第33話 古代兵器
「マシラ君、こんなに怪しい装置が目の前にあったら、真っ先に破壊すべきでしたよ」
リリは先の物々しい機械を操作しながら評した。見る限り手順は簡略……、直観的に操作できるように設計されている。
「と言ってもこれはあくまで操作盤のようなもので、他のフロアにも置いてありますし……、そもそもこの塔それ自体が兵器なんですけどね。本来はもっと実用的な、何かを飛ばすための建築物だったみたいですが……」
操作盤から蜂の羽音のような唸りが聞こえてくる。俺の脳はまだ揺れている。
「でも不要になったのか、後世の人間が大規模な改造を行って、兵器に変えてしまったみたいです。この技術からして、大陸から来た人たちかもしれませんねー。この塔の使い方を理解するために、大陸を渡り歩いていくつも書物を漁りました。軽微な修理も必要でしたし」
彼女は滔々と語りながら、硝子盤に掌を押し付ける。
「ここに針がついていて、私の血を吸っています。血液から遺伝情報を読みとり、塔と体内の特殊器官とを同期させる仕組みです。私の場合は免疫器官と超細胞器官ですねー。塔は特殊器官が発する信号を増幅し拡散する拡張器官としての機能を果たします。古代都市全域まで私の信号が届くようになるわけです」
「拡散……。兵たちの負傷を治すため、ってわけでは、なさそうだな……」
「もちろん。彼らを戦わせたのは、猿族の皆さんに血を流させるためでした」
リリはこともなげに言う。
「地上を見てください。猿の視力なら肉眼でも確認できるでしょう?」
俺はどうにか首を回し、戦場となった古代都市を眺めた。屋内戦を行っている部隊もあるが、増援を含めた多くの猿と警備隊は、地上で激しい乱闘を続けている。
「警備隊の皆さんが猿の血を浴びるのが第一段階です。第二段階はゼニラタさんの発電器官を利用して、塔を起動させる電力を共有すること。準備は整いました」
電力……! そりゃあいつらが最強種族とか称されるわけだ。古代兵器を動かせるんだから。
「そのまま目を離さないでくださいねー。空気も澄んできて視界良好、お楽しみはここからです」
リリは双眼鏡を覗き込む。
「何をするつもりだ……?」
俺は彼女を取り押さえようと身をよじらせたが、頭を打った衝撃でまだ十分には動けない。窓の方向を向いたまま床に転げるばかりだった。
「じっとして。ほら……」
リリが地上を指さす。窓の下では奇妙な現象が始まっていた。
異様な光景。警備隊の肉体が次々と暴れ出し、不気味にのたうっている。毛がよだち、生え代わり、骨格も歪に変形していく。
猿だ。
彼らはアテネやセオと同じように、今まさにヒトから猿へと変貌を遂げつつあった。屋内も同様。周囲の教会メンバーは攻撃の手すら止め、突然の出来事にただうろたえている。
俺は呆然としてそれを眺めた。
「何だよ、これ……」
「魔法ですよー」
リリは悪戯っぽく声を弾ませる。
突然の異常事態に戦場は一時的な停戦状態にもつれ込んでいる。指示を出すものはいない。次の一手に踏み出せない均衡……。
しかしそれも、ほんの束の間の静寂だった。
一匹の人猿が周囲の猿に掴みかかり始めた。つい数秒前まで警備隊だった男だ。本能が敵を認める。恐怖が伝播したように、他の人猿たちも次々と周囲を襲い出す。辺りは猿ばかり。もはや敵味方の区別もつかない。戦場はますます血みどろになっていく……。
これが末路か……?
