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ヴァンゾルクの姫君






 宮殿の大広間に姿を現した、ひとりの可憐な少女に人々の視線が釘付けとなった。


 緩く結い上げられたストロベリーブロンドの髪は艷やかな光を帯びて、ぱっちりとした瞳はまるで宝石のように煌めいている。小さなおとがいに華奢な肩。細くしなやかな腕はいかにも柔らかそうに見えた。折れそうなほど細い腰から広がるスカートをふわりと揺らめかせ、少女は集まる視線をもろともせず軽やかに歩く。


「おい、見ろよルーカス……!」


 目を奪われながら、高揚したように男が囁く。


「噂通り、本当に来たぞ……『蛮族の姫君』だ!」


 ヴァンゾルクだ馬鹿、という言葉を舌にもつれさせながら、ルーカスは口を開けて少女を眺めていた。




§




 ――ヴァンゾルク。それは王国の盾とも呼ばれる辺境伯家だ。治める土地はなだらかな丘陵。その先には平原が広がり……平原の奥には、魔物ひしめく樹海が存在していた。


 毎年のように、春頃になると樹海からは魔物が溢れ出す。その猛攻から王国を守り抜いているのがヴァンゾルク辺境伯率いる辺境軍だ。軍神、鬼神、魔物を屠る修羅、人の形をした暴力、ヴァンゾルクというかもう蛮族……武名を誇る辺境伯には、子が娘ひとりしかいなかった。


 辺境伯家は、その娘が継ぐらしい。『彼女は辺境伯となるのに相応しい能力の持ち主だ』と、王家からも当の辺境伯からも太鼓判を押されている。きっと、軍の統率と采配に優れた軍師なのだろう、と噂になっていた。そして、同年代の青年たちのほとんどが身を震わせて怯えている。誰が彼女の婿に選ばれるのだろうかと。彼女の婿となる者は、きっと彼女の手足となり剣を持って戦うことが求められるに違いない。でも待って欲しい、辺境伯領の丘陵には二つ名があるのだ。『沈黙の丘』――生半可な力量で足を踏み入れた者は、物言わぬ骸となって丘を運ばれることになるぞ、と。




「ひ、久しいなクリスティナ嬢!」


 人垣を割って、第二王子アランが姿を現した。最近不仲が噂されている婚約者の手をしっかりと握りしめ、言葉を噛みながら辺境伯令嬢クリスティナに声をかける。


「そなたが社交の場に来るとは珍しい! たっ……ぜひ、楽しんでくれっ」


「まあ、お声がけありがとう存じますアラン殿下。春の間は()()()忙しないのですが、皆が送り出してくれたのです。その、『婿殿を探しておいで』と……」


 噂になっていた通りクリスティナは今年婿探しにやってきたのだ、と周囲からざわめきが起こる。頬に手をあてて恥じらうクリスティナに向かって、アランは顔色を悪くして声を張り上げた。


「そうか! 私には最愛の婚約者がいるが、そなたにも良い出会いがあることを祈っているぞ! 協力は惜しまぬゆえ遠慮なく言うといい、私には最愛の婚約者がいるが!!」


 婚約者の腰に腕を回すその姿は、エスコートではなく最早すがりつくような有り様だ。アランの婚約者は「あら……」と声を漏らしてアランを見上げる。アランは『見捨てないで』と訴える濡れた子犬のような顔で婚約者を見つめ返した。


「まあ、仲がよろしいのですね」


 クリスティナはアランの顔色の悪さに気付かぬようにふんわりと笑う。アランは壊れたおもちゃのように首を上下に振り続けた。


「わたくしもそのような縁に恵まれたく存じます……恥ずかしながら、話を伺ってまいったのですよ。その――」




 ルーカスは、腕に覚えがあるお方は大変だな、と思いながら遠巻きにアランたちを眺めていた。隣では友人が同じく無関係そうに笑っている。「二回言ったぞ、二回」と愉快げに脇腹をつついてくる肘をうっとうしく払って、ルーカスは己の脇腹を撫でた。


 薄っぺらい脇腹だ。筋力のきの字もない。当たり前だ。ルーカスは本を読むことと数字を追うことが趣味であり、運動なんてろくにしたことがない。背丈も成人男性としては小柄だった。頭でっかちの運動音痴と揶揄されることもあるが、おかげでこうして傍観者でいられると嘆息すると、何故かアランの顔がこちらを向いた。


(なんだ……?)


 アランが口を開き何か呟く。それを聞いたクリスティナがぐりんと首を動かしてルーカスの方を振り向いた。――明確に、視線がかち合う。


「ヒッ」


 無意識に、ルーカスの口から恐怖の声が漏れる。振り向いたのは愛らしい少女だと言うのに、絡み合った視線は獲物を見定めた圧倒的強者感をはらんでいた。


 クリスティナはそのまま静々とルーカスに向かって歩を進める。


(は………………?)


 うろたえて視線を巡らせるルーカスの周囲から、潮が引くように人が去ってゆく。ルーカスの友人もそっと後退った。見捨てられたのだ。


(なんで?????)


