第16話『黎明の光』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)一月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
そんなある日……新年の祝いの時期が落ち着いた頃、雨が止んだ翌日だった。
「あの子は一体何者なの?」
ソフィアがそう言って指差した先に、赤ら顔の黒髪で少年がいた。
裸足で駆けていた。上半身は裸。
棒を振っている。
石を投げては跳び、跳んでは回り、叫ぶように息を吐き出していた。
「ティトゥス・ラビエヌスです。この街の有力な武器商人であり強力な経済力と発言権を持つ騎士、ガイウス・ラビエヌスの三男。家に収まり切らず、最近は川辺で魚を追い、剣を振り回しています」
デモステネスの説明を、俺は半分だけ聞いていた。
あの少年は、何かに怒っていた。いや、もっと違う、熱くなっていた。自分の中にある何かを燃やすように、他人ではなく、自分自身と戦っていた。
「ラビエヌス」と聞いて、奇妙な共鳴が自分の中で生まれつつあることを感じていた。
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その翌日、俺は私塾への道すがら再びラビエヌスの姿を目にした。
今度は広場の一角で、年上の少年たちに囲まれている。五人ほどの集団が彼を取り囲み、何やら言い争っていた。俺は足を止めて観察してみる。
「返せよ、ラビエヌス! お前が隠し持ってるんだろう!」
「知らないと言っているだろう」
どうやら誰かが金を失くしたらしく、ラビエヌスが疑われているようだった。しかし彼の声に嘘は感じられない。むしろ、その眼差しには静かな怒りが宿っていた。
「この嘘つきが!」
年上の少年の一人が拳を振り上げたとき、ラビエヌスは身をかわし、逆に相手の足を払って地面に転ばせた。見事な動きだった。しかし数の差は覆らない。
そのとき、広場の向こうから小さな悲鳴が聞こえた。
「泥棒よ! 泥棒!」
よく聞くと老婆の声だった。そちらを見やると、黒い服を着た男が老婆から何かを奪い取り、こちらに向かって走ってくる。
ラビエヌスの反応は瞬時だった。囲んでいた少年たちを押しのけ、走ってくる男の前に立ちはだかった。
「待て!」
男は慌てて方向を変えようとしたが、足を滑らせて転倒した。そのとき男の懐から複数の財布がこぼれ落ちた。その中には、ラビエヌスを囲んでいた少年のものもあったに違いない。
「こいつが本当の犯人か……」
年上の少年たちは青ざめた。そして一人ずつラビエヌスに頭を下げた。
「すまなかった、ラビエヌス」
「俺たちが間違っていた」
しかしラビエヌスは彼らを責めることはしなかった。代わりに、転倒した泥棒を起こして言った。
「金は返せ。だがここから逃げるなら、もう追わない」
その優しさは、現代日本人の俺でさえ驚くほどだった。古代ローマの街で、こんな寛容さを示す少年がいるのか。犯人を見逃すのはどうかと思ったが、下手したら腕を切り落とされる可能性もあるからな……。
泥棒は震え声で謝罪し、すべての財布を返して走り去った。ラビエヌスは老婆のもとに行き丁寧に財布を返し、老婆を優しく立ち上がらせている。
「ありがとう、坊や。本当にありがとう」
老婆の感謝の言葉に、ラビエヌスは照れたように頬を赤らめた。
俺はその一部始終を見ながら立ち尽くしていた。史実で知るラビエヌスは最後にカエサルを裏切った男だ。しかし目の前の少年からは、そんな冷酷さのかけらも感じられなかった。
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私塾でもラビエヌスの存在感は際立っていた。
俺たちは同い年だが体格はまるで違う。俺が細身なのに対しラビエヌスはがっしりとした体躯で、既に大人顔負けの筋肉をつけている。声変わりも俺より早く、低い声で話す姿は同級生というより兄貴分のようだった。
「今日は群読の練習をしましょう」
私塾の先生が言うと生徒たちはいくつかのグループに分かれた。ラビエヌスのいるグループは、自然と彼を中心にまとまっていく。
「君たちはホメロスの『イリアス』の一節を担当します。アキレウスの怒りの場面です」
他のグループが戸惑う中、ラビエヌスは即座に役割分担を決めていく。
「それじゃお前はアキレウス、お前はパトロクロスをやってくれ。俺は語り手をやる。一度やってみて皆の希望があれば聞いてみよう」
彼の指示は的確でみな素直に従った。そして練習が始まると、ラビエヌスの声は教室中に響いた。
「怒りを歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウスの…」
その朗読は力強く、情感に満ちていた。現代の日本では、このような古典的な朗読を堂々とできる中学生はそういないだろう。俺は感心した。
私塾が終わった後、ラビエヌスは遅れている仲間に計算を教えていた。怪我をした友人には水を運んでいた。
俺は混乱していた。
この少年は、本当に将来カエサルを裏切るのだろうか?
