第38話『パピリウス・ルクルス』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月初旬、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
ラビエヌスと最低限の和解ができた日の深夜、執務室に特別に上質な蜜蝋の蝋燭を三本ほど灯してある。黄金色の炎が羊皮紙の束を照らし、甘い香りが緊張した空気に溶け込んでいる。
机の向こうに座るデモステネスとソフィアを見つめながら、明後日に迫ったセルウィリウス法務官の来訪について思案を重ねる。
ローマからの高位官吏の訪問――それも、同盟市戦争が各地で勃発している最中での来訪は、単なる視察以上の意味を持つ。アスクルムがローマに対してどのような立場を取るか、その最終的な踏み絵となる可能性が高い。
日本サラリーマン出身としての感覚では、こうした政治的駆け引きに心底疲れを感じる。なぜ話し合いで解決できないのか、なぜ武力による威嚇が必要なのか――そんな疑問が頭をもたげるが、この時代にそうした価値観は通用しない。それは2020年代半ばでも同じだったか。
力こそが正義であり、勝者が歴史を作る世界。ローマという巨大な国家の前では、小さな同盟市は生き残りをかけて立場を選択するしかない。中立を保つことすら、実は極めて政治的な選択なのだ。
「ティトゥス様、ラビエヌスと仲直りできて良かったですね」
ソフィアの優しい微笑みが蝋燭の先で揺らいでいた。
「まだまだ停戦中みたいなものだけどね。でもソフィアが『諦めるな』と叱咤してくれたおかげだよ。ありがとう」
頭を下げて礼を述べると、ソフィアは嬉しそうに頷いてくれた。
「若様」デモステネスが静かに口を開く。
「セルウィリウス殿への対応について、やはりパピリウス殿の動向を把握しておく必要があると思われます」
「そうだな」デモステネスに応えながら表情を引き締める。
「あいつが暴発すれば、全てが台無しになる。十七名家での合意も、慎重な中立路線も、一瞬で吹き飛ぶ」
ソフィアが手元の書類を整理しながら言った。
「ティトゥス様、実はパピリウスについて既にかなり詳しい情報を収集してあります」
「いつの間に?」思わず身を乗り出してソフィアを見つめる。
「デモステネスと私で分担して、この数週間で調べ上げました」
ソフィアの目に、いつもの茶目っ気ではなく鋭い力が宿っている。こんな目もできるのか。
「予想していた通り、彼の過激化には複雑な背景があります」
デモステネスが机の上に一枚の羊皮紙を広げた。
「まず、彼の最近の行動から報告させていただきます。これは我々の情報網が掴んだ、極めて深刻な内容です」
報告書へと視線が集中する。蝋燭の光が羊皮紙の文字を浮かび上がらせている。
デモステネスの声が一段と低くなる。
「パピリウス殿はドルースス護民官暗殺の約一カ月前、9月中旬のことですが、秘密裏にローマを訪問していました。表向きは商用とされていましたが、実際には政治的な接触を重ねていたようです」
「政治的な接触…具体的には?」
ソフィアが別の書類を取り出した。
「反ドルースス派の有力者たちと複数回の会合を持っています。特に注目すべきは、彼がドルーススの政治的動向について、詳細な情報を提供していたことです」
その言葉に血が凍る思いがする。
「まさか、それがドルースス暗殺の引き金に……?」
「その可能性は極めて高いと思われます」
デモステネスが重々しく答えた。
頭の中で何かが音を立てて崩れていく。パピリウスという男への見方が、根底から覆されていく感覚だった。
確かに彼は野心家で、時に過激な発言もする。だがまさか暗殺に関与していたとは――いや、直接手を下したわけではないが、情報提供という形で加担していたのか。
ドルーススは偉大な理想家だった。
同盟市の権利拡大を真剣に考え、ローマの伝統的な枠組みを変えようとしていた。その命が、同じ同盟市出身者の思惑によって奪われたのか。
胸の奥で、何とも言えない嫌悪感がうずまく。これが政治というものなのか。目的のためなら、味方さえも売り渡すのが政治なのか。
