第25話『現場潜入』
ルキウス・マルキウス・ピリップスとセクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)四月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
馬のいななきと河で湿った風が、昼下がりの石畳を撫でていた。今晩決行される人質交換現場を取り押さえるため、俺たちは水路のある倉庫街に向かっている。父の行商隊を装った荷馬車の幌から顔を出し、苔むした城壁を見上げる。ものすごく分厚く感じ思わず言葉が漏れた。
「この壁が、やがて破られる壁か……」
まだ声変わりも終えていない喉でそう呟くと、隣で手綱を引くデモステネスがわずかに眉を動かした。ギリシア語訛りの低声が返ってくる。
「若様。未来形は決して予言ではありませんよ。何を思い付こうと、行動でそれを書き換えればよいだけではありませんか?」
彼の漆黒の瞳がすうぅと細められ、しかめっ面のようになっているので、思わず笑ってしまう。これが彼流の激励でありまた心配顔なのだ。
昨秋から冬が明けるこの春まで間、俺が一体何に悩んでいたのか。彼は最後まで問いかけることはしなかった。言葉よりも行動で示すことは、デモステネスと初めて出会った時から一貫している彼の人生観というか哲学というか、生きる姿勢そのものだ。
またイリリウム行きの場合もそうだったが、必要と判断すればさっさと計画し、承認を得るところまでスッとまとめ上げていたからな。やるときはやる。
行動云々を云われれば返す言葉もない。
しかし、心の奥底には重い恐怖が横たわっている。――もしストラボがアスクルムを陥落させれば、略奪と虐殺が待っている。目指すのは無血開城だが、果たして白旗を揚げた後のアスクルムが本当に自治権を保ち、より良い暮らしを手にできるのか。このままでは、アスクルムは自滅に向かうだけだ。それをどうやって市の総意とするのか――まだ答えが見えない。
幌の奥ではソフィアがランタンの芯を整えている。彼女は五年前に出会った頃からずっと、『私は二十歳』と名乗っているが、年齢以上に研ぎ澄まされた気配を持つ(女性の年齢を話のネタにするのは良くないぞ?)。
今日のような緊張感漂う危険な業務を行うときは、普段の茶目っ気のある雰囲気が一転する。前も一度見せてたな、あの目つき。こんなときは帯剣の革の裏までチェックする周到さを発揮していて、非常に頼もしい。反面どれだけ死線を潜り抜けたら、あそこまで抜け目が無くなるのかしら。想像したくもないわ。
‥‥と妄想に近いことをつらつらと考えていたが、あまり気を抜き過ぎてもいかんな。揺れる馬車の中ではやれることは少なく、つい手持ち無沙汰になってしまう。そこで昨夜の人質交換阻止作戦の様子を思い出すことにした。
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まずは現状確認だ。基本だな。
このアスクルム市は、総人口一万二千から一万五千人の中規模都市だ。ピケヌム族を中心としながらも、ラテン系移住者、サムニテス族、マルシ族、そして少数のローマ市民までを抱える国際的な商業都市でもある。塩の道の要衝として栄えてきたが、今やその繁栄こそが分裂の火種となっている。
市内の政治的影響力を握るアスクルム十七名家は、対ローマへの姿勢対応をめぐって激しく対立していた。最上位の名門三家は立場が分かれ、上位に当たる名家六家と中位の八家では反ローマが優勢とされている。結果として親ローマ派五家系、急進派九家系、中間派三家系という構図が生まれた。
親ローマ派は既存の経済的利益を重視し、段階的改革による権利拡張を支持する。一方、急進派は即座の市民権獲得を要求し、ウィダキリウスやポッパエディウス・シロのような軍事指導者との連携を深めている。中間派は状況に応じて立場を変える日和見的姿勢だが、最終的にはどちらかに靡くだろう。
