「先生!学校の授業って意味あるんですか?」と聞かれてあると答えてみる
お読みいただきありがとうございます。
いつもの根拠のない突発的なひらめきエッセイです。
本日のお題は、学生の頃に誰しも1度は考えたことがあるんじゃないかと思われるこれ。
「学校の授業で習った事って将来何か役に立つの?ぶっちゃけ無駄なんじゃね?」
如何でしょう。
人によっては現在進行形でそう考えている学生の方や、壮年、老年に差し掛かってやっぱりほとんど役に立たなかったと仰る方もいらっしゃると思います。
私自身、学生時代は何度も無駄だよなと思ってきました。
例えば物理や化学なんかは多少役立つ場面もあるでしょう。
だけど生物。ミドリムシの生態を知ったところで将来何の役に立つのか。
答えられる人が居るのかと聞きたくなるほどの難問です。
後は歴史。
温故知新、歴史は繰り返されるとも言いますし、かの魔術師ヤンも過去の歴史から戦術を学んでいるので意味がある部分はあるのでしょう。
しかし「○○年に××将軍が△△した」などの年号と名前を暗記して何に役立つというのでしょう。
大事なのはその人たちがそれを何故どのようにして行ったかという事ではないかと思うのです。
まだまだ言いたい事は多いですがキリが無いのでこの辺りで止めるとして。
じゃあそんな反対意見を全部ひっくり返して、役立たせる方法はあるよと答えるにはどうすれば良いか。
簡単です。
「創作活動をすればいい」
これで全て解決です。
小説、漫画、アニメ、ゲーム。他にも歌や絵画だって行けるかもしれない。
私は小説家なのでここでは小説を例にして話しますが、歴史の勉強が何に役立つかって言えば分かりますよね。
日本、中国、ヨーロッパ。戦国時代を題材にした物語は数えきれないくらいあります。
その物語を史実に則って創るのであれば歴史の教科書とにらめっこしながら行う必要が出てきます。
異世界ファンタジーで現代チートだ!とかやりたかったらそのチートの内容を知ってないといけない訳です。
もちろん全部が全部、学校で教えてくれるなんてことはありません。
でも取っ掛かりは見つかる訳です。
現代チートの代表例でいうと『ポンプの製造法』なんて言うものがありますが、今時代水道の蛇口をひねれば水は出てくるものです。なのにファンタジー世界では井戸から水を汲んでいる。
井戸ですよ井戸。見たことありますか?(私はありますが)
更に井戸が面倒ならポンプを作ればいいじゃないかという発想に至るのも水道が引かれる前はポンプだったという情報を知らないといけません。
この辺りは歴史というより科学分野かもしれないですね。
そしてミドリムシ!
あいつの生態も役立てる事が出来るんです。
魔法で核となる細胞を生み出して、それが分裂増殖して有機生命体を創造させたり、とある錬金術師は弟の肉体を創り上げるために肉体を構成する素材をかき集めてきたってエピソードがありましたね。
他にも動植物の習性を利用して相手の裏をかいたりするためにもその生物の事を知る必要が出てきます。
現代知識が全く役に立ちそうにないSFだってどんなトンデモ理論を持ち出そうと、それを読者に理解させるためには尤もらしい現代表現で伝えることになります。
それが魔法であったとしても多少物理法則を無視する程度で、例えば炎を放ったのに凍り付いたり雷を落としたら大地に花開く訳にはいかないんです。
そんなことをしていたら読者は頭パニックですからね。その場合はきっと作者もパニックになってますが。
つまり。
「学校とは作家を輩出するための機関である」
と言えなくもない。かもしれない。
……ちょっと無理があるか。
ただ面白いのは、学校で習ったことをそのまま文章にしても誰も見向きもしないってことです。
学校で習った事をベースに家庭環境や社会、もしかしたら前世なんかの影響も受けて創作物というのは出来上がります。
言い換えると学校は畑の土のようなものかもしれません。
そこからどんな栄養を吸収して芽を出して葉を伸ばして咲く花の色も形も人それぞれです。
あ、でもこういうと「水耕栽培だってあるじゃないですか」って意見も出てきそうですね。
水耕栽培は(あまり詳しくはないですが)、それでも根から栄養を吸い上げているのは一緒のはずなので、普段私達が見ている土から土色成分を抜いて透明にしたものが水耕栽培と言えるんじゃないでしょうか。
つまり純粋培養の英才教育が水耕栽培な訳です!
若干脱線しましたが、
多分今あるものだけで生きて行こうと思ったら学校で習った事なんてほとんど使いません。
だけど新たに何かを生み出したり表現しようと思った時には色々な知識が必要になります。その元ネタを学校で教わっていたんです。
学校の授業が無意味で人生を無駄にしたなと思う人は是非小説を描いてみてください。
きっと今よりもちょっとは味のある人生になるでしょう。