないことを答える。まあ、所詮は時間稼ぎに過ぎないのだが――セルウィリウスにそれを悟られるわけにはいかない。ここは最後まで白を切り通すしかない。相手の出方を読み違えれば、全てがひっくり返る。
天幕内に重い沈黙が流れた。外では兵士たちが夕食の準備をしているらしく、薪の燃える音や金属の触れ合う音が聞こえてくる。セルウィリウスは指を机の上で軽く叩きながら、何かを考え込んでいた。
「真心ね……よろしい。そのように受け止めておく」セルウィリウスが冷笑しながら話し始める。
「だが、忘れるな。ローマは常に見ている。次に問題が起これば、今度はもっと厳しい対応を取ることになる」
彼の声は低く、威圧的だった。
俺の目を見据えたまま、一言一言を区切るように話している。これは明らかな警告だ。次はもっと強硬な手段を取る、という意味に他ならない。
「承知しております」
俺は深く頭を下げた。表面上は恭順の姿勢を示しながらも、内心では次の手を考え始めていた。セルウィリウスの報告次第でアスクルムの運命は大きく左右される。
セルウィリウスは翌朝、護衛兵・大隊と共にアスクルムを去った。夜明け前から野営地では出発の準備が始まっていた。天幕が次々と畳まれ、荷車に積み込まれていく。馬のいななきと兵士たちの掛け声が、朝の静寂を破っていた。
朝靄の中、馬蹄の音が次第に遠ざかっていく。俺は城壁の上から、その光景をじっと見つめていた。秋の風が頬を撫で、遠くの山々がうっすらと霞んで見える。
彼らの後ろ姿が地平線に消えるまで見つめていた。一行は南へ向かって行く。ローマへの道のりはそれなりに長い。
セルウィリウスがどのような報告書を書くのか、それが問題だった。今日の忠誠宣誓を額面通りに受け取るのか、それとも政治的な演出と見抜くのか。
戦いは終わった。しかし、これは始まりに過ぎない。セルウィリウスがローマで何を報告するか、そして次に誰が派遣されるかは、まだ分からない。
だが、少なくとも今日、アスクルムは生き延びた。そして十七名家は、史上初めて真の団結を示した。
これが俺にとって、政治家としての最初の勝利だった。
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セルウィリウスが去った後、市議会は今回の状況を調査し、今後の対応策を立案することを採決した。議会は重苦しい雰囲気に包まれており、ウィダキリウス派は明らかに失望し、一部の支持者たちも動揺を隠せずにいる。
特に最後に俺が動いた件で、皆の意見がバラバラになっている。時間が稼げたのだから、とりあえずヨシ、とすればよいのに。
議場を出ると、デモステネスとソフィアが待っていた。
「お疲れさまでした、若様」
「ティトゥス様、お見事でした」
二人の言葉に、微笑んだ。確かに今回は危機を乗り切ることができた—しかし油断は禁物だ。
「これで山はひとつ越えた。でも、まだ安心はできない」
「はい。急進改革派は必ず巻き返しを図ってくるでしょう」
デモステネスが同意したのち、ソフィアが一言付け加えてきた。
「それに、他の同盟市の動きも気になりますしね」
確かに、マルシ族やサムニテス族の間では、反ローマ感情が高まっている。アスクルムが平和を保っても、周辺が戦争状態になれば、結局巻き込まれることになる。
その夜、屋上で星空を見上げていた。夏の夜風が頬を撫で、遠くで夜鳥の鳴き声が聞こえる。今日の勝利で少し気が緩んでいたが、現実は甘くない。俺は改めて身を引き締めた。
俺の知る歴史では、この後まもなく同盟市戦争が始まる。同盟市戦争(Social War)とは、ローマに市民権を求めたイタリア半島内の多くの同盟都市が武装蜂起した戦争で、共和政ローマにとって極めて重大な内乱だった。
ウィダキリウス、ポッパエディウス・シロら同盟市の有力者がイタリア半島全体を戦火へと導くことになる。
果たしてアスクルムをその戦火から守ることができるのだろうか。今日の成功は小さな一歩に過ぎない。本当の試練はこれから始まるのだ。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(いくら有効な打開策だからと言って、後出しジャンケンをされたら、さすがに周囲の大人は怒りますよね)
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