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数日後、デモステネスが興味深い報告をしてくれた。
「ラビエヌス少年のことですが、週に何度か中央広場を掃除しているようです」
「……掃除?」
「ええ。義務でもないのに、剣術修行の後に自主的に。他の子供たちも手伝い始めているとか」
俺は確かめたくなって、翌朝早起きした。まだ薄暗い広場に向かうと、確かにラビエヌスの姿があった。
彼は箒を手に黙々と石畳を掃いている。その動きは規則正しく無駄がない。まるで禅寺の修行僧だ。やがて他の子供たちも集まってきて、自然と掃除の輪が広がっていく。
「君は、なぜこんなことをしているの?」
俺が声をかけると、ラビエヌスは振り返った。
「この街が汚れているのを見ると、なんだか嫌なんだ。みんなが気持ちよく過ごせる場所にしたくてね」
その答えに、俺の胸は熱くなった。この少年は間違いなく、純粋な心を持っている。
「君は立派だ、ラビエヌス」
俺がそう言うと、彼は照れたように笑った。
「そうだ、ティトゥスも手伝わないか?」
殆ど会話をしたことがないのに、彼は俺の名前を覚えていたようだ。俺は仲間の一人から箒を受け取り、一緒に掃除を始めた。朝日が広場を照らし始める中、子供たちの笑い声が響いていた。
その時、ラビエヌスが俺を見て言った。
「お前、面白いやつだな。他の子とはどこか違う」
「……そう?」
「ああ。お前は人の話をちゃんと聞く。そして偉そうにしない」
同い年の友人からのその言葉は、俺にとって意外なほど嬉しかった。
その日の午後、屋敷に戻るとソフィアが俺を待っていた。
「ティトゥス様。お時間よろしいでしょうか? ちょっとあの子のことで話があるの」
「あの子って、ラビエヌスのこと?」
「そうです。デモステネスとも話したんだけど、彼は普通の子供じゃないと思うんです。あの年でもう完全に指導者としての実力を発揮しているの」
ソフィアは凄いな……と思わず唸ってしまう。何故なら同じことを俺も感じていたからだ。いや、自分が凄いって言いたいんじゃないんだけどね。
「でも同時に、とても純粋で優しい心を持っている。他の子供たちが彼を慕うのは、強さだけじゃなく、その人柄があるからでしょうね」
「……そうだな」
「ティトゥス様」ソフィアは真剣な表情になった。 「ティトゥス様もあの子に何か特別なものを感じているでしょう?」
俺は少し目を瞑り、口を閉ざす。
まさか未来の知識を話すわけにはいかないからね。ソフィアは鋭いので、瞳で俺の考えなど理解してしまうかもしれない。ソフィアに悟られたくない。
「人には運命というものがあるけれど」ソフィアは続けた。
「それは決して変えられないものではないわ。出会いや経験こそが、人を正しく変えていく。あの子がどんな大人になるかはこれからの出会い次第でしょうね」
その言葉は、俺の心に深く刺さった。
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翌日の午後、俺はラビエヌスと二人きりで話す機会を得た。
「な、ティトゥス」ラビエヌスが語りかけてくる。
「お前はなんで俺と友達になろうと思ったんだ?」
「なんでって……」
「俺の父親は武器商人だ。お前の父親は穀物商人だろ? 直接的ではないけど商売敵みたいなもんじゃないか」
ラビエヌスの素直な疑問に、俺は少し考えてから答えた。
「確かに、戦争と平和という観点から見れば、俺たちの家業は利益が相反する時がある。しかし商売は商売、友情は友情だと思うんだ。それに、お前は信頼できる奴だと思う」
「信頼?」
「ああ。お前は嘘をつかないし、弱い者を守る。そういう奴となら俺は友達になりたい」
ラビエヌスは少し照れたような、嬉しそうな表情を見せた。
「お前も変わってるよな。でも、いい意味で」
「そうか?」
「ああ。お前といると、なんだか安心する。お前は俺を裏切らない気がするんだ」
その言葉に、俺の胸は締め付けられた。史実では、ラビエヌスがカエサルを裏切る。でも今、目の前の彼は『裏切り』という言葉を嫌悪するように口にした。
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その日から、俺は彼の姿を目で追うようになった。
彼はいつでも喧嘩っ早い。だが卑怯ではなかった。
彼は常に何かで傷ついていた。だが隠さなかった。
彼は仲間を殴ることがあった。だが、それ以上に信じていた。
そして何より、彼は常に正義感に燃えていた。弱い者を守り、不正を憎み、仲間を大切にする。そんな姿を見るたびに、俺の中で確信が強くなっていく。
ああ、こいつは……。
俺が知ってる『未来の敵』のはずだ。
カエサルを最も傷つけた者。
裏切りの象徴。
だがそのときまではカエサルと共に戦場を駆け抜けた、彼の最も信頼した副官だった。
その男の、まだ幼い姿がそこにあった。
だが今、俺が見ているのは、まごうことなき善良な少年だった。もしかしたら歴史は……運命は……変えることができるのではないか?
