第7話 調査
「ずいぶんげっそりしてきましたねー」
俺の幾分こけた頬を撫でながらリリが言う。この家に逃げ込んでから一ヶ月、霊安室で遺体とルームシェアし続けていれば嫌でも疲弊してくる。無精髭がじょりじょりと乾いた音を立てた。
「なあドクター、思ったんだが、俺たちで独自に捜査するっていうのはどうだろう」
俺は一つ提案した。外に出たいばかりに言ったまでだが、理由が無いわけではなかった。このまま地下牢生活というのは限界があるし、犯人を捕まえれば俺も堂々と昼の世界で生活できるというわけだ。
「そうですねえ、でも、このまま衰弱していくのを見るのもアリかなって……」
「え?」
何か不穏な言葉が聞こえた気がしたが、リリは麗し気なスマイル(ゼロ円)を浮かべて打ち消した。もしかして俺は軟禁されているのか……? 俺はぶるぶると頭を振る。今の言葉は聞かなかったことにしよう。
「でも、やっぱり活きが良いのが一番ですよね! 分かりました、外に出られるように計らって見ます」
なんだか釣られた魚みたいな気分だった。
リリは目立たないローブを貸してくれた。フードを深くかぶると顔まですっぽりと隠れる。濃紺、紅緋に鼠色、若草色、墨色、白、白、白、白……。戸棚には色とりどりの外套やローブが並べられていた。
「この診療所、猿族の患者さんもいらっしゃるから、いくつか用意してあるんですよ。目立たずに通院したいっていう方が多くて。私は白衣ばかり着ていますけど」
たしかに白衣だけで四着はあった。
外に出ると久々の太陽に目がくらむ。俺が吸血鬼だったら間違いなく灰になっている。だが新鮮な空気が肺に満ちると、活力がみなぎってくる気がした。この世界の空気は、都会の汚れに染まっていなくて清々しい。
「やっぱり外は良いなあ。心なしか力が湧いてきた気がするよ。猿の血が広い大地を求めていたのかもしれない」
「あら、それ私の力ですよー。元気になってきたでしょう?」
リリは俺の肩に手を置いたまま微笑んだ。ヒーラーみたいなもんか。最初からその「魔法」を使ってくれれば良かったんじゃないか、こんなにやつれる前に……。そんな不平は口に出さないでおく。
「なあ、あれが前に言ってた薬草か?」
俺は庭の一角に目を止めて尋ねた。診療所のぐるりにはちょっとした菜園が続いており、色とりどりの植物が咲き乱れていた。よく整備されている。
「自家栽培ってやつ?」
俺は一輪の薄緑の花を摘まんだ。花弁が緑なんて珍しい花だ。
「ええ。森から採ってきても良いんですけど、希少な薬草もありますからねー。大陸から持ち込んだ種もあります」
「大陸?」
「ええ。海の向こうの大陸です。文明国で、ここよりずっと進歩してるんですよ。十代の頃はずっとあっちに住んでました」
「帰国子女かー」
俺は感心して呟きながら、茎のあたりをしげしげと眺める。なんだか指先が痺れてきた。
「それ、鱗粉に毒があるから気を付けてくださいねー」
「手遅れだよ! 先に言えよ!」
井戸の水で右手をよくすすぎ、俺達は診療所を後にした。リリのやつ、わざと忠告しなかったとしか思えない。
路地にはあちこちに人相書が貼られていた。カラー印刷でないので、葦毛で瞳の色は薄い茶色、と文章で補足されている。品性とインテリジェンス、ほのかな野性味を感じさせる顔だちだ。なかなかよく描けてるじゃないか……。どこかの誰かにそっくりだ。俺はフードを目深にかぶった。
前回街に来たときは市街地をうろついたが、今日向かっているのは旅籠屋のあたりだ。モルグ亭周辺の目撃証言はゼニラタからリリが聞きだしている。証言のとおり犯人が異国の人間なら、旅人の可能性が高い。移住者なら数が限られるだろうし、警備隊がとっくに調べているはずだ。
「なあドクター、犯人は本当に猿だと思うか? 桁外れの筋力を持ってる人間とかは存在しないのか」
モルグ亭の遺体は俺も観察したが(何しろ隣で寝起きしているのだ)、絞殺というより首の骨にひびが入っていて、死因はそちらにあるように見えた。いずれにせよものすごい握力だ。
