喫茶店なのに缶コーヒーがある理由
都会の喧騒から少し離れた閑静な住宅街。その角地に真っ赤なテントが目印の喫茶店がある。
三年前に親から継いだ店でこじんまりとしているが、ありがたいことに昔からの常連さんも贔屓にしてくれ、新しいお客様も増えつつあり、ようやく軌道に乗ってきたと思う今日この頃である。
窓の外はすっかり暗くなりそろそろ閉店作業をしようかという時間、俺は何も置かれていないカウンターを念入りに拭く。
「よっ、お疲れ」
この時間に決まってやって来る、幼馴染の香菜のために。
「これ今日の分ね」
「いつもありがとな」
「いえいえ、お互い様よ」
香菜はお隣の洋菓子店の娘だ。
ウチはメニューがコーヒーのみであるため、いつもお茶請けとして焼菓子を分けてもらっている。コイツの店の宣伝にもなるし、親父の代から続く関係だ。
「今日はフィナンシェだよ」
一つずつ丁寧にラッピングされたフィナンシェは人気商品だ。袋越しでも甘い香りがふんわり漂い、コーヒーの香りに溶け込んでいく。
俺はありがたく受け取ると、カウンターにある物を置いた。
「ハイどうぞ」
「あ、うん……。ありがとう」
たっぷり濃厚ミルク仕立てのホットカフェラテ。
ただし、缶コーヒーの。
小学生の頃、ここで初めてコーヒーを飲んだ彼女は見る間に涙目になった。以来コーヒーは苦手で唯一飲めるのがこの甘い缶コーヒーなのだ。
ならわざわざ飲まなくてもと思うが、珈琲専門店のウチでコーヒーを飲まないのは邪道とのことである。全く失礼な話だ。
「じゃあまた明日ね」
ズズっと一気に飲み干すと、香菜は水色のエプロンを翻して帰っていった。
カランとドアベルが虚しく鳴る。
俺は戸棚からガラス製のキャニスターを取り出した。誰にも出した事のない、彼女のために試行錯誤を重ねてブレンドした甘さ引き立つ深煎りの豆だ。その横には未使用の花柄のティーカップセット。
『香菜ちゃんはコーヒー飲めるようになったのか?』
引退してからは夫婦で旅行三昧の親父の声が脳裏に浮かぶ。
俺だって諦めたわけじゃない。目の前のコイツを何度飲んで研究したか。だけどあの涙が忘れられなくていつも二の足を踏んでしまう。
ため息を吐く俺をよそに、甘さたっぷりの缶コーヒーはまだ温もりが残っていた。
*
「お疲れ!」
翌日、また香菜がやって来た。
カウンターに腰掛ける彼女に、俺は意を決して言葉を放つ。
「「あのな(ね)!」」
思わず顔を見合わせプッと笑う。
今日は親父にいい報告が出来るかもしれない。
俺のコーヒーを飲んでほしい、彼のコーヒーを飲んでみたい。
甘くて美味しいコーヒーのようにほっこりしてもらえれば幸いです。
1000文字難しい!読んでいただきありがとうございました!