第14話『決意』
★今回のストーリーは第一部の結末につながる内容となります。
作者はこの順番での構成を是と考えておりますが、もし『先の展開を知りたくない』『最後までドキドキしたい』とお考えになられる方がおりましたら、この回は飛ばして先にお進みください。
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方アスクルム市内、ラビエヌス
降伏から数日後。
アスクルムは正式にローマ軍、いや、ストラボ将軍の管理下に置かれた。
街は大きな混乱もなく、新しい秩序に馴染んでいった。
もちろん反発する者もいた。だけどあらかじめティトゥスが仕掛けていたのだろう。ローマに協力的な派閥が、あらゆるところで市民たちを宥め、説得していた。
おれは、その裏側を何度も目にした。
ティトゥスは直接表に出ることは極力しなかった。
最後に市民の前で演説をしたくらいだ。だけど子供たちを使い、街中に『新しいアスクルムはローマと共に歩むべきだ』という噂を流させていた。
市場でも、酒場でも、広場でも。
気がつけば、みんながそう思い始めていた。
「ああ、ローマに従った方がきっと豊かになれるさ」
「命があれば、また春は巡る」
「戦って何になる? 家族が死ぬだけだ」
……それは、完全に正しかった。
そして、そう思わせたのは――間違いなく、ティトゥスだった。
おれは感心するばかりだった。
同じ年頃のはずなのに、どうしてここまで、すべてを読めるんだろう。
あいつの頭の中には、きっと俺には見えない『地図』みたいなものが広がっているんだろうなって、ときどき思う。
アスクルムは、ティトゥスの手の中で作られた新しい時代を静かに受け入れていった。
△▼△▼△▼△
罰務の三日目、炊事場に息子ポンペイウスが歩いてきた。
白い短衣、汚れ一つないサンダル。完璧な彫像のような貴公子顔で、だが無表情。
「ラビエヌス?」
「……そうだが」
「父上が言付けを。傷の具合を見せなさい」
無機質な声だった。命令の抑揚でありながら、関心は感じない。
おれは黙って短衣を脱ぎ背中を見せる。彼は指で縫い目をなぞるように触れ、淡々と薬膏を塗っていった。動きは的確であり、全く迷いがない。
「骨は無事。あなたは父上の寛容を証明する駒だ。早く治しなさい」
「……ありがとう、なのか?」
「礼は不要。……私はあなたの怒りを理解できない」
彼は真顔で言った。
「父上もあなたもピケヌムの人間。私はなぜ同族を殺そうとする衝動が生まれるか解せない」
その瞬間、おれはなぜか強烈な寒気を覚えた。
彼には怒りの情動そのものが存在しないのかもしれない。剣と規律だけで構成された空洞のような人物。
このポンペイウスはおれを見ているようで視ていなかった。
△▼△▼△▼△
罰務の七日目、炊事以外の雑務を命じられた。
兵站幕舎に野戦医療薬を運ぶため、荷車を引いている途中、一人の男が近づいてきた。
「やぁ、ラビエヌス。背の傷はどうだい?」
面識もないのに、彼は気安く肩に手を置く。
「……誰だ、お前は」
「一度会っているんだけどなぁ、覚えてないか。まぁいい。ただのおせっかい焼きの一人さ。背筋を伸ばすと治りが早いぞ。膿が溜まると刀傷より厄介だ」
その言葉を聞き、丸めていた背をそっと伸ばしてみる。
想像通りの痛みが走り、思わず呻く。
すると彼は軽く笑って薬らしき包みを差し出した。
「殺気を剣に注ぐより、剣を握る手の血流を整える方が強くなれる。不思議だろう?」
その妙な言い回しに、俺は苦笑するしかなかった。
「まっ、背中に塗ってくれるヤツがいなければ、また声をかけてくれ」
「……すまない。助かった」
軽妙で気さくな立ち振る舞い。身なりもそれなりの装束であり、高級士官であることが見て取れる。
男はセイヤヌスと名乗り、特異な臭いをまき散らす軟膏を置いて去っていった。
ちょうどポンペイウスからもらった軟膏が切れたところだった。その意味では助かったが……。
——どういうつもりなんだ。計っていたのか? 奴の狙いが理解できない。
おれは考えることをやめ、薬を懐にしまうと、また荷車を引き始めた。
△▼△▼△▼△
罰務の十日目の夜。
炊事が終わる頃、ティトゥスが豆と干し肉が塩スープの入ったお椀を二つ盆に乗せ、おれの野営用皮革テントを訪ねて来た。
そう言えば何で普通にここにいるんだ、こいつ。もう顔だけで通れるようになったのか?
