最終話 幻日/You Only Live Once
俺たちは落下の着地音を聞きつけたセオたちに助け出された。セオとナダ、そしてスペクトラは、俺の後を追ってタワーの足元まで来ていたらしい。
「スペクトラも、無事だったんだな」
彼はふらつきながらも肯いた。セオが言葉を引き取る。
「荒療治ですが、瀉血しました。毒抜きと一緒です。塔に来ることも彼の指示でした」
「本当は地盤を緩めて、タワーごと倒壊させる作戦だったんです」
ナダは説明した。
「でも途中で二人が降ってきて……。あそこに落ちたのは幸運でしたね。鬼まで助ける気は無かったですが……」
ナダはリリを睨みつける。「あんたを許したわけじゃない。誤解するなよ。捕まえた以上は人の掟に任せるというだけだ」
「それが良い」
背後から声がかかる。見知らぬ赤毛の少女に肩を借りながら、ゼニラタが言った。
「沙汰はお上が処する。わしは捕まえて牢屋にぶち込むだけ。最後にとんだ大物に当たったがな」
「最後?」
スペクトラが訝し気に尋ねる。
「この目を見ろ。もう使い物にならん。少し早いが隠居生活だ」
「まだ若すぎるようですな」
セオがリリを見る。リリは肯く。
「私が治しますよ。もとよりそのつもりです」
「信用できるのか?」
ゼニラタが疑り深そうに言う。「大丈夫だよ、もう」俺は朝日に目を細めた。
「私が保証しますよ。ヴァルゴ人に嘘は付けない」
セオが胸を張る。スペクトラが腕を差し出した。
「疑うなら、俺から治療してもらおう」リリは彼の片腕に触れると、数秒で完治させてしまった。
「マシラが安全だと言い、セオが太鼓判を押すなら信じていい。それにナダの姿を見ればな」
「わしが信じるのは法だけだ」
ゼニラタはきっぱりと答えたが、苦い顔で付け加えた。「だが、たまには好敵手の言うことを信頼してやる」
古の都は、再び長い眠りに着こうとしていた。人々は皆束の間の眠りの中で幸せな夢を見ていた。だが、人はいつか夢から目覚めなければならない。
「しかし全員治すのは時間かかりますね。いつ目を覚まして暴れ出すとも分からないし……」
ゼニラタの両目が回復するのを見ながら、ナダが言った。
「私が本気で眠らせたんだもの、三日は目覚めないわ!」
赤毛の少女が腰に手を当てて豪語する。端正な顔立ちと育ちの良さそうな仕草、つやのある長い髪。勝気なショッキング・ピンクの瞳と緑の耳飾りが、陽の光に輝く。
「ところで君、どちら様?」
「アテネよ!」
少女は聞き覚えのある声で叫んだ。俺は仰天して声を挙げる。面影ゼロじゃん!
「っていうか気付きなさいよ、ナダだって人間に戻ってるでしょ!」
アテネはナダを指さす。陰に居て気づかなかったが、よく見るとナダもヒトの姿に戻っている。
「猿化細胞への命令は解いてます。戻すだけなら遠隔でも出来るので。後は本人の意志次第ですねー」
リリがさらりと答える。
「お前は良いのか」スペクトラがセオに尋ねる。セオはまだ猿の姿のままだった。彼は笑顔で首肯する。
「存外、この体が気に入りました。猿の身は重荷ではありませんよ」
「そうか」
木漏れ日でスペクトラの表情は見えなかったが、俺は彼が笑ったように思えた。
それからリリは拘束され、ゼニラタとスペクトラの監視のもと負傷者の救護に回った。兵の数はかなりのものだったが、リリの手際は良かった。回復した者はアテネの催眠で、そのまま城下町やスラムまで夢遊していった。
「戻ってからが大変だな。部下に事情を説明しなくちゃならん」
「あれは夢だった……、と言うわけにもいかないからな」
ゼニラタはスペクトラの発言に同意して答える。「なかったことには出来んよ」
「しかし意外だな」
スペクトラはゼニラタの横顔を見る。
「お前なら寝ている猿たちを捕縛するかと思った」
「容疑は晴れている。冤罪はこりごりだからな」ゼニラタは俺とアテネをちらりと見た。
「お前たちも今回だけは見逃してやる。鬼捕獲の功労者だからな。お上もそう判断するだろう」
