第35話『新たなる危機』
ルキウス・マルキウス・ピリップスとセクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
十月も後半に入り、新たな危機の兆候が現れた。ローマから正式な通達がアスクルム市に届いたのだ。法務官クィントゥス・セルウィリウスがアスクルムに「監察使節」として十一月の初旬に派遣されるという内容だった。
商会の二階にある書斎で通達の写しを読み返しながら、一人その真意を考えていた。表向きは同盟市の動向調査だが、実際は明らかな威圧行為である。特に、護衛兵の規模が通常の外交使節を大幅に上回っていることが懸念材料だ。明らかに異常だろ、これ。
「若様」
デモステネスが情報収集の結果を報告してきた。
「セルウィリウス一行は二個大隊、約千名の護衛を伴っているようです」
「千名? そんなに?」
思わず眉をひそめ、大きな声を出してしまった。てっきり百から二百名程度と予想していたぞ…。
「それは外交使節ではない。事実上の軍事威嚇だ」
ソフィアも深刻な表情で情報を付け加えてくれる。
「さらに問題なのは、彼らが各都市で同様の『監察』を行っていることです。テアテでは市の指導者数名が拘束されたという噂もあります」
これは予想以上に深刻な状況だった。ローマは明らかに先制攻撃に出ており、反抗的な都市を一つずつ制圧する方針のようだった。
「来訪予定日は?」
「十一月初旬です」デモステネスが答えた。
「つまり、我々に残された準備期間は、およそ二週間弱しかありません」
「そうか……」
このままでは拙い、と慌てて対応策を練り始める。
セルウィリウスの訪問をどう切り抜けるかが、アスクルムの運命を決定する。下手な対応をすれば、テアテと同じ運命を辿ることになるだろう。
「まず、十七名家の緊急会合を再度開いてもらう。統一的な対応方針を確立する必要があるからね。またデモステネスを通訳者として採用するよう長老たちに働きかけよう。式典で市民に話しかける際にはピケヌムの言葉に訳させる必要があるとして。」
「承知しました。ただし、パピリウス殿らがこの機会を利用して、より過激な行動に出る可能性があります」
デモステネスが慎重な意見を述べてくれたが、確かにその通りだった。セルウィリウスの威圧的な態度は、急進派の主張を正当化する材料となる。"ローマは対話ではなく武力で我々を屈服させようとしている"という論理だ。
「それも計算に入れておく必要があるな。そして何より重要なのは、市民の感情的な反応を制御することだ。暴発すれば、セルウィリウスに口実を与えることになる。それからソフィア、」
彼女の座っていた方へ向き直り、目を見つめる。何やら嬉しそうだな…。
「君には特別な任務を頼みたい。ラビエヌスと連絡を取り、黒章隊の動向を把握してくれ。また、可能であれば彼の協力を取り付けてほしい」
「承知しました。ただし、ラビエヌスもリクトル殿の影響を受けています。説得は容易ではないかもしれませんね」
リクトル・サルウィウス。彼の動向も重要な要素だった。ドルーススの死により、彼の理想主義は大きく揺らいでいるはずだ。その動揺が建設的な方向に向かうか、それとも破壊的な行動につながっていくのかが問題だな。よく分からん。
「とにかく、できる限りの情報を集めてくれ。セルウィリウスの真の目的、市内各派の反応、そして民衆の感情。出来る限りのすべてを把握した上で、最適な対応策を立てる必要がある」
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翌日の十七名家緊急会合は、前回以上に緊張したものとなった。セルウィリウス来訪という現実的な脅威を前に、各家の立場がより鮮明になっていた。
「諸君」
アルケウス長老がいつもの言葉で会議を開始すると、ざわついていた議場が静まり返る。
「法務官セルウィリウスの来訪について、対応方針を決定する必要がある」
すぐにパピリウスが身を起こした。
「これこそローマの本性だ!対話ではなく武力による威嚇。我々はこれに屈するべきではない!」
彼の発言に、数名の名家代表が賛同を示した。ドルーススの死と今回の威圧的な態度により、急進派への支持が広がっているのは明らかだった。
「しかし」マギウス家の当主が反論した。
「武力で対抗すれば、アスクルムは確実に破壊される。我々に千名のローマ兵と戦う準備ができているとでも?」
「準備ができていないから屈服するのか?」
パピリウスが激昂した。
「それでは我々の誇りはどうなる?」
議論は感情的な雰囲気となり、あちらこちら様々な方向に展開していく。そんな中、適切なタイミングで発言する機会をじっと待ち続けた。
