表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

3.やがて復讐という名の雨

チャイナタウン神保町の朝市は、活気に満ちていた。


「ほら、3個で千円、千円だ! 買った買った! おや、見回りかい。あんたには1個おまけするよ、リウ」

「リウ! こないだは助かった。寄っていきなよ、いい魚が入ってる」

「朝ごはんにどう? リウになら豆乳一袋で三百円。出来立てほやほや、まだ温かいよ」


声をかけられ、笑顔を返すたびに増えていく品物。抱えた焼きまんじゅうの袋に、果物の包みと香辛料をぶら下げ、更に袋詰めの豆乳が加わった。


歩く間にも道の両脇に並ぶ出店は、その場で調理されたもののほかに、種々の食材も商っている。

頭と尾が二股ずつになった魚、足が十本ある小動物の肉、「清純水」と書かれた水の甕。

終末事変アポカリプス前には奇形と呼ばれた生物が日常的に販売され、飲料に耐える純度の水は非常に高価。だが、危険と知っても口にしなければ生きてはいけない。

ディエスは黙って市に並ぶ商品を眺めている。


旨そうな屋台飯の隣には、出どころの怪しげな嗜好品。

玉石混淆の店々を通りぬけるリウの背中を、一歩離れた場所からディエスは追っている。見慣れぬ異邦人たるディエスに声をかける者はいないが、町の掃除屋スイーパーが傍にいるせいか、必要以上に恐れているものもいない様子だった。


リウは袋から取り出した焼きまんじゅうを一つ、かじりながら歩く。


「誰かさんの口車にのせられて、早朝から市なんか見回ることになっちまった」

「早朝? ああ、まあ……主観的にそう呼ぶことを咎める必要はないか」


思わず、中天に近づいていた太陽を見上げるディエスの腰に、ぽすんとなにかがぶつかった。


「ごめんなさーい!」


見下ろせば、リウの半分ほどの背丈の少女が立っている。

黒い髪を丁寧に結い上げ、花柄の旗袍チーパオを着た少女は、丸い瞳をぱちぱちと瞬かせた。両手で抱えた籠に、ぎっしり詰まっているのは手巻き煙草だ。


先へ行きかけていたリウが、少女の朗らかな声を聞きつけて振り返る。


「なんだ、思妍シーユェンじゃないか!」

「リウ! じゃあこちらリウの……ずいぶん大きなお連れさんね?」


爪先立って下から見上げる少女の傍らに、ディエスは膝を突き目線を合わせる。


「あらまぁ」

「あー、そいつはディエス。しばらくうちに滞在する予定だ。おい、ディエス。こっちは思妍。市の奥に建つ煙草屋の一人娘さ」

「よろしく、señorita。Eres un sol」

「しにょりた? えれ、うん、そる?」


 首を傾げた思妍に、ディエスは一拍おいてウィンクを見せた。


「太陽のようなお嬢さんってことだ、シニョリータ」

「あは、大げさ! けど嬉しいわ、ありがと! 煙草、サービスしとくわね」

「あっ、オレもオレも」

「リウはだーめ。今週はもう2回も買いに来たって父さん言ってたよ。吸い過ぎは身体に毒だって」

「その毒を売ってるのが君んちだろ」

「リウには恩があるんだもの、長生きしてほしいのよ。秋葉原サイバーシティの奴らが入ってきたら、あたしの店も壊されちゃうわ」

「煙草がないと、元気が出なくて次はやられちゃうかも」


 ぷっと膨れたリウの顔を見て、思妍は楽しそうな笑い声を漏らした。


「しょうがないわね、あたしたちを守ってくれる掃除屋スイーパーさんの働きに免じて一箱だけ」

「あーあー、ありがたくいただくよ、どうも」


 貰った煙草を上着の中にしまい、隣で苦笑するディエスを小突いてから、リウは再び歩き出した。


「で、どうだ。神保町チャイナタウンは?」

「活気がある」

「そういう上っ面の話が聞きたいんじゃない。あんた、なにか目的があってきたんだろ、その話を聞いてる」

「ああ、実を言えば――」


 ディエスは、先ほど思妍に見せたのと同じウィンクを、今度はリウに向けて見せた。


「実を言えば、目的は既に達した」

「なに?」


 思わず足を止めたリウの肩に、ぽんと手を置く。


「俺の目的は二つ。一つは単にニュメロ研究所の外へ出たかった」

「もう一つは」

「今、俺の目の前にいる」


 しばしぼんやりとディエスを見ていたリウは、グレーの瞳に映る自分の姿に、ようやく気付いたのだった。



◆◇◆◇◆



ニュメロ研究所では、生体工学の研究が行われている。

人体に接続する強化パーツ。

汚染に耐えうる臓器。

人間を超えた人間に近づくための研究だ。


「その研究の中でも最も成果をあげているのが、強化クローン研究だ。ドナーの遺伝子をもとに、遺伝子操作によって作られたクローンたちは、全部で10体――俺は、その10番目のクローン――最後の遺伝子改変クローンだ」