この対立こそが、武力衝突か平和的解決かの分水嶺となる。俺にとって最も恐ろしいことの一つのは、この分裂が制御不能な暴力の連鎖を生み出すことだ。それは俺の知る史実と同じ結末をここでも再現することに繋がるのだろう。
デモステネスとソフィア、そしてラビエヌスと行った作戦計画の確認は、商会にある俺の部屋で行われた。
その事務机の上で、羊皮地図に引いた炭の線が走る。デモステネスが水路の入口を同じく炭で六ヶ所を丸く囲み、ソフィアは帯から蝋板に使う尖筆を取り出し、その場所を尖筆でコン、コンと叩いた。
「まず水路の確認が必要だと思います」
「水路をざーっと確認しちゃいましょう」
デモステネスが呟くと、そこへソフィアが言葉を被せた。ラビエヌスが頷くのを確認した後、ソフィアに目を向けると、彼女は尖筆を指の先でくるくる回して見せた。う、上手いな……。
コホンと咳払いをした後、地図の中央に城壁を示す線を描き足し、呟く。
「ラビエヌスの話を踏まえると、人質交換の荷馬車は城壁沿いを走らない。奴らは通報を恐れて夜の水面を選ぶはず。だから……南東の排水門」
「そう、南東の排水門。少年の推理にしては上出来ね」
ソフィアが軽い調子で謳うように囁く。敢えて明るくしてくれているのかな。
「もしかして褒めてくれた?」
「褒めたわよ、天才坊やのティトゥス様」
彼女が微笑むと銀髪が橙に染まり、刃のような横顔が柔らかく揺れた。
「この町の地下は穴だらけね。目立たぬよう人を運ぶなら、夜の水路が一番よ」
「そこを押さえれば、火種を摘めるかな」
「火種どころか……もう小火の域を超えて燃え始めているわ。ティトゥス様」
その言葉を聞き胸の奥底に何か重いものが宿る。もし俺が失敗すれば、この街の一万数千の人々が戦火に巻き込まれる。名家の対立が民衆を巻き込み、血で血を洗う内乱となるかもしれない。それだけは、絶対に避けなければならない。
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クリスプス商会の手配した荷馬車が水路脇の廃ワイン倉に到着した。石造りで堅牢な作りとなっている。しかし屋根の一部が割れ、窓は半ば塞がったままではあるが一応現役らしい。
こんなところに何を保管するのか、と思ってアウレリウスに質問したら、雨に濡れても問題ないが外に置いておけない荷物を仕舞っておくにはちょうどいいらしい。そんな荷物もあるのだな、と勉強になった。
音を立てぬよう、持って来ていた荷を静かに下ろす。昼の陽が西へ傾き石蔵の隙間から射す橙が埃を照らす時刻になるまで、倉庫の中で動かず待機していた。周囲を伺うと元々少なかった人影が今はまったく見当たらない。乾いた石畳に靴底を鳴らさぬよう注意しながら、裏口からそっと外に出た。
そのまま三人で蔵の外に身を潜めるように這い出し、裏通り沿いにある目的の馬小屋へと足早に向かった。ソフィアが一歩先に立ち、一人馬小屋に近づく。俺やデモステネスは、傍の水路脇の草陰に待機だ。
彼女は馬小屋の扉の前に取り付けられた鉄格子と、その錠前をじっと見定める。彼女は短剣の柄から巧みに細い金具を抜き出し、それを錠穴へそっと差し込む。静かな夜気の中、ソフィアの手つきはためらいなく、しかし慎重だった。金具の先でピンを一つひとつ探り、力加減を絶妙に調整する。
やがて、内部のタンブラーが正しい位置に揃い、わずかな抵抗の変化が指先に伝わった。ソフィアが最後に柄尻を軽くひねると――カチリ、と澄んだ金属音が闇に響いた。
その瞬間、遠くで鐘が三つ、木霊のように重なって鳴った。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(人質交換は、この時代よく行われていたと云われています。手っ取り早い裏切り防止策なのでしょう。日本でも徳川家康の子供の頃のエピソードが有名ですよね。しかし自分で前線に出ちゃうのだから、ティトゥスも実は脳筋タイプなんですかねぇ。それともこの世界に染まった?)
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