「どうでしょう……。筋力や腕力自慢の民族は結構多いんですよー。それなりに人口も多いですし、その線で絞りきるのは難しいんじゃないでしょうか」
「そうか、まあ目撃証言もあるし猿の線は固いか……」
俺は腕組して唸った。
「ここ一ヶ月の帳簿か? いいけど何に使うんだ」
最初に訪れた宿屋の筋骨隆々な主人は、訝しがりながらも宿帳を渡してくれた。
「モルグ亭で殺人事件があっただろ。その調査をしてるんだ」
「ありゃ数ブロック先の事件だろ? この辺の住人に関係があるのか」
「犯人は旅人かもしれなくてね」
俺は宿帳をめくりながら答えた。あまり人の出入りは多くない。そもそも「馬」ぐらいしか交通の足の無いこの時代、旅人というのはそんなに居ないのかもしれない。
「この中に猿族や腕に自身のありそうな客はいたか?」
俺は主人の逞しい上腕二頭筋を眺めながら尋ねた。
「腕に自信と言うと……、俺たちのような?」亭主は異様に大きな力こぶを作ってみせる。
「すごいな……。どれだけ鍛えたんだ?」
「レオン人は自在に筋肉を増強させる。逆に収縮させ、縮めることも可能……。もっとも、元の大きさより小さくはできないがね」
俺が感心して見ていると、亭主は力こぶを消した。
「で、レオン人や猿の客だが……、あいにくと見かけなかったな。あくまで外見での判断だが……。山脈越えの一団なんかは腕の立つ奴を揃えてくるんだが、最近は小旅行の客しか来ていない」
「そうか。この地域に旅籠屋はどのくらいあるんだ?」
「ここを入れて四軒くらいかな。こっから西の方角五十ゲールくらい先に二軒ある。どっちも主人が一人で切り盛りしているんだが、うまい料理を食わせる。もう一軒は監獄の近くだ。安いけどベッドは粗末だし、時々脱走騒ぎがあるからお勧めしない」
「ご親切に、ありがとう」
俺たちは礼を言って宿を後にした。
「旅籠屋が少なくて助かったな。次は西の宿屋に行ってみるか……。五十ゲールってどのくらいだ?」
「一ゲールは王宮の横幅が基準です。だからちょっと遠いですねー」
東京ドーム何個分みたいな分かりづらさだ。
「王都の住居は基本的に一区画二十分の一ゲールと定められているので、大まかに分かりますよー。監獄は街のはずれの方なので結構歩きます」
「へえ、どうりで街並みがきっちりしてる」
西の二軒は収穫無し。内一軒は大分不況なようで、顧客名簿に名前すら無かった。本当に儲かってないのか、意図的に消されるのか……。
「その宿、最近は繁盛してませんわ」
近くを通りかかった貴婦人に声をかけると、快く教えてくれた。緑の宝石を耳にかけている。身なりは良いが、下町をうろついているあたり、没落貴族かもしれない。従者のような男を連れている。男はローブの下から伸びる長い両手に買い物籠をぶら下げている。ゼニラタの件を鑑みるに、民族ごとに特徴があるみたいだ。多分従者の方は手の長い一族なのだろう。俺よりも握力がありそうだ。
「近くに猿の物乞いが住むようになってね。客が寄り付かなくなっちゃったの」
多分この世界は福祉なんかも未整備だろう。食うに困った人間を保護する制度も、多分あるまい。
「ほら、ちょうど来たわ。あの猿よ」
婦人は路地の向こうを指さした。ゴミを漁っている一匹の猿が目に入る。苔色の毛に覆われている。俺達の視線に気づいて、逃げるように立ち去る。
「近頃じゃ見なくなったと思ってたのにね。どこから流れてきたのか……。教育に悪いわ、子供の……」
言いかけて夫人は口をつぐむ。従者は何か落ち着かない様子である。
「? 何か、嫌な思い出でも? 知った顔の猿族が何かしでかしたとか……」
「いいえ? ……私はカプリ人の中でも特に高貴なモンフォール家の一員よ。猿の知り合いなんているわけないじゃない。おかしなことを言う人ね」
彼女は口早に言うとそそくさと立ち去ってしまった。従者が申し訳なさそうに頭を下げて後を追った。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか? それにしてもモンフォール家とやら……、どこかで聞いた名前だ。




