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【プロト版】猿の転生 ~猿猴が月に愛をなす~  作者: 蓑谷 春泥
第3章 キャッチミー・イフユーキャン/鬼さんこちら
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第32話 幽鬼の塔

「マシラ!」

 だらりと垂れ下がった腕を、誰かが揺すった。「マシラ! 起きなさいよ!」

 ショッキングピンクの瞳が俺を覗き込んだ。

「目を開いたまま眠ってる……」

「というより、金縛りに近い。麻酔の類でしょう」しわがれた声が耳に入る。「アテネさんの催眠器官なら、解けるかもしれない」

 頸元に手が伸びてきた。「任せて。セオの時で掴んでるわ……」

 首元からじわりと温かい気体を流されたようだった。熱気はゆっくりと脳に到達し頭の(もや)が緩やかに晴れていくような感覚があった。

 俺はふらふらと身を起こす。指を開いたり閉じたりして、感触を確かめる。

「ひとまず成功……、ね」

 俺の横でアテネがはにかむ。

「笑っている場合ではないようです」セオがスペクトラを助け起こしながら言った。ぐったりとして小刻みに痙攣している。アテネがその首元に手を当ててやると、次第に安らかな寝顔になった。「痛みとショックは消したわ。何があったの?」

「アテネさんとナダさんは壁伝いに来ましたから、下の階の様子は見ていないでしょう」

 セオが重たい口調で言う。

「ええ、セオが入ってくるなって言ったから」

「外からでも分かりましたからな。すすり泣きと、むせ返るような傷の香り……。戦場の臭いです。実際あの惨状は、先の戦争以来だ……」

 俺は眉をひそめる。「たしかに凄まじい悲鳴だったが……。そんなに酷かったのか」

「久方ぶりです、善意から殺してやりたいと思ったのは……。まさに生き地獄。察しは付きます。鬼が現れた。階下から誰かれかまわず蹴散らしながら、屋上まで上ってきたのでしょう」

「もっと酷いですよ……」

 ナダが重く足を引きずりながら、弱々しく声をかける。やっと体の麻痺が解けたらしい。

「鬼の正体はあの女だったんです」

「あの女?」

「ドクター・リリパット。俺たちが必死に助けようとしてた人。まんまと踊らされたわけですよ、ヒトも、猿も」

 ナダは焦点の定まらない目で呟く。「ナダ、よく聞くんだ」俺は精一杯言葉を探す。

「奥さんのことは君のせいじゃない。錯乱状態のことだ……。君は何も悪くない。君が責任を感じる必要はないよ」

 ナダはぼんやりと宙を眺めている。事件以来苛まれてきた無意識の罪の感触、思えば彼は常に何かに怯えていた。それがここに来て唐突に表に引きだされたのだ。精神的負担は計り知れない。

「セオはナダと……、スペクトラ様子を見ていてくれ。痛みも和らげたし、まだ猶予はあるはずだが……」

「マシラ殿はどちらに?」

「リリを……、(ゴブリン)を追う。ゼニラタを使って何か企んでる」

「なら私も行くわ」

 アテネが名乗りを上げる。「鬼とやりあう気は無いけど、ゼニラタを連れて逃げるくらいならできる」

「良いのか? 助かるけど……。ゼニラタには恨みもあるだろ」

貴族の責任(ノブレスオブリージュ)ってやつよ。世話焼きはあんたも大概でしょ」アテネは鼻を鳴らす。「それにあんたも分かってるでしょ。ゼニラタは悪い奴じゃないわ」

「それで、あては有るんですか。鬼の逃げた場所に」

 ナダが力なく尋ねる。俺は首肯した。「彼女があの鬼だとすれば……、何となく検討はつく」

 俺は空に向かって指を立てた。

「下の警備隊に何かが起こると言っていた。警備隊は戦闘の真っ最中で数も多すぎるし、まだ何の変化も無い。多分直接接触してどうこうってわけじゃなく、何か大がかりな仕掛けを用意しているはずだ。嗜虐趣味の鬼なら高みの見物をする。一番見晴らしの良い場所で」

 俺の指さす先には、雲をつく巨大な鉄塔が聳え立っていた。


 足元に立ってみると、つくづくその存在感に圧倒される。夜の暗がりと霧とで全貌や色味は分からないが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた鉄骨の網は、空に向かって先細りに伸びている。三百メートルはあるだろうか。こんな中世じみた世界にこんな建造物、場違いな感じだ。しかも古代人が建てたというのだから(なお)のこと……。これも魔法の力なのか?