「若きクリスプスよ。前回のご提案を踏まえ、今回の件についてもご意見を」
ついにアルケウスが俺に発言を促したので、すっと立ち上がり、背筋を伸ばす。冷静に落ち着いているところをアピールしておかないとな。
「皆さん、まず重要なのは法務官セルウィリウスの真の目的を理解することです」
収集した情報を基に分析した結果を、丁寧に説明し始める。
「彼の任務は、各都市の反乱意思を確認し、必要に応じて先制的な措置を取ることです。つまり、我々の反応次第で、彼の行動も変わるということです」
「実際にはどうするのだね?」
カエシウス家の当主が尋ねた。
「もし我々が敵対的な態度を示せば、彼は武力制圧の口実を得ます。逆に、表面的にでも恭順の姿勢を示せば、大きな混乱は避けられる可能性があります」
「それは屈服と何が違う?」
「パピリウス殿。屈服と戦略的後退は異なります。今は時機を待つべき時です」
彼の方を直視し、正面から対峙する。パピリウスが目を背け俯いたのを見届けた後は、そのまま周囲を見渡す。そのまま全員に向けた説得を続ける。
「重要なのは、セルウィリウスの訪問を乗り切ることで時間を稼ぐことです。その間に、真の解決策を模索できます」
「真の解決策とは?」
ピナリウス家の代理人が興味深そうに尋ねた。
「まだ詳細をお話しできる段階ではありませんが、アスクルムが独自の道を歩む可能性を探っています」
これは言葉を選んだ曖昧な表現だったが、各家の代表者たちは真剣に耳を傾けていた。詳細な計画はまだ固まっていないが、少なくとも絶望的な選択肢しかないわけではないことを示す必要がある。
会議の結果、セルウィリウスに対しては表面的な協力姿勢を示すことで合意が得られた。ただし、パピリウスは最後まで反対の立場を崩さなかった。
「これで当面は凌げるが、根本的な解決にはならない。セルウィリウスが去った後、再び同じ問題に直面することになるな」
会議後、皆が退席するまで席に座っていた。最後まで残っていたアルケウス長老が傍に寄って来て、優しく俺に語りかけてくれる。
「承知しています。しかし、時間を稼ぐことで新たな可能性が生まれる場合もあります。諦めるには早すぎます」
視線を落とし考えをまとめながら答えると、アルケウスが俺の肩に手を置く。彼の分厚い手の掌から暖かさが伝わり、同時に彼の思いが伝わってくるようだ。
「ティトゥス殿、若きクリスプスよ。君の冷静さと現実的な判断力には感服している。しかし、政治は時として感情が論理を上回る世界でもある。そのことも念頭に置いて行動してほしい」
その言葉には深く頷くことができた。確かに、論理だけですべてが解決するわけではない。人々の感情や誇りも同様に重要な要素である。忘れてはならない。
セルウィリウス来訪まで残り一週間強となり、最後の準備に取りかかった。この困難を乗り越えることができれば、アスクルムの未来に新たな道筋を見つけることができるかもしれない。しかし、一歩間違えれば、すべてが破滅に向かう可能性もある。
歴史の転換点において、俺は再び重要な選択を迫られていた。そして今度は、その選択の結果を背負うのは俺だけではない。アスクルム全体の運命がかかっているのだ。
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セルウィリウス来訪が市議会で正式に発表された翌日、意を決してサルウィウス家の屋敷を訪れた。
リクトルとの関係修復は、アスクルムの安定のために不可欠だった。彼の政治的影響力は依然として大きく、特に若い世代への発言力は俺には到底及ばないものがある。先日の緊急会合にリクトル本人は出席していなかったため、直談判すべきと考えたのだ。
屋敷の門番に案内されて中庭を通り、客間で待つこと暫し。やがて現れたリクトルは、以前よりも疲れた表情を浮かべていた。ドルーススの死が、彼に深い打撃を与えているのは明らかだった。
「ティトゥス・クリスプス殿」リクトルが静かに挨拶する。
「このような時期に、わざわざ足を運んでいただき恐縮です」
丁寧に頭を下げた。
「リクトル殿。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
客間には上質な調度品が並んでおり、大きなテーブルを挟むように長椅子が置かれている。現代でも通用しそうな立派な雰囲気の部屋なのだが、どことなく重苦しい空気が漂っている。リクトルは長椅子の向かいに静かに腰を下ろし、深いため息をついた。
「セルウィリウス法務官の件、聞いています」彼が口火を切った。
「緊急会合での君の発言も」
「はい。それについて、ご相談したいことがあります」
一語一語を吟味しながら、静かに口を開いた。