俺は絶望に打ちひしがれて呟く。
俺の必死の努力も、積み上げてきた成果も、全てが水泡に帰していく。守ろうとした矜持、信頼……、積み木崩しをただ遠くから眺めるばかり。果てしない無力感が、内側から滲んでくる。
「お前のせいだ」
皆の落胆する顔、責める声……、頭の中にありありと浮かんできて、俺を苛む。俺は、俺はただ、救世主を全うしようと……、ただそれだけなのに。
「あはは、この状況でまだ闘うんですねー。何人生き残るかな」
リリが愉快そうに言う。俺はかろうじて息を吐きだす。
「……リセットだ」
「はい?」
彼女は不思議そうに問い返す。
「なかったことにしてくれ……、全部。出来るだろ、魔法なら。最初からやり直すんだ。そして、今度こそ、救世主に……」
「痛ましくて目が離せませんねー、マシラ君は」
この瞬間にも一人また一人と命を落としていく。俺を頼みにする人はもう誰もいない。
「魔法なんてただの言い回しですよー。信じてる人もいますけど……。そんな都合よく何でもできるわけないじゃないですか」
俺は力なく呟く。「嘘だ」
「嘘じゃありません。身をもって分かったでしょう、知識は力ということが」
彼女は双眼鏡から目を離すと、緑の瞳を光らせた。
「魔法なんてものはこの世に存在しません。神や魔法の正体は、無教養な人間が己の常識を超えた現象に貼るレッテル、お粗末な解釈、願望、理想、畏怖……。世界が説明不可能なものであってほしいという儚い虚妄、夢物語です。この世界が不条理なほどに合理的だということ、その事実から目を背けているだけ。残酷ですが……、しかしその無知がこういう結末を招く」
「なんだよそれ……。君の力は魔法なんだろ。何とかしてくれよ!」
「まだ分かりませんか」
彼女は憐れむような眼で俺を見つめる。
「例えば……、レオン人と呼ばれる人たちが居ますね。彼らの特殊器官は筋肉を増大させるものと捉えられていますが……、あれは間違った理解です。本来のレオンの力は細胞増殖……。正確に言えば細胞に増殖命令を出す器官です。再生にも応用できるし、他人の傷も治せる。マシラ君がゼニラタさんを倒した時みたいに、時限式で他人の筋肉を増幅させるなんて芸当も可能です……」
彼女は戯れに指先を弄ぶ。
「でも皆、経験と伝承に頼って本質を見ようとしないから、力を使いこなせない。」
「知識を、事実を受け入れろって言うのか。俺は認めないぞ……。……そうだ、君はアリエスタ人だったはずだ。今の話が本当だったとしても……、レオン人の再生能力とは別物のはずだ。やっぱり未知の力があるんだ!」
俺はこの事態を撤回できないという現実を避け、一縷の望みに縋る。リリの言葉は全て嘘で、まだ何か帳消しにする方法はあるんじゃないか、と。
だがリリはもどかしそうに溜息をついた。
「私はレオンとアリエスタの混血です。傷を治すのもヒトを猿に変えるのも、全ては既存の器官の力。ただ人よりも能力をよく理解しているだけで、未知の魔法なんかじゃありません」
言葉を失う俺に、彼女は畳みかける
「この小さな姿がその証拠ですよ。私がレオン人の力を持っているという証。最も効果的な変装はなんだか知っていますか?」
リリの身体は、先刻屋上で感じた違和感の通り……、いつもより一回り小さくなっていた。背伸びしなければ俺の額に届かないほどに。
「……それは普段から姿を変えておくことです。必要に応じて見た目を偽るのではなく、常に偽の姿の方を人に見せておく……。その方がぼろが出ない。この小さな形こそが私の本来の状態です。細胞を増殖させて、日頃は身丈を大きくしている。それだけで鬼との繋がりを打ち消せますから」
「なら、人を猿に変える鬼の魔法は……」
「人猿の作り方も似たようなものです。猿の細胞をヒトに移植して、細胞分裂の信号を出す。免疫抵抗をコントロールして拒絶反応を抑える。単純化すればそんな感じ。実際はもっと高度で複雑ですけど……」
リリは俺の傍に歩み寄り、しゃがみ込む。
「いい加減理解しましたか。全てをやり直す魔法なんて無いんです。その浮ついた現実逃避が敗因……、今回の一連の事件だって、本質は同じです。ヒト族も猿族ももう少し互いのことに関心を持ってれば、ここまで酷い事にはならなかった。無知と無関心、それがあなたたちの罪です」
「そんなことはない……。頑張ったさ……! 俺だって精一杯やったんだ!」
俺は叫ぶ。リリは駄々をこねる子供をなだめるように、そっと俺の頭を撫でた。
「あなた一人抗っても意味ないんです。大流に小石一つ投げ込んだところで、河の流れが変わることはありません。彼らに必要なのは現実の痛みです。罰を与えられて初めて人は自分の愚かさに気付くんです」
「ふざけるな……、罰を与えるのが君だと?」
俺はリリの袖に目を止める。そうだ……。俺の中に希望が蘇る。あれならリリを止められるかもしれない。鬼を捕える……。そうすれば俺だって……!
俺はそろりと腕を動かした。少しなら動けるはずだ。
俺は機を窺いながら慎重に述べる。
「……せめてゼニラタは治してやれ。君があの人猿たちを使って何をしたいのか分からないが……。統率者は必要だろ。目も見えず身動きもとれないじゃあんまりだ。……あの香水は強烈だからな」
「ああ……、これですか」
リリは袂から麻酔液の小瓶をとり出した。俺の右腕が素早く動く。最後のチャンスだ……!
冷たい瓶の感触を、指に感じた。