「……ほへー」


ディエスの言葉を聞きながら、リウは焼きまんじゅうをかじっている。

聞いているのかいないのか、あいまいに頷く態度にも、ディエスは嫌な顔をしなかった。


「お前が関わりたくないのはよくわかる」

「わかるぅ? じゃあほっといてほしいんだけど」

「だが、俺にも俺の事情がある」


ディエスは小さく息を吸い、じっとリウの顔を見た。


「10人のクローンたちのうち、俺以外に研究所を生きて出られたのはお前たちだけだった。お前とお前の兄のスーだけ」


ついにはっきりと言及されたリウは、ぐるりと目を回して空を仰いだ。


「オレが研究所生まれだってこと、隠してるとは思わなかったの?」

「だから、人通りがなくなるまで待った」


確かにリウは、徐々に裏通りに向かって歩いてきた。表通りの喧騒は遠く、今は、周囲に人影はない。


「そうしてやったのはオレなんだけど」

「だから俺も話している。お前を連れて研究所に戻ろうと思っていた」

「……嫌だと言ったら?」


睨みつけるリウの殺気が膨れ上がっていく。


挿絵(By みてみん)


ディエスはそれを受け流すような半身の姿勢で、ちらりとジャケットの前身頃を開けた。

一瞬だけだが、のぞいたのは銃把。


「ンなもん持ってたなら、秋葉原の奴らに向ければよかったのに!」

「俺が狙えば殺してしまう。俺はこれ以上人口を減らしたい訳じゃない」

「じゃあオレは」

「だから撃たない」


結局、ディエスはそのままジャケットを着直し、ボタンを閉じてしまった。


「お前を連れて戻るつもりだった。だが、やめた。お前は必要とされている」


ちらりと表通りに目を向ける。


「仕方がない。別の手を考える」

「……なにしに来たんだよ、結局」


リウは構えていた拳をおろして、首を捻った。

確かに、研究所に戻りたいとは思っていない。だが、こんなに簡単に諦められるとそれはそれで拍子抜けである。


リウは、兄のスーと共に研究所で育った。

兄弟とは言っても、同じ一人の遺伝子をもとに作られたというだけで、一般的な兄弟とは違う。

だが、他人からは人間扱いされない中で、助け合ってきた絆があった。

普通の兄弟以上に。


遺伝子改変の実験体として生まれた二人には、他にも兄弟や姉妹がいた――だが、他には誰一人として生き残れなかった。

アンはそもそもまともな形で生まれていない。そう聞いた。

チルは、リウたちより前に逃げようとして殺された。

そして――ツヴァイトロワフェムは実験中に死んだ。


実験体に対する実験に、人道なんてものはなかった。

そもそも生き物とすら見られていないと感じていた。

リウは生きたかった。だから、唯一残った兄を連れて研究所を出た。


「――結局、研究所を出たスーは生きられなかった。オレは……オレのワガママでスーを殺した。置いて行けば助けられたかもしれないのに」


柵に腰を預けながら、リウは地面を蹴る。


「だから、あんたがなにも喋らずに……オレが助けるチャンスがあるのに、それを言わずに研究所に戻るって言うなら、オレは止めなきゃいけない」


リウの黄金の目が、ディエスを見た。

ディエスは一瞬目を伏せる。


サマーニァノインも死んだ。俺が生まれ、お前たちが出て行った後だ。スーが研究所にいても同じことだっただろう」

「そうか……それで、あんたも生きるために逃げてきた――んじゃないんだっけ? そもそもあんたがディエスってことは……なんか順番が逆じゃない? 実験体は数字の順に作られたはずだけど」

「順番だけで言うならお前が兄で間違いない」

「は……じゃあオレより年下? その落ち着きとか大人っぽい態度とかは?」

「お前が子どもっぽ過ぎるんだ。年の話をするなら――お前たちの研究所脱走はもう四十年も前の話だと聞いている」

「はぁ!? 還暦過ぎた男はもうちょっと落ち着いてるもんだって!? 言うに事欠いてそれは酷いでしょ!」

「言ってない。順番の話に脱線したのはお前だ。俺は――子どもを作れと言われた。俺の遺伝子が、元の遺伝子と混ざったとき、どんな子が生まれるか見たいと。俺は拒否した。それで、お前たちを探すことにした」


唐突な言葉に、リウは一瞬沈黙した。

目の前の、突然できた()が、なにから逃げてきたのかに気づいて。


「オレたちの、改変される前の遺伝子の、持ち主……それって」

「ゼロ、と呼ばれる女だ」


リウが声をあげかけた瞬間、二人は同時に表通りの方へ視線を向けた。

表通りの喧騒が、いつの間にやらひどく耳障りになってきている――まるで、悲鳴のような。

一瞬だけ、互いに視線を交わすとすぐに表通りへと駆けて行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