ミネルバ・ノリオールは悪役令嬢のループから逃れたかった
ゲームのシナリオに翻弄される悪役令嬢の話を読むたびに、なんとかならないのかと思って書きました。しかしこの方法はもしかして禁じ手かもしれません。
ここは乙女ゲームの世界らしい。
だが何というゲームかは分からない。
気づいたときは私は王太子の婚約者でそこから13年後、公衆の面前で婚約破棄され、その半年後に死ぬ。
そして6才の公爵令嬢の自分に戻って転生し、また13年後に死ぬというループを繰り返している。
どんなに手を尽くしても私は婚約された後で13年後まで破棄されないし、破棄できない。
そして13年後に必ず破棄され、その半年後に死ぬことになるのだ。
一回目は聖女様に許されない意地悪をしたと言うことで、婚約破棄された。
その後、修道院に送られる途中で馬車が盗賊に襲われ、乱暴された後殺される。
二巡目はそういう疑いをかけられないように万全の態勢で臨んだが、反乱罪が家族にかけられ私も連座して絞首刑にされた。
三巡目、四巡目も全く予想外のところから冤罪をかけられ婚約破棄され、そして半年後に死ぬというパターンを繰り返したのだ。
どうやらゲームの強制力というものらしい。
そしてこのゲームを楽しんでいるのは神々らしい。
私は18才の時にこの異世界に転生してから6才から18才までの人生を4回も繰り返している。
だから前世の分も含めると実際の精神年齢は65才になっている。
そして私は5巡目の人生に挑戦するのだ。
何故なら私は6才でベッドから目覚め、前世の記憶のすべてを背負ったまま、死までの13年間を生きなければならないからだ。
公爵令嬢ミネルバ・ノリオールは6才のとき、階段から足を踏み外し3日間生死の間を彷徨っていたが、目覚めた時から不思議な行動をするようになった。
それまでは我がままで癇癪もちの子だったが、目覚めてからは癇癪を起さず侍女たちにも優しく声をかけるようになり、まるで人が変わったようだと誰もが言った。
けれども大人びて礼儀正しくなった半面、奇行が目立つようようになった。
朝起きると急に庭を走り出し、汗で服がベショベショになるまで走るようになったのだ。
しかも女の子用のドレスのまま走って、藪の中でも下枝の生えた林の中でも、泥道でも構わず走るので、服は濡れるだけでなく、あちこちカギ裂きが出来てボロボロで泥だらけ、植物の種だらけになるのだ。
そういうことを何回か繰り返せば、侍女たちの方でも朝一番に着せる着物は汚れても良いような庶民用のドレスをきせるようになり、そのうちに男の子用のズボンなどを履かせるように対応を変えて行った。
もちろんその後の着替えは正規の令嬢用ドレスになる。
あるとき町に出て買い物に行く侍女の後に平民服を着たミネルバが付いて行くと言い出し、慌てて護衛が数人離れてついて行くことになった。
すると古ぼけた裏通りの怪しげな店に入ったミネルバは、そこの主人と交渉して一巻のスクロールを買った。
「お嬢様、そのスクロールはどうしたのですか?」
店から大事そうにスクロールを抱えて出て来たミネルバに外で待たされていた侍女が尋ねた。
「ふふふ、これは世の中広しといえど、ここにしか売ってないレアものなのよ」
そう言ったが、それがなんのスクロールかは教えなかった。
そして奇行の最たるものはそれから一か月後のある朝のことだった。
急に庭を走っていたミネルバがなんと高さ3mもある塀を乗り越え屋敷の外に飛び出したのである。
すぐに侍女の知らせで護衛たちが走って追いかけたが、領内でありながら誰も近づかない魔の森に入って行ったようなのだ。
そして不思議なことに大人で体を鍛えた護衛たちの足でもミネルバに追いつくことはできなかった。
ようやく廃墟になった祠の前で立っていたミネルバの後ろ姿を見つけたが、護衛の彼らがそこに着く前に、6才の彼女はスクロールを開いて光を浴びたかと思うと、下に飛び降りて姿が見えなくなった。
その祠は絶滅寸前のデスカラ―べという魔獣の巣で、その正体は悪魔のカブトムシと言われる人肉食いのインセクト型魔獣だった。
