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『オリーブと梟』第一部 アスクルムの戦い  作者: 岡田 平真 / オカダ ヒラマサ
〜 戦争の足音
23/96

第21話『中央広場の希望と疑念』




ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)三月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス




 春が訪れたアスクルムは、一年で最も美しい季節を迎えていた。トルエントス川から吹き上がる爽やかな風が、白い石灰岩の城壁を撫でて街中に舞い込んでくる。アーモンドの花が石畳の隙間に散り敷かれ、朝の陽射しに輝いて宝石のように煌めいていた。


 野生のスミレが石畳の隙間に紫の彩りを添え、山裾から吹く風に乗って、ボリジの青い花と早咲きのサクラソウの甘い香りが混じり合う。


 しかし確実に言えるのは、カモミールとデイジーの白い絨毯が街を取り囲む草地を覆い、この古きピケヌムの誇り高い都市に、地中海の春が豊かに息づいているということだ。



 ‥‥‥たまに詩的になるな、俺。春だからか?



 中央広場では、いつものように朝市が開かれていた。山間から運ばれてきた新鮮な野菜、トルエントス川で捕れた魚、近郊の農場で採れたばかりのオリーブ。商人たちの威勢の良い声が石壁に反響し、買い物客との値段交渉が賑やかに交わされている。陶器を売る老婆の笑い声、子供たちが露店の間を駆け抜ける足音、荷車の車輪が石畳を叩く規則正しいリズム。春の活気に満ちた、いつものアスクルムの朝の光景だ。


 だが今日は、いつもと違う熱気が広場に漂っていた。

 野菜売りの露店が立ち並ぶ広場のど真ん中に、木製の演壇が設えられている。周囲には普段より多くの人々が集まり興味深そうに、あるいは懐疑的な表情で演壇を見つめていた。買い物籠を抱えた主婦たち、仕事の手を止めた職人たち、好奇心に駆られた子供たちまでもが、この異例の光景に足を止めている。



 春の陽射しを背に受けて演壇に立つのは、リクトル・サルウィウスだった。彼の声は朝の清澄な空気によく響き、三月の花盛りの中でその姿は一幅の絵のように美しく見えた。

 

 「同胞よ!」


 リクトルの声が広場に響く。三十歳を少し過ぎた彼の顔には、理想に燃える青年の面影がまだ残っていた。ローマで修辞学を学んだだけあって、その弁舌は流暢で情熱的だ。朝の光に照らされた彼の表情は、まるで春の希望そのものを体現しているかのようだった。


 「同胞よ!」リクトルは再度、民衆に語りかける。

 

 「今こそ希望の光が見えてきた! ローマでは護民官マルクス・リウィウス・ドルーススが、我々同盟市民のために立ち上がっている!」


 群衆からどよめきが起こる。広場の端、果物屋の陰に身を潜めながら俺はこの光景を眺めていた。デモステネスとソフィアも両脇に控えている。


 「ドルーススの提案を聞け!『同盟市に市民権を付与するリウィウスの提案』——これこそが我々の悲願ではないか! もはやローマの属州民として扱われることはない。我々も正当なローマ市民として、政治に参加し、発言権を得ることができるのだ!」


 リクトルの主張は確かに魅力的だった。だが内心では首を振らざるを得なかった。そう簡単にいくだろうか?


 「だが同胞よ、我々はただ待っているだけではならぬ!」リクトルの声が一段と高くなる。


 「ドルーススの法案を支持し、ローマの良識ある人々と連帯することで、平和的に、合法的に我々の権利を勝ち取るのだ!」


 「若様」デモステネスが小声で囁く。

 「リクトル殿の主張は理想的ではあります。しかし現実はそう甘くないでしょうね」


 「どういう意味?」


 「ドルーススの法案には土地の再分配も含まれています。現在の土地所有者——特に大土地所有者たちが黙っているとでしょうか。それに審判人制度の改革も、騎士階級と元老院の対立を激化させるだけです」


 ソフィアも眉をひそめながら付け加えた。

 「それに仮に市民権を得たとしても、新市民の政治的影響力をローマが制限しないという保証はどこにあるの? 形だけの市民権で満足しろと言われるのがオチじゃない?」


 二人の指摘には頷ける部分が多い。

 確かにリクトルの楽観論には疑問が残る。元老院の魑魅魍魎どもが、そんな法案をすんなり通すとは思えない。特に土地分配問題が絡めば、既得権益層の猛反発は必至だ。ローマの政治がそんなに単純なら、今頃とっくに解決しているはずだ。グラックス兄弟の悲劇も、未来のカエサルとポンペイウスの内戦も生じる理由が無くなる。



