話し合おう、まずはそれからだ
「頭の良い殿方を探していたのです」
鈴を転がすような声で、クリスティナは可憐に微笑む。決闘騒ぎの翌日、ルーカスは王宮の一角にある離宮に招かれていた。クリスティナは王家の賓客として離宮に滞在しているのだ。ルーカスは動揺を飲み込むため、震える手をティーカップに伸ばした。
あれよあれよと言う間にルーカスが婿に決まりかけたとき、ルーカスの父が人垣の中から躍り出て「お待ち下さい!!」と涙を流しながら訴えた。地に身を伏せて、「辺境伯領に送り出せば、息子は一日と経たずに死んでしまうに違いありません!!」と泣き濡れる父を見て、ルーカスは目の裏を熱くした。ああ父上は僕を見捨てなかった、と。子爵が物申すなど、どんなに勇気がいっただろうか。子爵の言葉を受けて、「きちんと説明し、同意を得てから話を進めてやってくれ……」とクリスティナに訴えてくれたアランにも、ルーカスは深く感謝している。うっすら気味悪く思って本当に申し訳なかったとルーカスは心の中で深謝した。
クリスティナは、その訴えに同意した。「婿殿の信頼を得るため全力を尽くします!」と胸の前で拳を握り、瞳を煌めかせて微笑んだ。まずは茶の席を設けて交流を深めよう、となったのだ。ルーカスは心底胸を撫で下ろした。暴の方向でことを進められたら抵抗などできない。どうやら、話はできそうだ、と。
「お恥ずかしながら、我が領には細かい計算を得意とするものがほとんどいないのです。お祖母様やお母様が力を尽くしてくださっているのですが、やはり軍ともなると手が回りきらず……」
クリスティナは頬を染めておっとりと話を続ける。同年代の中で、独身で婚約者もいない、頭の良い男を探せば自分の名があがるだろうとルーカスは納得した。数字や計算に関しては自信すらある。伊達に趣味としているわけではないという自負も。ルーカスは黙って茶を口に含んだ。
「足らぬよりはいいだろう、と兵糧を仕入れたところ大量に余らせる始末。平時にも兵糧を噛り続けることに飽きてしまって」
(ヴァンゾルクゥ…………ッ!)
ルーカスは額に青筋を立てて、茶と共に言葉をぐっと飲み込んだ。野菜や穀物をすりつぶして丸く固めたもの。薬草や木の実を混ぜて固めたもの、それから干し肉。いくら保存期間が長いとはいってもある程度で傷むのだ。平時にそんなものを噛っていることにいっそ怒りさえ湧いてくる。国を、国を守り戦ってくれているのだぞ、とルーカスはギリギリ歯を食いしばった。大体『飽きた』ってなんだ。飽きる前に不満に思え。国に訴えろ。まさかそれすら思い付く者がいなかったのか、とルーカスはイライラしながら眉間に皺を寄せた。
「そこでわたくしが! この状況をどうにかしてくださる頭の良い婿殿を捕まえてきましょうと!」
「馬鹿だ!!!!!!」
嬉しそうに手を叩いて声を弾ませるクリスティナに、ルーカスは思わず叫んだ。
「食といえば士気に関わるものじゃないのか! どうしてそこで『婿』なんだ! 人員を補充しろ、国に申し出ろよ!!」
一息に叫んで、ルーカスはハッと息を呑む。――しまった、またやってしまった。クリスティナの顔を見れば、彼女はぽかんと口を開けている。ルーカスは勢いをなくして、視線を落とした。
「……申し訳ない」
「まあ、まあ! どうして婿殿が謝られるのです」
「声を、荒げてしまった」
これこそが、ルーカスが『優秀だ』と言われながらも婿入り先が決まらず、職にもつかずに実家でくすぶっている理由だった。納得できないことがあると、相手が誰であれ思わず噛みついてしまうのだ。友人も少ない。余計な一言が多くて、すぐに他人の気分を害してしまう。特に女性の。怒鳴る男なんて恐ろしいだろうとルーカスも思う。悪癖だ、直そうと思っているのに、口をついて出た後で失言に気付くのだ。いつもいつも。
今は実家の帳簿を預かっている。家族は皆『ルーカスがいてくれて助かるよ』と言ってくれるが、ずっとこのままでいいとは思えなかった。まだ十七だ、時間はまだある、と思っても、兄に代替わりする時がくれば、ルーカスはきっと厄介者になる。それまでに身の振り方を考えなくてはいけないのに、いつもこうして失言を繰り返してしまう。ルーカスは膝の上でぐっと拳を握りしめた。
「声を荒げただなんて! わたくしはむくつけき男どもの怒声の中で育ちました。それに比べれば、荒げるというほどのものではありませんよ!」
「君は今僕をチワワか何かのように扱わなかったか?」
平気! と言いたげに胸の前で拳を握り笑うクリスティナに、ルーカスは思わずまた余計な口を叩く。……でも確かに、筋骨隆々の猛者どもに比べれば、ルーカスなどキャンキャンと吠える小さな愛玩動物のようなものだろう。それにクリスティナとルーカスでは、比較にもならないほど力の差がある。家格も、財力も、武力も、武力も、あと武力が。クリスティナがその気になればルーカスなんて指先一つでダウンだ。クリスティナがルーカスを恐ろしく思う理由など何一つない。――なんだか気が楽になって、ルーカスはふっと息を吐いた。むしろ恐ろしく思うのはルーカスの方だが、目の前ではクリスティナが何も気に留めずに、ただうふふと笑っている。