護衛たちがその場所にたどり着いた時は、穴の底一面に真っ黒なデスカラ―べが広がっている真ん中にミネルバと思われる黒い塊が倒れていたのだ。
しかに不思議なことにデスカラ―べは一匹も動いていなかった。
デスカラ―べに包まれたミネルバを抱き起すと、体についていたデスカラ―べは死んでいてポロポロと落ちて、全身噛み傷だらけで血だらけの彼女が現れた。
一体いかなる方法でデスカラ―べを全滅させたのか不思議だったが穴の外に落ちていたスクロールを見ると、それは『吸収』というスクロールだった。
顔や首や手足のように肌が露出している場所だけでなく、服の下の皮膚もデスカラ―べの鋭い噛み傷が無数についていた。
けれど噛み傷は小さいカミソリで切ったようなものだったので、傷が塞がれば跡には残らないギリギリの傷だったのだ。
その証拠に二週間後には、全く噛み跡が消えてしまったと、入浴係の侍女が報告していたのだ。
もちろん護衛の不手際もノリオール公爵は追及した。
「けれども旦那様、お嬢様は風の魔法を使って塀を乗り越えたり、我々の数倍も速く走ることができるようなんです。これは予想外のことで、たしか火属性の魔法のみだと聞いていたので」
「それはおかしい。教会でも火属性の魔法以外はスキルとして認められなかった筈だが」
「それとデスカラ―べは大変危険な魔獣で一匹でもお嬢様くらいの人間なら簡単に食い殺してしまいます。それなのに、何故自分から巣に飛び込んで行ったのか、分かりません。
そして何故デスカラ―べは全滅したかと言いますと、これは予想ですが『吸収』というスクロールのせいではないかと」
「なに、『吸収』がデスカラ―べのコロニーを全滅させたというのか?」
「はい、多分デスカラ―べの魔力も生命力もすっかり空になるまで吸収したのではないかと」
「本人に聞いたら、風魔法については急にできるようになったと言う。しかし3mの塀を乗り越えたり、大人の数倍の速さで走るなどと言う高度な技術は思い付きでできるものだはない筈なのだが」
「あの……穴に飛び込んだことについては?」
「それも……誰も見てない所でスクロールを開いてみようと思って、使った後穴の中に捨てようと思ったそうだ。それがデスカラ―べの巣だとは思わなかったとか。ただ真っ黒な穴だなと。で、スクロールを開いたら光ったのでびっくりして足を滑らせて落ちてしまったそうだ。その後のことは全く覚えてなくて気がついたら屋敷に戻ってベッドに寝ていたというんだ」
「はあ……」
結論としてこんな心臓に悪いことはないということで、侯爵も護衛たちも、頼むから危ない真似をしないで欲しいと個別に懇願したという。
それで暫くは朝に庭を走ることだけで済ませていたが、今度は数か月後には厩に行って馬に乗りたいと言い出したのだ。
6才のミネルバが一人で馬に乗れるわけがないので無理だと厩番の老人は断ったのだが、彼女はなんと風魔法を使って馬の背にヒョイと乗ったという。
馬は驚いて急に走り出して、厩番の老人が追いかけるもあっという間に敷地内を駈けて人馬共に姿が見えなくなる。
ようやく知らせを聞いて駆け付けた護衛たちと一緒に老人が追い付いて見たものは信じられない光景だった。
馬は何度もミネルバを振り落としたが、転落したミネルバは平気で立ち上がり、そのたびに馬の背に飛び乗り、終いには馬の方で諦めて大人しく乗せて走るようになったという。
ノリオール公爵の尋問が始まった。
「何故馬に乗りたいと言い出したのだ?」
「お父様、馬の足は速いからです。悪いものから逃げるのに、風魔法で走るのも良いですが、馬はもっと速いし疲れません」
「どうして悪いものから逃げることを考えたんだ?そんな必要があるのか?」
「わたしはいつも夢を見るのです。恐ろしい様子の怪物が私を追いかけて殺そうとするのです」
「それはどんな怪物なんだ?」
「顔や姿ははっきりしませんが、名前は分かっています」
「名前は分かっているって?」
「はい、それは自分で名乗りました。お前は運命から逃れることはできないって。だからその怪物の名は『運命』なんです」
「……ところでお前はどうして馬から振り落とされても怪我をしなかったのだ。それも風魔法なのか?」