なぜ、ラビエヌスは、カエサルを裏切ったのか?
なぜ、その忠義が、疑念に変わったのか?
歴史は結果しか教えてくれない。
理由は、経緯は、心の内側は、後世に残されたどの書物にも書かれていなかった。
それなら、俺が見届けてみたい。
この子がどう育ち、何を信じ、何に躓くのか。
その先に、カエサルを裏切らない未来があるなら、俺がその可能性を繋げてみたい。
ソフィアの言葉が蘇る。
「運命は、決して変えられないものではないわ」
そうだ。
俺は今まで、歴史を既定事実として受け入れすぎていた。しかし歴史を作るのは人間だ。人間の心が変われば、歴史も変わる。
気付けば、俺はまた筆を持っていた。
羊皮紙に記録を取り始めていた。
本当は蝋板を使うべきなのだが、無理を言って羊皮紙を多めに分けてもらっている。どうしても残しておきたいことは、紙に書き残すべきと現代人の俺は思ってしまう。
ソフィアに問いを投げ、デモステネスに報告を頼み、街の空気に指を触れはじめていた。
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結局、人ってやつは、人でしか立ち直れないのだろう。
自分の中に生まれた疑問も、濁りも、膿も。
他人の言葉、まなざし、熱、音、衝動。そういうものに出会って初めて、掻き出される。
『転生して、知識を持っている』というだけでは、何も変えられない。人を動かし、人に動かされて、初めて物語が始まる。
それを教えてくれたのは、あの少年。
ティトゥス・ラビエヌスだった。
そして、その可能性を信じさせてくれたのは、ソフィアとデモステネスだった。二人の洞察力と人間への深い理解が、俺に新たな視点を与えてくれた。
デモステネスは言う。
「人は環境によって変わる生き物です。どんな英雄も悪人も、最初は同じような子供だったのです」
ソフィアは言う。
「大切なのは、その人がどんな人々と出会い、どんな経験をするかよ。あなたも、あの子にとって大切な出会いの一つになるかもしれない」
二人の言葉が、俺の心に希望の種を植えた。そして今、その種は確実に芽を出している。
ならば俺もまた、動こう。
作り手として、舞台を描こう。そしてその舞台で生きてみよう。
この街の未来を変える一節を生み出せるよう、精一杯の声を上げよう、と。
明けない夜はない。
薄暗い部屋の中から、窓の外の暁の空を見上げる。
最初は小さなきっかけなんだ。
でも、間違いなく、心の中に”再起”の火が灯っていた。
そしてその火は、希望の炎へと変わりつつあった。
歴史は変えられる。
運命は書き換えられる。
俺の中にその確信が生まれつつあった。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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ティトゥスは、ガリアの戦いの後にラビエヌスがカエサルの元を離れることを史実として知っています。そのイメージを振り払うことは容易ではなかったでしょう。何度も同姓同名ではないか、と疑って懸かったに違いありません。
しかし、ラビエヌスの類い希な才能を目の当たりにしたことで、あの『ティトゥス・ラビエヌス』であると確信しています。
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
第一部の登場人物一覧はこちら↓
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