 混乱を極めるルーカスの眼前で、クリスティナが立ち止まる。ルーカスは呆然とクリスティナを見上げた。遠目からは小柄に見えたのに、クリスティナはルーカスよりも頭半分ほど背が高かった。


「初めまして、ルーカス様。貴方のような方を探しておりました。どうか、わたくしと結婚してください!」


 澄んだ声を弾ませて、クリスティナは花開くように微笑む。ルーカスは血の気の引いた顔でぽかんと口を開けた。足が震える。腰が抜けそうだ。立っているのが奇跡のように思えた。


「貴方、気は、確かか…………」


 ルーカスは、震える声でそう呟くのが精一杯だった。




「まっ待ってくれ! 待ってください!!」


 大広間に男の声が響く。一気に注目を集めたのは、立派な体格の青年だ。ルーカスと同じ、子爵家の三男坊。彼はクリスティナに見初められることを願っていた、数少ないタイプの男だった。


「なぜルーカスなのです! そんな非力で情けない貧弱な男を、なぜ!!」


 彼は腕っぷしの強さを誇り、野心を持つ男だった。武の名門ヴァンゾルク家に名を連ね成り上がりたいと。ルーカスを揶揄する人間筆頭のような存在だったが、今日だけは全面的に同意するとルーカスは首を縦に振り続ける。無理だ。魔物と相対すれば、ルーカスは一秒も保たずに死ぬ自信があった。


「なぜ、と言われましても……人伝に話を聞いて、わたくしは確信したのです。彼こそわたくしが理想とする殿方だ、と」


「納得できません……! よりにもよってルーカスだなんて! 俺の方がルーカスよりよほどお役に立って見せるとお約束します!! 力には自信があるんだ!!」


「まあまあ、困りました。貴方のお名前は?」


「ブロルと申します! ブロル・オーバリ、子爵家の三男です!」


「わたくしがルーカス様に結婚を申し込み、ブロル、貴方はそれに待ったをかけた。――つまり異議ありとして妻乞いの決闘を申し込む、ということでよろしいですか?」


 クリスティナは頬に手を添えおっとりとブロルに話しかける。ブロルはクリスティナの言葉に瞳を輝かせ、大きく頷いた。


「はい!」


「その意気や良し! 異議申し立てお受けいたしましょう!」


 静まり返った大広間に、凛と少女の声が響き渡る。


「待ってくれ!! 僕をよく見てくれ!!」


 今度はルーカスが血相を変えて絶叫した。情けないなどと言っている場合ではない。何がなんだか分からないまま求婚され決闘することになっている。ルーカスは胸に手を当てて必死に叫んだ。


「見ての通りだ! 僕は弱いんだ!! 決闘なんてする前から結果が分かるだろう!?」


「ルーカス様、ご安心ください」


 安心できる要素などひとつもないというのに、クリスティナはルーカスを振り返って愛らしく微笑む。そっとルーカスの手を取って、クリスティナはひとつ頷いた。


「貴方様に結婚を申し込んだのはわたくしです。当然、決闘を受けて立つのもわたくし。待っていてください。必ずや、貴方様に勝利を捧げます」




 心底意味が分からないまま、ルーカスは明るく照らされた夜の庭園に立っていた。誰か止めてくれと願っても、止める者は誰一人いなかった。むしろ国王陛下その人が音頭を取って、王国騎士団団長が見届人として立っている。


 隣に立つアランが「やめたほうがいい……やめたほうがいい……」とただぶつぶつ呟くのをうっすら気味悪く思いながら、ルーカスは呆然と見物人の最前列でこれから決闘を始めるふたりを眺めていた。


「可憐な女性相手とはいえ、手は抜きません! 貴方の隣に立つのは俺だ!!」


 ブロルは顔を紅潮させて意気揚々と叫ぶ。


「手加減など不要。しっかりと目を開いていてくださいね」


 相対するクリスティナは気負うことなく悠然と立ち、柔らかな微笑みを浮かべている。


 女性が殴られるところなんて見たくない。ましてや自分が理由に関わっているのだ。何でだ、無茶だ、誰か止めてくれと願い続けるルーカスの視線の先で、騎士団長が腕を振り上げた。


「はじめ!」


 無慈悲にも、騎士団長の腕が振り下ろされる。その瞬間、クリスティナが少しブレた。ルーカスに分かったのはそれだけだった。


 一拍置いて、パァン――と高く軽やかな音が夜空に響いた。大きく変わったことなど何もなかった。それだけだったのに、ブロルはぐりんと白目をむいて膝をつき、横倒しに倒れる。クリスティナが輝く笑顔を浮かべてルーカスに向かって走り寄ってくる。


「勝ってまいりました、ルーカス様!」


「ヒ、ヒイー! ヒイーーーー!!」


 ルーカスの喉から恐怖の叫びがほとばしった。暴力など全く馴染みがないのだ。気を失い倒れ伏す人を初めて見たルーカスは恐怖におののく。


「医者、イシャァ!!」


「ご安心ください、寸止めです」


 絶叫するルーカスに向かって、クリスティナは微笑みかける。目を剥いてブロルに視線を送れば、脈拍と呼吸を確認していた騎士団長がルーカスに向かって力強く頷いた。


「妻乞い決闘の勝利を貴方様に捧げます、婿殿」


 頬を染めて恥じらい微笑むクリスティナは、どこからどう見ても可憐な少女だった。訳が分からないうちに結婚を申し込まれ、決闘が起こり、勝利を捧げられてなんか婿殿になっている。ルーカスは目を閉じて眉間に皺をよせ、夜空を仰いだ。そもそも妻乞いの決闘とはなんだ。この国にそんな風習なんてない。『ヴァンゾルクというかもう蛮族』という言葉が頭にこだまする。


「納得がいく説明と、理解するための時間が欲しい……」


 ルーカスはそう切実な願いを声に出し、夜空を仰ぎ続けた。









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― 新着の感想 ―
部外者でいたかったはずのルーカス君。 「僕は弱いんだ」の叫びが最高です!
とってもきらきらしい美少女が、まぁ、まあ……! 大変な漢ぶりです! じゃない、蛮族!! ルーカスくんが、いい感じに未来の奥さまに囲い込まれる未来が見えるようです……! 身長差も好きです(*´艸`*) …
すてきですわ、クリスティナさま。 (何気にルーカスの横に立つアランもいい味出している)
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