「お父様だけに教えます。私はデスカラ―べのスキルを吸収したらしいのです。あの魔獣は剣で斬っても弾いてしまうと言われてますが、ただ単に外骨格が固いのではなく、更にその外側に身を守る結界を作ることができるのです。そのスキルがわたしにも身に付いたから、落馬しても怪我をしないみたいなのです。『外結界』というスキルらしいです」
「……」
ノリオール公爵の尋問はそこで終わったという。
それ以来そういう物理的にひやっとする奇行は見られなくなったが、別の奇行が見られるようになった。
今度は名指しの家庭教師を求めるようになったのだ。
宮廷作法、宗教学、聖魔法、鍛冶技術、酒造技術の5つに関しての家庭教師が欲しいと言い出したのだ。
最初の三つは分かるが後の二つは淑女教育には関係ないものだ。むしろ同じ技術でも刺繍とかダンスを習うべきなのだ。
その辺を説得しようと公爵がミネルバを呼んだ。
「刺繍やダンスは必要だぞ」
「それは習わなくてもできます。遊びで覚えました」
そして公爵に見せたのはハンカチに縫い付けたノリオール公爵家の見事な家紋の刺繍だった。
それから侍女の8才の息子を呼ぶと、ダンスも知らないその男の子相手に見事に踊って見せた。
公爵もそこで引かずに歴史学や貴族年鑑のことを引き合いに出した。
けれどもミネルバの言ったことは、
「それについては、暇つぶしに本で読んで自然に頭に入ってしまいました」
その後、この国の歴史について早口でペラペラ喋り、侯爵の質問にもすらすら答えたのだった。
またこの国の貴族だけでなく関係国の貴族の名前もスラスラとフルネームで答えて、貴族間の血縁関係、姻戚関係、派閥関係や力関係までも正確に答えた。
ノリオール公爵は思った。
(きっとこの調子なら、希望している家庭教師も逆に教えることができるほど既に身につけているのではないか? すると名指しで彼らを求めるのはどんな目的があるのか?)
公爵が秘かに調べたところ、名前が挙がった者はみなそれぞれ信奉する神がバラバラだと言うことだった。
宮廷作法の教師候補チャリオット・メルダーは、創造神ゼノンを信仰していた。
宗教学の教師候補のチャールズ・マテッシオは軍神アマルスの信者だった。
聖魔法の教師候補ステラ・モンタナ―ルは医学の神レスト―の敬虔な信者だった。
鍛冶技術の教師候補のダストンは鍛冶の神のヘルダスを当然のように信奉し、酒造技術の教師候補ソルーダ・ソムリスは酒の神アバラスを信じていたのである。
だがそれは何を意味するかは公爵には読み取れなかった。
それで要望通りミネルバの希望を叶えてその5人を雇ったのだ。
そして一週間も経たないうちに5人の教師から辞職願が出た。
彼らの言うには、ミネルバは既にその科目について教えることがないほどしっかり身に付いているとのことだった。
それだけでなく、彼等は手に分厚い書類封筒を持っていた。
それらはしっかり封蝋された書類で、まるで何かの証拠書類のようなものだった。
それについて聞いて見ると、その書類はミネルバから頂いたもので、中身については決して見せる訳にはいかないと言うのだ。
代表してドワーフで鍛冶職人のダストンが言ったのだ。
「この書類はお嬢さんから俺に託された人託書なんじゃ。鍛冶の神ヘルダスに祈りを捧げるとき、この人託書を人から神に捧げるということだ。正直言って神託は聞いたことがあるが、人託については初めて知った。お嬢さんは俺の出した課題を見事為しえたら、この人託書を俺に託すと約束をした。もちろんお嬢さんはこの短剣を見事打ってくれたんじゃ」
そう言って差し出した短剣は公爵でもみたことのない見事な業物だった。
聞けば他の四人も同じように課題を出してそれを合格することを条件に人託書を託されたという。
宗教学の教師チャールズ・マテッシオは侯爵に言った。
「人託書は子供なりに疑問に感じたことをそれぞれの神に質問書の形で差し出すものです。しかしお嬢さんはどの神の信者でもありません。だから信者である我々にそれぞれの神にこの人託書を捧げるように依頼したのです。もちろんこの人託書はご覧のように封蝋しております。神のみが中身を読んで、その返事を本人にするということです。だから我々は勿論公爵様でもお見せする訳にはいかないのです。それをしてしまえば神に言葉は届かないので」
