第44話『説得』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月初旬、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
「私は、貴方の敵ではない」
両手を挙げて平和的姿勢を示しながら一歩パピリウスに近づいた。この時代でもこのポーズは有効だろう。
「むしろ、貴方の苦境を理解する数少ない人間の一人だ」
「理解?」パピリウスが吐き捨てるように言った。
「商人の息子が何を理解するというのか」
距離を更に詰める。朝霧が二人の間を漂い、遠くから鐘楼の鐘の時を告げる音が響いてきた。
「貴方の父上、ガイウス・パピリウス・ルクルスの話から始めよう。彼は十八番目の准名家として、常に十七名家に認められることを望んでいた。だが、その願いは叶わず、失意のうちに亡くなった」
パピリウスの顔が青ざめ、視線を逸らしながら一歩後ずさりする。無意識の動きだったようで、右脚が水溜まりに浸かっているのに本人は気づいていないようだ。
「貴方は父の遺志を継ぎ、家の地位向上を図ろうとした。ローマで修辞学を学び、政治的人脈を築こうとした。しかし、そこで待っていたのは更なる屈辱だった」
「――黙れ」
パピリウスの声が震えている。しかし構わず話を進める。
「ローマの貴族たちは貴方を『田舎者』として嘲笑した。どれほど優秀な弁論を披露しても、出自を理由として相手にされなかった。貴方の努力は全て無駄に終わったのだ」
パピリウスが拳を握りしめる。その目にうっすら涙が浮かび、唇が微かに震えていた。彼の肩は重い荷を背負うように前かがみになっている。苦労していたんだろうな、この男なりに。
「だから貴方は考えた。既存の制度では勝てないなら、制度そのものを破壊するしかない、と。十七名家制度を崩壊させ、新しい秩序の中で自らが頂点に立つしかない、と」
「……その通りだ。他に道はなかった」パピリウスが絞り出すように答えた。
もう一歩、彼との間合いを縮めた。
「しかし、パピリウス。そのやり方ではアスクルムの市民が犠牲になる。無辜の民が虐殺され、街が廃墟と化す。それで貴方の父上が喜ぶと思うか?」
パピリウスが激昂した。
「きれいごとを言うな! 現実は甘くない! 力なき正義は無力だ!」
その呼吸は荒く、拳を握る手の甲には青筋が浮かんでいた。興奮させぬよう彼の意見に同意の頷きを示したうえで、ゆっくりと答える。
「その通りだ。力なき正義は無力だ。そして貴方には確かに力がある。弁論術、政治的洞察力、人を動かす才能――父上から受け継いだ血と、自らが積み重ねた努力の結晶だ」
「何?」
「本当に望んでいるのは復讐ではなく認知ではないのか? 社会から正当な評価を受け、父上の名誉を回復することではないのか?」
パピリウスが言葉に詰まる。口を真一文字にきつく結び、わなわなと振るわせている。
その時、彼らの瞳の奥で何かが揺らいだ。怒りでも困惑でもない、もっと深い感情――長年封印してきた本心が顔を覗かせているように見えた。
父の遺志、家の屈辱、そして自分自身の野心。これらが渦巻く中で、彼は別の可能性に初めて触れたのかもしれない。破壊ではなく建設、復讐ではなく和解、孤立ではなく協力――そんな道があり得るのかという、微かな希望が芽生えているのを感じた。
しかし同時に、これまでの人生を否定することへの恐怖も見て取れた。父への誓い、同志への責任、そして何よりこれまで積み重ねてきた怒りを手放すことへの躊躇。彼の心は相反する感情の間で激しく揺れ動いていた。
風の音だけが聞こえる。パピリウスは拳を握りしめたまま、地面を見つめ続けていた。何度か口を開きかけては、また閉じる。その度に、彼の中で新旧の価値観が衝突しているのが分かった。
「ならば――」
そう言いかけた時、パピリウスが踵を返した。
「もう十分だ。お前の言葉に惑わされるつもりはない」
背を向けて歩き始める彼に、追いすがるよう声をかけた。
「貴方の父上が最後に口にした言葉を知っているか?」
パピリウスの足が止まる。ゆっくりと振り返った彼の顔は蒼白だった。
「何だと?」
「『息子には、我が轍を踏ませるな』――病床で貴方の叔父に託した最後の願いだ」
パピリウスが体を震わせる。その目に動揺の色が浮かんだ。
「どこで……そんなことを」