素焼きの土器を持ち、並んで座ってスープをすする。スープは塩っ辛く、二人とも飲み干すまで黙っていた。終わり片付けを始めた頃、ティトゥスがポツリと話し始めた。
「君は人を救うために危険を冒した。ぼくは君を救うために計算した。どちらが勇気だろうな」
「馬鹿を言うな。俺はただ突っ走っただけだ」
「俺は怖がりだ」ティトゥスは苦く笑う。
「でもね、怖がりだからこそ先を読むのは得意なんだ。ローマ政治の潮目、元老院の派閥、商業利権。無駄死にしないようとにかく安全な線を辿りたくて仕方ない。――だから君の怒りはまぶし過ぎるんだよ」
おれはその言葉を聞いてを息を呑む。
彼の眼の奥に、燃えさしの火が見えた。
炎ではない。
灰の中で静かに赤みを帯びた炭。
その熱は外へは漏れず、だが確実に自己を焼き続けている。
「……お前の底は深いな」思わず言葉が漏れた。
「底などないさ。生き延びるために必死なだけ。ラビエヌス、君は剣を学びたいなら学べばいい。――でも剣で運命を変えるには、数千の命が動く算段も覚えないと」
ティトゥスは両手で椀を包み地面を見つめている。
おれは空を仰ごうと上を向いた。
そこに空は無く、ただ天幕の布地があるだけだった。
小汚い布を見つめ、剣一本で世界は動かせないのだと――遅ればせながら、痛感した。
△▼△▼△▼△
罰務を最後までやり終えた後、ストラボ将軍はおれを自身の天幕に呼びつけた。
この天幕に来るのは二回目だな、と思いながら近衛兵に声をかけ中に入る。将軍は書状を積み上げた簡易机の傍に座っており、俺にちらりと目を向けた後にこう言った。
「お前の度胸、目利きが気に入った。準備でき次第、俺の軍に来い。簿外幕僚として連れて行ってやる」
胸がどっと高鳴る。
剣を研ぎ澄ますだけが男の戦いじゃないと、ティトゥスが教えてくれた。
「はっ、承知しました」
俺が答えると、将軍はもう興味を失ったとばかりに下を向き、書類を再び読み始める。
どうしたらよいかわからないまま俯きがちに黙って立ちつくしていると、再度、将軍は俺をに声をかけてくれた。
「お前の父親からも書状を受け取っている」
「…………はっ」
「ずいぶんと奮発したようだな。今後はお前の活躍次第だ、存分に働け」
おれは思わず顔を上げ、真正面から将軍と見つめ合う形になってしまう。
将軍は軽く笑っていた。だが同時に、将軍の瞳の奥に仄暗い湖が見えた。
欲望とは違う、底なしの無関心だ。――その湖に墜ちぬよう、俺は心の剣を握り直す。
将軍は今度こそ用はもうない、とばかりに左手を軽く振り、おれに退出を促した。
黙礼をし、おれは天幕の外へ出る。
……‥ようやく一息をつける。
そう思った矢先に若きポンペイウスがやってきた。慌てて息を飲み込み、敬礼の姿勢を取る。あのセイヤヌスと一緒だった。どうやら父親への報告があるようで、セイヤヌスは書類の束を抱えていた。
彼はちらりと俺に目をやる。仕草が将軍そっくりだな。おれはぼんやりとそんなことを思う。道を開け、改めて礼を取り直す。彼は無表情のままおれの目の前を通り過ぎた。
通り過ぎたところで、ようやく一息……となる前に、ポンペイウスから声をかけられた。
「君の怒りは理解できないが、君が生きる価値を得たことは計算に合う」
それだけを言い残し、おれの返答を待つこともなく彼は天幕に消えていった。
怪しい男、セイヤヌスは実はストラボ将軍の副官だという。
「これからよろしくな、ラビエヌス殿」