 塔の中ほどには展望台のようなガラス張りの広大なスペースが広がっている。リリが居るとしたらあそこだ。

「階段があったわ!」

 外観を確認していたアテネが駆け寄ってくる。「外階段が上の広間まで続いてる。あそこから入れそうよ」

「俺たちは猿だぜ、階段なんていらない」

 俺はひらりと鉄骨に飛び乗った。「登って行けばいい。数秒だ」

 俺は上からさらに別の入り口を見つけ、アテネと二手に別れた。「お前は下のフロアからゼニラタを捜してくれ。俺は直接見晴台に行ってみる。鬼を見かけたらすぐに隠れろよ」

「言われなくても」

 鉄塔を駆け上がる。修行の成果だ。すっかり猿らしい動きが身についている。あっという間に展望台まで辿り着いた。

 俺は地上を見下ろす。かなりの高さだ。落ちたらひとたまりもないだろう。

 連絡扉を開け、塔内に侵入する。辺りは夜の闇にすっぽりと包まれている。斜めに差した月明かりがぼんやりとした溜まりを作っていて、そこだけが明るかった。緑のローブを身にまとったリリが。地上を見下ろし佇んでいる。

「似合わないよ、そのローブ」

「期待にそえなくて残念……。ここに居るのは緑衣の鬼。白衣の天使は廃業です」

 リリは和やかに言い切って、窓にそっと手を当てた。

「人が蟻のように見えますね」

 硝子越しに都市を見下ろして言う。

「霧が晴れてきました。朝が近づいてる証拠ですねー」

「ここから兵を一望するつもりかと思ったが、読みが外れたな」

 俺は街を覗いて言う。

「この場所は高すぎる。ヒトの目ではかえって様子が分からない」

「便利な道具もありますよー」

 リリは床から生えている妙な装置を叩いた。双眼鏡のように見えるが、その下に大がかりな機械のようなものが繋がっている。明らかにオーバーテクノロジーだ。

「君が造ったのか?」

「私は手を加えただけです」

 リリは双眼鏡の表面をなぞる。

「目的は何だ? ただヒトや猿を傷つけるだけならいつでも出来ただろ。なぜわざわざこんな辺鄙な場所へ人を集める」

「集落をつくるためです」

「集落?」

「前にも話したでしょ。人猿が移住できる場所を整備しているって。それがこの都市です」

 それにしては、だだっ広い所だ。それに、

「答えになってない。警備隊も猿族も必要ないはずだ」

「すぐに分かります」

「分かった時には手遅れんなんだろ」

 リリがこちらに向き直る。緑の眼差しが突き刺さる。俺は獣のように両手を床につき、毛を逆立てた。

「君とは戦いたくない」

「捕食者を恐れるのが本能ですから」

「違う。君を傷つけたくないんだ」

 リリはひらひらと手を振る。「傷つきませんよー、治りますから」

「治せても癒せない」

 俺は息を吐きだす。「そこが君の限界だよ。傷口は塞げても擦り減った心は戻らないんだ」

「面白いことを言いますね」

 窓の外を指さす。

「彼らを見ても同じことが言えますか? 神と麻酔で蓋をするだけの彼らを。現実を救わなければ、()()()()()()()()()()()。夢に逃げ、見て見ぬふりを続ければ、傷は膿み、(ただ)れ、気づいた頃には手遅れに。誤魔化した心すら……」

 俺は答えない。リリは満足げに続ける。

「どうします? 猿族の皆さんみたいに無抵抗で吊るされますか」

「そうもいかない。でも俺は、君を救いたい」

「あは、笑えますね」

 リリはくすくすと笑う。「空っぽの使命感はよく響きますね。私は容赦しないですよ」

「話しても分からないなら、無理やり連れ帰るだけだ。俺には皆を守る義務がある。きっとそのために生まれ変わったんだ」

 俺は牙を剥きだして唸る。リリは目を細める。

「力づくじゃそのジレンマは消えませんよ? もっと素直に生きればいいの。つまらない価値観に縛られて、皆に振り向いてほしくて、あなた、いつも右往左往してる。身の丈に合わない願望に振り回されて、浅はかで、惨めで、愚にもつかない。まあ、そこがいじらしい所でもあるんですけど……」