「貴方の叔父上から直接聞いた。彼は今でも、貴方が破滅の道を歩むことを案じている」
沈黙が続く中、風が草むらを撫で遠くでカラスが鳴いている。パピリウスは俯いたまま、拳を握りしめていた。
「父上は……私に復讐を望んでいなかったと言うのか?」
「貴方の父上が望んでいたのは、家の名誉の回復だ。しかしそれは破壊によってではなく、建設によって成し遂げられるべきものだった。貴方にはその力がある」
パピリウスが顔を上げた。その瞳に、僅かながら今までとは異なる質の色が宿っているのを感じた。さらに続けて言葉を繰り出す。
「だが、現実を見ろ。貴方の計画は既に露見している。セルウィリウスは警戒を強め、ローマからの援軍要請も視野に入れているだろう。今のまま突き進めば、貴方とその同志たちは単なる反乱者として歴史に刻まれ、パピリウス家の名は永遠に汚される」
パピリウスの表情が強ばった。彼の顔から血の気が引き、額に薄っすらと汗が浮かんでいる。視線は宙を彷徨い、唇を何度も舐めた。足元の小石を無意識に蹴り、その音が静寂を破った。
「それに貴方の同志の中に、ローマの密偵が紛れ込んでいる可能性を考えたことはあるか?」
「何だと?」
「セルウィリウス法務官がこの街に来たのは偶然ではない。貴方たちの動向は既に察知されている。このタイミングでの強硬策は、罠にかかるようなものだ」
パピリウスの顔が明白青ざめた。確かに彼も薄々感じていたのだろうか。計画の進行があまりにも順調すぎたことを。
「しかし、もし貴方が建設的な道を選ぶなら状況は一変する。反乱の首謀者ではなく、改革の提唱者として歴史に名を残すことさえできるかもしれない。セルウィリウスとも対等な政治家として向き合える」
パピリウスが拳を握りしめたまま、俯いていた。朝の冷たい風が頬を撫でていく。市場から商人たちの声が微かに聞こえきた。日常の営みがまた再開されたのだ。しかし、ここだけが時の流れから切り離されたような静けさに包まれていた。
「……お前は、本当に私を信じているのか?」
「信じている。貴方の才能も、父上への愛も、そして何より貴方自身の良心も」
パピリウスの目にうっすらと涙が浮かんだ。それは怒りではなく、長い間抱えていた孤独感が溶け出したような涙だった。
「しかし……もう手遅れかもしれない。私は既に多くの者を扇動し、セルウィリウスとの対決姿勢を示してしまった」
「まだ間に合う」力強く言い放った。
「破壊ではなく建設の道を選ぶのだ。アスクルムを戦場にするのではなく、新しい政治秩序の礎とするのだ」
「……そんなものが可能なはずがない」
パピリウスの声に力はない。しかし僅かな期待が混じったのを感じた。
「可能だ。ただし、貴方一人では無理だ。私に協力してくれるなら、別の道を示すことができる」
風が草むらを撫でる中、パピリウスはしばし立ち尽くしていた。朝日は完全に上りきり周囲は明るくなっている。
彼の表情に、様々な感情が入り混じっているのが見て取れた。父への想い、自らの屈辱、復讐への渇望、そして新たな可能性への戸惑い――。
「……もし、お前の言う道が失敗したら?」
「その時は貴方のやり方を試してみるしかない。その判断に従う。しかし、まずは試してみる価値があるのではないか?」
パピリウスがゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。その足取りは重く、まだ完全に決心がついていないことが窺える。野生動物の餌付けだな。
「……具体的には、どうする?」
ここからが勝負どころだった。
「まず、セルウィリウス法務官への挑発的行動を控えてもらう。代わりに、正々堂々とした政治的論戦で貴方の主張を展開するのだ」
「論戦?」
「貴方の弁論術は一流だ。それを破壊ではなく建設に使うべき。市議会で十八名家制度の創設を正式に提案するのだ」
「つまり、十七家に新たに一家を加えて十八名家とするのか?」
「そうだ。革命ではなく改革。破壊ではなく拡張。貴方の政治的才能を存分に発揮できる舞台を用意する」
パピリウスの目にやや力が入ったように見える。しかし、まだ完全な確信には至っていないようだ。
「しかし、既存の名家が簡単に同意するだろうか? しかも私自身が提案するのか?」
「簡単にはいかないだろう。しかし、貴方には説得力がある。そして私には資金と政治的人脈がある。この危機を乗り切ることができれば、必ずや道は開けるはずだ」
