第26話『疑惑の炎の芯』
ルキウス・マルキウス・ピリップスとセクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)四月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
その瞬間、遠くで鐘が三つ、木霊のように重なって鳴った。
「夜間外出禁止の合図だ」デモステネスが囁く。
「護送が動くなら今夜だろうね」
「ティトゥス様、息を殺して隠れていて」
気付くとソフィアが俺のすぐ目の前まで戻っていた。と、思ったのも束の間、彼女の背がすぐに闇に溶け、また馬小屋に近づいていく。俺は小屋にほど近い排水路の傍に身を隠すように腰掛けた。膝から下が湿った苔の中に埋まる。
ソフィアが馬小屋の扉を少しだけ開け、すっと中に入っていく。しばらく立つと扉から俺の鼻をくすぐる程度のほのかな焦げ臭さ……それは炉にくべた鉄の匂いと、違法に隠された油の匂いが混ざったもの……が漂ってきた。
「デモステネス、この臭いは一体‥‥‥?」
「ソフィアの帰りを待ちましょう。彼女なら大丈夫」
それから十数分。なかなかソフィアが馬小屋から出てこない。あの臭いはだいぶ落ち着いてきた。やきもきしながらデモステネスと共に待っていると、ようやく彼女は小屋から出てきた。裏口から屋根裏の通気口まで、何から何までまるっと全体的に確認してきたようだ。
「干し草の匂いが新しいようでした。蹄鉄の粉も落ちていたし」
「中に何かあったの?」
「特に特筆するような物は何も。ただすぐに使えそうな火鉢と湯沸かし用の鍋は複数ありましたよ。あれで暖を取ったりしているのでしょう」
「つまり、明らかに最近まで誰かが使っていたようですね。お手柄です、ソフィア」
「ビンゴ、だね」
「……ティトゥス様。なんですか、ビンゴって」
「……気にしないでいいよ」
「……ティトゥス様って、時々意味不明ですよね」
ここでイミフって言葉を使うソフィアの方がすごいよ……。
本当に今日動きがあるかはわからないが、俺たちはそのまましばらく馬小屋の傍で待機をすることにした。
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夜半過ぎになると風が吹き抜け、月影が水面に震えた。馬小屋の扉が閉められて時間が経ったからだろうか、周囲には苔のむす匂いが満ちてきた。南東の排水門は人が屈めば通れる高さであり、隠れることを望む者には最適な場所だとわかる。もちろん好んで通りたい者などいないだろうが。
すると月明かりに浮かぶ二台の護送馬車がゆっくりとやって来た。鎧姿の御者が一台につき2名ずつ。中にも人がいるのかはわからない。車体に刻まれた”コルフィニウム”の焼印が月明かりに当たって見えた。
御者の一人が檻扉を開け、縄で両手を後ろ手に縛られた若者計六名を馬車から馬小屋の中へ押し込める。そのまま御者のう三名は中へ、残りは扉の前で待機するようだ。
(ティトゥス様、お静かに。この場を動かないで)
デモステネスが耳元で囁く。俺は武闘派ではないので、もちろんその意見に従う。やがて馬小屋の中からいい匂いが漂ってきた。今日はいろんな臭いがする日だ。どうやら中で火鉢に火をかけ、乾し肉でも炙っているのだろうか。
ほどなく水面に木舟の舵こぎ音が水路に静かに響いてくる。木舟にも二名の男が乗っていた――やがて鈍い軋み、低声の命令の声も聞こえてくる。扉の前にいた男がおどおどと舟に近づいていく。どうやら馬小屋から若者を舟に移動させる気らしい。
握りしめた拳が汗でじっとりと湿っていることに気づき、慌てて短衣の裾で汗を拭った。
(焦るな、戦うのは俺の仕事ではない。焦るな)
そう自分に言いきかせる。だが心の奥で別の声が囁く。――この若者たちも、十七の名家の争いに巻き込まれた犠牲者なのではないか。彼らを見捨てることが、果たして正しい選択なのか。
闇の奥、ソフィアが顔を布巾で隠した姿で男達の背後に近づく。彼女の銀刃が半月のような軌跡を見せたと思った瞬間、舟の舳先で火花のように一閃が煌めいた。男が呻き崩れ落ち、慌てたもう一人は舟から水面へと転がり落ちた。
デモステネスが雷鳴のように動き出し、あっという間に最後の一人を討ち取ってしまう。どうやら殺していないらしい。すごい技倆だ。やはり忍者だ。
舟が揺れ、闇に紛れてソフィアの銀刃が再び閃く。舟から落ちた男が水面で呻き、鎧の金具が鈍い音を立てる。
「動くな!」
吐息より低い声で彼女が制すると、男は肩を震わせたまま舟底にしがみついた。彼の手には麻縄が握られていた。麻縄は舟に移動させた若者を縛るために準備したのだろう。これ以上若者をどのように拘束するというのか。すでに腕は縛られているというのに。
