5
ナターシャが、自分に腕を伸ばしている。
川に落ちた自分の体に、濁流が覆い被さる。
(神様……『聖女』って何ですか……?)
意識が途切れる瞬間、思い浮かんだのはそんな疑問だった。
「う……」
パチパチという音が聞こえる。
ルティが目を覚ますと、自宅とは違う暖炉が目に入った。
腕や膝元に目を向けると、椅子に座り、体を毛布でくるまれているようだ。
「気がついたか?」
ルティが横を見ると、頭部の禿げかかった細身の老人が本を読んでいた。
「誰……?」
「この家の者だよ。まさか、子供が川から流れてくるとはな」
「──ここ、どこですか!?」
ルティは状況を把握しようと、椅子から背中を離した。
すると、椅子の背も一緒に前へと倒れこんでくる。
「ぅわっ!」
「揺り椅子でそんなに驚くか……」
老人は呆れたように呟き、本を閉じる。
「落ち着きなさい。紅茶でも淹れよう」
老人は、椅子から腰を上げる。
老人が背を向けてから、ルティは毛布を開いて自分の衣服を確認した。
服の上から拭いてくれたのか、服は湿っているが脱がされた形跡はなさそうだ。
「さすがに、女の子の服を脱がすのは気が引けるよ」
老人は、戸棚からタオルと着替えを取り出し、ルティに手渡した。
「娘のお古だ。サイズが合うと良いんだがね」
「……ありがとうございます……」
ルティは戸惑いながらも受け取る。
「着替え終わったら声をかけてくれ。隣の部屋にいるから」
「はい……」
老人は木製のドアを開け、隣の部屋へと入っていった。
ルティは服を脱いで体を拭き、渡されたワンピースに着替えてぐるりと部屋を見回した。
暖炉、テーブル、台所──。
(わぁ……!)
ルティは、壁に飾られている剣を見て目を輝かせた。
剣に近づき、まじまじと見つめる。
(ミシェルト王国の紋章が入ってる。て事は、フィレセ騎士団の剣……?)
ルティは暫し見惚れていたが、ふと我に返りドアをノックする。
「着替えました」
老人はすぐに出てきて、ルティを見る。
「サイズは、大丈夫かな?」
「はい。ぴったりです」
「それは良かった」
老人は台所へ向かうと、鍋に湯を沸かしはじめた。
「そこにハンガーがあるから、濡れた服をかけておくと良い」
「すみません、お借りします」
思いの外お湯は早く沸き、老人は2人分の紅茶を淹れてテーブルに置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ルティは老人の向かい側に座り、マグカップに口をつける。
しかし、どうしても壁にかけてある剣が気になり、ちらちらと見てしまっていた。
「……すいません、あの剣は……?」
老人は「ん?」と、ルティの視線の先を見る。
「あれか?私は、元々フィレセ騎士団に所属していたんだ」
「えっ!?」
「あれは餞別というか……退役記念のようなものかな」
老人はルティを見る。
「剣に、興味があるのか?」
ルティはマグカップから手を離し、背筋を伸ばした。
「私は、フィレセ騎士団に入りたいんです」
「『聖女』なのにか?」
ルティはドキリとした。
「何の……事ですか……」
「ほら、左胸の痣」
老人はルティの左胸を指さす。
肩口から痣が少し見えていて、ルティは慌てて右手で隠した。
「…………突きだしますか?私が『聖女』だって……」
ルティは警戒した目で老人を見た。
老人は落ち着いて、尚も紅茶を飲んでいる。
「……私の故郷からも、『聖女』が現れた事があるんだ」
「そう……ですか……」
突然始まった昔話に、ルティは警戒しながら耳を傾ける。
「今でも、あの方の絶望したお顔は忘れられない」
「……は?」
眉をひそめるルティをよそに、老人は静かにマグカップを置いて俯いた。
「貴族のご令嬢なのに、農民と共に畑を耕して楽しそうに笑う、溌剌とした良いお方だった。しかし聖女となり、祭典でのお姿を拝見する度、どうしてあの時……」
老人は黙りこくると、真剣な目でルティを見た。
「騎士になりたいのなら、なりなさい」
「え……」
『反対される』と思っていたルティは面食らった。
「でも、『聖女』って選ばれた人にしか出来ないんですよね……?」
「確かにそうだ。でも『他の仕事に就いてはいけない』理由にはなっていない」
「え?」
「文献によると戦前は、地方に住んで、実家の商いを手伝って暮らした聖女もいるらしい。朝に馬車で王都に来て、祈りを捧げたら帰るという生活だ」
ルティは、その人が羨ましかった。
「何故、今のように『城に住まなくちゃ』ならなくなったんですか?」
「戦争に巻き込まれないようにする為だ。それに、目の届く範囲に聖女がいれば、何かあった時に迅速に対応できるだろう?」
地方に住んでいた聖女は、体調不良で来られなかったり、来るのをすっぽかしたりした記録もあるそうだ。
「それに、『聖女の住む地域は王都より豊かになる』という噂だ。本当かどうかは知らんがね」
老人は皮肉めいた笑顔を見せる。
ルティは思いあたる節があり、生唾を飲んだ。
「あのっ……!」
「何かな?」
「私を……ここに置いてもらえませんか?」
今度は老人が面食らった。
「……は?」
一方。
「……どういう……事だ……?」
ロイアは、生気の抜けた顔で、目の前にいるナターシャとターナーを見た。
「ルティが……川に流された……?」
ロイアは、ターナーの胸ぐらを掴む。
「貴様っ!」
「ごめんなさいっ!」
ナターシャは深く頭を下げる。
「私が……私の手が……ルティに当たってしまって……」
「本当に……ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」
しゃくり上げて何度も謝るナターシャを見ていられず、ロイアは静かにターナーから手を放した。