「捧げた後はどうするのだ?」
「神の火によって燃やします。滅多にしない慣習ですので、よくお嬢さんがご存じだったと驚くばかりです」
「そうか、よく分かった。あなたたちには最初の約束通り一年分の給与をお渡ししよう」
すると聖魔法の教師ステラ・モンタナ―ルは両手の指を組んで合掌して言った。
「医学の神レスト―にかけて申します。人託書を託された栄誉を受けただけで十分すぎる報酬です。この経験は私にとって生涯忘れられないできごとでございます」
聞くと他の四人も同様の意見で、貴族の面子よりも人託書の方が最優先事項ということだった。
それで仕方なく2週間分の足代と五人の喜びそうな品をミネルバと相談してプレゼントすることと、お別れ会を兼ねてパーティをすることで手を打つことにした。
それから13年経って、いよいよ婚約破棄の季節が来た。
卒業パーティをサボることは今までの四回の人生で為しえなかったことだった。
どんなに仮病を使っても、どんなに他の用事で出かけても、必ず騎士たちが迎えに来たり、場合によっては王命迄出されて出席を強制される運命だったのだ。
だがその日は朝からミネルバは旅支度をしていた。
そして彼女が馬に乗って走り出したとき、騎士の一団が後を追いかけて来た。
「王命だ。ミネルバ・ノリオール公爵令嬢は卒業パーティに出席せよとの王命だ」
ミネルバは風魔法で後方に強風を送り、声が聞こえないようにした。
気づかなければ王命を無視したことにならないからだ。
そして更に同時に風魔法で馬の蹄に風の膜を被せ、スピードアップさせた。
「なんということだ。我々よりも速く馬を駆るとは、信じられない」
「かくなる上は弓矢で傷つけて引き留めるのだ」
なんと言うことだろう!
矢傷を負わせて迄出席させなければならない卒業パーティとは、しかもそれを王命で無理やり実行させるなど、まったく異常で正気の沙汰ではない。
騎士の放った矢はミネルバの肩に命中したかに見えたが、なんと矢は彼女の肩に当たった後弾かれて地面に落ちてしまった。
その後の矢も悉く弾かれる。
デスカラ―べのスキル『外結界』が働いたせいだ。
そしてとうとう矢の届く距離も引き離され騎士たちを置いてきぼりにして遠くに逃げることができたのだ。
ミネルバは昼頃に王都の次に大きい都市、バグラーダ市に着きます。
ミネルバの旅姿は長い髪をバッサリ切って少年か若者のような身なりでした。
そして目立たない宿にぶらりと入って、食事をしようとしたとき、オークのような大男が現れて、その丸太のような腕を彼女の肩に置いて言いました。
「おっと、もしかして王立学園の生徒じゃねえか? しかも卒業生と見た。卒業生は卒業パーティに出席しなければならないんだ。そうだ。一人の例外もなくなぁ」
そんな話は聞いたことがない。元々は任意の出席だった筈だ。
事実、平民の卒業生は欠席する者も多い。
ミネルバは笑った。
「この世界の運営担当の方で滅茶苦茶してくるなあ。今から戻ってもパーティは終わってるよ」
それに対してオーク男は狡猾に笑った。
「ところがだな。もともと会場はこのバグラーダ市のホテルで行われることになっていたんだ。出席者は一度王都の会場に集まった後、転移ポータルを使ってこっちに来ることに決まっていたんだよ」
「どこのホテルですか、じゃあ僕もそこに行かなきゃ「俺がお前をそこに連れて行く事になってんだよ、ミネルバ・ノリオールよ。男の振りをしても無駄だぜ」」
(なるほど、絶対シナリオ通りにする積りだな。そして婚約破棄して、その後なんやかんや冤罪を被せて殺す気か)
ミネルバはデスカラ―べのスキル外結界を使って大男の手を弾き飛ばした。
デスカラ―べは自分の体重の1000倍以上のものを動かすこともできる。
それは魔獣の外骨格の筋力と外結界のお陰なのだ。
外結界は一種の『外部筋肉』の働きもある。
ミネルバはその為にこのスキルを身につけたのだ。
つまりミネルバは見かけよりも遥かに強い怪力を持っていたのだ。
「待てこのチビ女!」