「恩着せがましい奴だな」俺は肩をすくめる。「でも、あんたのお陰でもあるよ。被害が収まったのは」
「わしは仕事をしただけだ」
ゼニラタはわざと顔をしかめてみせる。それからスペクトラの方に向き直った。
「それに、まだ仕事は残っている。山ほどな。貴様らもそうだろう? いくらスラムで同盟を組んだとはいえ、一時的なもの。根本的な問題はあちこちでくすぶっている。お前らだけで解決できるとは思わん」
「何……?」
聞き捨てならないというように、スペクトラはゆっくりと拳を振り上げた。
ゼニラタは、黙って右手を差し出した。
「外の力も使えばいい。わしらの間には話し合うべきことが沢山ある。同じ過ちを繰り返さないためにもな」
スペクトラは彼の手を見て戸惑ったように拳を揺るがせた。何が起こっているのか分からないという顔だ。だが、やがて観念したようにその手を下ろした。
「……怒りの手を振り下ろすというのは、こういうことかもしれないな」
彼はそう言ってゼニラタの手をがっちりと掴んだ。
いつの間にか斜めに上った太陽が、廃墟の街を明るく照らしてる。
「そういえばあんたの予知能力だけど」
アテネは思い出したように口を開く。そう言えば開戦前に何か言いかけていた。
「大陸には『量子器官』を持ってる民族が居るそうね。三賢者とか呼ばれてるけど……、あんたと同じように予知ができるらしいの。つい最近思い出したわ」
「量子器官を持つ種族なら、この地にも存在しましたよ」セオが口を挟む。「太古の昔、この古代都市に住んでいたと聞きます。マシラ殿は、その血族なのかもしれませんな」
「なんだ、じゃあこの力もやっぱり魔法じゃなかったのか……」
俺は妙に納得する。その方がしっくりくる気がした。
風が吹き抜ける。アテネが髪をかき上げるのが見えた。
「なんか羨ましくなってきたな。俺も少し、人間の頃が懐かしいよ」
「ああ、そういえばあんたも人間なんだっけ。猿に転生とかなんとか言ってたけど……」
旋風が、俺の髪を攫っていく。
「にしても抜けすぎじゃない?」
アテネが俺の毛を見て妙な顔をする。「あんた、実はけっこう歳いってる?」
「失礼だな! まだぴちぴちの二十代だよ!」
しかし俺の毛はどんどん抜けていく。「えっ、ストレス?」
「懐かしいと思ったからですよ」
リリが隣にやってきて、にこやかに答える。
「どういうこと?」
「マシラ君、猿の肉体に転生したと思い込んでたでしょ? でも、マシラ君は多分本来のヒトの肉体のまま〈ここ〉に転移してきたんですよ」
俺は両手を見る。毛の生えていない滑らかな両手だ。顔を触ってみても肌の感触が直にある。人間に戻っている。「確かに若いわね」アテネが肯く。
「そもそも私が初めて出会った時、マシラ君はヒトの姿でしたからねー。診療所じゃなくて、崖から落ちる直前……。それで私がマシラ君を猿に変えたら、逃げ出しちゃって、それで追いかけてたんですよ。覚えてません?」
「いや、言われてみればそんな気も……。あれっ、っていうことは」俺は口に手を当てる。「俺は転生していない……?」
そんなことがあるのか? いや、しかし生まれ変わりの方が非現実的だろうか。「死んだら全て終わりだ」ゼニラタの言葉を思い出す。「人生に二回目はない」
リリの手が肩にかかる。俺は振り向く。
「マシラ君、全ては現実ですよ。非現実に見えるものの正体は、全て目の前にあります。あなたが幻想だと思っている世界は、存外日常と地続きでそう変わらない、少し不思議なだけの場所かもしれません」
リリの肩越しに、日輪が光る。霧の余韻に乱反射して、虹の環がかかる。
幻日だ。
太陽に照らされた塔の全貌が、初めてはっきりと見えた。俺はあんぐりと口を開けた。
「どうしたのよ?」アテネが尋ねる。俺は唖然として答える。「『猿の惑星』という映画があってだな……」
異世界転生じゃなくて時間旅行かよ……。俺は東京タワーを見上げて笑った。
〈fin〉