 リリは己の片頬を撫でる。

「飼い殺しにしてあげますね」

 リリの腕が敏捷に動く。広がった袖口から鎖が飛び出す。

 『金属音は聴こえていた』。俺は鎖の上を跳躍し間合いを詰める。至近距離なら長物は扱いづらい。メスの投擲(とうてき)も防げる。

 着地を狙って、右の裏拳が胴を襲う。俺の右脚がそれを跳ね上げる。そのまま逆脚の回し蹴りに繋げる。爪牙は使えない。スペクトラの例がある。

 リリは鎖を広げて蹴りを受け止める。そのまま鉄縄で足を縛ろうと動く……が、俺もそれは読んでいる。素早く足を引き抜き、体勢を立て直す。

「腕、上げましたねー」

 リリは鎖を袖に仕舞いながら言う。「音を立てる武器は予測されますね。素手でやってあげます」

 即座に拳が飛んでくる。鳩尾を狙った精妙な一撃。いなす。すかさず鬼の連撃。『頸部、右腕(うわん)、眼球、膝頭』、全て分かる! 風を切る音だけで、どの部位への攻撃か正確に推測できる。俺の予知は修行を経て、かつてないほど研ぎ澄まされていた。

初動を潰し、攻撃の経路を反らす。隙の出来た彼女の額を狙う。『(くう)を撫でる音』、つまりは躱される予感……。俺は咄嗟に胴への攻撃へと切り替える。

 リリは素早く左腕でガード。硬い! 鉄の繊維みたいな肉体だ。

「いたずらに筋骨を増やしても限界があります」

 リリは蹴打を打ち抜きながら言った。

「レオン人は無暗と筋肉を付けたがる傾向にありますが……。彼らは力の出し方を履き違えてます。増強した筋組織は、凝縮し、超高密度の筋繊維に依り集めるのが一番良い。一撃の『重み』が段違いです」

 俺は大きく身をひねる。リリの拳が壁を砕いた。

打擲(ちょうちゃく)の衝撃を高めるためには、腕の筋肉だけでは不十分です。身体の動きは連動している。どの部位を強化するべきか正しく把握すれば、しなやかで力強い動きが可能になります。膂力も飛躍的に向上する」

 右ストレート、肘撃ち、逆蹴り。俺が躱した彼女の攻撃は全て壁や床のコンクリを打ち抜いた。彼女の骨も砕けているはずだが、瞬時に再生している。攻撃に遠慮が無い!

 だがそのぶん大振りだ。俺はジャブのフェイントを入れる。ここで予知を使う。当たるなら打ち抜く、外れるなら足蹴に切り替える……!

 ぱっと辺りが明るくなった。なんだ? 朝日か? 不意を突かれ、俺の攻撃がわずかに緩む。鬼はそれを見逃さない。腿に一撃もらう。

 ぐらつく姿勢でカウンターを放つ。よろめきが功を奏し、鬼の死角に入る。……だが、リリの髪に触れた途端、俺の攻撃には迷いと隙が生じた。

 顎を砕く強烈な一打! 俺は窓枠の鉄骨に叩きつけられた。

「甘いですよ、私を殴る覚悟も出来てないなんて」

 脳が揺れ、身動きが取れない。リリは俺を見下ろす。

 ……追撃は無い。決着がついたのだ。

「運にも見放されましたねー。この灯り……。そろそろ稼働する頃合いだと思ってました」

 俺は不規則に息をつきながら、目を上げる。眩しい。陽光ではなかった。この鉄塔の内部灯に光が灯されたのだ。

「兵器が作動したんですよー」

「兵器……?」

 俺はぼんやりと焦点を合わせながら聞き返す。

「はい、この建物、古代遺跡って言われてますけど……」

 リリはにっこりと微笑む。「実は古代兵器なんです」


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