背後から抱き着くように掴んで来た大男を引きずってミネルバは店の外まで出た後、体を低く下げてお辞儀をするように体を前に倒すと大男を投げ飛ばした。
大男は空中で四分の三回転すると、ドシーンと地響きを立て背中から地面に落ちて行った。
そこから立ち去ろうとすると、街の人々の群れが行く手を遮った。
そして人々を掻き分けるようにして王立学園の卒業生が前に出て来た。
その中央にいるのはミネルバの幼いころからの婚約者エドワード・ストロボ―ン王太子で、その右腕に胸を押し付けるように腕を絡ませて立っているのは、平民から男爵家の養女になった、聖女のマイラ・アスペックだ。
さらにその周囲にはマイラを守るように騎士団長の息子、マックス・ラングース、丞相の息子ロイド・アンドリュース、さらにミネルバの義弟ジェシー・ノリオールがこっちの方を睨んでいる。
そしてエドワード王太子はミネルバの方を指さして卒業生ほか街の人々のいるところで大声で叫んだ。
「ミネルバ・ノリオール公爵令嬢! お前は聖女のマイラ・アスペックの殺害を目論んだ罪で「あれれ、誰に言ってるんだろう?俺には関係ないかな」」
ミネルバはわざとらしく後ろや左右を見て自分ではないことをアピールした。
そしてエドワードが一瞬、間を置いた隙に人ごみに飛び込んだ。
ところがなんと一般住民がその行く手を阻んだのだ。
「ちょっと、あの王子様に話しかけられてるのはあんたじゃないかい?」
「どこに行くんだよ、あんたがミネルバ・ノリオールという男装した令嬢なんだろう?」
普通そんなことわからない筈なのに、いきなり直球で邪魔して来た。
「違うぞーっ、俺は用事があるんだ。どいてくれぇ」
腕を掴んで行かせないようにする一般人を振りほどいて、ミネルバは奔走した。
靴裏に風を纏わせて、まさに疾風のようにその場を後にする。
聞かなかった。何も聞かなかった。婚約破棄のことも聞かなかった。
聞かなければシナリオは針の壊れたレコード盤のように先に進むことができない。
一気に町の出口に向かったところ、そこにはストロボ―ン王国の近衛騎士団が立ち塞がっていたのだ。
とうとう捕らえられたミネルバ・ノリオールは、着ていた男子服を脱がされ、生成りの囚人服を着せられて騎士団の馬に繋がれ歩かされたのだ。
裸足の足は切り傷だらけで血を流し、聖女を殺害しようとした悪役令嬢として、道端の子供からも石を投げられる。
王城の地下牢に鎖に繋がれ放置されて半年後とうとう処刑の日は来た。
王宮前の広場には民衆が集まり、ミネルバは後ろ手に縛られたまま跪かされて罪名を読み上げられる。
「元公爵令嬢ミネルバ・ノリオールはエドワード・ストロボ―ン王太子の婚約者の身であったにも拘らず、聖女マイラ・アスペックに数々の無法な嫌がらせや仕打ちをした挙句最後には毒殺せんとしたもの。
この所業は将来国母となるにふさわしくないこととし、ここに打ち首の刑にするものとする」
処刑人はミネルバの前に首桶を置き、大きな肉厚の剣を振り上げた。
「刑を執行せよ」
バチ―ン!
確かに大剣はミネルバの首に当たったが、首を切り落とすことはできなかった。
人々は口々に言った。
「魔女だ、魔女だ」
「魔女は火炙りにしなければ死なない」
そして急遽ミネルバは太い杭の柱に縛られて、足元に薪を山のように積み上げられて処刑を火炙りの刑に変更して執行する運びとなった。
「刑を執行せよ!」
たちまち四方から松明が投げられ、ゴーッと火柱が立った。
そのときミネルバは顔を上げて天を仰いだ。
「ああ、天上にまします神々よ。願わくば身に覚えのないこの茶番を終わらせて下さりますように。そして、私の人生は今度こそ幕を閉じて、決して六度目の呪われた命を授かりませんように!」
そのとき空が一点俄かにかき曇り暗雲がみるみる広がって雷鳴が鳴り響いた。
そして滝のような雨が刑場に降り注ぎ、ミネルバの足元の火を消してしまった。
その後雲間から光の筋が何本も降りて来てそれを道筋にして幾柱もの神々が降りて来た。
その身長は人の数倍もあり、遠くからでもその姿がはっきりと見えるほどだった。
その中でも一段と体格の良い髭を生やした神が口を開いた。
「我は在りて在る者なり。