「リクトル殿のお力添えをいただければ、この危機を乗り越えることができると信じています」
リクトルの表情が微かに変わった。
「私の力添えですか…? 具体的にはどのようなことをお考えで?」
「法務官への対応において、市内の統一見解を示す必要があります。特に、若い世代への説得にはリクトル殿の言葉が不可欠です」
リクトルは長い間沈黙していた。窓の外から鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「ティトゥス殿」彼がついに口を開いた。
「あなたの現実主義的な判断力は理解しています。しかし、理想なくして人は生きられないのです」
テーブルに身を乗り出して、リクトルに顔を近づけて説明を続ける。
「リクトル殿の理想は尊敬に値します。しかし、今我々に必要なのは、現実的な選択肢ではないでしょうか」
「現実的な選択ですか?」
リクトルの声に微かな苛立ちが滲んだ。
「それは降伏を意味するのですか? 我々ピケヌム人の誇りを売り渡せと?」
ここがポイントだな、丁寧に答えなくては。
「誇りを捨てろと言っているのではありません。しかし、誇りを守るためには、時として柔軟な戦略が必要です」
「…柔軟な戦略」リクトルが繰り返すが、
「君の言う柔軟さとは、屈服の美名でしかない」
やはり納得しないか‥‥ここで具体的な提案を示すことにした。
「段階的な市民権獲得戦略、ローマとの経済協力関係の維持、急進的な軍事行動の回避——これらは決して屈服ではありません」
リクトルの反応は冷ややかだった。
「君は商人の息子だ、ティトゥス。利益と損失でしか物事を判断できない。だが、我々には千年の歴史がある。先祖から受け継いだ誇りがある」
その言葉は胸に深々と突き刺さる。確かに、どうしても感情や誇りよりも実利を重視してしまう。転生者としての知識が、かえって人々の心情に対する理解を阻害しているのかもしれない。
「リクトル殿」率直に語りかけた。
「私は確かに商人の息子です。しかし、だからこそ現実を見極める目を持っています。理想だけでは、人々の命は守れません」
「命……?」リクトルの目が鋭くなった。
「君は命さえ助かれば、魂を売ってもよいと言うのか?」
会話は平行線を辿った。俺がいかに論理的に説明しても、リクトルは頑として譲らなかった。ピケヌム人の誇りと自治権は、彼にとって交渉の対象ではなく、死守すべき絶対的価値なのだ。
議論は数時間に及んだが、結論を得ることはできなかった。
「リクトル殿のお気持ちは理解いたします」話し合いはここまでと判断し、立ち上がって頭を下げた。
「しかし、もし気が変わられることがあれば、いつでもお声をかけてください」
リクトルも同時に腰を上げた。
「ティトゥス殿、あなたの懸念も理解できます。しかし、私には私の道があります」
もう一度深く頭を下げて、サルウィウス家を後にした。
屋敷を出た途端、ソフィアが息を切らして駆け寄ってきた。
「ティトゥス様、緊急事態です」彼女の表情は青ざめていた。
「パピリウスが市民広場で演説を行っています。セルウィリウス来訪を『ローマの宣戦布告』と呼び、武装蜂起を呼びかけています」
ゾクッと背筋に冷たいものが走る。リクトルとの対話に時間を費やしている間に、事態は最悪の方向へ進んでいた。
「群衆の反応は?」
「若者たちが熱狂しています。特にラビエヌスの自警団の一部が同調し始めています」ソフィアが続けて報告してくれる。
「このまま放置すれば、セルウィリウス到着前に暴動が起きかねません」
拳を強く握り締めた。爪が掌に食い込む。
理想論だけでは解決できない現実がそこにあった。リクトルとの協力は得られなかったが、今度は別のアプローチが必要だ。パピリウスの扇動を止め、ラビエヌスを説得し、市民の感情を鎮める──残された時間で可能だろうか。
「商会に戻る」決意を込めてソフィアに言った。
「新しい戦略を練り直す必要がある」
遠くから聞こえる群衆の歓声が、迫り来る嵐の前触れのように響いていた。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(史実でのクィントゥス・セルウィリウスは、同盟市戦争の勃発に深く関わる人物です。 当時ローマはドルースス暗殺に揺れる同盟市に監視官を派遣することで、その離反を抑え込もうとしました。市民権を与えることせず、その場凌ぎを選択したツケは、このあと大きなしっぺ返しをローマにもたらすことになります)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
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