(そう思えば)
またとない良縁なのかもしれない。求められているのは武力じゃないのだ。ルーカスは少し前向きになって、茶の席を重ねる決心をした。
§
そうは言ってもどうしても気になることがある。アランの態度だ。ルーカスが無理を承知で案内役の騎士に第二王子との面会を申し出ると、即座に許可が下りた。クリスティナとの歓談の後で、ルーカスは王宮の一室に案内される。
「私と話がしたいとのことだが」
談話室に姿を現したアランに、ルーカスは立ち上がって礼をとる。アランは「気楽にしてくれ」と言ってルーカスに席をすすめた。
「君には苦……苦労、苦労をかけていると理解している。可能な限り便宜をはかるゆえ、思うまま話してくれ」
「は……」
ルーカスはうつむいて、どう聞いたものかと言葉を選ぶ。ためらいがちに口を開いて、細々と話し始めた。
「……どうしても、気になるのです。殿下はなぜ、クリスティナ嬢を怖が……怯…………にが、苦手とされているのだろう、と」
席の向かいで、アランがぐっと唇をきつく結んだのが分かった。だがルーカスも不安なのだ。勢いをつけて頭を上げ、すがるようにアランに問いかける。
「クリスティナ嬢との間に何かあったのでしょうか、それとも辺境伯領で……! 僕はそれが不安でたまらない……!!」
さすがに、さすがに自分よりも立場も力もある第二王子が手荒く扱われたとか、厳しい洗礼を受けただとか、なにか怯えるような目にあったのだとしたらルーカスは婿入りする自信がない。むしろ死ぬ自信がある。
アランは一度目を閉じフーと長い息を吐いて、口を開いた。
「クリスティナ嬢はあの通り、気質は優しい女性だ」
じゃあ領地で……!? ルーカスは口元に両手をあてて息を呑む。
「……最初に彼女の婚約者候補として選ばれたのは、私だった。年回りもよく、王家はヴァンゾルク家の婚姻に全面協力すると約束しているからな」
遠くを見るまなざしで、アランはとつとつと語り続ける。
「初めて顔を合わせたのは、私が八つ、彼女が五つのときだった。彼女はあの通り愛らしい見目をしていてな。王家所有の保養所で、草原を走って共に遊んだ」
予想外にも微笑ましい話が始まったぞ、とルーカスは首をかしげる。口を挟みそうになるのをこらえ、ルーカスは黙ってアランの話に耳を傾けた。
「彼女は『木の実をとろう』と言って直立から垂直跳びで大人の背丈ほどを跳び上がり、『魚をとろう』と言って湖に石を投げ入れて湖面をわ、割…………ッ」
「もう充分です!!」
真っ青な顔色で、今にも茶器から茶をこぼしそうなくらい手を震わせるアランにルーカスは制止の声を上げた。
可愛らしい幼子が、ふっくらとした手で力いっぱい石を投げ、湖面を割ったのだ。水が爆ぜ雨のように降り注ぎ、虹がかかって――ぷかり、と腹を見せて浮き上がる魚に、アランは白目をむいて卒倒した。完全にトラウマになっている。気丈にもアラン少年は諦めず、クリスティナとの面談に挑んだのだが、クリスティナの顔を見るなり卒倒することを繰り返して三回、『かわいそうだから止めよう?』と双方合意の上で話が流れた。完全にトラウマになっている。
一度重責から解放されれば、アランにはもう二度と立ち向かう勇気が残されていなかった。さすがにもう顔を見ただけで気を失うことはないが、傷は心に深く刻まれている。クリスティナはいつ会っても顔色が悪いアランのことを、病弱なのだろうか、と心の底から心配しているのだが。誰も『お前のせいだ』とは言えなくて。
アランは「すまない」と呟き茶を飲んで、気を落ち着ける。それからルーカスを見つめ淡く微笑んだ。
「安心してほしい。辺境伯軍の者も、皆気の良い、大ざっ……おおらかな気性の持ち主ばかりだ」
「今大雑把と言いかけませんでしたか?」
ルーカスはたまらず口を挟む。むくつけき男どもに大雑把に扱われてみろ。死んでしまうぞ、僕が。ルーカスはきゅっと痛んだ腹をさすった。薄い。頼りないにもほどがある。アランはにっこりと笑みを深めてルーカスの言葉を黙殺した。
「今回、改めて婿の条件を聞き、初めて王家も事態を把握したのだ。かの地へ送る人員の選定も進めるので安心してほしい」
じゃあ僕は要らないんじゃないか、とルーカスは疑問を抱く。アランはルーカスの疑問を感じとり、ゆるく頭を振った。
「だが確かに、彼女の配偶者がそれをまとめることが望ましいのだ。安心したまえ、彼女は君を戦場に出さぬ。――彼女の強さを見ただろう?」
どんなに『彼女自身が強い』と話を広めようとしても、見た目の可憐さゆえ曲解され、誤った噂が広がってしまったのだ。今回貴族たちの眼前で力を見せつけたのだから、もう誰も誤解しないだろう。
「君には、あの地に足らぬ力を補ってくれることを期待している」
――知の方向か。ルーカスはぐっと言葉をこらえる。……王家も大変だな、と深く同情を覚えながら。