我が名は創造神ゼノン。
神は民の前には姿を見せず、民の行いに干渉することはないが、ただ一つ例外がある。
それはあまたある神々の中から選ばれた審判の神の九柱のうち五柱の神が、人の子の人託書を受け取って賛同したとき、下界に降りて審判を下すことがあるのだ。
その前に」
ゼノンが手を振ると、ミネルバの縛めは解けて木の杭から解放された。
そればかりでなく彼女には目の醒めるような美しいドレスが着せられ、髪も長く艶やかに流れ、肌は白磁のように美しく輝いた。
次の瞬間集まっていた民衆の時は止まり、瞬き一つしなくなった、神々とミネルバ以外は。
ゼノンはミネルバに優しい眼差しを向けて言った。
「この65年間もの長い間、さぞ辛い思いをしたことだろう。言われもない罪を被せられ何度も殺され、いつ終わるとも分からぬループの中をよくぞ耐えた。
お前が経験した五度にわたる辛い歴史を我を含めた五柱の神が確かに受け止めた。
その原因を調査するのに時を費やし、ついつい助けに来るのが遅れた。申し訳ない。
そして原因は遊興の神である、ファーネスが無理やりお前を悪役にする為にでっち上げの証拠を人間に上げさせお前を陥れていたのが分かった。
神を代表してお前には申し訳ないと思っている。許してくれ。
何度も悪役の人生をループさせていたのもファーネスのせいだった。
彼は65年間の間岩に縛り付けて毎朝腹の肝臓を邪龍に食わせ、次の朝も回復して蘇ったところをそのたびに殺すようにする。
神にすればたった65年間だがこの罰を下すので勘弁してほしい。
さて、これからだが、お前にひどい仕打ちをした者どもの裁きをする。
地上に降りて来たついでだ」
ゼノンがそう言うと、再び民衆の時は動き始めた。
「人の民よ、良く聞くが良い。ミネルバ・ノリオー公爵令嬢は、嵌められたのだ。
その憎むべき者は第一に婚約者がいる男を惑わせ、色に惑わせたマイラ・アスペックお前だ。尻軽なお前は聖女というには穢れ切っておる。ミネルバに様々な罪を着せて男たちを惑わせたのもお前だ。さあ、正体を現わせ」
ゼノンが指を差すと、たちまちマイラの頭に角が生え、尻には長い尻尾が出ていた。
「サキュパス……それがお前の本当の姿だ。お前は65年間ゴブリンの穴に入り苗床として生きるのだ」
そう言うとマイラ・アスペックの体は時空の彼方に飛んで行ってしまった。
ゼノンは呆気に取られているエドワード・ストロボ―ン王太子、騎士団長の息子マックス・ラングース、丞相の息子ロイド・アンドリュース、さらにミネルバの義弟ジェシー・ノリオールに向かって言った。
「お前たちは婚約者がいるにも拘らず、二心を抱き更に婚約者を顧みなかった為相手を深く傷つけたことを知るが良い。
そして家族として温かく迎えた義姉を裏切り地獄の苦しみに落としたことを悔やむが良い。
今、お前たちがかけられたサキュパスの魔法は解けてしまった。
目が覚めた今自分たちのしたことを思い出し、お前たちは今後墓に入るまで後悔と自虐の毎日を過ごすことになるだろう。
いかに自分たちが愚かだったかを知るが良い。
もう既に失ったものは帰って来ないが、その大きさと重さをそして自分たちの愚かさを思い知るが良い。
それがお前たちに下された罰だ」
その言葉に名指しをされた四人はへなへなと崩れた。
「なお……ミネルバを陥れる為に嘘の証言をしたり、嘘の証拠を捏造した者は、それぞれ舌と手を奪い、うその証言を二度とできぬように、偽の証拠を二度と作れぬようにする。そして残りの人生を償いながら過ごすが良い」
この瞬間ミネルバを陥れるのに手を貸した者たちはある者は舌を失い、ある者は手首から先を失った。まさに神の力は恐るべきものだった。
「最後にミネルバ……今お前にシナリオに左右されない人生をプレゼントしよう。
さあ、生きるのだ。
運命の影に怯えることなく、在るがままの自分であれ。ではさらばじゃ」
雲間から差し込む光を登って神々は天に帰って行った。
ミネルバは死刑台から降りると、民衆は左右に分かれ、彼女の行く道を作ってくれた。
彼女のループはここで終わり、新しい物語がはじまるのだ。
完
結局最大の権力者は……ってことですかね。^^;