彼は後ろ手を頭で組みながら軽口を叩き、飄々とした表情で俺に向き合う。
「よろしくお願いします」
おれは正式な上官に対する礼を取り、その場を立ち去った。
背中にセイヤヌスの視線を感じながら、おれは嫌な汗をかいていた。
△▼△▼△▼△
街が完全に落ち着きを取り戻したある晩。
おれはティトゥスと二人、夜の市場跡に座っていた。こんな風に一緒に時間を取れるのは何時以来だろう。
アスクルムの広場は、夜風が冷たくて、星空だけがやけに眩しかった。しばらく二人して黙って座っていたが、おれは不意に口を開いた。
「……なあ、ティトゥス……お前、本当は、何者なんだ?」
ティトゥスは笑った。
声を立てずに、静かに、子供みたいに。子供なのに。
「何者でもないさ、ラビエヌス。俺はただ、目立ちたくないだけだ」
おれも静かに笑う。
「……嘘だろ。この街ひとつ、血を流さずにローマへ引き渡したやつが、何者でもないわけねえよ」
ティトゥスは、空を見上げた。
その目は、どこか遠くを見ているようだった。
「俺は……未来を知ってるだけさ」
「未来?」
「ああ。……このローマが、やがて、もっと大きな嵐に呑まれる未来を、な」
おれは、何も言えなかった。
ティトゥスの言葉は、あまりにも重くて、今のおれには、受け止めきれなかった。
だけど――
心のどこかで、その言葉が、確かな『真実』だと感じた。
ティトゥスは本当に未来を知ってる。
だからこそこんなにも冷静で、こんなにも必死で、こんなにも静かに戦うんだ。
ティトゥスは最後におれの肩へ手を置き、こう囁いた。
「生きるんだ。生きていれば怒りを別の形にできる。俺はその道を探す」
自分が変わる予感と、まだ掴めぬ未来への恐怖。
剣一本では届かないが、剣を捨てる気はない。 ならば、どう生きる――?
おれは……いや、俺は、決めた。
あの男を守ろう。
どんな嵐が来ても剣を取って、いつか、あいつを守る盾になろう。
あいつの未来を、絶対に潰させない。
それが、俺にできる、唯一の誓いだった。
△▼△▼△▼△
その後、ティトゥスは街を離れローマへ向かった。
俺はフィルムムに越冬のため移動したストラボ将軍の幕下で、軍のことを学び始めた。
剣の振り方、隊列の組み方、伝令のやり取り、食糧輸送の手配――
ぜんぶ、ティトゥスが教えてくれた『世の中を動かす力』に繋がる知識だった。まだ俺は、ちっぽけな存在だ。だけど、いつか、必ず。
必ず、あのティトゥスと並んで、同じ空を見上げられる男になってやる。
そう、心に決めていた。
アスクルムに繋がるこの空は、今日も高かった。星々の向こうに、まだ見ぬ未来が輝いていた。
俺は、その未来を、信じている。
ティトゥスと、俺たちの未来を。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(どうやらラビエヌスは、暴発したことで冷静になれたようです。そして、自分を受け入れた様子を見せてくれて一安心。果たしてラビエヌスは今後、どのような道を歩むのか。
これでラビエヌスの物語は一先ず終幕となります。ただ第一部はまだ続きますので、これからもお付き合い頂ければ幸いです)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
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