パピリウスがこちらを見つめる。その瞳に、ようやく信頼の色が浮かんだように感じた。だが、彼の声には依然として迷いが残っていた。
「なぜ、そこまでしてくれる? お前にとって何の得があるというのか?」
「……アスクルムの未来のためだ。そして、貴方の才能を正しい方向に導きたいからでもある。貴方のような人材を失うのは、この街にとって大きな損失だ」
パピリウスは、その言葉を受け容れるのにしばらく躊躇っていたようだが、ようやった口を開いた。その声は小さく、まだ完全に迷いを振り切れていない様子だった。未来のため、というのは本音だ。
「……分かった。お前の提案を受け入れよう。ただし、条件がある」
「何だ?」
「もしその方法で駄目だった場合、私は再び自分のやり方に戻る。その時はお前にも邪魔をさせない」
パピリウスの瞳を見つめつつ、ゆっくりと頷いた。
「約束する。但し、貴方も私の方法を全力で試してくれ」
「……約束しよう」
握手を交わすことはなかった。だが、まずは互いの利を分け合う形での最低限の提携はできたようだ。まぁ、一時停戦といったところだろう。
それでもこの難局を乗り切るためには必要なものだし、今はこれで十分だな。まだ心の奥底で何かを抱えているような彼を横目で眺めながら、そっと息をついた。
「ところで、貴方の同志たちはどうする?」そう尋ねると、パピリウスの表情が曇った。
「そうだ……彼らには説明が必要だ。しかし、どう話せばよいものか」
振り返ると廃墟の陰から二十名ほどの若い男たちが現れ、遠巻きに様子を窺っている。彼らの多くは農民や職人の息子で、パピリウスの演説に心酔し、既存秩序への反抗に燃えていた者たちだ。朝日に照らされた彼らの顔には困惑と不安が浮かんでいる。
「正直に話すしかないだろう。貴方が彼らを導いてきたのなら、責任を持って新しい道を示すべきだ」
パピリウスが深いため息をついた。
「彼らは皆、私を信じてついてきてくれた。家族から勘当されたり、仕事を失ったりした者もいる。それなのに、今更『やはり穏健路線で行こう』などと……」
「貴方は彼らに何を約束した?」
「復讐だ。屈辱を与えた者たちへの報復。新しい世界の創造。しかし、それは結局、私自身の怒りを彼らに押し付けていただけなのかもしれない」
視線を崩れかけた神殿の柱に目を向けた。かつてここで多くの市民が神々に祈りを捧げていたのだろう。しかし今は見る影もない。破壊は容易いが、再建には時間がかかる。
「パピリウス、貴方の同志たちが本当に求めているものは何だと思う?」
「……正義、だろうか。いや、認められること、かもしれない」
「なら、貴方の新しい道は彼らの願いとも合致するはずだ。破壊による一時的な満足ではなく、建設による永続的な地位向上を」
パピリウスが同志たちの方を見つめた。その目に決意が宿る。
「分かった。彼らと話をしよう。もし私の説得で彼らが納得しなければ、この提携は無効だ」
「それで構わない。しかしパピリウス、貴方なら必ず彼らを説得できる。貴方には真のリーダーシップがあるからだ」
パピリウスは一瞬驚いたような表情を見せた後、小さく頷いた。そして同志たちの元へと歩いて行く。
俺は神殿の廃墟に腰を下ろし、これから始まる困難な説得を見守った。
やれやれ、何とか手懐けることができたか。
さて、これからどうなることやら。
とにかく暴発だけは防げたようで、助かった。。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
--------------------------------------------------
(たった20名とは言え、そこに一人で立ち向かうには相当勇気が必要だったことでしょう。ちょうど野球の試合を行えるくらいの集団ということですから。ましてや武装しているし。それを率いるリーダーの重責たるや)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
第一部の登場人物一覧はこちら↓
https://ncode.syosetu.com/n4684kz/1/
第一部の関連地図はこちら↓
https://ncode.syosetu.com/n4684kz/2/