 リクトルが演説を続ける。


 「我々に必要なのは忍耐だ。ドルーススのような良識ある政治家を支援し、ローマ内部の改革派と連携することで、必ずや道は開ける!暴力に訴える必要はない。法と正義の力で、我々の正当な権利を勝ち取るのだ!」


 群衆の反応は複雑だった。一部は頷いているが、多くの者は困惑したような表情を浮かべている。彼らの顔には「それで本当にうまくいくのか?」という疑念が浮かんでいた。

 だが、なぜそう感じるのか、その理由を明確に言語化できる者は少なそうだ。ただ漠然と、リクトルの楽観論に物足りなさを感じているのだろう。



 その時、リクトルが手を上げて群衆を静めた。


 「諸君に紹介したい人物がいる。我がサルウィウス家が招聘した、都市アンギテイウムから来たマルシ族の若き英傑、ルキウス・アタエウス・マルスクスである!」


 演壇の脇から、一人の少年が姿を現した。

 十四、五歳だろうか。リクトルの傍らに立つルキウスは、細面で繊細な顔つきをしている。体格も華奢で小柄な方で、その細身がより際立つ。民族衣装を着ているためそれほど目立つわけでもないが、俺よりも幼く見えるときもあるだろう。その彼がマルシ族特有の編み込みを施した外套を身に纏い、堂々とした立ち振る舞いを見せている。だが、その表情には微かな当惑の色が浮かんでいた。


 群衆がざわめく。

 「なぜこのタイミングで?」

 「市議会の許可は取ったのか?」

 「マルシ族の子息をここに?一体何を考えている?」


 俺もまた眉をひそめざるを得なかった。確かに不可解だ。ドルーススの法案審議が続いている微妙な時期に、なぜマルシ族の少年をアスクルムに招くのか?それも正式な手続きを踏まずに。



 リクトルが再び手を上げる。


 「諸君の疑問はもっともだ。確かにルキウス君の招聘は、我がサルウィウス家の独断で行った。市議会への事前相談もなかった。だが、これは政治的な策謀ではない!」


 彼の声に微かな動揺が混じる。


 「ドルーススの法案が通れば、我々はマルシ族とも同じローマ市民となる。その時に備え、若き世代同士の交流を深めておくことは、将来への投資なのだ!これこそが真の政治的知恵ではないか!」


 ソフィアが小さく舌打ちする。

 「後付けの理屈ね。独断専行を『将来への投資』で正当化しようというつもり?」


 「政治的意図がないわけがない」デモステネスも呟く。

 「マルシ族は同盟市の中でも最も好戦的だ。その子息をここに招くということは、何らかの密約があるのでしょう」


 視線を向けるとは、群衆の中に混じるラビエヌスの姿が目に留まる。彼は演壇から少し離れた場所に立ち、複雑な表情でリクトルを見つめていた。その隣には、同世代の少年たちが数人控えている。おそらく自警団の候補者たちだろう。

 ラビエヌスにとって、リクトルは憧れの兄貴分だ。剣術の師でもあり、人生の指標でもある。だが、今日の演説を聞いて、彼は何を思っているのだろう?


 リクトルの独断専行への困惑?

 それとも、楽観的すぎる政治展望への疑念?


 ラビエヌスの心中を察すると胸が痛む。憧れの人物が、期待通りの言動を取ってくれないときの何とも言えない失望感は、俺にもよく理解できる。特に十一歳の少年にとってそのショックは計り知れないだろう。

 それが単に自身の理想を相手に投影した結果であり、相手に何ら落ち度がないのだとしても。



 リクトルが演説を続ける。


 「ルキウス君は、マルシ族の誇りと知恵を体現する若者だ。彼と我々の若者たちが交流を深めることで、ドルーススの理想——真のイタリア民族の統合が実現するのだ!分断統治ではなく、真の統合を!」


 ルキウスは、やや俯き加減で顎を引きながら遠くを見つめていた。その瞳に映るものは一体なんのか。その表情の奥にあるものが気になって仕方なかった。


 その時、群衆の後方から野太い声が響いた。



 「それで終わりか、リクトル!」



 振り返ると、パピリウス・ルクルスが数人の取り巻きを連れて現れていた。ウィダキリウス派の急先鋒である彼の顔には、明らかな嘲笑の色があった。



 本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。

 なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。


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(前91年春、マルクス・リウィウス・ドルーススは画期的な法案を提案します。しかし現実にその提案を可決するための政治力を天は彼に与えませんでした。グラックス兄弟もそうですが、歴史上の彼らの役割には天の差配を感じてしまいます)



もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。


第一部の登場人物一覧はこちら↓

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