このタイミングで俺は跳ね起きた。小石が靴底で弾け、水が飛沫をあげる――。
俺は抜き身の短剣を握り、膝下まで冷水に浸かりながら舟縁に手をかけた。湿った板に張り付く蠟封の札
――護送記録だ。
俺は短剣を鞘に納め、片手にランタンを持ったまま歯を食いしばり、札を板から剥ぎ取った。
そこには『月計二十五名、交互循環。同盟都市:コルフィニウム』と刻まれている。ランタンの灯が汗で滲む。
――これが疑惑の煙の源、いや炎の芯だな。
「これで十分ですか?」
デモステネスが男二人を麻縄で縛り上げながら小声で問う。
「あと一つ」
呟きながらく舟の艫に据えられた皮袋を切り裂くと、中から羊皮紙の帳簿が滑り落ちる。炭の数字が夜露に滲んだ。
――これこそ人質交換の動かぬ証。
俺はラビエヌスへの伝令をソフィアに任せ、デモステネス共に木舟を水路の杭に係留したのち、縛り上げた男たちを馬小屋に連行した。
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「これで”人質交換は未遂”という既成事実が出来きました」
デモステネスが帳簿を軽く確認しながら言う。その横で素早く戻ってきたソフィアが馬小屋に閉じ込められていた若者たちに気付け薬を飲ませていた。
なるほど、あれだけ暴れたのに中から人が出てこないということは、どうやら小屋の中に置いてあった鍋の中へ気を失わせる薬でも染み込ませていたらしい。炭にも細工をしたようで、吸い込んだ者から倒れていったようだ。どんな薬なんだ? 全くもって恐ろしい。捕まえた男共は皆、まだ気を失っている状態だ。このまま明日にでも市議会に突き出してやるか。
問題はこの若者たちの取り扱いだ。まず身体については丁重な扱いが必要となる。決して粗末に扱うことはできない。なぜならば、彼らは人質交換の大事な生き証人だからだ。彼らは他都市へと送られる「生きた手形」だった。
――裏切りを防ぐための人質交換の舞台、それがこの舟の正体だとこの状況が物語っている。
しかし何故このような捕虜や奴隷のような扱いをする?
人質として価値のある人物ならば、ある程度の上級市民や名士の家に生まれた者が対象となるのではないのか?
彼らは明らかにそういった家系の者とは見えない。ただの商人の次男坊や小作人の三男坊なのだろう。自分達が何故ここにいるのかも理解していない様子だった。
俺が俯いて黙り込んでいると、デモステネスが声をかけてきた。
「若様。考えるのは安全な場所に戻ってからにいたしましょう」
「そうよ、まずは証拠を掴んだのだからそれで良しとしましょうよ」とソフィアも若者たちの介抱が終わったのか、こちらに近づいてくる。
俺は短い溜息をついた。
――まだ第一の火種を摘んだにすぎない。
この先には、法務官査察からローマ人虐殺、ドルースス暗殺による同盟市全土の蜂起と、アスクルム包囲戦へと史書に記された大炎上が続いているのだから。一つ一つ、対応していこう。
だがこの心に宿る恐怖の闇はまだ明けず、深いまま収まる気配もない。
――果たしてこの街を、この一万数千の人々を、本当に救うことができるのだろうか。無血開城の先に待つ未来が必ずしも幸福をもたらすとは限らない。それでもこの道を歩み続けるしかないのだ。
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翌朝、町外れの軍事訓練広場へ向かう。
ラビエヌス――少年のくせに一振りの木剣で若者十人を黙らせる怪物的な体格の主――は今日も変わらず朝練をしているはずだ。
案の定、木柱が粉を撒き散らす音が聞こえた。ラビエヌスは汗を飛ばしながら連続突きを決め、最後に一閃、硬木の柱を真っ二つに割った。
「今日も爆発してるなぁ」そう言うと、彼は照れもせず歯を見せた。
「剣は筋肉より先に心を鍛えるって聞いた」
「筋肉が先に育ってる。そう思う」
「じゃあ、心もじきに追いつくさ!」
こういう単純さが、戦場では最強の武器にも最悪の凶器にもなる。思わず笑いが込み上げてきて心が和む。ラビエヌスの木剣を借り、一合だけ付き合った。剣と剣が鳴り、朝日が汗を輝く黄金に変えた。
昨日の鬱憤が少しだけ晴れた気がした。
しかし心の奥底に渦巻く不安は、まだ完全には消えていない。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(今回は珍しく肉弾戦パートです。主人公以外のチートっぷりをどうぞお楽しみください)
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