「パピリウス殿が提供した情報により、反ドルースス派はドルーススの政治的手法を予測し、それを阻止するための行動に出たと考えられます」
ふっと息が漏れ、椅子に身を預けた。
腕を頭の上で組み、思案が堂々巡りを始める。パピリウスの野心がここまで深刻な結果を招いていたとは。
「そして」ソフィアがデモステネスの後を続ける。
「ドルースス暗殺の報せがローマに広まった直後、パピリウス殿は即座にテアテに向かい、ウィダキリウス将軍と面談しています」
「何のために?」
「おそらく自らの功績をアピールし、同盟市連合における地位の確保を図ったのでしょう」デモステネスが推測を述べた。
ソフィアが苦笑いを浮かべた。
「ですが、その目論見は思うようにいかなかったようです。ウィダキリウス将軍からは『アスクルムをまとめてから出直せ』と冷たく諭されたそうです。パピリウス殿の野心は、大物たちからは相手にされていないのが現実のようですね」
深いため息が思わず漏れた。
「つまり、あいつは完全に行き詰まっているということか」
「はい」デモステネスが頷いた。
「だからこそ、法務官セルウィリウスの来訪を利用して、何らかの挑発的行動に出る可能性が高いのです。アスクルムを反ローマに仕立て上げることで、強引に戦争に巻き込み、その混乱の中で主導権を掌握しようと考えているのでしょう」
椅子から立ち上がると、足は自然と部屋の中を歩き回っていた。パピリウスの行動パターンが見えてきたが、それは俺たちにとって極めて危険な状況を意味していた。
「しかし、なぜパピリウスはそこまで過激になったのか? 単なる野心だけでは説明がつかない部分がある」
ソフィアとデモステネスが視線を交わした。
「実は、それについても詳しく調べました。パピリウスの過激化の根底には、ある決定的な出来事があります」
ソフィアが慎重に切り出すと、デモステネスが重々しく頷く。
「すべての始まりは、五年前の父君の死でした。パピリウス殿の父君は、生涯を通じて十七名家入りを目指し続けた人物でした」
ソフィアの声に深い同情が込められている。
「商会の古い記録を調べると、父君は三十年間、毎年のように市議会で十八番目枠の廃止を提案し続けていました。そして毎年、血筋を理由に退けられ続けていたのです」
デモステネスが別の書類を取り出す。
「特に痛ましいのは、父君が病に倒れた最後の一年間です」
蝋燭の炎が書類を照らし出す。そこには几帳面な文字で記された、ある老人の悲痛な記録があった。
「父君は床に伏せってもなお、息子に政治戦略を語り続けていました。『パピリウス家の悲願』『三代に渡る夢』『血筋ではなく実力で評価される世界』――病床での会話の多くが、このような内容だったそうです」
ソフィアが声を微かに震わせながら続ける。
「そして臨終の際、父君は息子の手を握りしめてこう言ったのです。『三十年間、父は無力だった。しかしお前は違う。お前だけが、我が家の宿願を果たせる唯一の希望だ』と」
胸が締め付けられるような思いがする。愛する父親の最期の言葉――それがどれほど息子の魂を縛るものか。
自分自身の父親の顔が脳裏に浮かぶ。もし父が同じような遺言を残していたら、自分はどうしただろう。愛する父親の無念を晴らすため、どんな手段でも選んだかもしれない。
パピリウスへの嫌悪感が、微妙に揺らぎ始めている。彼の行動は確かに許されるものではない。だが、その背景には息子としての愛情があったのだ。歪んだ形ではあるが、家族への献身があったのだ。
人間とは、こうも複雑な生き物なのか。善悪を単純に判断できない領域が、政治の世界には確実に存在している。
デモステネスが静かに続けた。
「さらに深刻なのは、父君が遺した日記の存在です」
「日記?」
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(人に歴史あり。他者から見たらどんな理不尽な言動も、その人なりの考えや想いがあって(無意識下も含め)のものです。パピリウスもまた然り。今回は彼の背景が明らかになります。)
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